第002話 プロローグ2
ジャポン皇国、皇都オワリ。
その中心にそびえ立つ『天守閣』の地下には、広大な空間が広がっている。
本来、この地下大倉庫は、いざという時のための籠城戦に備え、うず高く積まれた小麦の麻袋や樽詰めされた塩肉、無数の武器弾薬で埋め尽くされているはずの場所じゃった。
しかし、現在のこの場所は、ただひたすらにだだっ広い、がらんどうの空洞と化しておる。魔族との三年にも及ぶ絶望的な防衛戦が、我が皇国の備蓄という備蓄をすべて吐き出させてしまったからじゃ。
皮肉なことに、何もなくなったこの底冷えのする空っぽの空間こそが、誰の目にも触れず『勇者召喚』の儀式を行うには、最も最適な場所となっておった。
「さて……みなの者。これより、勇者召喚の儀を開始するのじゃ」
冷たい石の床に描かれた巨大な魔法陣の前に立ち、わらわは隣に並ぶ二人に声をかけた。
「よろしくお願いいたしますわ、オイニ様。……これが、私たちの全てですもの」
ダージリン王国のアールグレイ王女が、祈るように両手でドレスの胸元を握り締め、震える声で頷く。
「ほんまやで! ちゃっちゃと勇者召喚して、あの忌々しい魔族どもを蹴散らしましょ! そんで奪われたワイらの土地を取り返して、賠償金がっぽりむしり取らな、割に合わへんで!」
フリーダム都市国家の行政長ジェンダーが、虚勢を張るように、だがどこか縋るような目で吠えた。
「ええ……過去の事例の再来の可能性もありますが、今はもう、いたし方ありませんね。これ以外に、私たちが生き残る術はないのですから……」
王女の悲壮な覚悟に、わらわらとジェンダーも無言で頷く。
三カ国の血を引くわれら三人が横に並び、手を取り合った。そして、乾いた地下室に、古の召喚魔法の詠唱が響き渡る。
『――星の海を渡りし魂よ、絶望を打ち払う刃となりて、我らが前に顕現せよ!』
詠唱が完了した瞬間、石床に描かれた幾何学模様が眩いほどの青白い光を放った。
空気が震え、膨大な魔力が渦を巻く。来た。間違いない、伝承の通りじゃ。光の柱が立ち昇り、わらわらは思わず目を閉じた。
やがて、魔力の奔流がスッと収まり、地下室に静寂が戻る。
わらわは期待に胸を膨らませ、ゆっくりと目を開けた。
そこに、世界を救う勇者が立っているはずじゃった。
「…………え?」
だだっ広い倉庫には、誰の姿もなかった。
焦げたような微かな魔力の残り香があるだけで、魔法陣の中心には何も、誰も現れてはおらんかった。
「ま……まさか、失敗なさいましたの……!?」
アールグレイ王女が、その場にへたり込んだ。ジェンダーも口を半開きにしたまま、石像のように固まっている。
わらわを含めた三人は、ただただ絶望した表情で、何も現れなかった魔法陣を見つめて立ち尽くすことしかできなかった。
最後の希望が、潰えたのじゃ。
――我々は、この事実を公表できず、ひたすらに隠し通した。
そして、重苦しい絶望のまま、五日が経過した。
その日、皇都オワリの沿岸部にある貿易港『エドワン』から、信じられない報告が飛び込んできた。
『白い大型の機械仕掛けの船と、灰色の鉄の船が来航した』と。
これが、後の我が皇国の……いや、人類連合の歴史を永遠に塗り替えることとなる、『ニホン来航』の瞬間であった。
ジャポン皇国 皇都オワリ 貿易港エドワン
「……あれが、船だと? どこかの島が流れてきた間違いなんじゃないのか……?」
エドワン沿岸警備隊の隊長である私、アベ・マサヒロは、単眼鏡を覗き込みながら思わず呻き声を漏らした。
部下から「エドワン近郊の海域に、所属不明の大型機械船が四隻接近中」という急報を受け、木造の警備船で飛び出してきた私は、目の前に広がる光景に我が目を疑っていた。
機械で動く船といえば、遥か西方に存在すると噂される列強国『アトランティア』が、世界で唯一魔法や魔導を使わずに動く船を保有していると聞く。
だが、部下の報告によれば、アトランティアの船のように側面に無数の大砲をズラリと並べた戦列艦ではなく、どう見ても「筒(大砲)が一つしか積まれていない」というのだ。
私は所属不明船と断定し、臨検(海上での立ち入り検査)を試みるべく、五隻の木造船で接近した。
正直に言えば、魔族の皇国侵攻が目前に迫る人類滅亡の瀬戸際である今、外部から得体の知れない厄介事が持ち込まれるのは非常に困る。
しかし、いざ接近してみて、その常軌を逸した巨大さと威容に圧倒された。
先頭を進む真っ白な船も巨大だが、その後ろを護衛するように追従する灰色の鉄の船たちは、まるで鋼鉄の城だった。波を切り裂き、煙突からは黒煙ではなく微かな陽炎を揺らしている。
おそるおそる臨検の意思を伝えると、驚くべきことに彼らは快く応じた。
彼らは『ニホン』という国からの使者であり、国交樹立のために来たのだという。
使者いわく、皇国から北に二千キロメートルほどの場所に『ニホン』という国があるとのことだった。
北に二千キロ程度であれば、海洋国家である我が皇国か、隣接していた二カ国のうちのどこかが知っていそうに思えた。しかし、事前に天守閣へ魔信で確認を取ったが、「そのような国は聞いたこともない」という返答だった。
現在、大慌てで駆けつけた外交部の連中が対応に当たっている。
私は、あの巨大な灰色の船を見上げながら、ある淡い期待を抱かずにはいられなかった。
大砲が一門だけでも積まれている機械船ならば……ダージリン王国の最東部、大陸に残された人類最後の防衛拠点『ランズ・エンド』に、物資を届けることができるかもしれない、と。
過去、皇国は二度にわたり、ランズ・エンドへの海上輸送を試みた。
大量の食料を満載した輸送船を、強力なバリスタと大砲を搭載した五十門級戦列艦数隻で護衛するという、万全の艦隊を組んだのだ。
だが、結果は惨敗。
海からの攻撃には備えていたが、魔族の操る『ゴブリンライダー』――空を翔る魔物による上空からの急降下強襲を受け、艦隊はなす術もなく全滅した。
ダージリン王国には、白い馬に翼の生えた『ペガサス』に騎乗し、空中機動攻撃を行う精鋭部隊が存在する。しかし、残念なことにペガサスは「海の塩の匂い」を極端に嫌う性質があり、海上での護衛任務には一切使えなかった。
大陸の北西には竜に騎乗する『ドラゴンの王国』があるという噂もあるが、国交のない今となってはどうでもいいことだ。
結果として、我々は半年にわたりランズ・エンドへ物資を送れずにいる。
魔信での定期連絡により、防衛拠点はまだ健在だとわかっているが、完全な孤立無援状態だ。食料が尽きれば兵士は餓え、魔族の侵攻は加速し、間違いなく防衛戦線は崩壊する。
あの鋼鉄の巨船を持つ『ニホン』が、もし、我々に味方してくれる良い国であったならば。
私は祈るような気持ちで、外交部と使者のやり取りを見守っていた。
日本国 海上保安庁巡視船『みずほ』船上
「おいおい……マジかよ。本当に日本語が通じちまったぞ」
「はい。向こうは『ジャポン皇国』の『エドワン』という港町だそうです」
日本国の外交官と、それに随伴する海上自衛隊の幹部たちは、応接室で顔を見合わせ、狐につままれたような表情を浮かべていた。
日本国が「地球ではないどこか」へ国ごと転移してしまったと判明してから数週間。
未曾有の事態の中、日本政府が最も危惧したのは、輸出入の停止に伴う深刻な「食糧難」と「資源不足」であった。
政府は、かろうじて生き残っていた情報収集衛星(あるいは急造の観測手段)を用い、日本列島周辺の索敵を急いだ。その結果、南方約二千キロの位置に、広大な大陸と島国――文明のある国らしき存在を確認したのだ。
衛星画像が示す限り、東側の島国には豊かな作物が実る農地が確認できた。
しかし、それに隣接する巨大な大陸側では、おびただしい数の都市や町が破壊され、黒煙が上がっている様子が観測された。「大規模な内戦、あるいは他国との凄惨な戦争が行われている」と分析されたのだ。
万が一の事態に備え、日本政府は念には念を入れた。
国交樹立と貿易交渉を主目的としつつも、海上保安庁の大型巡視船『みずほ』の護衛として、海上自衛隊から「第1水上戦群 第7水上戦隊、補給艦2隻」を丸ごと派遣するという、事実上の艦砲外交に近い編成を組んだのである。非難される覚悟の上での、国の存亡を賭けた決断だった。
そうして大陸沿岸に到着した彼らを出迎えたのは、帆と風で進む、中世ヨーロッパのような木造の沿岸警備船五隻だった。
臨検を受け入れ、友好的に「国交樹立のために来た外交官だ」と伝えると、なんと相手の言語は完璧な『日本語』だったのだ。
「ジャポン皇国に、エドワンか。なんだか、親近感の湧く名前だな」
「ええ。ですが、木造船とはいえ武装した兵士たちの目は、ひどく血走っていました。極度の緊張状態にあるようです」
外交官数名と、護衛の自衛官(特別警備隊員)数名は、高速警備救難艇に乗り込み、白い航跡を残しながら貿易港エドワンの埠頭へと上陸した。
彼らは皇国側が用意した豪奢な馬車に揺られ、皇都オワリの中心にそびえる『天守閣』へと向かっていく。
窓の外に広がる、どこか江戸時代と西洋ファンタジーが混ざったような不思議な街並みを眺めながら、日本の使節団は今後の貿易交渉に胸を弾ませていた。
まさか――この世界が『魔王率いる魔族』との全面戦争状態にあり、大陸はおろかこの皇国を含めた全人類が「全滅の瀬戸際」にあるなどとは、日本政府の誰も、知る由もなかったのである。




