29.再会、したはずでした
ネアの説明で足りない部分は、ルヴェナが補足をしてくれた。
もちろん、詳細を省いた部分もある。
ネアがヴィルに抱いていた恋心や、彼に解毒剤を口移しされた話。そして別れ際の約束などは、国王に伝える必要がないと思ったからだ。
けれどヴィルと出会ってから彼が出て行くまでのあらましは、正直に伝えられたはずだ。
すべての話を聞き終え、国王は酷い頭痛にでも苛まれているかのような表情で、深々とため息をついた。
「なるほど……。つまりセレネア嬢。そなたはその琥珀亭という喫茶店で、その男と……。あー……その、だな……」
何やら言葉を濁した国王が、助けを求めるように隣の王妃に目をやる。
頷いた王妃は、少し言いづらそうな、どこか心配するような表情でネアに問いかけた。
「ごめんなさいね。こんな場で言いづらいとは思うけれど、どうしても聞いておかなくてはいけなくて。あなたはその男性と、一つ屋根の下で暮らしていたのですか?」
「……? はい。喫茶店の二階には、空き部屋がふたつございましたので」
「ああ、いえ。そうではなくて、つまりその……」
王妃までもが言葉を濁す。
困り顔の王妃の様子を察してか、すぐさま女官がやってきて、ネアに耳打ちをした。
「王妃殿下は、その男性とあなたが男女の仲にあったのではないかと案じておられます」
「だ……っ」
なぜ、国王と王妃がそんなことを気にするのか。
そしてもしそうだとすれば、何か問題でもあるのか。
そんな風に、色々気にすべき点はあったのだろう。
しかし、そんな疑問を抱く余地もないほどに、それは衝撃的な質問だった。思わず素っ頓狂な声を上げそうになり、すんでのところで堪える。
乱れた気持ちをなんとか落ち着け、できる限り冷静に答えた。
「ご心配には及びません。彼とわたしとは、本当にただの同居人の関係です。それぞれ別の部屋でしたし、内鍵もかけておりました。一線を越えるようなことは、一切ございません」
ネアがきっぱりと言い切ると、玉座の上のふたりは明らかに安堵のため息を吐いた。
国王と王妃の視線が再び交わり、王妃がネアに視線を戻す。
「そう……。それを聞いて安心しました。あなたを宮廷医に診せる必要は、ひとまずありませんね」
なぜ、そこで医師の話が出てくるのだろうか。
(長旅の疲れを気遣ってくださってる……にしては、大げさな気がする。白粉のせいで、顔色が悪く見えたのかな)
そういえば、安堵のため息をついた割には、国王と王妃がネアに向ける眼差しは、まだどこか気遣わしげだ。
――何かが、かみ合っていない気がした。けれどそれがなんなのか、ネアにはわからない。
戸惑うネアの視線の先で、国王がすっと立ち上がる。
「……とはいえ、嫁入り前の娘と同居していた事実を、王家として看過するわけにもいかぬ」
そして玉座の脇――ちょうどネアたちからは垂れ幕で見えないその先へ、視線を向ける。
そして、そこに佇んでいるであろう人物に、声をかけた。
「――今の話、聞いておったな。アスヴァルド」
「はい、陛下」
広間に、規則正しい靴音だけが響く。
その音につられるように顔を上げたネアは、次の瞬間、呼吸を忘れた。
すっと伸びた背筋に、堂々たる佇まい。
月光を紡いだような銀色の髪に、彫りの深い精悍な横顔。
鍛え上げられた肉体に纏うのは、見慣れた白いシャツと黒いエプロンではなく、目の覚めるような青い外套とアイスグレーの上下だ。
それでも、彼を見間違えるはずがない。
(ヴィル、さん……?)
なぜ。
どうして、彼がそこにいるのか。
ずっと会いたかった人を前にしているのに、胸に込み上げたのは喜びだけではなかった。
迷いのない足取りで国王の傍までやってきたヴィルは、静かに足を止めた。
その瞬間、脇に控えていた侍従が朗々と告げる。
「ノルデン大公、アスヴァルド・エーデルガルム殿下にございます」
「……っ」
侍従の言葉に、ネアは息を詰めた。
ノルデン大公。
代々、国王の兄弟に与えられる位であり、広大なノルデン公領とその軍勢を預かる、王国屈指の重職。
北方防衛の要として、絶大な権限を有する存在だ。
(嘘……。ということは、ヴィルさんは王弟殿下……?)
いまだ状況を呑み込めないでいるネアの前で、ヴィル――否、アスヴァルドは、玉座の下を広く見回すように、視線を巡らせた。
その視線が、ネアとルヴェナの上で止まる。
「あなたがたが記憶を失っていた私を保護し、面倒を見てくださっていた方々ですね。このたびは多大なるご面倒をおかけしました。心よりお詫び申し上げます」
穏やかな笑顔だった。
だけど、知らない顔だった。
ネアの大好きな青灰色の瞳に、以前彼が浮かべていたような親しみは微塵も感じられない。
他人行儀な微笑みと言葉に、頭が真っ白になる。指先が冷え、足が震える。
目の前にいるのは間違いなくヴィルなのに、同じ顔をした別人にしか見えなかった。
そんなネアの動揺に気づくことなく、国王と王妃が話を進める。
「実は我が弟は、そなたらと共にいた時の記憶を失っておってな……。宮廷医の見立てでは、失われていた以前の記憶が戻る代わりに、保護されていた間の記憶が抜け落ちたのだろうとのことだ」
「事前に詳細をお伝えしなかったことも、ごめんなさいね。ただ、大公が記憶を失っていた期間の出来事は、王家にとって極めて重要な案件です。もし悪意ある者の耳に入れば、大公の立場を利用されるおそれもありましたから」
あまりの衝撃に、ネアは言葉を失った。
そんな姪の様子を横目で見たルヴェナが、ネアを庇うように一歩前へ進み出る。
「ご事情は承知いたしました。王家として慎重になるのも、もっともなことと存じます。ですが――ひとつ伺ってもよろしいでしょうか?」
「申してみよ」
「大公殿下はなぜ、当店の前でお倒れになっていたのでしょう」
「当然の疑問だな。その件については、当人の口から説明させよう」
国王の目配せを受け、アスヴァルドが小さく頷く。
そうして彼は、四ヶ月と少し前、自身の身に何が起こったかを簡単に話し始めた。
――始まりは、遺跡調査だったらしい。
レメディア王国には、各地にいにしえの賢者たちが作った遺跡が多く遺されている。それらは、今となってはほとんど失われた、古代魔法の謎を紐解く貴重な手がかりだ。
そして五ヶ月前、ノルデン公領の地下において、かつてないほど巨大な建造物群が発掘された。
宮廷魔法士たちは、各種資料との照合や予備調査の結果、それが大賢者ユーヴェルの造り上げた遺跡である可能性が極めて高いと判断した。
すぐさま調査が開始されることになったが、古代魔法の中にはひとたび発動すれば、都市どころか国をも滅ぼしかねない危険な呪文も存在すると伝えられている。
そのため調査は極秘裏に行われることとなり、王弟であり北方軍総司令官、そして国王の絶大な信任を受けるアスヴァルド自らが調査隊を率いることとなった。
しかしその調査の最中、不慮の事故が起きた。
侵入者を拒むために古代の賢者が仕掛けたであろう防衛魔法が、突如として発動したのだ。
遺跡内部の壁面が轟音とともに崩れ、天井から濁流が流れ込んだ。
アスヴァルドは即座に退避を叫んだが、恐怖のあまり足がすくみ、その場に取り残された若い魔法士がひとりいたそうだ。
周囲の制止の声も聞かず、アスヴァルドは激流の中へ飛び込んだ。
どうにか魔法士を抱え上げ、地上へ続く階段へ辿り着いた、その時。
崩落した壁面の一部が轟音とともに剥がれ落ち、彼の後頭部を強打した。
血を流して倒れ伏したアスヴァルドを前に、部下たちは愕然とするしかなかった。鍛え抜かれた巨躯を抱えて地上まで運び出す時間は残されておらず、その上、水位は刻一刻と上昇している。
危機的状況の中、魔法士たちがアスヴァルドを救うために取れる手段はひとつしかなかった。
――緊急転移魔法の使用だ。
座標を指定する余裕はなく、国内にあるいくつかの魔方陣の内、どこへ飛ばされるかもわからない。しかし、転移魔方陣がある場所は基本的に王家と魔法塔の監視下にある。
どこへ飛ばされたとしても、すぐに居場所はわかる――はずだった。
しかし、古代遺跡に施された大賢者ユーヴェルの術式と、現代の魔法士たちが展開した転移魔法が干渉したことで、その目論見は大きく狂うことになる。
「転移魔法の座標が大きく狂った結果、私はマダム・ベルレインの営む喫茶店の前へ飛ばされました。気を失って倒れていたところを、そちらの――」
アスヴァルドの視線が、ネアを捉える。
かすかな期待と共に見上げたが、彼の表情は相変わらず、他人行儀な微笑のままだった。
「――セレネア嬢に救われたというわけです」
「殿下、は……」
ネアの口から、ようやく絞り出すような声が上がった。
初対面のように呼ばれるのももちろん、自らが発した『殿下』という言葉にすら、胸の奥が痛む。
それでも、どうしても聞いておきたいことがあった。
「琥珀亭――伯母の喫茶店にいた時のことは、少しも覚えていらっしゃいませんか……?」
「リーゼルという街にいたところを、腹心の部下が見つけてくれたことは覚えていますが……。申し訳ありません。それ以前の記憶は、まったく覚えていないのです」
アスヴァルドが軽く眉を下げ、答える。
少しでも自分のことを覚えてくれていないだろうかというかすかな期待は、その瞬間に打ち砕かれた。
あの日々は、そしてあの約束は、自分だけの宝物になったのだと悟る。
唇を噛みしめ俯くネアの表情になど、気づいてもいないのだろう。彼はそのまま淡々と話を続ける。
「その後は、自分がなぜそこにいたのかも分からぬまま、王宮へ連れていかれました。そこで、私が遺跡調査の際に起こった事故で行方不明になっていたことや、三ヶ月もの間、水面下での捜索が行われていたことを知ったのです」
「――ノルデン公領は北方防衛の要。総司令官が行方知れずなどと他国へ知れ渡れば、国防を揺るがしかねぬからな」
アスヴァルドの言葉も、国王の言葉も、まるで意味を持たぬ音の羅列のようにネアの耳を通り過ぎていく。
今すぐにでも、この場を立ち去りたかった。
もうこれ以上、見知らぬ相手を見るようなアスヴァルドの目を、見ていたくはなかった。
だが、そんなことができるはずもない。
「大公が保護された時、荷物の中からベルレイン商会の特別通行証が見つかりました。そのような大切な物を託してくださったのですもの。あなたがたが、彼によくしてくださったことは、容易に想像がつきました」
王妃が玉座から立ち上がり、ネアとルヴェナの目の前まで歩み寄る。
間近で見る王妃はますます美しく、そして百合のような良い香りがした。
「マダム・ベルレイン。そしてセレネア嬢。義弟を助けてくださり、本当にありがとうございます」
この国で最も高貴な女性に礼を言われ、さすがのルヴェナも慌てた様子を見せる。
「も――勿体ないお言葉でございます。わたくしも、そして姪も、困っている方を見過ごせなかっただけですわ」
「もちろんわかっております。あなたがたは、彼の身分も名前も知らず、ご親切に面倒を見てくださったのですものね。陛下もわたくしも、王家としてそのご恩に報いねばならないと考えております」
王妃が国王を振り返る。国王は心得ているというように頷き、厳かに口を開く。
「マダム・ベルレイン。そなたが弟に施した恩義、決して忘れぬ。必ずや、この恩に見合うだけの相応の礼を尽くそう」
「大変光栄でございます。ですが――私などより、姪のセレネアにお心をお向けいただければと存じます。彼女がいなければ、大公殿下をお救いすることはできなかったかもしれません」
「ああ、もちろんだ。……わかっておるな、アスヴァルド」
国王の目配せを受け、アスヴァルドが階を降りてまっすぐネアのほうへ近づいてくる。
彼を助けた事に対して、直接礼を言われるのだろう――。ネアはぼんやりと、そんなことを考えていた。
しかし次の瞬間、彼はなぜかネアの目の前で跪いた。
そして目を見開くネアに、信じられない言葉を告げる。
「セレネア嬢。この件の責任は、すべて私が負います。あなたの名誉を守るため――どうか私に、あなたを妻として迎えさせてください」
「こんなに嬉しくないプロポーズってない」
レメディア王国在住・カフェ店員S.F(19歳)




