第五話 元婚約者との決闘
僕が王宮に来て、毎日サタナリア教官の指導が続いた。
サタナリア教官は、僕の知らないことをたくさん知っている。
ナイフとフォークの使い方、文字の書き方と読み方、麦の作り方、兵隊の鍛え方、数字の数え方。
この国、ナルタール王国の名前。
僕はそのどれも知らなかった。
サタナリア教官は、時々僕を鞭で打ったけど、そこに殺意も怒りもなかった、ただ、僕が間違えたことを教えてくれた。
サタナリア教官は、僕に、教えてくれた。
僕はサタナリア教官の後をついて行く。サタナリア教官の耳が閉じている。教官の尾が左右に振られている。僕は数日経って覚えた。今のサタナリア教官は機嫌が良い。
その時、耳が立ち上がり、尾の先が上を向いた。
僕は周囲を見る。
廊下の先に青が見えた。青い人。
白いシャツの上には空のように真っ青な上着。ズボンも同じ青で、青い宝石がはまったブローチで青い布を首に巻いている。青い空から降りてきたみたいに見えた。
「ごきげんよう。教官」
「ごきげんよう。ダルバーグ・アクトン。王宮に何の用かな? 坊や」
ダルバーグという人は、僕よりも少し背が高くて、肩幅も少し広く、金髪を頭の後ろで一つにまとめていた。
そして、サタナリア教官を見下ろした。
「立場を考えられると良いかと思いますよ。教官。私は貴族で、あなたはただの教師だ」
サタナリア教官はダルバーグを見上げる。
「図に乗るな。お前の父親が貴族なのだよ。お前はただの大きな子供に過ぎない」
ダルバーグはサタナリア教官の頭部を睨みつけた。
「良いでしょう。今日の用事はあなたにはありません」
ダルバーグはサタナリア教官の横を通り過ぎて、僕の目の前に立った。そして、何も言わずに左手の手袋を脱ぎ、僕の足元に投げつけた。
その白の手袋は、革でできているようだった。見たところ、新しそうだ。
僕は手を伸ばして拾った。
そして、シワを伸ばしてダルバーグに差し出した。
「まだ使えますよ」
ダルバーグは笑顔になった。
「決闘を受けてくれて嬉しいよ、グレイ。場所と日時は僕が決めよう。明日の正午、中庭はどうかな?」
決闘。戦うこと。それはわかる。でも、なんのために?
「何故戦いたいのですか?」
豚肉を食べられるのに、戦うことなんてない。
多分、この人も食べるのに困っている様子はない。
「君をアントワネット姫の婚約者と認めていないからだよ。決闘で俺が勝てば、蛮勇で姫を奪った君の行為も無に帰すだろう。俺は姫をお救いしたいのだ」
どうやら姫のためらしい。
じゃあ、僕はなんのために戦うんだろう?
「勝負は剣で行う。君は剣を持っているかな?」
剣。
僕は冷たい刃を思い出す。
かつて、人数合わせで僕は剣を持ったこともあった。
皮膚を貫く感触。皮膚を切り裂かれる感触。
僕は生き残った。でも、たくさんの友達が死んだ。
僕は拳を握りしめる。
「その様子だと、剣を持っていないようだね。では、俺が用意しよう。明日渡すから、心配しなくて良い」
刃の感触が忘れられない。
僕は生き残る。
ダルバーグの目に、僕が映る。
「立会人はアントワネット姫ご本人に頼む予定だ。明日が本当に楽しみだよ」
そして、ダルバーグは去っていった。
離れて立っていたサタナリア教官が僕に近づいてくる。
「紳士同士の会話に水を差すのもいけないと思ってね」
サタナリア教官は僕の手を取り、引いた。
「剣の授業はまだ行っていなかったな。グレイ、剣を持ったことは?」
「あります」
少し低い声が出た。
翌日の正午はすぐにやってきた。
中庭に向かうと、アントワネットさんが女に日傘を持たせて待っていた。
「グレイ。あなたとも今日でお別れになりそうね」
「アントワネットさん。それはどういう意味ですか?」
「あなたがここで負けるからよ。ダルバーグは気取った男だけれど、あなたよりマシだもの」
剣での戦い。
「僕は負けません」
アントワネットさんの目を見て話した。アントワネットさんは少し驚いたような表情をして僕を見て、慌てたように視線を逸らした。
そうしていると、ダルバーグが従者を連れてやって来た。従者は大きくて硬そうな鞄を持っている。
「お待たせしました。アントワネット姫。もうしばらくの辛抱です」
アントワネットさんは、扇で顔を隠し、ダルバーグを見ずに頷いた。
そして、ダルバーグの従者が鞄を開くと、二本の細身の剣が入っていた。
ダルバーグが剣を手に取る。
「グレイ、君も剣を取りたまえ」
僕も残された剣を取る。
軽い。羽のようだ。
僕の知っている剣。重たく、鋭く、血で汚れて、冷たい剣とは違う。
この剣は、ガラスの瓶のようだった。
僕は右手で剣を握った。
ダルバーグも剣を右手に持つ。
「見届け人は私、アントワネットです。参ったを言うか、最初に血を流した方が敗者となります。お互いに、良いですね」
「アントワネット様」
「なにかしら、ダルバーグ」
「勝った暁には、祝福の口付けを賜りたく存じます」
「まあ」
アントワネットさんは、口に手を当てている。
戦いはまだ始まらないみたいだ。
「……わかりました。祝福を授けます」
ダルバーグは剣を胸の前に立て、何かのお祈りをした後、構えた。
始まるみたいだ。
ダルバーグは妙な構えだった。
横向きに構え、剣を持った右手を突き出し、反対の手は何も持たず、後ろで曲げて上を向いていた。
僕は僕の構えを取る。
剣を右手に持ち、後ろに引く。左手を前にして、左手の革の手袋で打ち払えるように構える。
剣を打ち払えるかどうかわからないが、この軽さなら、なんとかなるかもしれない。
そうして、戦いが始まった。
ダルバーグは素早く進み、僕の体を剣で突いてくる。
早い。危ない。
僕は打ち払いを諦めた。後ろに飛んで間合いを取り、そのまま背を向けて駆け出した。
「なっ! こら! グレイ! 逃げるな!」
ダルバーグが叫びながら追ってくる。良かった。僕の方が足が速いようだ。
僕は思い切り走る。
ダルバーグは追ってくる。
鍋の湯が冷めるほどの時間、走った。
ダルバーグの声が次第に聞こえなくなった。
僕は振り返る。
ダルバーグは肩を激しく上下させ、呼吸も苦しそうだった。
僕は身を翻し、ダルバーグに近づき、一気に右手の剣で胸を突いた。ダルバーグは反応することができなかった。
パリン
硬くて乾いた金属音がして、僕の剣が折れた。
ダルバーグの胸は無傷だ。
「はあはあ、惜しかったなグレイ。剣が壊れる不運とは、だが、それも天命。ここで私がお前を討つ」
僕の失敗した刺突により、距離が縮まっている。僕の手には折れた剣。ダルバーグの手には剣。
ダルバーグは僕に剣を突き立てようとした。
ズルリ。
ダルバーグの体が滑った。
僕は足元を見る。
折れた剣先をダルバーグが踏んでいる。それに滑ったようだ。
僕に少し時間ができた。
僕は死にたくない。
僕は左の拳を振るう。それはダルバーグの顎を打ち抜く。
ダルバーグの動きが鈍り、膝が曲がる。
僕はありったけの力で、左右の拳を振り続ける。
やがてダルバーグは倒れ、大の字になり、意識を失っていた。
その顔は、鼻血や傷で血だらけだ。
「しょ、勝負あり。勝負ありです!」
アントワネットさんの声が聞こえた。
戦いは終わったようだった。
僕はアントワネットさんに頭を下げる。
午後の授業はなんだっただろうか?
僕は歩き出す。
「待ちなさい! 待ちなさい。グレイ!」
アントワネットさんが僕を呼び止める。まだ何かあるのだろうか。
「約束は約束です。私に近づきなさい」
僕はアントワネットさんの両手を見る。剣は持っていない。
それを確認した後、アントワネットさんに近づいた。
「こんなこと、二度とないと思いなさい。頭を下げて」
下げろと言われたので下げた。
ほおに柔らかくて湿った感触がした。
「勝利の祝福は済みました! もう、帰りなさい!」
どうやら本当に終わったみたいだ。
僕はサタナリア教官の教室に急いだ。
午後の授業が終わった時、教室に巻き髪のかつらを被った変な男が入って来た。
「グレイに相違ないな」
「はい。僕はグレイです」
男は胸をそらした。
「王言である。グレイ、城付きの騎士を用いて、街道を荒らす族どもを退治すること。以上である」
僕はサタナリア教官の顔を見る。
「ふむ、これは戦場の武勲がない君に王が与えた試練だろう。城付きの騎士は強力で、盗賊団退治など、簡単なことだ。要は君に箔をつけたいのさ」
簡単なこと。盗賊団。
僕の脳をその言葉が通る。
けれどそれは、僕に、大量の失血を思い起こさせた。




