34.避けていると、見抜かれました
夕食が用意された翡翠の間は、広大な王宮の中にあってこぢんまりとした部屋だ。普段は、王妃がごく親しい人々と個人的な食事をとるために使用しているらしい。
王妃との個人的な食事の場に呼ばれた際はどうなることかと思ったが、美味しい料理と、何より王妃が積極的に話題を提供してくれるおかげで、ネアは思ったより緊張せずに済んだ。
「魔法塔から報告が届いていますよ。セレネア嬢は、初日から大活躍だったようですね。なんでも、古代魔法に関する研究論文の問題点に気づいたとか」
「恐れ入ります。資料管理室にいた頃の経験が役立ちました」
資料管理室での仕事は、掃除に不要な書類の破棄――。雑用中の雑用である。
室長もめったに顔を出さないのをいいことに、ネアは暇な時間を利用して、様々な資料に目を通していたのだった。
「古代魔法は、今は失われた神秘の力……。もしその謎を解明することができれば、我がレメディア王国にとって、きっと有益な結果をもたらすことでしょう。期待していますよ、セレネア嬢」
「ありがとうございます。一魔法士として、精一杯尽力させていただきます」
古代魔法は失われたと言われている。もっとも、例外がひとつだけあった。それが、転移魔法だ。
古代の書物で唯一読み取れた魔方陣を再現したところ、それが転移術式だった――という顛末なのだが、それゆえに、転移魔法の仕組みはいまだはっきりと解明されてはいない。
もし転移魔法の仕組みが解明されれば、もっと便利な利用方法も見つかるかもしれない。そして古代魔法の研究が進めば、転移魔法以上に有益な魔法を再現できる可能性が高い。
ネア個人としても、研究を進めてなんらかの成果を上げたいところだ。
「私としては、やはり防衛魔法の効果が向上すると嬉しいですね。ノルデン公領近辺は、高濃度の瘴気による魔物の発生が多発していますから」
「ぼ、防衛魔法については、室長が特に熱心に研究しているようです。とても優秀な方ですので、その内嬉しいご報告ができるのではないかと……」
不意にアスヴァルドから話を振られ、ネアはなんとか平静を装いながら答える。
しどろもどろになった様子を見て、緊張ゆえと思ったのだろうか。
「セレネア嬢は、いつからご自分に魔法の才能があると? 私自身は魔法の才が全くないので、興味がありまして」
明らかに、ネアに気を使った質問だった。
「十歳頃、父に連れられて魔法学院主催の魔力測定会場へ行ったのがきっかけです。小さかったのでおぼろげな記憶しかないのですが、測定の結果、魔法適正があるということで……」
「それで、才能を生かせる仕事に就いたのですね」
「はい。魔法が好きですし、父の親友だったモンフェール子爵が後押ししてくださいましたので……」
当たり障りのない会話。それなのにどこか気まずいのは、ネアがアスヴァルドと目を合わせていられないからだ。
知らない相手を見るような彼の目を見ていたくなくて、ネアはずっと、テーブルの上に視線をさまよわせていた。
「わたくし個人としては、若返りの魔法などが開発されればいいと思っているの。古代魔法には、時を操作するものも存在したと言いますからね」
「まあ……。王妃殿下は、十分美貌を保っておられますわ」
「マダム・ベルレインこそ、とても若々しくて……。わたくしも、珈琲を飲んだらそんな風になれるのかしら」
ネアが日中仕事でいない間、ルヴェナは王妃にお茶に誘われたらしい。そこでずいぶんと仲良くなったようで、ふたりのやりとりからは、以前にはない気安さが感じられた。
「義姉上は珈琲が苦手ですからね。マダムの滞在中、美味しい飲み方を教わってはいかがですか?」
「それはいい考えだわ! わたくし、普段は紅茶かレモネードばかりで……。ああ、そうだわ。皆さんにも飲んでいただきたいと思って、用意していたの」
王妃が女官へ目配せする。
心得たように退室した女官が、程なくして銀のトレーに四つのグラスを載せて戻ってきた。淡い蜂蜜色の液体の中、薄切りにされたレモンが浮かんでいる。
「わたくしの持つ領地のひとつにレモンの名産地があって、毎年とても美味しいレモンを献上してくれるの。わたくし、それを使ってレモネードを作るのがとても好きで……。よかったら、ぜひ召し上がってくださる?」
「ありがとうございます。いただきます」
王妃の手作りレモネードなんて、とんでもなく贅沢な飲み物だ。
心してグラスに口を付けると、よく冷えたレモネードが、喉をすっと通り抜けていく。
爽やかな甘みと、レモンの涼やかな酸味。そしてかすかに広がる、花のような香り。
(あ――……)
飲み下すなり、思い出した。
かつて花灯祭に行った際、そこでレモネードを飲んだヴィルが「懐かしい味がする」と言っていたことを。
(そういえばリーゼさんが、王室御用達の果樹園のレモンを使ってるって……)
記憶を失っていても、彼は義姉の作ったレモネードの味を忘れてはいなかったのだ。
それはきっとアスヴァルドにとって、王妃が大切な家族だから。
(それに比べて、わたしは)
あの日、一緒にレモネードを飲んだことさえ、彼の中には残っていない。
王妃の作ったレモネードの味は残っていても、ネアとの日々は何もかも消えてしまった。
そう思うだけで、胸の奥が静かに痛んだ。
(当たり前じゃない。王妃殿下と違って、わたしは赤の他人なんだから……)
せめて、告白でもされていたらまた違ったのかもしれない。
けれど――ヴィルにとって、きっとネアはその程度の存在だったのだ。
別れ際に抱きしめてくれたのも、泣きそうなネアを放っておけなかっただけ。あれは特別な行為ではなく、彼なりの優しさだったのだろう。
気づけば、グラスを握りしめたままじっとうつむいていた。
「……セレネア嬢、具合でも?」
低い声にはっと顔を上げると、いつの間にかアスヴァルドが心配そうにネアのほうを見つめていた。
「なん、でも……ありません」
絞り出すような声と、無理矢理に浮かべた微笑みで否定する。
しかし彼は、それで納得してくれなかった。
「少し顔色が悪いようです。部屋で休んだほうがよさそうだ」
「まあ、本当。お仕事の初日で疲れたのかしら」
王妃までもがアスヴァルドの意見に同調したものだから、もうネアはそれ以上否定することができなくなった。
その上、王妃は予想外のことを口にする。
「アスヴァルド、セレネア嬢を客間まで送ってあげなさい」
「い、いえ。マリエルさんもいますし、殿下にご迷惑をおかけするわけには……」
「遠慮はいりませんよ。アスヴァルドは今、あなたの後見役なのですから。ねぇ?」
「もちろんです。さあ、行きましょうセレネア嬢」
腕を差し出され、とうとう断れなくなったネアはおずおずと、アスヴァルドのエスコートに従う。
彼とネアが先頭を歩き、少し離れたところをマリエルや侍女たちが付き従う形で、客間へ向かうことになった。
「具合が悪いなら、もたれかかっても構いませんからね」
「と、とんでもありません……っ。本当に大丈夫ですから……」
せめて彼が、もっと冷ややかであればネアも心穏やかにいられただろう。丁寧な言葉遣いも優しい性格も、ヴィルの時とまったく同じだからこそ、余計に心をかき乱されてしまうのだ。
そのまま無言で歩き続けたふたりだが、客間が近づいてきたあたりで、ふとアスヴァルドが口を開く。
「……あの」
「は、はい」
「その……もしかして私はセレネア嬢に、ご不快な思いをさせてしまっているのでしょうか」
「え……!?」
思いもよらぬ質問に、不意に足が止まる。
すぐ隣で、アスヴァルドも歩みを止めた。
背後を付いてきていたマリエルたちが、すぐに気を効かせて、離れた位置に留まる。
「私と話していても、いつも目を逸らされるので。最初は緊張なさっているのかと思いましたが、義姉上とは普通に接しているようですし……」
「そ、それは……」
やはり、あからさますぎたのだ。
不審に思われるくらいなら、無理にでも視線を合わせるべきだった。
ネアが彼にとった態度は、不敬だと誹られても仕方のないものだ。
だが少なくともアスヴァルドは、ネアの態度に腹を立てているわけではないようだった。
「正直に答えてください。喫茶店でお世話になっていた頃に、何か私が不埒な真似でも……」
「ち、違います! それは絶対にありえません! 記憶がなくとも殿下はずっとお優しくて、誠実で……わたしに嫌なことなんて、一度もなさいませんでした」
彼に不必要な心配をさせてしまったことに気づき、ネアの胸は自己嫌悪でいっぱいになる。
「でしたら、どうして――」
「……以前の殿下は記憶を失っていらっしゃったので、気軽に接してしまいました。そのことを思い出して、恥じているのです」
嘘ではない。
ただ、少しばかり本心を濁しただけだ。失恋に終わった自身の惨めな恋心を知られるようなことだけは、絶対に避けたかった。
幸いにして、アスヴァルドはネアのその回答に一応納得してくれたようだった。
「どうかそのようなことなどお気になさらないでください。あなたは私の恩人です。恩返しになるかはわかりませんが、もっと気軽に頼っていただきたいのです」
「記憶を失っていても、いなくても……殿下はお優しいのですね」
「セレネア嬢は私を過大評価しすぎですよ。ですが……信頼に応えられるよう、今度の夜会ではしっかりエスコートさせていただきますね」
彼にとってそれは、ネアにふさわしい結婚相手を探すための場。ネアの隣に立つのも、兄夫婦に命じられた役目に過ぎない。
「……ありがとう、ございます」
顔を上げて、やっとの思いで曖昧に微笑む。
その優しさが、ネアの胸をどれほど締め付けているのか。彼はきっと、想像もしていないだろう。




