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婚約者に捨てられた魔女です。このたびおじさま、拾いました。  作者: 八色 鈴


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17/33

17.日常が、戻ってきました

 その後――。

 ランベル子爵令息セルジュによる婦女誘拐及び暴行未遂事件は、思いのほかあっさりと幕を閉じた。


 あの日、ルヴェナとランベル子爵との間でどのような会話がなされたのか、ネアは一切知らない。

 しかし事件の翌日には、セルジュは正式に後継者の座を剥奪され、勘当を言い渡された。


 後継者問題はエレノールが婿を迎えるということで決着が付き、彼女もそれで納得しているらしい。

 あれほどヴィルに熱を上げていたエレノールが婿取りに前向きだなんて、なんだか信じられない気持ちだ。

 だが、兄の罪を前にして、彼女なりに何か心境の変化があったのかもしれない。


 一方、ネアが密かに恐れていた『琥珀亭のセレネアという女性が傷ものになった』という噂が広まることは、一切なかった。


 あの日、ネアがセルジュによって無理矢理連れ去られるところを見ていた者は決して少なくない。

 だが、ルヴェナは事件発覚のその日のうちに、関係者の口を徹底して塞いだらしい。


 その中には、まさかあの時誘拐された娘が、ルヴェナの姪だと知らぬ人間も多かっただろう。

 ともかくこの町で生きる者なら、ルヴェナの不興をあえて買うような愚かな真似をする者は決していない。


 事件そのものが完全に隠蔽されたわけではない。

 だが、ネアの名誉を傷つけるような噂だけは、不自然なほど綺麗に封じ込められていた。


 北部送りになっただとか、険しい鉱山で強制労働をさせられているだとか、はたまた矯正施設に入れられたらしいだとか――。

 姿を消したセルジュについて、町の人々は好き勝手に噂していた。


 もっとも、彼の行方を本気で気にする者など誰もいない。


 こうしてセルジュ・ランベルという男は、まるで最初から存在しなかったかのように、ネグリンから消え去ったのだった。


 ――ネアの身を案じるリーゼからの手紙が琥珀亭へ届いたのは、事件から三日後のことだった。


『ネアさん、体調はいかがですか? もしよかったら今度、お見舞いがてら琥珀亭にお顔を見に行きたいと思っています。ご迷惑でなければですが……』


 あの日、必死にネアを助けようとしてくれた彼女には、どれだけ感謝してもしきれない。

 ネアはすぐさま、心からの感謝を伝える返事を出した。

 最後に『今度の琥珀亭の定休日に、ぜひ遊びに来てください。ささやかですが、お礼をさせていただきたいんです』と付け加えて。


 そうして迎えた、定休日の昼下がり。


 ――カランカラン。


 ベルが軽やかな音を立て、来客を知らせる。

 扉から顔を覗かせた人物の姿に、ネアは思わず口元を綻ばせた。


「いらっしゃいませ、リーゼさん。お待ちしてました」 

「こんにちは。あの、本当にいいんですか? 定休日にお邪魔しちゃって……」


 客がひとりもいない店内を恐る恐るのぞき込み、リーゼが身体を縮こまらせる。


 給仕服にエプロンを身につけ、きびきびと店内を動き回っている時のリーゼは、年齢よりずっとしっかりして見えた。

 けれど、私服姿で遠慮がちに立つ今の彼女は、どこか年相応の愛らしい少女らしくて、ネアは思わず頬を緩める。


「もちろんです。リーゼさんには、本当にお世話になりましたから。むしろここまで来ていただいてすみません」

「そんな! 実は私、前から琥珀亭に行ってみたかったのですごく嬉しかったです。それに、ネアさんがお元気そうで本当によかった」

「はい、おかげさまで。さあ、こちらのテーブル席へどうぞ」


 いつまでも『お客さま』を立たせているわけにもいかない。日当たりのよいとっておきの席にリーゼを案内すると、彼女はおずおずと椅子に腰掛けた。

 そして、興味深そうに店内を見回す。


「すごくおしゃれなお店ですね。わたし、あんな素敵なランプ初めて見ました。あ、あっちの置物もおしゃれ……!」

「ありがとうございます。伯母のこだわりが詰まった内装なんです」

「それに、なんだかすごく良い匂いがします」


 すん、とリーゼが鼻を鳴らす。

 先ほどから厨房のほうでは、食器の触れ合う音や鍋がぐつぐつ煮える音が響いていた。


「ふふ、伯母さまったら、リーゼさんをここに呼ぶって聞いて張り切っちゃって。今、腕によりを掛けて美味しいシチューを作っているところなので、少しお待ちくださいね」

「嬉しい! わたし、シチュー大好きなんです」


 顔いっぱいに喜びを浮かべたリーゼが、ふと、視線をさまよわせる。


「そういえば、ヴィルさんはどちらに?」

「ああ、ヴィルさんなら今、ちょうど買い出しに――」


 ネアが答えかけた、その時だった。


 裏手の扉が開閉する音と共に、ヴィルの「遅くなってすみません」という声が聞こえてくる。


「ありましたよ、店長。香草店に最後の一束だけ残っていました」

「あらぁ、ありがとねヴィルさん。これがないと、いまひとつ味が締まらないのよぉ」

「いいえ、どういたしまして」


 厨房から姿を現したヴィルは、ネアの姿を見るなり穏やかに目を細めた。


「ただいま戻りました」

「お帰りなさい、ヴィルさん。今、ちょうどリーゼさんが来てくれたところです」

「ようこそ、リーゼさん。ゆっくりしていってくださいね」

「は、はい! ありがとうございます!」


 小さく頭を下げたヴィルは、再び厨房のほうへ戻っていく。

 その背中を見送った後、リーゼが張り詰めていた気持ちを解放するかのように、大きなため息をついた。


「リーゼさん?」

「びっくりした……。ヴィルさんて、あんな優しい顔もするんですね……?」

「え? ヴィルさんは大体いつもあんな感じですよ」


 きょとんとしながら答えるネアに、リーゼは衝撃を受けたかのように固まった。やがてネアの顔と、ヴィルが去って行った方向を見比べるように何度か視線を巡らせ――。


「なるほど! そういうこと(、、、、、、)だったんですね」


 ぽんっと両手を打ち合わせる。

 そういうことというのは、どういうことなのだろう。

 訳が分からず小首を傾げるネアに、リーゼはどこかうっとりとした、キラキラ光る眼差しを向けた。


「ネアさんとヴィルさんって、お付き合いされてるんですね!」


 リーゼの声が店内に響き渡ったその一瞬、店内から音という音が完全に消えた。

 直後。


 ――ガラガラガッシャーン!


 厨房のほうで皿が盛大に砕け散った音がする。

 一枚や二枚ではないだろう。


「ちょっとぉ、これお気に入りなのに!」

「す、す、す、すみません!」


 遅れて伯母の嘆く声と、珍しく慌てたヴィルの謝罪が聞こえてきた。


「……っち、違いますよ! わたしとヴィルさんはそういう関係じゃなくて……その、わたしの勝手な片思いというか……」


 万が一にも厨房に聞こえないよう小さな声で囁くと、リーゼが大きく目を見開いた後、声を張り上げる。


「ええーもったいない! ネアさんってこんなに美人で素敵なのに! ヴィルさんって枯れてるんですか!?」

「ちょっ、リーゼさん……」


 ――ガシャァン!!


 慌ててリーゼを制止しようとするなり、再び厨房から賑やかな音が響いてきた。


「ヴィルさん!? もう、ここはいいから二階で休んでて!」

「すみません、すみません……」


 弱々しい声と共に、階段を上がっていく足音が微かに聞こえてくる。

 ここ数日、店も忙しかったし疲れているのだろうか。


(後で何か滋養にいいものを作って持って行こう……)


 そんなことを考えていると、ふと、リーゼが「そうだ!」と声を上げた。

 彼女は自身の持ってきた鞄から一枚の紙を取り出すと、ネアに差し出す。


「花灯……祭?」


 紙の一番目立つ場所には、大きくそう記されていた。

 馴染みのない単語に首を傾げていると、リーゼが説明してくれる。


「これ、この前渡しそびれたんですけど、今度の月末に三区で開催されるお祭りです。夜店とか大道芸とか盛りだくさんだし、花の形をした照明で区画全体を彩ったり、すごく華やかなんですよ」

「それは、ぜひ見てみたいですね」

「そうでしょう!? うちもその日だけの限定メニューを出すので、ぜひぜひいらっしゃってください。あっ、もちろんヴィルさんと」 

「そ、それは……どうでしょうか。ヴィルさんにも都合があるでしょうし、そもそもわたしに誘われたって別に嬉しくもなんともないというか……」

 

 恥ずかしさをごまかすように言い訳しながら視線を逸らすと、リーゼがにっこりと笑う。


「いいんですか? 花灯祭って、恋が叶うお祭りだって有名なんですよ」

「こ、恋が叶うお祭り……?」

「はい! お祭りの最後に花火が打ち上がるんですけど、その花火に願いをかけると、願い事が叶うんだそうです。大体の若者が恋愛成就を願うことから、いつの間にか〝恋が叶うお祭り〟って呼ばれ始めたんだとか」


 好きな人と両思い。

 その言葉に、胸がどくんと高鳴る。


 花の灯りに彩られた夜の街。

 夜空へ打ち上がる花火。

 ヴィルと共にそれを楽しむ自分――。


 そんな光景を想像してしまった瞬間、ネアは慌てて頭を振った。


(な、何を考えてるの、わたし……!)


 勝手にヴィルを妄想の中に登場させてしまい、申し訳なさで頬が熱くなる。

 ちょうどその時、厨房から伯母の声が響いた。


「ネアちゃーん! シチューができあがったから持って行ってくれる~?」

「は、はい! すぐに行きます!」


 これ幸いにと、ネアは話題を打ち切って厨房へ向かう。

 シチュー皿を受け取る際、ルヴェナから「なんだか顔が赤いわよ?」と言われたけれど、店内が暑いということにしてごまかした。


 その後、リーゼは伯母の作った特製シチューとパンを食べ、ネアと共にカフェラテを飲みながら他愛もない話で盛り上がった。

 そうしてそろそろ帰ろうと椅子から立ち上がった彼女は、改めてネアに耳打ちする。


「当日までまだ時間があるので、じっくり考えてくださいね。わたし、ネアさんの恋を応援しますから!」

「お、応援って……」


 真っ赤になりながら呟くネアに、リーゼは楽しそうに手を振った。


「それではまた! 今日はごちそうさまでした」


 ――カランカラン。


 来た時と同じように軽やかなベルの音を残し、リーゼは帰っていく。

 静けさの戻った店内で、ネアはそっとチラシに目を落とした。


 恋が叶う祭り。

 好きな人と両思いになれる花火。


(もし、本当に願いが叶うのなら……)


 脳裏に浮かんだ銀髪の男性の姿に、ネアは慌てて首を振る。

 けれど胸の奥に灯った小さな熱は、簡単には消えてくれそうになかった。

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