26.陛下の使者が、やってきました
店の外に見覚えのない豪奢な馬車が停まったのは、その日の午後のことだった。
ちょうど飲食を終えたばかりの客を外に見送ったネアは、目の前に広がる光景にぎょっと目を剥いた。
深い紺色の車体には、金色の王冠を戴く白銀の獅子の紋章。
そしてその周囲を取り囲む、総勢十名ほどの騎士たちの肩章にも、同じ紋様が刻まれている。
王都に住んでいた頃、魔法塔に勤務していた頃、いやというほど見たことがあった。
(あの紋章は――……)
石のように固まるネアの耳に、近所の人々のざわめく声が聞こえてくる。
「なんだあ、ありゃ。随分と物々しいなぁ」
「領主さまんとこの馬車より立派じゃねぇか!」
「というか、あの紋章ってもしかして、国――」
ネアは慌てて扉を閉めた。厨房で皿洗いをしているルヴェナのところまですっ飛んでいくと、彼女はのんきに鼻歌など歌っている。
「フンフ~ン。あら、ネアちゃんどうしたの。そんなに青ざめた顔して」
「お、お、お、伯母さま! そそそそっ、外に馬車が!」
「なぁに。馬車くらい毎日見てるでしょ」
「違うんです! 中央騎士団が! 国章掲げた馬車を護衛してうちの前に来てるんですよ!」
ようやく異常事態に気づいたルヴェナが、洗い物の手を止めて窓の外を覗きに行く。そして、のほほんと振り向いた。
「あらやだ、壮観。さすが中央騎士団、いい男揃いね~。特にあの右から二番目の――」
「のんきにそんなこと言ってる場合ですか!? 国章掲げてるってことは、中に乗ってるのは国王陛下から派遣された、ものっっっすごい偉いお役人様ですよ!?」
そんな偉い役人がこのような田舎にやってくるなんて、普通は考えられない。
しかし以前ヴィルも言っていたとおり、ルヴェナの経営している商会は貴族にも広く知られた、大規模な事業である。
つまり、そこから導き出される答えは。
「伯母さま……正直に言ってください。まさか脱税とか、してませんよね……?」
「あなたあたしをなんだと思ってるの。うちは法律に則った明朗会計よ」
きっぱりと言い切った後、ルヴェナはふと首をかしげた。
「……そういえば去年の帳簿、まだ整理してなかったかしら」
「伯母さま!?」
「うっそ~。もうネアちゃんったら、からかい甲斐があるんだから」
「今ふざけてる場合ですか!」
この状況で冗談を言える胆力には感心するが、本当に心臓に悪いからやめてほしい。半泣きになりながら、なおも伯母に詰め寄ろうとしていたその時。
――カランカラン。
店の扉が開き、見知らぬ男性が姿を現した。
馬車の車体よりやや明るい紺色の礼装。
襟元や袖口には金糸の刺繍が施され、その肩には、王国官僚を表す白銀の飾緒が幾重にも飾られている。
胸元には、いくつもの勲章が輝いていた。
年の頃は五十代半ばほどだろうか。
白髪混じりの髪を隙なく撫で付けたその男は、田舎の喫茶店にはそぐわない存在感でもって、静かに店内を見回した。
(う、嘘……)
ネアは思わず息を呑んだ。
王都にいた頃、貴族や高官を見かける機会は何度かあった。
ルシアンの付き合いで夜会に顔を出すこともあったし、魔法塔に訪ねてきた要人を遠目に眺めたこともある。
だが、それでもこれほどの人物を間近で見たことはない。
少なくとも伯爵。
いや――胸元の勲章の数からして、それ以上かもしれない。
凍り付くネアの目の前で、男性は静かに口を開いた。
「ベルレイン商会会長、ルヴェナ・ベルレイン殿はおられるか」
「ルヴェナは私ですが……。一体何のご用でしょうか」
物怖じすることなく堂々と進み出たルヴェナを一瞥すると、男性は胸に手を当て、恭しく頭を下げる。
「マダム・ベルレイン。突然の訪問をお赦しいただきたい。私はレメディア王国内務卿、レスター・ローネンフェルト侯爵。本日は国王陛下の勅命を帯び、こちらへ参りました」
(侯爵……! 内務卿……!?)
男性の名乗りに、ネアはたちまち卒倒しそうになる。
内務卿とは、王国の行政全般を取り仕切る重臣だ。庶民どころか、大半の貴族にとっても雲の上の存在である。
中央騎士団が護衛について、国章を掲げた馬車でやって来る時点で十分異常だった。それなのに、よりにもよって内務卿を派遣するとは。
(ま、待って待って。これ、脱税どころの騒ぎじゃ……)
ルヴェナが実は密輸に手を染めていたとか。
禁制品の売買に関わっていたとか。
あるいは王都の貴族相手に何かとんでもない商売をしていたとか。
(そ、そんな。伯母さまに限ってそんなことあるはず……!)
だが、そのくらいの話でなければ、この状況に説明がつかないのもまた事実だった。
「侯爵……?」
さすがのルヴェナも、軽く目を見開いている。
それでも、彼女が沈黙したのはほんの数秒だけだった。すぐに姿勢を正し、まっすぐに相手を見据える。
「かしこまりました。――それで、国王陛下の勅命とは?」
「約一ヶ月前、貴商会が発行した特別通行証を持つ男性が保護されました。銀髪に、青い目の男性です。マダムがお渡ししたもので、間違いありませんか?」
ネアとルヴェナの視線が交わる。
旅立つ前、ヴィルにベルレイン商会の特別通行証を渡したという話は、ルヴェナから聞いていた。
ローネンフェルト侯爵が口にした特徴も、ヴィルのものに間違いない。
けれど――。
(保護? 一体、誰に……)
もし、ヴィルが彼を探していた家族や知人に無事保護されたのだとすれば、普通はそこで完結する話だ。
だが、今こうして内務卿がヴィルの件で琥珀亭を訪ねてきているということは。
「あ、あの。ヴィル――いえ、その男性は、何か事件に巻き込まれたのでしょうか……!? 無事、なのですか……!?」
「あなたは――?」
そこで侯爵が、初めてネアに目を向けた。
やや鋭い眼差しに臆し、一歩後ずさるネアを庇うように、ルヴェナが一歩前に出る。
「私の姪です。その男性が当店の前で倒れていた際、真っ先に救助を行ったのがこの子です」
「そうでしたか、そちらのお嬢さんが……。それは、失礼いたしました」
侯爵の目が、僅かに細められる。
彼は先ほどよりずっと優しい表情と、穏やかな声でネアに告げた。
「ご安心ください。その男性はご無事です。重大な事件に巻き込まれたわけでも、あるいはご本人が何か起こしたわけでもありません」
「よ、よかったです……」
安堵のあまり、その場にへたり込みそうになるのを必死で堪える。
それと同時に、新たな疑問を抱いた。
ヴィルが重大事件に巻き込まれたわけでも起こしたわけでもないのなら、なぜ、侯爵はここに来たのだろう。
「詳しいお話はできませんが、現在、その男性は王都にて保護されています。そしてその件で、ぜひお話を伺いたいと陛下が仰せです。おふたりには私と一緒に来て、陛下に謁見していただきたい」
国王への謁見。
平民であれば、一生に一度も起こらないであろう栄誉だ。
ましてや内務卿を派遣されている状況で、断るという選択肢があるはずもない。
(それに……)
ネアは胸元のネックレスをぎゅっと握りしめた。
王都。
ヴィルが保護されている場所。
そこで何が待ち受けているのか、今のネアには見当もつかない。だけど、もう二度と会えないかもしれないと思っていた人が、今そこにいるというのなら。
「行きます。わたし、行きたいです」
その言葉に、少しも迷いはなかった。




