03-106 レティシア登場
翌朝、アカリはシャトルで直接地上へ向かった。
NEMO氏の姪のレティシア=エベールが住むのは、軌道エレベータの地上駅を含むエリアで、人気のある住宅地だ。
宇宙船であるシャトルはいくら小型とはいえ、住宅地の有料駐車場に停められるほど小さくはない。軌道エレベータの地上駅近くの駐機場にいったんシャトルを停めて、搭載しているバギーで目的地に向かう。そこは開拓初期の宇宙港跡地だったところで、現在は軌道エレベータの地上駅だけでなく星の各地に向かうチューブ列車のステーションでもある。さらに星で最大の繁華街が入ってもまだ駐機場の広大な敷地が確保できていた。
シャトルのバギーは地上用ではない。簡単な骨組みに板を張り付けただけの、探査機のような外観は少し目立った。こう見えて地上用の車よりははるかに頑丈でパワーがあるのだ。ナビゲーションに住所をセットすると最適な経路が表示される。
「三〇キロか、エリアの外れなんだな」
到着したのは普通の住宅街だ。同じ造りの建物が十棟ほど並んでいて、一棟に4つの玄関が並ぶ集合住宅だ。二階建てで、部屋数はそこまで多くはなさそうだが、家族でも住むことができる広さはあった。格棟はそれぞれ充分に離れて建っているため、詰め込まれている感じは全くしない。
八棟の四号室が、レティシア=エベールの住居だ。こんな建物だから家族住まいなのだろうか。
「なんか、緊張してきたぞ……何でだ?何かあるのか」
あの戦いを生き抜いてきたアカリは自分の直感は信じていた。
ここに居るのは、自分を変える何かだと。
変人NEMO氏の親族だ。普通でないことは覚悟しておかなければならない。
朝の食事の片づけも終わり、レティシアはのんびりしていた。ビーズクッションに深く座り、窓から雲が流れていくのを見ていた。音量を抑えたスピーカーからは千年前のジャズミュージックが流れる。目を閉じれば、幸せな感情が沸き上がってくる。
吹き抜けになっている二階の窓から入ってくる朝の優しい光が、レティシアの薄い金の髪をきらきらと輝かせる。クッションにだらしなく埋もれているのは、薄い黄色のキャミソールと白のショートパンツから伸びる長い手足。単なる女性の日常の情景を一枚の絵画のように見せしまうのはその美貌に因るものだろう。
今日もいい天気だ、こんな日はきっとすてきな出会いがあるに違いない。そのためには外に出ないとならないのだが、後少し待った方が良いような気がしていた。
いつまで待てばいいかなど、神ならぬレティシアに判るはずもなかったが、昼には我慢の限界が来るだろう。
何故だか落ち着かなくて、唸りながらキッチンでコーヒーを淹れるべく立ち上がったのとブザーが鳴ったのはほとんど同時だった。
玄関の呼び鈴だ。
「はーい、どなたですか」
とモニターに向かって尋ねるが、だいたい分かっていた。宅配屋さんだろう。自慢じゃないが訪ねてくる友達なんてレティシアにはいないのだ。
(いやいや、ゼロではないし、今日は予定がないというわけで)
『お届け物です』
(やっぱりそうだ。でも男の人か……どうしよう、部屋着だけど出ても大丈夫かな)
レティシアとしては、好みの声だった。今までそういうことを考えたことがなかったのに自然とそう思えた。
どんな人か……モニターに映るその人を見た途端、この出会い、絶対に逃してはいけないことが分かった。自分はこの人を待っていたのだ。
レティシアは思う。
(自分のことだけど、可愛いよ私。それもかなりの上位者!。スタイル、体型も自分なりには気を使っているし。若さで維持できているだけ?違うよ、努力はしているんだから。趣味は……これから決めます!得意なことは飛び抜けて無いけれど、苦手なことも無い。……なんか見た目だけか?良いのは!でも嫌な娘じゃないよ!猫だって好きだし。まあそうそれはともかく、わたしは今かなり上等な物件だ)
自らの全てを肯定し、運命に対峙する力を蓄える。
「ちょ、ちょっと待ってね。部屋着なんで……」
(私は何を言っているんだ、部屋着情報はいらないじゃないか)
チラリとモニターの彼を見ると、少し困った感じで笑っているのが見える。
『はい、急いでませんので……』
(優しい!……イヤ待て普通だ。お客に急がせたりはしないものだよ、普通。どうしよう、元々そんな人前に出ることが出来ないほどひどい格好じゃないし。でも可愛い格好でもないし。いやいや、可愛くなくていいんだよ、荷物を受け取るだけなんだから)
鏡の前で、部屋着の乱れと髪型だけは整える。
「よし、可愛いぞ私」
気合いを入れて、玄関のドアを開けた。
「ごめんなさい、お待たせしました……」
レティシアが顔を上げてアカリと目が合うのと、甘い香りを感じるのは同時だった。
『ちょ、ちょっと待ってね。部屋着なんで……』
家でくつろいでいる時に出くわしてしまうのは、まあ普通だといえる。自分の家なのだから、きっちりした服装で始終いることもないだろう。ひどく焦っている家人の様子に、アカリには冷静さが戻ってきていた。
きっとレティシアだろう。インターホンから聞こえた声はとても可愛らしく、何故か懐かしく感じた。
「はい、急いでませんので……」
待つのは慣れているから別にかまわないのだが、相手にとってはプレッシャーだったか、何やら一段と騒がしくなった。
しばし待って、扉が開く。
「ごめんなさい、お待たせしました……」
顔を上げたレティシアとアカリの目があった瞬間、イチゴの甘い香りの中に、遥か昔に嗅いだことがある、香りのようなものを感じた。




