19.お出かけの準備、できました
そうして迎えた、花灯祭当日――。
昼食を取った後、ネアは自室の鏡に向かって、ああでもないこうでもないと唸っていた。
寝台の上には、所狭しと並べられた衣類。
宿舎から持ってきた物だけでなく、こちらに来てからルヴェナから貰った物もいくつかある。
『商会で余った物だから遠慮しないで。ほら、こことかちょっと柄が途切れてるでしょう? 売り物にならないのよ~』
ルヴェナはそう言っていたが、ネアが見る限り、それらは売り物と遜色ないほどに美しい品だった。
(どうしよう。せっかくのヴィルさんとのお出かけだし、おしゃれしたいけど……)
『ドレスは体型が目立たないよう、常に詰め襟で長袖の物を身につけろ。夏場でも腕を出すな。鮮やかな色は男を誘うためのふしだらなもの。衣装は地味な色にしろ。化粧はするな。宝石なんてお前には似合わない。その陰気な黒髪はきっちりひっつめにしておけ』
ここにきて、再び過去の記憶がネアの胸に躊躇いを産む。
ルヴェナが贈ってくれた衣服は、ピンクや紫、淡い黄色といった可愛らしい色合いが多い。
地味だと自覚のあるネアはすっかり気後れして、人前でこれらを身につけられないでいた。
華やかな格好に憧れはあるが、似合うかどうかはまた別問題である。
不釣り合いな服でヴィルに恥を掻かせるくらいなら、地味に目立たぬよう振る舞ったほうがまだマシだ。
(やっぱり、無難にこのグレーのワンピースにしようかしら……)
着慣れたワンピースを手に取った、その時だった。
「ネアちゃーん。入ってもいーい?」
部屋の外から、ルヴェナの声が聞こえてきた。
「す、少し待ってください!」
ネアは慌てて寝台の上の物をかき集め、見苦しくない程度に整える。
「どうぞ!」
促すと、扉の向こうからルヴェナが顔を出した。
手に小さな箱をいくつか持っている。
「準備中に邪魔してごめんなさいね。ネアちゃん、あんまりアクセサリー持ってなかったなぁと思って。これねぇ、新進気鋭のデザイナーが見本として持ってきたもので――」
上機嫌に話していたルヴェナだが、その視線がネアに留まるなり、ぴたりと口を噤んだ。
「ネアちゃん……。まさかとは思うけど、その暗ーい灰色のワンピースでお祭りに行くつもりじゃないわよね?」
「えっと、そのつもりですけど……」
答えるなり、ルヴェナが衝撃を受けたように大げさな動きで頭を抱える。
「嘘でしょ!? なんでそんな墓石みたいな色選ぶのよ! あたしがあげたワンピースは!?」
「は、墓石って……。でも、わたしにはこういう暗い色のほうが……。わたしってほら、地味ですし……」
「ぜんっぜんだめ! 追悼式典に行くわけじゃあるまいし! 大体、ネアちゃんは自分に自信がなさすぎるわ。あなたは自分の魅力を知らなさすぎる!!」
鼻息荒くそうまくし立てたルヴェナは、ネアを全身鏡の前へ押し出す。そして、適当にくくった髪を解き、さらりと肩の前に下ろした。
「まずこの紫紺の髪! こんなに艶やかで綺麗なのに、灰色なんか合わせたら沈んじゃうでしょう!?」
ルヴェナは寝台の上から淡い藤色のワンピースを引っ張り出し、ネアの身体に当ててみせた。ワンピースは最新流行の透ける素材を活用し、軽やかで妖精のような印象に仕上がっている。
「ほら、こっちのほうが絶対映えるわ。ネアちゃん肌白いんだから、こういう柔らかい色もよく似合うのよ!」
「そ、そうでしょうか……」
「そうよ! それに、この薄黄色の花柄も可愛いわねぇ。ああでも、夜のお祭りだからこっちのブルーのグラデーションも捨てがたいかも……」
次々と服を広げながら、ルヴェナは真剣な顔で唸り始める。
「うーん、困ったわぁ。ネアちゃんったら、何着ても可愛いんだもの」
「いえ、そんな……」
それはルヴェナが伯母だから、身内の欲目でそう感じるだけではないだろうか。
鏡の前で鮮やかな色を当てられる自分を見ても、ネアはどうしても身の丈に合わないものを選んでいる罪悪感に苛まれてしまう。
そんなネアの表情から何かを察したのか、ルヴェナがふっと表情を和らげる。
「ネアちゃん。綺麗な服を着たいって思うことは、悪いことじゃないのよ」
「……っ」
全てを見透かすようなルヴェナの言葉は、迷い立ち止まるネアの心に、まっすぐに突き刺さった。
「女の子が少しでもおしゃれをしたい、可愛くなりたいって思うのは、当たり前のことでしょう? ヴィルさんだって、自分とのお出かけのためにネアちゃんが精一杯おしゃれしてくれたら、きっと嬉しいと思うわ」
優しくそう言われて、ネアは言葉を失う。
――おしゃれをしたい、可愛くなりたい。
そんなことを思う自分は、浅ましくてはしたないのだとずっと思っていた。
だから憧れや願望に蓋をし、長い間目を背けてきた。
どうせ似合わないのだからと、自分を無理矢理納得させて。
(でも、そっか。そうよね。ここにルシアンはいない……)
伯母の言うとおりだ。
ヴィルはルシアンではない。ここには、ネアが好きな格好をしたからと笑う人間はどこにもいないのだ。
(――わたしは、自由なんだ)
ネアはそっと、寝台の上に置かれたブルーのワンピースへ手を伸ばした。
ワンピースを選ぶ。ただそれだけのことだが、ネアにとっては大きな一歩だった。
「これにします」
ルヴェナが、ぱっと満面の笑みを浮かべる。
「それ、素敵よね。ネアちゃんによく似合ってると思うわ」
「ありがとうございます。それで、その……」
「うん?」
「お化粧とか髪型とか、相談に乗っていただけますか? ……今の流行とか、よくわからなくて」
恥を忍んでそう言うと、ルヴェナは「当たり前じゃない!」と上機嫌に頷き、ネアを鏡台の前に座らせるのだった。
§
出かける時間が近づき、ネアはそっと部屋を抜け出し階下へ向かった。
既にヴィルは準備を終えていたようで、カウンターの側でルヴェナと談笑している。
(う……なんか急にドキドキしてきた……)
部屋を出る前、鏡で何度もおかしなところがないか確認したはずなのに、最後の数段を残したところで聞こえてきたヴィルの声に、俄に緊張が高まる。
髪型は編み込みのハーフアップ。白いリボンで結んでいる。
顔には軽く白粉や頬紅も叩き、淡い色のリップも付けた。
ルヴェナが持ってきてくれた真珠をあしらったネックレスも付け、レースの靴下と紺の靴で足下も抜かりなく装った。
見苦しくない程度には身なりを整えられたはずだ。
が、ヴィルがどう反応するか考えるだけで鼓動が早くなる。
(だけど……女は根性ってお母さまも言ってたし……!)
何度か深呼吸を繰り返した末、意を決して階段を降りると、先にルヴェナが声を掛けてきた。
「あらぁ、ネアちゃん。ヴィルさん、ネアちゃん来たわよ~」
その声に釣られるようにヴィルが振り返り――そして、一瞬動きを止めた。
「……」
青灰色の目が軽く見開かれ、視線がネアの上で固定される。
もしかして、やっぱり似合っていなかっただろうか。
あまりにもまじまじと真顔で見つめられる物だから、不安になって視線を彷徨わせた、その時。
「いや、驚きました。……とてもお似合いです」
どこか呆けたような間を置いてから、ヴィルがぽつりとそう零した。
彼は目を細め、どこか眩しそうな表情をする。
「すごく可愛らしいですよ、ネアさん」
――ドッ。
胸の奥で、ひときわ大きな鼓動が鳴る。
頬、首筋、耳の先までもが火照りを訴え、ネアは少しでもその熱を冷まそうと、手で両頬を覆うことしかできなかった。
「よかったわねぇ、ネアちゃん。ほら、こっち来て、並んでみて」
伯母にやや強引に背を押され、ヴィルの隣へ促される。
並んでたつふたりを見て、伯母は満足そうに頷いた。
「うん! ふたりともお似合いよ~。服の色もぴったりね!」
先ほどは緊張のあまり彼の服装にまで気が回らなかったため、ネアは改めてヴィルに視線をやる。
今日のヴィルは、黒いシャツに濃紺のベストとスラックスという、落ち着いた装いだ。
シャツの胸元は少し開いており、軽く捲った袖口から覗く左手首には、革紐と銀細工のブレスレットが巻かれていた。
飾り気はほとんどないのに、不思議とヴィルの硬質な雰囲気によく似合っている。
彼の手首なんて、買い出し帰りや洗い物の際に見慣れているはず。それなのに今日は妙に意識してしまい、ネアは慌てて視線を逸らしてしまった。
「それじゃ、これ。こないだ言ってた引換券ね」
ルヴェナが差し出した引換券を、ネアは持っていたポシェットにしまい込む。
そろそろ、辻馬車がやってくる頃合いだ。
「いいこと、ヴィルさん。ネアちゃんと絶対はぐれないようにね。花火を見終えるまで、絶対に帰ってきちゃだめよ?」
表口から出かけるふたりを外まで見送りしながら、ルヴェナがしつこくヴィルに念押しする。
「はいはい、わかりました。行きましょう、ネアさん」
ヴィルは適当に返事をしながら、これ以上絡まれては大変だとばかりに、ネアの手を引いてさっさと停留所のほうへ歩き出す。
突然に手を握られ、ただでさえいっぱいいっぱいだったネアの恋心が、限界の軋みを上げ始めた。
「あの、ヴィルさん……」
「っすみません、歩くのが速かったでしょうか」
「いえ、そうではなくて、手を……」
言うなり、ヴィルがぱっとネアの手を離した。
彼は無言で両手をしばらく上げた後、絞り出すような声で言う。
「す、すみませんでした……。急に手を握ったりして、嫌でしたよね」
「いえ……っ! 少し驚いただけです! むしろ嬉しいと言いますか!」
誤解を解こうと必死になるあまり、またしても余計なことを言ってしまった気がする。
呆気にとられたようなヴィルの顔をそれ以上見ていられなくて、ネアは「行きましょう!」と無駄に元気に彼の先を歩き始めた。
停留所へ到着すると、ちょうど辻馬車が来たところだった。
「三区まで二名で」
「はいよ!」
御者との短いやりとりの後、ヴィルがネアへ手を差し出す。
「お手をどうぞ、レディ」
きっとその辺の男性が同じことをしても、気障になるか大仰になるだけだ。けれどその仕草は、なぜかしっくりとヴィルによく馴染んでいた。
(ヴィルさん、王子さまみたい……)
胸を高鳴らせながら、ネアはそっと、その手に自分の指先を重ねるのだった。




