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婚約者に捨てられた魔女です。このたびおじさま、拾いました。  作者: 八色 鈴


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15.冷え切った怒り

【前話を飛ばした方用・前回のあらすじ】

 セルジュの用意した部屋に囚われ、妙な薬まで飲まされ絶体絶命のネア。

 しかし危ういところでヴィルが斧で部屋の扉を破壊し、救出に来てくれた――。


 部屋へ踏み込んだ瞬間、ヴィルの視界に飛び込んできたのは、ネアに圧しかかるセルジュの醜悪な姿。


「ヴィル……さん……?」


 こぼれ落ちそうなほど目を大きく見開き、ネアがヴィルを呼ぶ。


 赤く腫れた頬。

 乱れた髪。

 太股までたくし上げられたワンピースの裾。

 そして、涙で潤んだ瞳。


 怯えきったネアの姿を見るなり、ヴィルの中で何かが音を立てて切れた。


「――ネアさんから離れろ」

「な、な、なんだお前! 一体なんでここに……っ」


 邪魔が入るとは夢にも思っていなかったのだろう。

 青ざめたセルジュが、無様に狼狽えながら寝台の下へ転げ落ちる。

 彼は緩めていたベルトをあたふたと締め直しながら、ヴィルの背後へ向かって声を上げた。


「おい、従者たち!! 何をしているんだ! 誰か、早くこいつを追い出――」

「……叫んでも誰も来ませんよ。少々、大人しくなって(、、、、、、、)もらいましたので」


 言いながら、ヴィルは部屋の隅に向かってぞんざいに斧を放る。

 床にぶつかりガシャンと派手な音を立てた瞬間、セルジュは怯んだように身を竦ませた。


「ひぃッ! お、お、大人しくって……っ。僕の従者に何をしたッ!?」

「あぁ……まさかあの斧で殺したとでも? 安心してください、殺しなんてしません。婦女誘拐及び暴行未遂事件に関する、大事な大事な証人ですから」


 淡々としたヴィルの言葉に、セルジュは訳がわからないという顔で一瞬黙り込んだ。

 そして。


「僕はっ! 領主の息子だぞ!! ランベル子爵令息なんだぞッ!! お前達のような下民と違って高貴で敬われるべき存在なんだ! 平民女ひとり手籠めにしたところで何が悪い!!」


 唾を飛ばし、顔を真っ赤にしながら下劣な言い訳を繰り出す。


「……なるほど?」


 ヴィルは静かに頷いた。

 それを、己の言い分に対する肯定だとでも勘違いしたのだろう。

 セルジュが薄ら笑いを浮かべながら、鼻の穴を膨らませる。


「わかったか! わかったなら、さっさとここから出て――」

「〝ネアさんを好きだから口説いている〟……という体裁を取り繕うこともやめたか、この下衆が」

「なっ……!? じ、次期領主に対してなんて口のきき方を……っ。貴様、不敬罪で牢にぶち込んでやるッ!! 罪人の焼き印を押し、舌を切り取った上で北部の収容所へ送り込んでやるからなァ!!」


 目を白黒とさせ声を荒らげる姿は、人間というよりもはや言葉の通じぬ怪物のようだった。


「……不敬?」


 喉から、低く押し出すような声が落ちる。

 自分でも、恐ろしいほどに冷え切った声だと思ったほどだ。

 その声を向けられたセルジュにとって、それはいかほどの響きだっただろうか。


「女性を誘拐し、無理矢理押さえつけ、暴力を振るった男が、随分と立派な言葉を知っている」

「きっ、さまぁぁぁぁぁ! この僕を、コケにしやがって!!」


 よほど自尊心を傷つけられたのだろう。額に青筋を浮かべたセルジュが懐から短剣を取り出し、鞘から抜く。

 ぎらりと鈍い光を放つ刃をこれ見よがしに見せつけながら、セルジュは歪な笑みを浮かべた。


「斧を手放したことを後悔するんだな! 死ねぇぇぇっ!!」

「ヴィルさん、危ない――っ!!」


 まっすぐにヴィルへ向かって突進するセルジュを見て、ネアが叫び声を上げる。

 短剣と素手――普通であれば、危機的状況に多少の恐怖を覚えるのかもしれない。

 だが、ヴィルの頭は信じられないほどに冷え切っている。


 短剣を振りかぶり襲いかかってくるセルジュの姿が、まるで児戯のように緩慢に見えた。


 脇の開き。

 重心の偏り。

 単調すぎる踏み込み。

 そして刃が振り下ろされる軌道までもが、手に取るようにわかった。


 ――ドッ!


 手甲でセルジュの腕を払った瞬間、鈍い衝突音が室内に響く。

 セルジュの手から短剣が弾き飛ばされ、床を滑って部屋の隅へ転がった。


「な、な、なぁ……」


 何が起こったかすぐに理解できないのか、セルジュの視線が転がった短剣と、自身の手のひらを忙しなく行き来する。

 やがて彼の鈍い頭が状況をようやく理解できた頃。

 セルジュは目前に立ちはだかるヴィルの顔を見上げるなり、その場に腰を抜かした。


 両手の関節を雑に鳴らしながら、ヴィルは短くネアに声を掛ける。


「ネアさん。――少しの間、目と耳を塞いでいただけますか? 大丈夫。そうですね……魔法式の計算でもしていてください。すぐに終わらせます」


 ネアが指示に従ったのを確認するなり、ヴィルは床についたセルジュの右手を無造作に踏みつけた。


「――ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 骨が砕ける音。

 一拍遅れて、耳障りな悲鳴。


 踏まれた右手を庇うように抱え込みながら、セルジュは無様に床の上を転げ回った。


「いだい、いだいいだいいだい!! ぎゃぁぁぁぁぁ!!」

「……痛い?」


 ヴィルはセルジュを見下ろした。

 もはやヴィルにとって、この男は害虫以下の存在でしかなかった。


「お前がネアさんに与えた恐怖と苦痛は、この程度のものではないぞ」

「ひっ――! ゆるじ……っ、ゆるじでぐだざい! 金ならいぐらでもはらう、だがらっ……」


 濁った耳障りな声が命乞いを紡ごうとする。

 全てを言い終える前に、ヴィルはセルジュの顔面へ拳を容赦なく叩き込んだ。

 鈍い音と共にセルジュの身体が大きく仰け反り、折れた歯が床に転がる。


 それでもヴィルは攻撃の手を休めなかった。

 続けざまに二撃目の拳が、セルジュの鳩尾へ突き刺さる。


「がっ……!?」


 空気を吐き出すような声を漏らした直後、セルジュの身体から力が抜ける。

 そのまま糸の切れた操り人形のように崩れ落ちると、彼は白目を剥いたまま動かなくなった。


 口から血の混じった泡を吐いてはいるが、死んではいない。

 ただ少なくとも、自慢の鼻筋が元に戻ることはないだろう。


「……ネアさん、終わりましたよ」


 完全に失神したセルジュに背を向け、ヴィルは寝台で目と耳を塞いだまま縮こまるネアに声を掛ける。

 気配でヴィルの接近に気づいたのだろう。

 ネアは目をゆっくりと開き、恐る恐る耳の覆いを解く。


「立てますか?」


 ヴィルはネアに向かってそっと手を差し伸べた。

 しかし、ネアはびくりと怯えたように身を竦める。


「――あ、ご、ごめんなさい。ちが、違うんです……。わたし、そんなつもりじゃ……」


 無理矢理笑おうとする姿も、かたかたと全身を震わせる様も、あまりにも痛々しい。 

 ヴィルは伸ばしかけた手を握りしめ、静かに引いた。


「……ええ。わかっています。だから、無理に笑わなくていいんです」

「ヴィルさん……」

「私は部屋のすぐ外にいます。ネアさんも、落ち着いたら――」


 ネアに背を向け、部屋の外に向かおうとしたその時だった。


 ――ドサリ。


 背後でネアが倒れる音がした。


「ネアさん!?」


 慌てて振り向き、ネアの顔を覗き込む。


「っ……う……」


 荒い呼吸。

 赤く火照った顔。

 目は潤み、意識は朦朧としている。


(あの男……何を飲ませた!?)


 熱を測るため、額に触れる。


「や……っ」


 指先に熱くしっとりとした肌の手触りを感じた瞬間、ネアが甘い声を零しながら身をよじった。


 その反応だけで、ヴィルは悟った。

 セルジュがネアに飲ませた薬の性質を。


 ――媚薬。

 それも、恐らくかなり質の悪い部類だ。


 身体そのものに害はない。

 だが、欲情と快楽だけを異常なほど増幅させ、飲んだ者を徹底的に苦しめる。

 あまりの苦痛に理性を失う者も多く、違法な尋問や拷問に使われることさえある劇薬だった。


 なぜ自分がそんな薬の性質を知っているのか。

 一瞬だけ脳裏にそんな疑問がよぎり、ヴィルは頭を振ってその考えを追いやる。


(今はどうでもいいことだ。だが、まさかこんな物を使うとは……)


 全身から血の気が引く。

 呼吸を荒らげるネアの身体は熱く、薄く開いた唇からは苦しげな吐息が漏れていた。

 この状態を少しでも楽にする方法を、ヴィルはひとつだけ知っていた。

 けれど、そこから先を考えることを理性が拒絶する。


(しかし――どうすれば……)


 焦燥がヴィルの胸を焼いた、その時だった。


「ヴィル様! 解毒剤です!!」


 壊れた扉の向こうから、エレノールが息を切らしながら駆け込んできた。

 先刻ヴィルをこの離れへ案内した時と同じく、その顔は青ざめている。


「エレノール様……。どこでこれを?」

「兄が先日、怪しげな商人から買い求めていたのを見つけて……。わたくし念のため同じ商人から、解毒剤を売ってもらっていたんです」


 エレノールは床で伸びているセルジュに一旦目をやると、寝台で荒い呼吸を繰り返すネアを見る。


「今度ネア……さんに使うつもりだって……。だから……。ごめんなさい……」


 エレノールの声は、今にも消え入りそうだった。

 だが、今は彼女を慰めている場合ではない。

 おずおずと差し出された小瓶を素早く受け取り、その蓋を開ける。


「ネアさん、解毒剤です。飲んでください」


 小瓶の口をネアの半開きの唇へ押し当てた。

 しかし解毒剤は彼女の喉を一滴も通ることなく、唇の端から零れ落ちていく。


 ヴィルは鋭く息を呑んだ。

 朦朧としたネアは、もはや自力で薬を飲める状態ではなかった。


「――エレノール様」


 短い逡巡の末、ヴィルはエレノールに声を掛ける。


「……少し、こちらに背を向けていていただけますか?」

「っ!」


 ヴィルが何をするつもりか察したのだろう。

 心配そうに様子を伺っていたエレノールが、一瞬泣きそうに顔を歪めた後、無言で背を向ける。


「……失礼します。ネアさん、少しだけ我慢してください」


 掠れた声でそう告げると、ヴィルは一度だけ目を閉じる。

 そして解毒剤を自ら口に含み、熱に浮かされたネアの唇へ触れた。


「ん……っ」


 流し込んだ液体を嚥下しようと、ごくりとネアの白い喉が上下する。

 何かを探すように彷徨っていた彼女の手が、縋り付くようにヴィルのシャツの胸元を強く掴んだのに気づいた瞬間。


(……もっと)


 そんな衝動が一瞬だけ脳裏を掠め、ヴィルはそんな己に息を呑んだ。


(何を考えている)


 今この状況で、恐怖と薬に苦しむ彼女を前に。

 湧き上がりかけた感情を、力尽くで押し殺す。


 彼女が解毒剤を飲み下したのを確認し、ヴィルはそっと彼女から離れた。


「エレノール様。ありがとうございます」


 背後の少女に声を掛ける。

 返事はなかった。ただ、泣いている気配だけが伝わってきた。

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