32.魔法塔に、復帰しました
国王と王妃の特別な配慮により、その後ネアは魔法塔への復帰が許された。
社交界へ送り出す前に、ネアに相応の経歴と箔を持たせるため――という計らいである。
それも、以前勤めていた『資料管理室』などという窓際部署ではない。第一研究室という、魔法塔屈指の花形部署への華麗なる栄転である。
醜聞と共に解雇された五級魔法士が、突然実力派揃いの部署へ舞い戻った――。
さぞかし白い目で見られるだろうと覚悟はしていたが、現実はその予想を裏切らなかった。
「なんか、謎の権力でねじ込まれたらしいよ」
「お偉方と枕でもやったんじゃないの?」
「うーわ。大人しそうに見えてやるなぁ」
復帰初日、ネアを出迎えたのはそういった陰口の洗礼だった。
ネアの復帰に当たって、王家が動いたことはもちろん秘匿されている。魔法塔の上層部ですら、恐らくは『上からの指示』程度の事実しか把握できていないだろう。
(居心地は悪いけど、せっかく憧れの研究室に配属されたんだもの。しっかり頑張らないと……)
事務室で新しい入塔証を受け取ったネアは、魔法士の証である深い藍色のローブを身につけ、第一研究室へ向かう。
女性魔法士三人組に声を掛けられたのは、その道中のことだった。
「ねえ、ちょっとあなた。モンフェール子爵令息の元婚約者って、あなた?」
「……はい。一応そうですが……」
「まあ、よくのこのこと戻って来られましたわね。わたくしなら恥ずかしくて、顔も出せませんわ」
女性たちがクスクスと、一斉に声を上げて笑う。
またルシアンの信奉者だろうか。もう彼のことで何を言われても傷付きはしないが、まともに取り合っていては、初日から遅刻してしまう。
「モンフェール子爵令息とわたしは、もう関係ありませんので。それでは、失礼します」
「ま、待ちなさいよ!」
立ちはだかる女性たちの脇をすり抜けその場から去ろうとしたネアだったが、袖を強引に掴まれ引き留められる。
「ルシアン様に申し訳ないと思わないの!?」
「そうよ! あなたが婚約者としてちゃんとしていれば、ルシアン様があんな女に惑わされることもなかったでしょうに!」
「……あの、申し訳ありません。仰っている意味が、よくわからないのですが……」
一体全体、彼女たちは何を言っているのだろうか。
あんな女――おそらくルシアンが以前『はちみつパイちゃん』と呼んでいた、あのシェイラという女性のことなのだろう。
首を傾げるネアに、女性たちは顔を赤くしながら詰め寄る。
「とぼけるつもりね! 知らないとは言わせませんわよ!」
「失礼ですが、何か誤解をなさっていませんか?」
「まあ! この期に及んで往生際が悪いこと!」
そんなことを言われても、心当たりがないのだから仕方ないではないか。
しかし、女性たちはネアが開き直っているとでも思っているのか、ますます悪辣に罵ってくる。
このままでは埒があかない。
かといって、取り囲まれ袖を掴まれたままでは、満足に身動きも取れない。
どうしたものか――。
困り果てていると、不意に背後から呆れたような声が飛んできた。
「こんなところで何やってんの?」
「っク、クロイツ一級魔法士!」
女性魔法士たちが慌てたような声を上げ、ネアの側から飛びすさる。
振り向くと、フェリク・クロイツ一級魔法士が眉間に皺を寄せながらネアたちのほうへ近づいてくるのが見えた。
「あのさ、うちの後輩ちゃん、あんまりいじめないでくれる?」
「いじめるなんて誤解ですわ! わたくしたちは、ただ――」
「ただ? 大勢でよってたかってひとりを取り囲んで、嫌み言ってるようにしか見えなかったけど?」
フェリクのこんな表情を、ネアは初めて見た。
(こんな顔も、するんだ……)
いつも飄々としていて、キャンディーやキャラメルを舐めつつ、鬱陶しくネアに絡む姿しか見たことがなかったが――。
だからこそ、その険しい表情に驚いてしまう。
少なくとも今の彼は、本気でネアのために怒ってくれているように見えた。
第一研究室のエースに睨まれ、さすがの彼女たちも青ざめながら黙り込むしかなかったようだ。
「……失礼いたしますわ」
消え入りそうな声でそう言うと、逃げるようにその場を立ち去る。
その背中が見えなくなるのを見届けた後、フェリクが改めてネアと視線を合わせた。
相変わらず、嫌みなほどの美形だ。四ヶ月前と比べて髪が伸びた以外、大きな違いは見られない。
「ネアちゃん、久しぶり。会いたかったよ~。戻ってこられたんだね!」
「はあ……」
先ほどまでの真剣さはどこへやら。へらへらと笑いながら近づいてくる彼の挨拶に、ネアは力が抜ける思いだった。
「何その生返事。俺ね、ネアちゃんがいなくなってから寂しかったんだよ~。あっ、そうだ。求婚の返事、考えてくれた?」
「もうその冗談はいいですから……」
女性たちから助けてくれたのはありがたいが、彼との会話はそれはそれで疲れるものだということを、すっかり忘れていた。
「助けてくださってありがとうございました。それでは」
「待って待って。第一研究室に行くんでしょ? 俺も一緒に行く」
フェリクが、歩き出したネアの後ろを遠慮なくついてくる。
できれば離れて歩きたかったが、行き先が一緒なのについてくるなというのもおかしな話だ。
仕方なく連れ立って歩いていると、唐突にうなじをつ……と指先でなぞられる感覚があった。
「なっ、な、なぁ……っ!?」
思わず飛び上がって振り返る。以前、虫そっくりの玩具で散々驚かされた記憶が脳裏をよぎり、反射的に身構えてしまった。
だが、フェリクの手には何もない。どうやらただネアのうなじに指を滑らせただけらしいと知って、別の意味で仰天した。
「何するんですか!?」
目を白黒とさせ困惑するネアに対し、フェリクはいつも通り掴み所のない笑みを浮かべている。
「ネアちゃん、なんか雰囲気変わった? 前から可愛かったけど、なんていうか、綺麗になった気がする」
立ち止まったネアの全身をじろじろと眺めた後、彼はあからさまに揶揄う調子でこう口にする。
「もしかして、恋したとか?」
――ドサッ。
手にしていた仕事用の鞄が、床に落ちる。
ベタな動揺の仕方が恥ずかしくて、ネアは無言で鞄を拾い上げた。
「えっ、嘘。図星?」
揶揄うつもりだったにも拘わらず、ネアの反応が予想外なものだったことに、フェリクも少なからず動揺したようだ。
まさか玩具代わりにして揶揄っていた女が恋なんて――とでも思っているのだろうか。笑顔が若干引きつっている。
「ネアちゃんが恋なんて……。ねえ、それどこのどいつ? 俺より格好良い?」
「クロイツ一級魔法士には関係ないことと存じます」
「関係あるでしょ。ネアちゃんは俺のおも――面白い後輩なんだから」
「今、おもちゃって言いそうになりましたよね?」
「まあまあまあ」
じろりと睨みつけると、フェリクはごまかすように視線を逸らす。けれど彼はすぐ、その茶色の目でネアをまっすぐに見つめた。
「そういやネアちゃんってしばらく田舎に引っ込んでたんだよね。こっちに戻ってきたってことは、その相手とは上手くいかなかった感じかぁ」
「っ……」
痛いところを突かれて、ネアはぐっと黙り込む。
フェリクはネアの事情を何も知らない。だから、彼に悪気はないのだろう。
けれど、上手くいかなかったどころではない。告白すらできないまま『ヴィル』という存在は消えてしまった。その喪失感は今もなお、胸の奥に重く沈んでいた。
「俺、もっとネアちゃんのこと、ちゃんと引き留めればよかったな」
「え……」
「そしたら、そんな顔させないですんだのに」
てっきり、失恋したことを茶化されるのだと思っていた。
けれどフェリクは案外あっさりとした調子で、なんてことないように話を続ける。
「まあせっかくこっちに戻ってきたんだし、新しい恋を始めたらいいんじゃないかな。ほら、俺とか、俺とか、あるいは俺とかどう?」
「……全部クロイツ一級魔法士じゃないですか」
「俺ほどの優良株、中々いないよ? 顔はいいし、実家は金持ちだし、奥さんには超優しくするし。それに料理も得意だし、キスだって自信あるよ」
「……ふふっ。もう、セクハラですよ」
あまりの自己肯定感の高さに、聞いていてだんだんとおかしくなってくる。ついつい笑いをこぼすと、彼もつられたように口元をほころばせる。
「あ、笑った。やっぱりネアちゃんの笑顔、俺好きだな」
どうやら彼は彼なりに、ネアを励まそうとしてくれていたらしい。
悪戯好きで軽薄なばかりだと思っていた。しかしその軽口の裏には、意外な優しさが隠れていたのかもしれない。
そうこうしているうちに、就業開始を告げる予鈴が鳴り始める。
「クロイツ一級魔法士、予鈴ですよ! 急がないと」
「はいは~い」
「ほら、走って!」
サンダルでペタペタと歩くフェリクを急かしながら、ネアは急いで第一研究室へ向かうのだった。




