第三話 文字も読めない王候補
「おはようございます」
「あ、はい。おはようございます」
着替えさせられた僕が部屋を出ると、朝、鞭打ちしてきた女が待っていた。
この人は、怒っているわけじゃなさそうだった。
女に案内された部屋は、テーブルの上にたくさんの食事とフルーツがのっていて、お祭りみたいだった。
「私のことはサタナリア教官と呼びなさい。復唱」
「はい、サタナリア教官」
「よろしい」
サタナリア教官という女は、頭の上のもふもふした耳をひくひくと動かした。
「グレイ、あなたは昨夜の舞踏会で、豚肉のソテーを素手で掴んで食べました。相違ありませんね」
「豚肉のソテー、あ、はい。焼いた豚なら食べました」
あれは本当に美味しかった。
「王座たるもの、マナーは品格に関わる大事です。あなたは、なぜ卑しい行為をしたのですか」
「卑しい?」
「素手で食べたことです」
なるほど、この女、サタナリア教官は僕が素手で食べたことに怒っているみたいだ。
「あの、ごめんなさい」
「謝罪しても時は戻りません、あなた、テーブルマナーは知っていますか」
「テーブルはわかります。マナーはわかりません」
サタナリア教官はため息をついた。
「では、教えます。そこに座りなさい」
僕はイスに近づいた。すると、白いシャツの人が椅子を引いてくれた。
「あの、大丈夫です。僕はどこも怪我をしていません」
「グレイ、そこで何も言う必要はありません。黙って椅子に座りなさい」
サタナリア教官は僕に座るように言った。
目の前には、銀で作られたお皿やナイフが並んでいる。
その上には、薄っすらと肉の匂いがする四角い食べ物がのっていた。
中も四角く四色に分かれていて、肉の色と、白い色、黄色い色と、緑色だった。
「サタナリア教官。これは食べてもいいんですか」
「グレイ、もちろんです。ただし、ナイフとフォークを使って食べること」
フォーク、あ、これだ。飼い葉を集めるフォークの小さいのが、テーブルの上にある。僕はそれを手に取った。
「持つ手が逆です。やり直し!」
怒られた。でも、叩きに来るわけじゃなかったみたいだ。
「はい。サタナリア教官。これでいいですか」
僕はナイフとフォークを持ち直した。
「よろしい、では、私の真似をして食べなさい」
サタナリア教官は、フォークで食べ物を押さえて、ナイフで小さく切って、フォークで食べ物を刺して、口に運んで、食べた。
そんなに難しくなさそうだ。僕は真似をしてみた。
「グレイ、音をたてない!」
僕はサタナリア教官に怒られた。なるほど、静かにすればいいみたいだった。
それから僕は、サタナリア教官の真似をして静かに食べた。食べ物はとても美味しかったけど、僕は昨日の豚肉の味が忘れられなかった。
「マナーはなんとか形になりましたね。けれども、マナーは習慣です。何度でも指摘するので、覚悟するように」
トレーニングは続くみたいだった。
午前中、サタナリア教官は僕を机に座らせて、本を読んでくれた。
たくさんの王様の話だった。
僕にも本を渡して、続きを読むように言った。
さっぱりわからなかった。僕は本を読んだことがない。
「どこまでできないのですか?」
「本を持ったことは初めてです」
サタナリア教官はため息をついた。そして、ペンを取り出した。
「これは?」
「ペンです」
「これを持ったことは?」
「ありません」
「わかりました。これは読めますか」
サタナリア教官は、白い紙の上に黒い線で模様を書いた。
「いいえ、読めません」
サタナリア教官は机に向かって座った僕の後ろにまわり、僕にペンを持たせた。そして、僕の手に小さく白い手を乗せた。
「力を抜いて、ペンの動きを覚えなさい」
僕の手が白い紙に線を描く。
「覚えましたか? では、自分でやってみてください」
僕は模様を真似して黒い線を書いた。
「ふむ、文字はキレイですね。初めて書いたとは思えません。真似をするのが得意なのでしょうか」
「サタナリア教官、これは何の模様ですか?」
サタナリア教官は、僕を見た。
「これはグレイ、あなたの名前です。覚えなさい」
僕は線を見た。これがグレイ。僕の名前。僕の、名前。
僕は涙が出てきた。どこも怪我をしていない。どこも痛くない。
涙がしばらく止まらなかった。
午後、戦術というものを学ぶことになった。
先生はたくさんの人形を並べてくれた。
「これは方陣といいます。四角く兵隊が詰まっているでしょう。これはとても防御力が高いものです。外側の兵は盾を持っています。どうしますか」
どうしよう。どうするかな。僕は考える。
「はい。石を投げます」
サタナリア教官は耳をピンと立てて僕を見た。
「なぜそう思いましたか」
「この形は動きが遅そうです。それに、石を投げれば、誰かに当たります。狙う必要がありません」
サタナリア教官は頷いた。そして、人形たちを二手に分けた。片方の兵隊たちが、片方の兵隊たちを囲むような形だった。
「この場合、囲まれた兵はどうすればよいと思いますか」
僕は机の上をよく見る。どうしよう。どうするかな。
「はい。真っすぐ進みます」
サタナリア教官の耳がまた立った。
「なぜそう思いましたか」
「外側の兵隊は、囲んでいるけれども、薄く広がっていました。たぶん、そこは弱いです。だから、真ん中が良いと思いました」
サタナリア教官は頷いた。
「わかりました。では、続けます」
こうして、午後の勉強は人形遊びで終わった。
夕食、僕はサタナリア教官の真似をして食べていた。
その時、僕のフォークから葡萄の実が転がった。
僕は慌てて落ちた葡萄の実を拾う。
すると、白いシャツの人とぶつかってしまった。
白いシャツの人から、紙の束が落ちる。
そこにはたくさんの模様、文字が書かれていた。僕はそれをしばらく見つめる。
「これは、申し訳ありませんでした!」
白いシャツの人は、焦ってかがみ込んでくる。
ガツン。
その人は、焦っていたため、テーブルの角に頭をぶつけてしまっていた。
僕は紙の束を拾う。紙の束が少しめくられる。
その人は僕の手から紙の束をかっさらって僕を強くにらんだ。そして、部屋の外に急いで出ていった。
なにか悪いことをしたのかな。
その時の僕は、事件の始まりを知らなかった。
――姫の私室。
「サタナリア。グレイはどうですか。王宮から追放することは出来ますか?」
アントワネットは机を指先で叩き続ける。
「今のままでは、及第点にも届きません。ですが」
アントワネットはサタナリアを見る。アントワネットも、この教官にはたっぷりと絞られてきた。
「才能があります。文盲から一日で少しの文字を覚え、その戦術眼には資質を感じます」
サタナリアが生徒を褒めることなどない。アントワネット自身も、褒められたことなどない。
アントワネットは、机を叩く指の速度が速まることに、自身でも気がついてはいなかった。
――机を叩く音が続いた。




