21.花火に願い、かけました
初めて見る大道芸は、圧巻だった。
大迫力の火吹きに始まり、松明を使った幻想的なジャグリング。高梯子を使ったアクロバットに、幻影魔法を使った壮大なショーまで、見応えたっぷりの演目が目白押しだった。
「すごい……! 見てください、ヴィルさん。あんなに高い場所で逆立ちなんて、怖くないんでしょうか」
「日頃の訓練のたまものでしょうね」
子供のように目を輝かせるネアを見て、ヴィルもどこか楽しそうに微笑んでいる。
特にネアが惹かれたのは、花灯祭の名になぞらえて空から光る花が降ってくる演出だ。夜空いっぱいに咲いた光の花々は、風に乗ってゆっくりと観客たちのもとへ舞い落ちる。
観客たちも皆手を伸ばし、光の花が手のひらをすり抜けていく様を楽しんでいた。
「綺麗ですね、ヴィルさん!」
思わずそう呟いて隣を見上げる。
けれどその瞬間、ネアは息を呑んだ。
ヴィルは空から降る花ではなく、ネアのほうを見ていたのだ。
「楽しそうで何よりです」
目を細めながら穏やかに微笑まれ、ネアは途端に恥ずかしくなった。
子供のようにはしゃぎすぎただろうか。
あの落ち着いた青灰色の瞳で見つめられると、途端に自分が子供っぽく思えて、いたたまれなくなる。
「ま、魔法士の端くれとして、色々な魔法に興味があって……」
結果的に、よく分からない言い訳をごにょごにょと口にする羽目になる。
「なるほど」
そう言ったヴィルは、再び空を見上げる。
「この花の演出も、幻影魔法の一種なのでしょうか」
「はい! 幻影魔法だけじゃなくて、光魔法も補助として組み合わせているんだと思います。あれだけ広い範囲に投影するなら、四級以上の魔法士が最低三人は必要なはずです」
一息に言い終えて、はっとした。魔法のことになると、思わず饒舌になる癖が出てしまったことに気づいたからだ。
ルシアンからはそのせいで「お前の話はつまらない」と辟易されていた。
ちらとヴィルの様子を窺うと、彼は退屈そうな素振りを見せることもなく、興味深げに問いかける。
「そういえば、ネアさんも魔法士でしたね。どんな魔法が得意なんですか?」
ネアは思わず目をまたたかせた。
自分の好きな話に耳を傾けてもらえた。そのことが、無性に嬉しかった。
「わたしは五級魔法士の資格しか持っていなかったので、基本的には簡単な実践魔法の使用しか許可されてなくて……」
「実践魔法?」
「例えば火起こしとか、桶に水を張るとか、生活に根ざした魔法が多いですね。四級になると、もっと使える魔法の幅が増えるのですが……。五級の試験ですらギリギリ合格で」
十六歳の頃、初めて魔法士認定試験を受けた。
あの時のことは、今でもよく覚えている。
「ああ、ショーが終わりましたね。歩きながら話しましょうか」
「そうですね。あっ、レモネードの瓶、あそこに返却できるみたいですよ」
いつの間にか、空から降り注ぐ光の花は消えていた。
大道芸人たちに惜しみない拍手を送った後、ネアたちは瓶を返却し、ふたりで再び通りを歩き出す。
「――試験では、決められた術式を正確に再現しないといけないんです。裕福な家庭なら、家庭教師をつけたり学園に通ったりして学ぶのですが、わたしは自己流だったので……」
課題は『決められた術式を用いた火属性の魔法で、試験会場中の蝋燭を灯せ』だった。だが、試験用紙に書かれていた術式に誤りがあったのだ。
「誤り、ですか?」
ネアの話に耳を傾けていたヴィルが、軽く首をかしげる。
「はい。魔法を発動させるには呪文の最後に〝起動語〟というものが必要なんです。例えば光を灯す時は〝灯れ〟というように」
起動語を口にするなり、ネアの手のひらに小さな光の球が現れる。
ぽうっと淡い光を放つそれをしばらく手の中でもてあそんだあと、ネアはそれを空へ向かって投げた。空中で砕け、キラキラと光の雨になって降り注ぐ。
「でも、肝心の起動語が間違っていました。だから、試験官を呼び止めて指摘したんです。わたしは受験番号一番だったので、後の人が困らないようにと思って……」
しかし返ってきたのは『試験官である私より、君のほうが正しいと言いたいのかね?』という言葉だった。
「それで、実際に発動して見せればわかると思いまして」
「まあ、そう思いますよね」
「でもその結果、魔力が暴走して試験官の髭が燃えました」
「ふっ……」
ヴィルの肩が小さく震える。
彼は口元を覆ってしばらく我慢していたようだが、とうとう堪えきれなくなり、喉を鳴らして笑い始める。
「笑い事じゃないんですよ! おかげでこっぴどく怒られて、試験に落ちるところだったんですから!」
「す、すみません。……でも、合格したんですよね?」
「はい。事情を知った試験監督――宮廷魔法士長が、温情をくださいまして。でも、それ以来なんとなく怖くなって昇級試験も受けないまま……。そうこうしているうちに、魔法塔も辞めることになりましたし」
ヴィルには、魔法塔を辞めることになった経緯を話していない。
優しい彼にいらぬ心配をこれ以上かけたくなかったし、彼と過ごす穏やかな時間が重い空気に邪魔されるのが嫌だったからだ。
だからネアは、努めて明るい声を上げる。
「でも、今思えば滅多にない経験ができて貴重だったかもしれません! 宮廷魔法士長も大笑いしてましたし。お髭の試験官はむっすりしてましたけど……」
「ははっ、彼にとってはとんだ災難でしたね」
「うっ……反省してます」
その後もふたりは、色々な話をしながら出店を回った。
ほとんどが琥珀亭に来た客の話だったり、近所の噂話だったりと他愛のない話題ばかりだった。それでもこの時間が特別に思えたのは、ヴィルが相手だったからだろう。
たっぷりスパイスのかかった串焼き肉に、この町の伝統料理であるモチモチしたシナモンパン。そして婦人会特製の野菜たっぷりトマトスープ。
「あつっ……」
油断して冷まさず飲んだスープが予想以上に熱く、つい舌をやけどしてしまった。
「大丈夫ですか? ほら、ちゃんとフーフーして」
「フーフーって……。子供じゃないんですよ!」
「ですが、舌を火傷したのは事実でしょう」
軽く言い合いをするふたりを、通りすがった人々が微笑ましそうに見ている。
「可愛いカップルね」
「年の差があるからかしら。可愛くてたまらないって様子ね」
通りすがった女性たちの会話が耳に入り、ネアの肩がびくりと跳ねる。
「や、やだ。また勘違いされて……」
気にしていることを悟られないよう、平静を装って隣のヴィルに目を向けた。
そこで初めて、彼の視線がかすかに泳いでいることに気づく。
「ヴィルさ――」
彼を呼ぼうとした。
ヴィルもまた、何かを言いかけたように唇を開く。その時。
――ドォン!
最初の花火が打ち上がった。
細い煙を空高くまでたなびかせ、パッと夜空に鮮やかな炎の花を咲かせる。
赤、青、黄色。立て続けにいくつもの花火が夜空を彩り、そのたびに観客がワァッと大きな歓声を上げた。
ネアもまた息を呑みながら、その光景を見上げる。
花灯祭の最後を飾る花火は、噂に違わぬ美しさだった。
けれど――。
(綺麗……)
そう思うたびに、胸の奥が少しだけ苦しくなる。
この時間が楽しいからだ。
楽しくて、幸せで、だからこそ終わってほしくない。
永遠に続いてほしい。
やがて最後の一発が夜空に咲き、大きな拍手が広場を包む。
人々が名残惜しそうに帰路につき始める中、ヴィルが隣で口を開いた。
「何か、願い事はしましたか?」
「えっ?」
「最後の花火に願い事をすると叶うと、店長が言っていたでしょう」
ネアは思わず胸元のネックレスへ触れた。
本当は、別の願いが浮かばなかったわけではない。
けれど、それを口にする勇気はなかった。
「……しました。ヴィルさんの記憶が戻りますように、って」
自分で口にしたのに、胸の奥が締め付けられるように痛む。
ヴィルは一瞬だけ目を見開き、そして困ったように笑った。
「ネアさんらしい願いですね。ご自分のことを願わなくてよかったんですか?」
「いいんです。わたしにとって、それが一番大事ですから。それに……ヴィルさんを知っている方も、きっとそう願っています」
「ネアさんは優しいですね」
穏やかな微笑を目にすると、胸の痛みがますます酷くなる。
(本当は違うんです)
ネアは心の奥で、そっと呟いた。
記憶が戻ってほしい。
それは本心だ。
だけど――。
(これからも、ヴィルさんとずっと一緒にいたい。記憶が戻らなければいいのに)
そんな願いも、確かにあった。
きっと彼の帰りを待っている人がいるのに、こんな自分勝手な願いを一瞬でも抱くなんて、自分はなんて醜い人間なのだろう。
ヴィルの記憶が戻らなければ、彼を大切に思う誰かを悲しませるだけなのに。
ただ偶然、記憶喪失の彼を助けただけ。
たまたま少し長く一緒に過ごしただけ。
そんな自分に、彼を引き留めたいと願う資格などない。
だから――。
(お願いだから、記憶を取り戻してください)
胸の痛みを押し殺しながら、ネアはもう一度だけ心の中でそう願った。




