第010話 第一戦略機動大隊 VS レッサーデーモン(1)
■フリーダム都市国家 ジャポン皇国入り港町エンジョイ西十キロメートル地点
港町エンジョイから西方へ十キロ。第一防衛ラインとして構築された土塁は、すでに原形を留めない血の泥濘と化していた。
魔王軍先鋒のレッサーデーモン一千体は、そこを容易く踏み潰し、エンジョイの市街地まで残り三キロの『最終防衛ライン』へと雪崩れ込もうとしていた。
「槍衾を崩すな! 盾を合わせろォッ!」
鉛色の空の下、都市国家対魔族防衛隊の将校が血を吐くような声で叫ぶ。
間に合わないと思われた増援は、泥に塗れながらもなんとか最終ラインへの布陣を終えていた。正規兵が一千。そして、冒険者ギルドから緊急徴用されたDランクからBランクまでの傭兵たち二千。合計三千の軍勢が、拒馬と呼ばれる対騎兵用の丸太の柵越しに、迫り来る黒い津波を待ち構えている。
だが、兵士たちの顔に希望はない。
彼らが握りしめているのは、炭素量が少なく、数度打ち合わせればすぐにひん曲がる粗悪な鉄の剣や槍。そして、湿気で弦がたわんだイチイの木の長弓である。近世から中世ヨーロッパ程度の冶金技術しか持たないこの大陸の軍備は、魔族という規格外の生命体に対してあまりにも貧弱だった。
「クソッ……! なんで俺たちが、こんな泥水すすってバケモノの肉壁にならなきゃならねえんだ!」
最前列で槍を構えるBランクのベテラン冒険者が、恐怖を誤魔化すように悪態をついた。隣で震える若いDランク冒険者が、涙声で応じる。
「AランクやSランクの英雄様たちは……ミスリル製の武器を持ってる高ランクの連中は、どうしたんですか!?」
「あいつらがこんな泥臭い最前線に来るわけねえだろ! 貴重な戦力様は、安全な皇国本土の奥深くで『本土防衛軍』という名のお茶会さ。特権階級ってのはいつの時代もそういうモンだ!」
ミスリルの業物を持つ一握りの高ランク冒険者が三人がかりで挑んで、ようやくレッサーデーモン一体を討ち取れるのがこの世界の力学である。
その英雄たちが不在の今、彼らは「三十人の束になって一体の悪魔に群がり、二十九人が肉片にされながら残りの一人が喉笛を掻き切る」という、絶望的な飽和攻撃でしか敵を倒す術を持たなかった。
◆ ◆ ◆
■レッサーデーモン視点
一方、進軍する魔族の側には、絶対的な強者の傲慢な歓喜が満ちていた。
(脆い。ひたすらに脆い……。人間の肉など、腐った果実と何ら変わりはない)
先陣を切るレッサーデーモンの一体は、醜悪な巨体を揺らしながら喉の奥で嗤った。
レッサー(下位)という呼称は、あくまで魔王軍の階級に過ぎない。鋼のワイヤーを束ねたような強靭な筋肉と、通常の鉄剣を容易く弾き返す分厚い皮革。彼らにとって、前方に立ち並ぶ人間の防衛陣形など、ただの爪楊枝の寄せ集めにしか見えていなかった。
ヒュンッ! と風を切り、人間たちの放った無数の矢が降り注ぐ。
だが、レッサーデーモンは立ち止まることすらしない。矢じりは彼らの硬い皮膚に弾かれ、あるいは浅く突き刺さるのみで、痛覚すらまともに刺激しなかった。
「グガアアアアアッ!!」
レッサーデーモンたちが、一斉に鼓膜を破るような咆哮を上げた。
彼らは丸太の柵(拒馬)を自らの肉体でへし折り、三千の人間がひしめく防衛ラインへと巨大な質量弾となって激突した。
◆ ◆ ◆
■冒険者側視点
「ひ、ひぃぃぃっ!」
「怯むな! 突け! 突けぇっ!!」
激突の瞬間、最前列の人間の陣形は文字通り「消し飛んだ」。
レッサーデーモンの丸太のような腕が一閃するだけで、鉄の盾はひしゃげ、人間の上半身が宙を舞う。冒険者たちが決死の覚悟で突き出した槍は、悪魔の筋肉に阻まれてへし折れ、なまくらな剣は一度切りつけただけで刃こぼれを起こして使い物にならなくなった。
「囲め! 足を狙えッ! 一体につき三十人で群が――ギャアアアッ!」
戦術など存在しなかった。
ただひたすらに命をすり潰すだけの、一方的な殺戮。
冒険者たちが恐怖を忘れて狂乱状態となり、死体に群がる蟻のようにデーモンへしがみついて、ようやく一体の息の根を止める。
だが、空しく総がかりで一体を仕留めている間に、別のデーモンが十人の人間をミンチに変えていくのだ。
戦線の崩壊に、一時間もかからなかった。
「退け……! もう無理だ、退けェェェッ!!」
誰かが上げた悲鳴と共に、最終防衛ラインは完全に決壊した。
恐怖に駆られた兵士たちは武器を投げ捨て、港町エンジョイの市街地へ向かって泥の中を逃げ惑う。背後からは、逃げる背中を嬉々として引き裂く魔族の哄笑が迫っていた。
人間の必死の抵抗が殺せたデーモンは、わずか百体程度。
港町エンジョイの入り口まで残り五百メートルという絶望の地点まで後退し、生き残った生存者民間人含め……三千名のうち、わずか『三百名』にまで激減していた。
背後には、守るべき港町。
前方には、血に飢えた九百体の悪魔。
武器も気力も失い、血の海の中で立ち尽くす三百名の生存者たちの瞳は、すでに絶対的な死の絶望に支配されていた。
・・・
・・
・
■港町エンジョイ 広場
絶望に支配された港町エンジョイの広場に、突如として『この世のものならざる暴風』が吹き荒れた。
「な、なんだぁッ!?」
「空から……鋼の巨獣が……!」
血まみれの守備隊長と、生き残った三百名の敗残兵、民間人たちが、泥に塗れた顔を空へと向ける。
鉛色の雲を引き裂いて降下してきたのは、前後に巨大な二つの回転翼を轟かせる、二十機の灰色の飛行胴体であった。ニホン国においてはCH-47Jと呼ばれる大型輸送ヘリコプターの編隊である。
ローターが叩きつける凄まじい下降気流が、広場に立ち込めていた死臭と砂埃を吹き飛ばし、港町の後方部隊は未曾有の事態に騒然となった。
地響きと共にチヌークが着陸し、後部のカーゴランプ(ハッチ)がゆっくりと開く。
その暗い鋼の胃袋から、整然とした足音と共に完全武装の兵士たちが次々と吐き出されてきた。
「レッサーデーモンの先鋒はもう目と鼻の先まで迫っている! 各部隊、急ぎ展開しろ! 時間がないぞ!」
的確かつ力強い号令を飛ばす男。彼こそが、皇国・王国・都市国家から選りすぐられた猛者たちを束ねる『第一戦略機動大隊』の大隊長、カンガ・ルーであった。
その名を聞いて、コアラ大陸で知らぬ者はいない。魔族侵攻前、大陸最強と謳われたSランク冒険者パーティ『ジャスティス・ウィング』のリーダーを務めた、人類最高峰の戦士である。
かつて彼のパーティは、フリーダム都市国家の絶対防衛線『マジノライン』におけるSSSランク任務中、魔王軍の幹部である四大魔人カスパーと遭遇。死闘の末にカスパーの侵攻を遅延させることには成功したものの、歩く魔法図書館と称された美しきエルフ・ニュービー・ランドと、弓と魔法の複合狙撃手シュトハ・キャンベラの二人を失った。
瀕死の重傷を負い、生き恥を晒して皇国へ逃げ延びたカンガ・ルー。仲間を失った絶望の底で彼を繋ぎ止めたのは、魔族に対する底知れぬ復讐心と、ニホンという異世界国家がもたらした『全く新しい戦術』であった。そのカリスマ性を買われ、彼は異世界初の機械化部隊を率いる大隊長へと抜擢されたのである。
◆ ◆ ◆
「第一戦略機動大隊、全機からの降下完了しました」
「よし。これより当機は後送任務(CASEVAC)に移行する。ロードマスター、負傷兵と避難民をありったけ乗せろ!」
広場に着陸した一番機のコックピットで、陸上自衛隊の機長がインターコム越しに指示を飛ばす。
その横で、副操縦士が窓の外に展開していく新部隊の姿を見て、呆れたような、しかし感心したような息を漏らした。
「本当に形にしましたね、彼ら。……スーパーカブ110の車体に、84ミリ無反動砲のカールグスタフM2を直付け(じかづけ)するなんて」
「ああ。1950年代のフランス軍が作った『ベスパ150TAP』の現代異世界版といったところか。防御力は皆無だが、悪路走破性と火力だけなら極悪だ。自衛隊じゃ絶対に通らない狂気の設計だが……魔族相手の一撃離脱には最適解だろうな」
機長の言葉を背に、後部ハッチでは自衛隊の航空士や衛生員たちが、エンジョイの敗残兵たちに向かって手招きをしていた。
「自衛隊です! 動ける者は早く機内へ! 重傷者を優先して担ぎ込んでください! このまま皇国本土の医療テントまでピストン輸送します!」
「急げ急げ! レッサーデーモンが来るぞ!」
頭に緑色の丸いヘルメットを被ったニホン人たちが、血まみれの兵士や泣き叫ぶ民間人を、手際よく鋼の胃袋の中へと収容していく。中世レベルの文明しか持たない彼らにとって、鉄の巨獣の腹の中に飲み込まれるのは恐怖以外の何物でもなかったが、背後から迫る魔族への恐怖がそれを上回っていた。
◆ ◆ ◆
「大隊長! 弓兵部隊、展開完了しました!」
「車両班、エンジン始動! カブ・グスタフの安全装置を解除!」
降下を終えたエルフの部隊が、滑車とワイヤーで構成された不気味な黒い弓を構え、冷静に射撃姿勢をとる。
その洗練された動きに見とれていたエンジョイの守備隊長が、ハッと我に返り、足を引きずりながらカンガ・ルーの元へと駆け寄った。
「わ、私はこの港町の守備隊長だ……! レッサーデーモンの本隊が、もうすぐそこまで迫っている。今回稼働した防衛隊も、冒険者の傭兵たちも……すでに全滅に近い。どうか、急ぎ撃滅をお願いしたい……!」
血を吐くような隊長の懇願に、カンガ・ルーは歴戦の覇気を漂わせながら力強く頷いた。
「状況は把握しています。安心してください、貴方たちの血と犠牲は無駄にはしない。我々、第一戦略機動大隊が、レッサーデーモンどもを一匹残らずこの地で掃討してみせます」
隊長は、その頼もしい背中を見送りながらも、極限の困惑の中にいた。
空から降りてきた、鉄の巨獣。そこへ次々と収容されていく自軍の負傷兵たち。
エルフたちが構える、不可解な構造をした黒い弓。
そして、陣形の中央で凶悪な排気音を立てている、無骨な鉄の筒を背負った二輪の奇妙な乗り物(スーパーカブ110)。
剣も、槍も、魔法の杖すら見当たらない。
彼らの常識からすれば、それは到底「軍隊」とは呼べない異形の集団であった。
だが、その異質すぎる鋼の武装と、大隊長カンガ・ルーが放つ絶対的な自信を前にして、隊長の胸の奥には、消えかけていた『希望』という名の火が確かに灯り始めていた。
轟音と共に、負傷者を乗せた二十機のチヌークが再び空へと舞い上がり、皇国本土へ向けて離脱していく。
それと交差するように、二百メートルの彼方から、九百体のレッサーデーモンの群れが土煙を上げて殺到してくるのが見えた。
「第一戦略機動大隊――戦端を開く!」
カンガ・ルーの号令と共に、スーパーカブのエンジンが一斉に甲高い咆哮を上げた。
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