27.王宮に、到着しました
急ごしらえの旅支度を終えたルヴェナとネアは、ローネンフェルト侯爵と共に王都へ向かうことになった。
移動の手配は、すべてローネンフェルト侯爵が整えてくれている。
最初の二日は馬車で移動しつつ、王家と縁の深い貴族の屋敷に滞在させてもらった。
そして三日目の朝、一行はイルフェン地方一の大都市カレンドラに設けられた、王立魔法塔支部研究所を訪れていた。
「て、転移魔法陣……」
老所長の先導で、支部の中庭に設置された巨大な魔方陣の前に案内されたネアは、思わず息を呑む。
転移魔法は極めて高度な術式であり、魔法大国であるここレメディア王国でも、使用できる魔法士はごく僅か。
しかも、その運用は厳しく制限されている。
王族や国家中枢に携わる要人の緊急移送。
あるいは、戦争や大規模災害などの非常事態。
それ以外での使用は原則として認められておらず、魔法陣の位置や術式の詳細も国家機密として扱われていた。
もし、敵対国に転移拠点の情報が漏れれば、それだけで国防を揺るがしかねない。
そのため、魔方陣は常に王立魔法塔が厳重に管理しており、元魔法塔職員であるネアですら、実物を見るのは初めてだった。
「まさか、これを使って移動するのですか?」
ルヴェナの問いかけに、侯爵が頷く。
「陛下の勅命ということで、特別に使用許可をいただいて参りました。ネグリンから王都まで馬車を走らせれば、最短でも七日はかかりますので」
「すごい……! こんな複雑な術式、初めて見ました」
思いもよらぬところで、貴重な機会を得るものだ。
ネアは引き寄せられるように魔方陣に近づき、じっくりとその紋様を観察する。
「空間魔法に移動魔法を掛け合わせているだけじゃない。複数の座標を登録、固定してる……。その上、発動の際、術者の魔力偏差を地脈から湧き出る魔素によって補正する術式も組み込まれている……?」
細部までじっくり見ていると、ふと違和感に気づいた。
転移術式のさらに外側。
魔方陣の外周に、幾重にも重なる補助術式が組み込まれていた。
「なるほど。認識阻害と、記憶撹乱、それから存在秘匿魔法まで重ねてるのね……」
「それが、見えているのですかな?」
ぶつぶつと呟くネアに、所長が怪訝そうに問いかけてくる。
顔を上げると、所長は驚愕と困惑の入り交じった顔でネアを見つめていた。
「え? それって……」
「転移魔方陣です。今、あなたが言った補助魔法は発動中の状態です。魔力のない者はおろか、並大抵の魔法士ですら見抜くことは不可能です。……失礼ですが、あなたは五級魔法士だと侯爵閣下から伺っております」
「え――」
驚いて侯爵を振り向くと、彼は少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「王都を発つ前に、あなたがたのことは、あらかじめ調査させていただいております」
「そうでしたか……。あの、でしたらご存じと思いますが、わたしは魔法塔を解雇された元職員で……」
当然、侯爵はルシアンとの婚約破棄騒動についても知っているのだろう。
その割にはこの二日間、彼からネアに対する侮蔑の感情は一切感じられなかったが。
いたたまれない気持ちで縮こまっていると、所長が更に言葉を重ねる。
「はい、そちらも伺っております。ですが、いや――驚きました。少なくともこの支部にいる職員の内、それらの補助魔法を看破できるのは私を含めて二名しかおりません。とても五級とは思えませんな」
「い、いえ。偶然です。昔から、色々な術式を見るのが好きで……。魔法塔の図書室でも、色々な論文を読んで来ました。それで気づけたんだと思います」
ネアの説明に、それでも所長はどこか腑に落ちないような顔をしていた。しかし、侯爵がふたりの会話に割って入る。
「失礼。陛下がお待ちですので、そろそろ――」
「ああ、そうでしたな。申し訳ない。それでは皆様、魔方陣の中央へどうぞ。馬や馬車もお忘れなく」
所長に促されるがまま、一行は魔方陣の中央へ移動した。
馬車や馬も騎士たちによって運び込まれ、やがて全員が魔方陣の中に収まる。
「それでは、起動いたします。間違っても、魔法陣の外へお出になりませんように」
魔方陣の外側で、所長が呪文を唱え始める。
間もなく地面に刻まれた紋様が光を放ち、やがて目を開けていられないほど眩い光が、ネアたちを包み込んだ。
そして次に目を開けた時――。
ネアは言葉を失った。
そこは王宮の一角だった。
白亜の壁。
磨き上げられた石畳。
一分の隙もなく整えられた、美しい花々の庭園。
遠目にしか見たことのない王宮が、今は手を伸ばせば届きそうなほど近くにあった。
「……無事に到着したようだな」
周囲を見回した侯爵が、どこか安堵したようにため息をついた後、ネアとルヴェナに向き直る。
「ひとまず貴女がたを客間にお通しします。一旦そちらで着替えてから、陛下へのお目通りを」
「は、はい……っ」
「後のことは女官たちに任せます。それでは後ほど、謁見の間で」
一礼した侯爵が颯爽と去って行くなり、どこからかやってきた年嵩の女官たちが、ネアとルヴェナの前で恭しく膝を折る。
「長旅お疲れさまでございました。ローネンフェルト侯爵より、マダムとお嬢様のお世話を仰せつかっております」
「お荷物をお持ちいたします。どうぞ、こちらへ」
ルヴェナとネアは、困惑気味に顔を見合わせた。
王宮女官ということは、当然ながら貴族の女性たちだ。男爵令嬢だった頃のネアでさえ、気軽に言葉を交わせる相手ではない。
そんな人たちに頭を下げられているという状況が、どうにも落ち着かなかった。
女官たちの案内によって客間に通されたネアたちは、喉を潤すためにと用意してもらったハーブティーを飲んだ後、持参したドレスに着替えることにした。
「貴族の顧客のために、流行のドレスを仕入れたばかりで助かったわ~。あ、ネアちゃんのはこれね」
ルヴェナが寄越したのは、淡いピンクのドレスだった。
オーバースカートには、光沢のある蔓草模様のジャガード生地。
胸元や袖口には、ドレスの布地より少し濃いピンクのリボンがあしらわれている。
「可愛い……」
思わずそう呟くと、近くにいた女官たちがにこにこと話しかけてくる。
「とてもお似合いですよ」
「お嬢様は色が白いので、淡いお色が映えますわね」
「お召し替えが済みましたら、お化粧をして、御髪を整えましょうね。それから、アクセサリーは――」
「こちらに一通り持参しております」
ルヴェナがすかさず差し出した革鞄の中身を見て、女官たちは目を輝かせる。
「まあ! なんて見事な真珠の首飾りでしょう。粒が揃っていて、光沢も美しいですね」
「それに、デザインも素晴らしいですわ。王妃殿下がお喜びになりそう」
どうやらルヴェナは、商会の倉庫で最も高価な品を持ってきたらしい。だが、そんな物を身につけると考えただけで肩が凝りそうだ。
それに――。
「あの、このネックレスではいけませんか……?」
勇気を出して問いかけると、女官たちの動きが一瞬止まる。
皆ネアの首元に注目した後、一様に困ったように眉を下げた。
「そちらも素敵なお品だとは思いますが、謁見に相応しいのはこちらの真珠のほうかと……」
「そ、そうですよね。すみません……」
せっかくヴィルから貰った大切なネックレスを、一時とはいえ外すのは気が引ける。しかし、国王への謁見を控えた今、やはり女官たちの意見には従うべきだろう。
ネアはそっとネックレスを外し、ルヴェナから貰った小箱にそれを収めた。




