02-206 第一夜 アカリと船長仕事
宇宙港の宙域から出たハイペリオン号は通常推進で順調に加速していった。
星系の哨戒ラインである第十惑星軌道まではおよそ10時間かかる。
第六惑星付近の超空間バイパス路のゲートを通り越す頃には光速の50パーセント程度に到達していた。
ゲートを通過する船が発する青白い光がメインモニターの端に映りこんだ。アカリは羨ましく思ったが自分の船がこれから素晴らしい速度で自由に飛ぶのだと考えると、気が晴れた。
さらに行くと、第七惑星近くの第一小惑星帯を通過する。ほとんどの岩塊の軌道は確定しているが、現在でも岩塊同士の衝突は起こっていてシミュレーション数値だけで通り抜けるのは危険だ。かといって軌道面を外れるのは噴射剤の大量消費につながるため、旅の序盤にとりたい手段ではない。そのため本格的な加速はこの先になる。
映画やビデオゲームで表現されるような岩塊が密集している箇所はそう多くない。レーダーとエネルギーシールドで船の安全は確保されているのだが、時にはシールドで弾くことができない大きさの岩塊などの接近も許してしまう。
「たまには自分で操縦しないとね」
レーダーに表示されたルート上の障害物を回避しながら飛ぶのは、昔を思い出して多少楽しく感じるのだった。
第七惑星軌道からは外惑星域だ。この辺りから岩石由来の星間塵が少なくなり、変わりに氷の粒が増えてきた。宇宙進出黎明期の宇宙船であれば氷であっても致命的なサイズだが、エネルギーシールドを張って進む三十四世紀の宇宙船にとっては障害物にもならない。ここからは亜光速が出せるのだ。
「ハイペリオン、速度を上げるぞ。リライト1.4。0.5光速はそのまま」
『了解。自動操縦レベル5へ強制遷移する。シールド強度を上昇』
通常空間から観測できたとして、光速の88パーセントの速度がでている。
この亜光速に至っては、何か起こっても人間の反応できる速度ではない。この速度を出すにはレベル3以上の自動操縦が必要だった。また、時間の遅延効果を最低限に抑えるため、リライト装置で光速度の底上げは必要だった。
ハイペリオン号が外惑星域に入り、レベル5の自動操縦を始めると、取り決め通りクルーは交代制になる。進路上の障害物の感知やルートから外れる判断ができるレベル5の自動操縦では非常時の判断をするのが人間の役目だ。初回の当直は船長であるアカリが勤める。
「じゃあなアカリ。俺たちは先に休憩に入るぞ」
「私はご飯を作ってから行くから、二人ともよい時間に食べてね」
「ああ、二人ともまた明日」
ハイペリオン号は外惑星域を光速の88パーセントの速度で変わらず飛んでいた。第十番惑星軌道に設定している軍の哨戒線の内側では光速を超える速度は出せない。残り数時間ではあるがのんびりした旅となった。
レベル5での自動操縦はいつもの事だし、続けて何時間も飛ぶのも慣れたものだ。星系内であっても人類居住地を廻るときに、目的地がトレジエムを挟んだ向こう側を公転していることもよくあるし、その場合は十数時間かかる。全体としては長い旅だが、要はいつもの事を七回繰り返すだけだ。
この後は段々やることもなくなって退屈を感じるだろうが、それ程困難なこととは考えていない。
哨戒ラインが近づいてきた。
この当番での最後の仕事として、速度を上げなければならない。
「今日は海賊もおとなしいな。来てくれてもいいのに」
相変わらず武器と呼べるような物はないが、今日のハイペリオン号は速度だけは出るのだ。捕まる寸前で最大速で振り切るのも楽しいかと思っているのだが。
『船長、哨戒線を越えた。設定したルートから少し外れているが、どうする?ルートに乗ってから加速するか?』
「先に加速しよう。進路修正のタイミングは任せるよ。ではハイペリオンおまちかねのイベントだよ」
『船体に異常なし。シールド最大。何時でも』
「良いぞ。リライトシステム増速ユニット、エンゲージ」
光速度によって全ての事象が制限を受けているのなら、その制限を変更したらどうなるか。テキストの光の速度の定数を少し大きめに「書き換える」事が出来れば、公式は変わらず結果だけが変わるだろう。その世界の制限速度が少しだけ大きくなるように。
衝撃も、エネルギー経路切替の瞬停も無い。しかしアカリには世界が変わったことが感じられた。
『増速ユニットは正常に起動。既存システムの出力調整問題なし。現在リライト係数は7.0。本船の最高値で作動中、0.43光速』
「よろしい。実速度は?」
『光速度の2248.54倍。本船の新記録だ』
「さすがに星が少し動いて見えるよ」
『そうか。星虹効果で処理しようか』
「いいね。頼むよ」
操縦室全面のモニターに映る星々が虹色に輝き出す。近づく星は青く、遠ざかる星は赤く。ドップラー効果を強調して表示させ、映画のような「ワープ」気分が味わえる。
「やっぱり星が動いてこその効果だよね」
『後は、タキオンレーダーが1.5光年分しか見えないが、およそ五時間分なので、障害物回避には問題はないと考える』
「ハイペリオン、食堂に行ってくる」
当面のする事をやり終えたアカリは、一服のためのドリンクを調達すべく食堂へ向かった。
距離としては五十メートルほど、増設された居住区に設置されている食堂は、四人掛けのテーブルが壁の大きめの窓に沿って三つ並んでいて、輝く星々を眺めながら食事をとることができる。入り口側には広くはないが本物のカウンターキッチンが備え付けてある。アカリの船だがキッチン部分は自分ではほとんど使わない。今の目的地はカウンターに置かれたレプリケーターだ。データと十分なエネルギーがあれば基本何でも複製できるのだが、ここでは食べ物以外は出さないように決められていた。
アカリはコーヒーを選択した。味のこだわりは特にないのだが、斡旋所のサーバーと同じレシピにしてある。アカリは気に入っているが特段美味しいはずもないので、他にも何種類か有名どころのレシピを用意してはいた。
ここまで歩いてくるのも良い気分転換にはなるが、面倒でもある。そろそろ操縦室にもレプリケーターを置くべきだろうか。いやこんな独りで回す小さな船に何台も置くものでもない、もう少しクルーが増えたらまた考えよう。いつもの思案をしてからカップを持って操縦室に戻るのだった。
第十番惑星軌道を越え、ハイペリオン号は外縁天体域の宇宙空間を進んでいた。星間物質がほとんどなくなってきたが、シールド一層目の電磁バリアへの負荷はむしろ増してきていた。もうじき恒星圏も抜けるだろう。主星トレジエムは小さな光点となって、背景の星々に混ざってしまっている。
こうなるとアカリのやることはもうない。
数時間ごとの船内の見回りとかもできるが、それだってAIが常に監視しているので必要ない。
アカリの担当が残り一時間となり、予定通りベアトリクスがやって来た。
「おはようアカリ君」
ベテラン冒険者の彼女は庶務から白兵戦まで何でもこなす、というのが売りだ。間違いではないだろうが、最近ではトラブルメーカーの成分が強い。この旅では、自分の当直時間にクルーのために食事を作ってくれるありがたい存在だ。
「おはようございます」
「どうだった?暇だったでしょう」
「いえ、楽しかったですよ。増速ユニットを作動させてリライト係数7になった瞬間はゾクゾクしましたよ」
「あら、星虹効果ね。スピード出てる感じで良いわね」
「ベアトリクスさんは?ちょっと半端な時間だったんじゃないですか」
「ん~そうだね、でも個室だったから、ゆっくりはできたかな」
担当の時間は最初と最後に重複する一時間がある。クルー同士のコミュニケーションタイムだ。宇宙での長時間の単身勤務は、AIが話し相手になったとしても、心の健康に良くないと言われていて、こうやってクルー同士が話し合うことができる時間を作ることが推奨されている。
「さて、私はお仕事してくるね」
そう言ってベアトリクスはキッチンに向かった。




