28.謁見の間に、行きました
身支度を済ませた後、ネアたちは謁見の間へ向かった。
扉の前には、槍を持った近衛騎士や侍従たちがずらりと佇んでいた。少し離れた場所には既にローネンフェルト侯爵が待っており、ネアとルヴェナの姿を見るなり感心したような顔をする。
「さすが、マダム・ベルレインはセンスがおありだ。王都中の貴婦人たちが嫉妬してしまうのではありませんか」
「ありがとうございます。国王陛下に拝謁するという貴重な機会に、つい張り切ってしまいましたわ」
濃い紫色のドレスを身につけ、普段より濃い化粧を施したルヴェナが、侯爵の言葉にそつなく微笑んでみせる。
侯爵は、ネアにも目を向けた。
「それに、セレネア嬢もとても素敵ですよ」
「あっ、あり、ありがとうっ、ございますっ!!」
「ちょっとネアちゃん、大丈夫? 声が裏返ってるわよ」
「大丈夫! ですっ!!」
嘘である。
大丈夫なわけがない。
(そもそも、伯母さまがこんなに落ち着いていることのほうがおかしいのよ……!)
これまでネアは、国王への謁見どころか王宮に足を踏み入れたことすらないのだ。元婚約者だったルシアンも、王宮で何か催しがある際は『お前には荷が重いだろ』と、ネアを伴うことはしなかった。
今思えばあれは、別の女性を同伴したかったがための嘘なのかもしれないが、今はそんなことはどうでもいい。
(陛下への謁見って、どうすればいいの!? そもそも、どんな風にお話すればいいの……!?)
考えれば考えるだけ訳が分からなくなり、頭の中がぐるぐると渦巻くような感覚に陥る。
「セレネア嬢」
「は、はいぃっ!」
不意に名前を呼ばれ、うわずった返事をすると、侯爵が苦笑した。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。陛下は気難しいお方ではありません。それに、本日は王妃殿下も同席されます」
侯爵なりに励まそうとして付け加えた一言なのだろうが、そのせいでネアの緊張はますます高まってしまう。
国王ひとりでも畏れ多いというのに、そこに王妃が加わるなんて。二人と対面する時のことを考えただけで、心臓が早鐘のように激しく鳴り響き始めた。
緊張のあまり半泣きで青ざめ始めたネアを見て、侯爵は女官に目配せをする。
女官はネアの背に手を置き、緊張をほぐすような声音で優しく話しかけた。
「ゆっくりと、深呼吸をなさってください。吸って……吐いて。吸って……吐いて。そう、お上手です」
そうして呼吸が落ち着いたのを確かめると、女官はネアから一歩離れる。そしてドレスのスカート部分をつまむと、それは見事な淑女の礼をしてみせた。
「拝謁の際は、陛下からお声がかかるまでお顔を上げず、このように……ドレスをつまんで礼をしてください」
「は、はい」
「陛下や王妃殿下からご質問があった際は、正直にお答えくださいませ。それで十分でございます」
「わ、わかりました」
女官の穏やかな口調と優しい眼差しで、緊張がほんの少しだけほどけていく。彼女の言葉を頭の中で何度も反芻し、心の準備を整えた。
やがて扉の前にいた老侍従が、侯爵に向かって声をかける。
「――謁見の刻限でございます、ローネンフェルト侯爵」
タイミングを見計らったかのように、扉の両脇に控えていた近衛騎士たちが、一斉に一歩前へ出た。
重厚な扉がゆっくりと開かれていく。
「それでは、私に続いてください」
ネアとルヴェナは顔を見合わせ、互いにしっかりと頷いた後、侯爵の後ろに続いた。
扉の先には、荘厳な広間が広がっていた。
豪奢なシャンデリア。
壁を彩る巨大な絵画。
玉座の手前まで続く、青い長絨毯。
数段の階の先に設けられた玉座には既に、国王と王妃が並んで座している。
遠くて表情は見えない――否、恐ろしくてじっと見ることなどできなかった。
慣れた様子で絨毯の上を歩いていた侯爵が、玉座の数歩手前で立ち止まる。彼が胸に手を当て頭を下げたのを合図に、ネアも教わった通りにドレスをつまみ、深く頭を垂れた。
「ローネンフェルト侯爵。此度の働き、大義であった」
低く威厳のある声が、階の上から降ってくる。
決して、大きな声ではない。だがその声には、他者を圧倒する不思議な力が感じられた。
「……は。勅命に従い、ルヴェナ・ベルレイン殿ならびにセレネア・フェルン殿をお連れいたしました」
「では、彼女らが大公の。――皆、楽にせよ」
(タイコウ?)
国王の前半の言葉はよく意味がわからなかったが、ひとまず言われた通りに恐る恐る顔を上げる。
国王は五十代前半ほど。大柄な身体を玉座に預けているだけだというのに、圧倒的な存在感でネアたちを見下ろしている。
灰色の口髭を完璧に整えた精悍な顔立ちには、長年国を治めてきた名君としての威厳が宿っていた。
その隣に座す王妃は――年齢はいくつだっただろうか。四十歳は確実に超えているはずだが、その姿には年齢を感じさせない可憐さがあった。
夏の若草のような緑の瞳に、光を宿したような淡い金色の髪。優しげな笑顔が醸し出す柔らかな雰囲気に、王妃という雲の上の存在を前にしながら、ネアはほんの少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
「マダム・ベルレイン。そしてセレネア嬢。よくぞ我が王宮へ参った」
「旅はいかがでしたか? 転移魔方陣を経由したとはいえ、お疲れでしょう」
国王と王妃が、順に声をかけてくる。
どちらかというと朴訥な印象の国王とは違い、王妃の言葉は柔らかく、慈しみに満ちていた。
「お気遣いいただき、ありがたく存じます。道中はローネンフェルト侯爵閣下に色々と配慮いただき、とても快適な旅でしたわ」
「それは何よりです」
緊張するネアとは正反対に、ルヴェナは王妃の問いかけにも臆することなく答える。いつものほほんとした伯母を、これほど頼りに思う時がくるとは思ってもみなかった。
しかし、のんきに感心している場合ではなかった。
「セレネア嬢はどうでしたか?」
「えっ」
まさか王妃が自分にも話しかけてくるとは、つゆほども思っていなかった。突然話を振られ、ネアは哀れなほど慌てふためいてしまう。
「わ、わた、わたしは」
「ふふ。可愛らしいお嬢さん。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
「あ、その……転移魔方陣を見せていただけて、とても勉強になりました」
答えた後に、妙な沈黙が流れる。その時になってようやく、ネアは王妃が旅についての感想を聞いていたことを思い出した。
慌てて言い直そうと口を開く。
しかしそれを遮るように、国王が声を発した。
「イルフェン支部研究所の所長から報告は受けておる。セレネア嬢は、発動中の補助術式を看破したそうだな。所長が〝五級魔法士とはとても思えない〟と大層驚いておった」
「い、いえ! あれは本当に偶然で……!」
「まあ、陛下ったら。その話はまた今度でよろしいでしょう? 彼女たちも長旅でお疲れなのですから、早く本題に入りませんと」
王妃に軽く窘められ、国王は気まずそうに咳払いを落とす。
そして、再びネアたちに視線を戻した。
「そこのローネンフェルト侯爵から、軽く説明は受けておるだろう。そなたらが四ヶ月ほど前に保護した銀髪の男についてだ。保護した時の状況や、その後の生活について、詳しく話を聞きたい」
なぜ、国王がヴィルのことを知りたがっているのか。
理由は気になったが、聞けるはずもない。
(でも、もしヴィルさんにとって不都合なことだったら……)
不安でうつむくネアに、国王は心なしか声と表情を和らげながら問いかけた。
「まずは、彼を発見した日のことから聞かせてもらえるか? 心配はいらぬ、ただ話を聞くだけだ」
「……はい」
いずれにせよ、ここで答えないという選択肢が許されるはずもない。
ネアは小さく息を吸い、そしてあの日のことを語り始めた。
ヴィルがずぶ濡れで琥珀亭の前に倒れていた、あの日のことを――。




