B.E. 04(そして埋もれた)
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悩みきったチャーリーは、開き直った。
彼らに連絡し、手伝って貰おう。
端から期待はしていない。でも、ちょっとした嫌がらせになるなら、それで良し。計画がバレるとマズい? どうせ隠しきれない/逃れられない。ならば、さっさとゲロったが楽なものさ。
何処に連絡したものか分からないので、例の〝死ぬほど怖がらせてくれた〟図書警察に標的を定めた。ほら、あんたの相手は面倒よ。噛みついたら離さない。
ところが、ところがである。
予想に反して図書警察の二人組は「いいですね」と乗り気で、「素晴らしい」背を押した。
そんなことってある?
罠ではないか、と勘ぐってしまうのは、やっぱり偏執狂の嫌いがあるのでは?
「他人の好意をどれだけ素直に受け入れられるか。それが人間力の高さかもね」なんて、都子は暢気に云う。「余裕のある証拠よ。好意の通りならそれでいいし、騙されたのなら、見る目がなかった」
いやいやいや。〝高い勉強代〟なんて、ちっとも笑えん。
「図書警察?」ふたりは顔を見合わせた。
この売れない(自称)小説家は、売れない故に誤った認識、或いは妄想逞し過ぎて「ちっとも売れない」小説家になったとでも? いやもう、好きにしてくれ。話を聞くに、彼らのは〈旧世紀〉で云うところの〈学芸員〉そのものであった。
見た目で判断しすぎよ、チャーリー。
でもでもだって、偏見ってそういうものでしょ?
だから、それを改めなさい。
いやもうほんとに、ごめんなさいだ。
彼らは石の選定 (デイサイト)から、加工方法 (サンドブラスト)、版下の作り方(ベクター化)に至るまで助力を惜しまなかった。手を差し伸べ、機材を揃え、彼女の望みを最大限に叶えよとばかりに奔走した。
彼らは誠実であったし、気さくでもあった。
チャーリーは彼らを受け入れた。
玄関前のポーチで彼らと語り合い、お茶を飲み、クッキーかケーキか、手土産を広げることもあった。バナナで酒を作っていないかと、かなり際どい質問にも彼らは笑って、「飲酒はよくありません」と丁寧に回答し、訊ねたチャーリーが恥ずかしい思いをした。
つまり、第一印象でチャーリーは敵対意識が働いており、とどのつまり相手に噛みついていたわけで、だから相手に悪感情を持って、見ていたのである。
──ほら、噛みついてばかりいると、自分で自分を噛みかねないわ。
都子の云う通りであった。すまんのう。
自分がワニになった時、相手がヤギだと思うまい。相手もワニだと思うのだ。見えるからこそワニとなる、フラクタル的トートロジー。〈旧〉人類らしい悪癖。反・省。
彼らは大空へのアーカイブ作業が過負荷気味であることを教えてくれた。大気層のどこかにある〈保管層〉は、世界中のありとあらゆる図書を収蔵できると云うが。可能であることと、実行されることの違いは〈旧人〉チャーリーでも分かる。
彼女は〝大地の保管〟作業にあって、〝空への保管〟の要望を却下された理由を改めて訊ねる機会を逸した。もっとも、更なる上位機関、〈賢人会〉へのお伺いリストは三年くらい先まで埋まっている。らしい。故に、二人の図書警察は一年後の再審査か、でなければ忘れて次に進めと提案してくれた、とも云える。
三年! この〈大転換の世紀〉に於て、処置不全のチャーリーは、自分の描く物語世界ならいざ知らず、現実となると、未来がまったく分からない。
三年後。都子のことを思った。彼女の子供は今日のことを知らないし、これが封され、保管されることも知らないままかもしれない。ただ、今は、ママの暖かなお腹の中でしあわせな夢を見て欲しい。願わくばしあわせのままに生まれてきて欲しい。そしてしあわせな文化を引き継いで欲しい。
そんな次第でチャーリーは、三歳になった彼女のおチビちゃんが、どんな世界を見るであろう──などと、些かメランコリックでセンチメンタルな気分に浸ってみた。
「どうしましたか」
ラッキー学芸員が訊ねた。ルース学芸員も心配そうにチャーリを見つめている。
実作業に入って、チャーリーは用意された作業所の一画に建てられた小さな平屋へ一時的に居を移した。〈擬転換〉スーツは、彼女が渋々ながらも拒絶しない程度に改修されたものが用意された。
「何でもない」とチャーリは答えた。
「では作業の続きを」ラッキーは持ち場へ戻っていった。ルースはチャーリの腕にやさしく、愛情を込めて触れ、そして顔をのぞき込み、(大丈夫?)と語りかけてくれた。チャーリーは彼女の手を取り、「ええ」力強く頷いた。「作業に戻りましょう」微笑みは、ルースにも伝播した。
冬が去ろうとしていた。陽光は暖かな色に染まっていた。石版の完成にも目処がついた。
作業所に都子が訪れた。彼女は──よろしい、美辞麗句で飾ることもあるまい──不格好な〈擬転換〉スーツで膨らんだお腹を覆っていた。〈赤ちゃんがいます〉と書かれたイラストチャームを腰に留めて。おやおや、すっかりお母さんね。
ふたりは、〈世界〉からの外出制限に係る要請があってからこっち、ずうっと音声でしか連絡を取り合っていなかった。
久しぶりに対面した親友同士は、少し照れくさい一拍を置いて、ひっしと強く抱き合った。太ったお腹と大きなお腹で、互いに腕を目一杯伸ばしての抱擁だった。
「すごいねぇ」都子が云った。
「みんなのお蔭よ」チャーリーは思ったままを口にした。「ひとりじゃない、みんながいてくれて、手伝ってくれて、実現した」
都子は笑った。「あんた、少し卑屈だったよ?」
然り。だから今はそう──すべて過去になったと感じる。
「よくできました」と都子は笑った。
まだ子供だった頃、ふたりは、同じものが好きだった。好きが高じて自分たちで手を動かし始めた。合言葉は、そう、やってみなくちゃ分からない。やってみたらずっと楽しい。
「ごめんなさい」不意に都子が云う。「あなたの作品、撤回を求めたのは、わたしなの」
「どうして?」いや、違う。チャーリは首を振って、「なんで今になって?」
都子は肩をすくめた。まるで分からないとでも云うように。
ふたりは作業場に目を向けた。石板が整然と並ぶ様は墓石のようだった。墓掘り人夫が働いている。よっこらどっこい、ホトケさん。ふたりは古くて新しい、言葉の墓地を見た。
ふと、都子が口にした。「たぶん、嫉妬してたんだと思う」
「ふうん?」
「なりたいものに、なれない人が普通よ」
「そうね」チャーリーは同意した。
「違うわ」都子は薄く微笑み、「欲張りね、未練がましい」膨らんだ自分のお腹を撫で、芝居掛かったように、「今日が人生の最後の日だったら、本当に自分の望むことは何か?」
「それで、あんたは筆を折った?」と、チャーリー。
「そして、わたしは子供を持った」と、都子。
「それが新作か!」チャーリーは笑った。どうしようもなくおかしくて耐えられなかった。
親友の笑いの防波堤も決壊した。「見てよ、このでっかい〝万物に創造の器〟!」
二人は笑い転げた。子供みたいに息が出来なくなるまで笑い転げた。皆が向ける視線──心配そうで、不安で、それでいて興がっているような──を受けて笑い続けた。空に響いて溶けるまで、笑いの発作は治まらなかった。
「ねえ」チャーリーは訊ねた。「名前、決めた?」
*
それから少しのあと、〈古い人類〉は〝特別〟居留地へ引っ越した。彼らは、その地で安心と安全を約束された。
チャーリーも都子も、その子供もいなくなり、ずっとずっと時間が経った。地上に、〈人類〉はいなかった。代わりに、知らない〈人類〉がひっそりと暮らしていた。彼らは言葉を使ったが、文字は使わなかった。
さらにずっとずっと時間が経った。石版はすっかり削れ、崩れ、そして埋もれた。
了




