第006話 防衛戦後
■ 旧ダージリン王国 ランズ・エンド防衛基地
私は、ランズ・エンド防衛基地の分厚い石壁の上から、その地獄を見ていた。
十三万、あるいは二十万とも言われた魔王軍の軍勢。
彼らは間違いなく、我々人類を一人残らず根絶やしにするために西からやってきた。我々守備隊も、迫り来る圧倒的な死を前に、最期の一兵まで抗って散る覚悟を決めていたのだ。
だが。
眼下に広がったのは、我々の覚悟など微塵も必要としない、純粋で一方的な『蹂躙』であった。
本来であれば憎むべきはずの魔族たちに対して、私は思ってはいけないはずの「同情」すら抱いてしまっていた。
(……これは、なんなのだ?)
当初、上官たちは『ニホン』という国を、西方に位置する列強国・アトランティアからの技術支援によって建国された、新興の衛星国だろうと推察していた。
違う。断じて違う。
あんな異常な速度で空を支配する巨大な鳥も、水平線の彼方から正確無比に降り注ぐ大砲の雨も、アトランティアの蒸気と鉄の技術では絶対に不可能だ。
では、ニホンとは一体何者なのだ?
神の使いか。それとも、魔王すら及ばない深淵の悪魔か。
分からない。我々の矮小な常識では、彼らの正体を測り知ることなど到底不可能だ。
だが、ただ一つだけ、魂の底から確信できることがある。
――『ニホン』という国が、我々の味方で本当によかった、と。
(のちに、このランズ・エンドでの攻防戦を生き残った兵士たちの証言は、ダージリン王国のみならずジャポン皇国の全土に広まり、やがて吟遊詩人たちの手によって『鋼の飛竜と雷の鳥』という劇にまで昇華されることとなる。兵士たちの純粋な畏怖と感謝が、コアラ大陸の歴史に深く刻み込まれた瞬間であった)
◆ ◆ ◆
■ ジャポン皇国 皇都オワリ 天守閣
ランズ・エンドにおける圧倒的な勝利の報せから数日が経過した。
皇都オワリの天守閣、女皇の執務室の重厚な襖が静かに開き、近衛兵が恭しく頭を下げた。
「オイニ様。ニホン国の外交官、クジョウ様より、オイニ様ならびにアールグレイ様へ『非公式の会談』の申し出がございました。いかがなさいましょうか?」
近衛兵の言葉に、わらわは執務机の書類から顔を上げた。
ニホン国と国交を結んだ後、彼らは皇都内に「タイシカン(大使館)」なる外交施設の建設を希望した。しかし、治安や警備の観点から市井にそれを設けるのは現状厳しいため、特例としてこの天守閣内の一室を彼らの外交施設として提供している。
なんでも、彼らの世界には外交の拠点となる『大使館』のほかに、『領事館』という概念もあるらしい。外交の最前線として首都に置かれるのが大使館であり、外交自体は行わないが、自国民の保護や通商のために主要都市に置かれるのが領事館とのことじゃった。
(いずれ、そのあたりの国家制度の違いも詳しく聞いてみねばならんの……)
「オイニ様。いかがなさいましょうか?」
「……うむ」
わらわは思考を現実に引き戻した。
ランズ・エンドの防衛は、我々からニホン国へ「依頼」した形になっておる。彼らは自国の兵士の血を流すことなく十三万の軍勢を消滅させてみせたが、多大な恩義を受けた我々としては、彼らから何かしらの『要求』があれば、可能な限り応えねばならない立場にある。
「アールグレイよ。クジョウを呼んでも構わぬか?」
「ええ、もちろん構いませんわ」
円卓の向かいで書類に目を通していたアールグレイ王女が、柔らかな、しかし芯のある微笑みを浮かべた。
「我がダージリンの騎士たちが、ただの一人も死なずに済みました。深く感謝しなくてはなりません。仮にニホン国から何かしらの要望があるのであれば、可能な限り応えたいと思っております」
「うむ。……近衛よ、クジョウをこの部屋へ通すのじゃ」
「ハッ、承知いたしました」
数分後。
隙のない漆黒のスーツに身を包んだニホン国の特命全権大使、九条 陣が執務室へと足を踏み入れた。
「急な申し出にもかかわらずお時間をいただき、感謝いたします、オイニ女皇陛下、アールグレイ王女殿下」
「よい。まずは座るがよい、クジョウよ」
九条が対面のソファに腰を下ろすのを見届け、アールグレイ王女が先陣を切って口を開いた。
「クジョウ様。改めて、ダージリン王国王女として心よりの感謝を申し上げます。貴国が迅速な援軍を派遣してくださったおかげで、我が国の誇り高き騎士たちが、誰一人死なずに済みました。……ここ数ヶ月、魔族と交戦するとなれば死亡率は非常に高く、その侵攻を遅滞させるのが精一杯でした。本当に、ありがとうございます」
アールグレイ王女が深々と頭を下げる。九条は恐縮したように薄く微笑んだ。
「いえ。困難に直面している友邦を援助するのは、我が国の使命でもあります。……本日は、そのランズ・エンドにおける『大陸奪還の第一歩』を踏まえた上で、本国政府より、皇国とダージリン王国へ『お願い』があり参りました」
(来たか……。一体、何を要求してくるんじゃろうか?)
わらわは小さく息を呑み、九条の次の言葉を待った。
莫大な金銀財宝か。それとも、魔力を持つ奴隷の要求か。最悪の想定を頭の片隅で巡らせる。
「ジャポン皇国の皇都オワリ、その南部方面沿岸近くに、未開発の広大な荒地があるかと存じます」
「ん? うむ、確かに手付かずの土地じゃが……」
「我が国の『飛行機』――先日ご覧いただいた灰色の鳥のような乗り物が離着陸するための『空港』を建設いたしたく存じます。つきましては、縦横十キロほどの土地の租借と、滑走路建設の許可をいただきたいのです。加えて、オワリの港の一部を、我が国の大型船が接岸できるよう改良する許可もお願いしたく」
九条は、手元のタブレット端末(魔導板のようなもの)を操作し、地図を提示しながら淡々と続けた。
「もちろん、事前に取り決めた貴国に対するインフラ整備も、約束通り並行して行います。ですが、空や海から重機や物資を大量に運び込みたくとも、現在の港の設備では輸送方法が限りなく限定されてしまいます。皇国発展のためにも、どうか許可をいただければと」
わらわは拍子抜けした。
なんじゃ、そのようなことか。理不尽な搾取などではなく、互いの発展のためのインフラ整備の許可。むしろ、こちらにとっても願ったり叶ったりではないか。
「……うむ。わらわ個人としては今すぐ許可したいところじゃが、念のため大臣たちと話し合った上で正式な結論を出そう」
「ありがとうございます。……それと、アールグレイ王女殿下。ダージリン王国にもお願いがございます」
「はい。何なりと」
「ランズ・エンド防衛基地の『大幅な拡張』の許可をお願いいたします」
九条の目が、外交官のそれから、軍略を語る者の鋭さへと変わった。
「大陸奪還という貴国らの切なる要望にお応えするには、航空戦力だけでなく、我が国の地上部隊である『陸上自衛隊』を本格的に大陸へ派遣しなければなりません。しかし、現状のランズ・エンドの設備では、近代軍隊の駐屯基地としての要件を満たしておりません。そのため、我々の手で要塞を拡張させていただきたいのです」
「……分かりました。許可いたします。向こうのドレーク司令官には、私から魔信で話を通しておきましょう」
「感謝いたします」
事前の根回しとなる非公式会談は、極めて友好的な雰囲気のまま進んだ。
最後に、数日後にフリーダム都市国家の代表を交えた『四カ国公式会談』の予定を取り付け、九条は執務室を後にした。
だが、わらわはこの時まだ気付いていなかった。
数日後の公式会談で、ニホン国という国家が持つ『恐るべき政治思想の深淵』を垣間見ることになるとは。
◆ ◆ ◆
■ ジャポン皇国 皇都オワリ 天守閣 大会議室
数日後。
ジャポン皇国、皇都オワリの天守閣に設けられた大会議室。
円卓を囲むように、四つの国家の代表が集っていた。ジャポン皇国の女皇オイニ、旧ダージリン王国の王女アールグレイ、フリーダム都市国家の行政長ジェンダー。そして、日本国特命全権大使の九条陣である。
「――先日の非公式会談でも述べましたが、改めて、魔族からの侵攻を防いでいただいたことに対し、関係国であるダージリン王国の代表として深く感謝を述べさせていただきます」
アールグレイ王女が、立ち上がって優雅に一礼した。
「フリーダム都市国家の行政長として、まだ私が偉そうに名乗ってええのか分からん状況やけど……私も、犠牲者ゼロでランズ・エンドを防いでくれたことに、心から感謝しますわ」
ジェンダーもまた、真剣な面持ちで頭を下げた。
フリーダム都市国家は直接ランズ・エンドの防衛に関わっていたわけではない。しかし、コアラ大陸の人類圏に属する国家として、日本に対するこの一斉の感謝は本心からのものであった。
この三年間、人類は魔王軍に対してずーっと負け戦を強いられてきた。多大な犠牲者を出しながら、血と泥に塗れて防衛線を後退させる日々。だからこそ、「犠牲者ゼロの完全勝利」という実績は、他国ながら涙が出るほど感激することであった。
「我が国としても、友好的な国が危機に瀕しているのであれば、助け舟を出すのは当然の義務ですので。お気になさらず」
九条は、あくまで外交官としてのスマートな笑みを浮かべて謙遜した。
(ニホンは、なんと謙虚な国なのか……。だからこそ、ニホンという国がどういう成り立ちをしているのか、底が知れないのじゃ)
わらわは内心で舌を巻きつつ、先日保留にしていた件を口にした。
「そうだ、クジョウよ。先日の会談で打診のあった、皇都オワリの南部方面の件じゃが、要望の通り『空港』とやらと港湾の拡張を許可しよう」
「ランズ・エンド防衛基地の拡張に関しても、私のほうでドレーク司令官に指示を出しました。ニホン国側からの基地拡張工事を許可いたします。良しなによろしくお願いいたします」
アールグレイ王女の言葉に、九条は「迅速なご決断、感謝いたします」と深く頷いた。
これで、先日の要望の件は解決じゃ。
しかし、ここからが本題である。わらわは女皇として、祖国防衛のためにどうしても聞いておかなければならないことがあった。
「……それでだ、クジョウよ」
わらわは少し身を乗り出し、真っ直ぐに九条の目を見つめた。
「貴国のその……『灰色の鳥』や、恐るべき威力を持った『大砲』などの兵器を、我が国を含めたこの三カ国に『提供』してもらうことはできないじゃろうか?」
それは、国家元首として当然の要求であった。
圧倒的な技術レベルを持つニホンから最新の兵器を輸入し、自国の軍隊を強化する。魔族の脅威が去っていない以上、自衛のために喉から手が出るほど欲しい力だ。
だが、九条の表情から、先ほどまでの柔らかい笑みがスッと消え失せた。
「……申し訳ありません。残念ながら、我が国の兵器や軍事技術を貴国等へ提供することは、現時点では『不可能』です」
「な、不可能……? 金なら払うぞ! 皇国の金山から採れる純金でも何でも……」
「金銭の問題ではありません、オイニ女皇陛下」
九条は静かに、だが絶対的な拒絶の意志を持って首を振った。
「我が国では、貴国等と正式に国交を結ぶ直前の国会において、『技術流出防止法』という特別法が成立いたしました。これは、急激かつ高度な技術提供を行うことで、提供を受ける国家の『自然な発展』を著しく阻害し、取り返しのつかない混乱を招くことを防止するための法律です」
高度な技術が、発展の阻害?
わらわは思わず眉をひそめた。
「どういった意味じゃ? 高度な技術を受け入れれば、国家として飛躍的に強くなるじゃろう?」
「……確かに、戦力は飛躍的に向上するでしょう。ですが、オイニ様。例えば、剣や弓の技術を会得し、最前線で戦える『一流の騎士』や『熟練の弓士』を一人育てるのに、どれだけの時間と育成費用がかかりますか?」
九条の問いかけに、アールグレイ王女が答えた。
「そうですね……幼少期からの鍛錬を含めれば、最低でも十年。馬や甲冑の費用も含めれば、莫大な国家予算が必要になります」
「それを数千人、数万人規模で育成するとしたらどうでしょう?」
「それは……事実上不可能ですわ。だからこそ、騎士は貴族階級などの一握りに限られるのです」
九条は深く頷いた。
「では、もし……その『一人当たりの育成時間と費用』が、一週間、かつ十分の一以下になったらどうでしょうか? 我々の兵器(銃器)は、農民であっても数日の訓練で、十年鍛え上げた重装騎士を一方的に殺戮できる力を持っています」
「飛躍的に、強力な兵士が短期間で増える……ということじゃな」
「そうです。では、想像してみてください。現在は魔族と呼ばれる共通の敵が存在するため、貴国等は手を取り合っています。ですが……その共通の敵がいなくなったら、どうなりますか?」
その言葉に、わらわとアールグレイ、ジェンダーの三人は息を呑んだ。
「次は、必ず皆様の国家同士の国境や利権に目が向きます。場合によっては、自国内の貴族同士の権力闘争に向かう可能性も高い。その時……『短期間で大量に殺戮兵士が量産化された状態』であれば、何が起こるか」
九条の声が、冷たく、重く会議室に響いた。
「戦争のハードルが極端に下がり、予想を遥かに超える死者が生じます。数万、数十万の命が容易く失われ、国家の生産人口が激減し、国力は再起不能なまでに低下する。我々は、それを危惧しているのです。……我々の世界では、それを経験してきましたから」
「…………ッ」
「我々の世界における国家観において、軍隊や兵士とは『国家に独占された暴力装置』であるという認識があります。国民を日常の犯罪から守るのは、治安維持を担う警察組織です。では、軍隊とは何か? それは、国家の存立を脅かす外部勢力を、暴力によって排除するための組織です」
九条は、眼鏡の奥で鋭い光を放ちながら告げた。
「つまり、強大すぎる兵器を安易に渡せば、国家に対する不満分子や敵対勢力が、簡単に『軍隊を動かす動機』を持ってしまう。内戦や侵略戦争の敷居を、我々の手で下げてしまうことを、日本国は恐れているのです。我々は、貴国らの文明を破壊する『死の商人』になるつもりはありません」
反論が、できなかった。
確かに、強大すぎる魔法の杖(近代兵器)が簡単に手に入れば、血の気の多い辺境の貴族や、野心を抱く者が国に対して反旗を翻す可能性は極めて高い。自国の歴史を顧みれば、それは火を見るより明らかだった。
ニホン国は、単に強いだけではない。
「暴力の扱い方」を知り尽くした、恐ろしく成熟した国家なのだ。
だが、それでも……。
「……クジョウの懸念はもっともじゃ。だが、ニホン国からの軍事技術の提供がなければ、ランズ・エンドの防衛はできても、本命である南方の防衛線が突破されれば結局人類は滅びてしまうのじゃぞ……?」
わらわが苦渋の表情で食い下がろうとした、その時。
九条が、ふっと外交官の柔らかな笑みに戻って提案した。
「――それでしたら、一度我が国へ『視察』に来日されてみてはいかがでしょうか?」
「視察、じゃと?」
「ええ。直接日本を見ていただければ、武器の提供以外にも、貴国に役立てる制度やインフラ技術が見つかるかもしれません。それに、我が国の『農林水産省』という役所が、皇国からの食料輸入や農業支援の件で、貴国等との直接対談を強く求めているのです。この機会に、ぜひ日本国という国をその目で見ていただきたい」
その提案は、我々にとってまさに渡りに船であった。
この底知れない力を持つニホン国の中枢を見ることができるのだ。
「……その提案、容認しよう」
直ちに、日本へ向かう使節団の編成が話し合われた。
わらわやアールグレイ王女など、各国のトップも喉から手が出るほど行きたかった。しかし、情勢不安の中で国家元首が長期間国を空け、しかも異世界へ行くとなれば、国民からは「亡命した」とマイナスイメージを持たれる危険性が高い。
そこで白羽の矢が立ったのが、フリーダム都市国家の行政長、ジェンダーであった。
「ウチがか? まぁ、都市国家は市民の選挙で長を決める特殊なお国柄やしな。ウチが国を空けても、合議制の議会が回すから『指導者が逃げた』とはならんやろ」
ジェンダーをリーダーとし、ジャポン皇国とダージリン王国からは補佐官である優秀な貴族たち数十名が同行する『第一回 異世界視察団』の結成が、ここに決定した。
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