12.ストーカーに、攫われました
三区にある魔法道具修理店で無事に刻印板を受け取ったネアは、その後、まっすぐ琥珀亭に帰ることにした。
ルヴェナから預かったポーチには、明らかに修理代より多めの金額が入っていたが、さすがにこれでアクセサリーやらお菓子を買うのは申し訳ない。
(帰ったら伯母さまにお礼と……。それから、ヴィルさんにもちゃんと謝らないと)
伯母の励ましのおかげもあり、気分もだいぶ軽くなった。
今なら、素直にヴィルと向き合えそうな気がする。
刻印板の入った包み紙を鞄に大切にしまい、辻馬車の停留所へ向かう。ちょうど小鳥と木苺の菓子工房の前を通りかかると、昨日の女性店員が店の窓を拭き掃除しているところに出くわした。
「あっ、こんにちは!」
店員がネアに気づくなり笑顔で頭を下げる。
「こんにちは」
挨拶を返しながら、ネアは通行人の邪魔にならないよう店の側へ寄った。
「昨日はありがとうございました。お菓子、すごく美味しかったです。相手の方にも、とても喜んでいただけて……」
「それはよかったです。うちのお菓子は、父さん――いえ、シェフの自信作ばかり並べていますから」
破顔して気が緩んだのか、ついうっかりと言った様子で店員がそう漏らす。
慌てて言い直すさまが微笑ましくて、ネアも思わず笑顔になった。
「シェフの娘さんだったんですね」
「はい、リーゼと申します。こちらの古い方言で〝さくらんぼ〟って意味らしいです」
照れたように、リーゼが自己紹介する。
王都ではあまり聞かない名前だが、なんとも菓子店の娘に相応しい、可愛らしい響きの名前だ。
「わたしはセレネアと言います。大体の人からは、ネアと呼ばれていますけど……」
「それじゃ、私もネアさんってお呼びしていいですか?」
「もちろんです。わたしもリーゼさんとお呼びしますね」
「わ、嬉しい!」
口元をほころばせたリーゼが、そのまま少し遠慮がちに話を続ける。
「あの、間違ってたら申し訳ないんですが、ネアさんってこの辺りの方じゃないですよね」
「そう、ですけど……。どうしてわかったんですか?」
「だって全然訛ってないですし、なんだかこの辺の人たちと違ってすごく立ち居振る舞いに品があるというか……」
そんなことを言われたのは初めてで、ネアは驚いてしまう。
ネアが男爵令嬢だったのは六歳までのこと。いつも魔法塔でも『貧乏くさい』だの『庶民的』だのと馬鹿にされており、自分でも周囲の華やかな同僚と比べ、そんなものかと納得していたほどだ。
「昨日初めてお店に入っていらっしゃった時、なんて綺麗な方なんだろうって思ってたんです」
「ほ、褒めすぎですリーゼさん」
「そんなことありませんって! 昨日なんて、厨房の人たちみんな〝すごい美人のお客さん来た!〟ってざわざわして、シェフに〝集中しろ!〟って怒られてましたもん」
「や、やめてください……! なんだかすごく恥ずかしいです……!」
貶されることには慣れていても、褒められることに慣れてはいない。
リーゼのキラキラした眼差しに嘘やお世辞の色はなく、だからこそ余計居たたまれなくなってしまう。
「そうだ! ネアさんは、普段この辺にお勤めなんですか? もしよかったら、今度月末の日曜に――」
リーゼが何事かを言おうとした、その時だった。
「よお、ネア。こんなところで合うなんて奇遇だな。お使いか?」
喜ばしくない声が、背後から聞こえてきた。
振り向くと、供の者を連れたセルジュがニヤニヤしながらネアのほうを見つめている。
「――セルジュさま」
まさか外出先で彼に遭遇するとは、嬉しくない偶然だ。
隣にいるリーゼの様子を伺うと、彼女もまた緊張に顔を強ばらせている。恐らくセルジュは普段から、琥珀亭がある五区だけではなく他の地区でも横暴に振る舞っているのだろう。
身を固くしていると、セルジュがゆっくりとネアのほうに歩みを進めてきた。
彼はネアの周囲を気にする様子を見せた後、どこか安心したように笑う。
「今日は、あの下男は一緒じゃないのか」
「以前も申し上げましたが、ヴィルさんは下男ではありません。失礼な物言いはやめてください」
「ははっ、やけにあのオヤジに肩入れするじゃないか。まさかあいつのこと、好きなわけじゃないよなぁ?」
「っ!」
こんなつまらない男に自分の感情を見抜かれたことが屈辱で、ネアの頬がかっと熱を持つ。
言葉を詰まらせ頬を赤くしたネアを見て、セルジュは呆気にとられた様子だった。まさか自分の発した軽口が真実だとは、考えもしていなかったようだ。
「は? え、嘘だよな。いやだってありえないだろ、あんなオヤジがネアと恋愛なんて、気色悪――」
「わっ、わたしの片思いです! ヴィルさんは何も知りません!」
たとえセルジュの勝手な思い込みだとしても、ヴィルを悪く言われるのは耐えられなかった。
声を張り上げて反論すると、セルジュは鼻白んだように肩をすくめる。
「本気かよ。趣味悪っ。だいたいあのクソ下男、あれから僕が琥珀亭に行く度に追い返しやがって――」
「……え」
「なんだ、知らなかったのか? 可哀想になあ、ネア。僕との逢瀬を勝手に邪魔されて、腹立つよなぁ」
そんなこと、全く知らなかった。
でも確かにそう言われてみれば、近頃ヴィルは琥珀亭の開店中、よく出入り口付近で待機していたように思う。
自分の預かり知らぬところでヴィルに守られていた事実に、一瞬言葉を失う。
そんなネアの様子を、セルジュは自分に都合のいいように受け取ったようだ。
「やっぱり! 君も僕と同じ気持ちだったんだな。でも、今日ここで会えたってことは運命は僕たちの味方ってことだ。さあネア、行こう」
「行こうって、どこへ――」
「もちろん、僕の屋敷に決まってるだろ。もう君を迎える準備は整ってるんだぜ。散々邪魔は入ったけど、君も待ち遠しかっただろう」
ぐい、と手を引っ張られ、ネアは混乱する。
一体これまでの会話のどこをどう解釈したら、ネアがセルジュの屋敷に行くのを待ち遠しく思っていた――なんて勘違いができるのか。
「離してください……!」
なんとかセルジュから逃れようとした。しかし抵抗するたび余計に拘束が強まり、手首を締め上げられる苦痛に顔が歪んでしまう。
「遠慮するなよ。君はあんな小さな喫茶店で一生を終えていい女じゃない。僕の元で愛人として、美しく微笑んでいるべきだ」
「――あ、あの! ネアさん嫌がってます。やめてあげてください……!」
それまで怯えた表情で成り行きを見守っていたリーゼが、それでも勇気を振り絞ったように震えながら声を上げる。
だが、そんなリーゼをセルジュはまるで虫けらを見るような冷たい眼差しで睨みつけた。
「なんだ、お前は。菓子屋の娘ごときが、領主の息子であるこの僕に意見するなんて――店がどうなっても構わないんだろうな?」
「っ、リーゼさんを脅すのはやめてください!」
「ああ、ごめんよネア。僕と君の仲を邪魔されたのが嫌で、ついついムキになってしまった」
ふぁっさ、とセルジュが空いた方の手で自身の前髪を掻き上げる。
きっとヴィルが同じことをしたらさぞかし眼福だろう。しかし相手がセルジュというだけで、その癖ひとつとっても、吐き気がするほどに気持ち悪いと感じてしまう。
「お前達、ネアに例の物を」
「はっ」
セルジュに命じられた供の男たちが、つかつかとネアに近づいてくる。
――カチャリ。
冷たい音と感触に視線を向けると、両手首に金色の腕輪が嵌まっていた。その瞬間、身体から力が抜け落ちるような感覚が走る。
「っ……!?」
「――君は魔法士の資格を持っているんだろう? 五級とはいえ、その力を使われたら厄介だからな。少し、封印させてもらう」
「セルジュさま、あなたは――」
その発言で、ネアは初めて気づいた。
セルジュは、本気でネアと想い合っているなどと思っているわけではない。
そうでなければ、魔力封じの腕輪を嵌めようなどと考えるはずがない。
セルジュにとって、ネアの意思など最初からどうでもよかったのだ。
好かれているかどうかではない。
自分が望めば、相手も従うのが当然。
ただ、それだけだった。
「さあ、無駄話はこの辺にして、早く僕たちの愛の巣へ行こう。――お前達、ネアを馬車に」
「かしこまりました」
反撃の手段を封じられたネアが、もはや複数の男たちに抵抗する術はない。
瞬く間に従者たちによって羽交い締めにされ、身動きをとれなくされてしまう。
騒ぎを耳にした人々が遠目から様子を伺っているが、領主の息子と知ってネアを助けようとする者は誰一人としていなかった。
「いやっ、やめて……!」
「ネアさんをどこに連れていくんですか! 彼女を離して――」
「うるさい! 邪魔者は引っ込んでろ!」
唯一助けてくれようと駆け寄ったリーゼを、セルジュが鬱陶しそうに振り払う。
「きゃぁっ!」
「リーゼさん!」
倒れたリーゼを一瞥することもなく、セルジュは小鳥と木苺の菓子工房に背を向けた。
「行くぞ」
その言葉を合図に、従者たちがネアの口元に布を当てる。
鼻を刺すような、甘ったるい匂い。
急速に遠のいていく意識の中、ネアの脳裏に浮かんだのは――。
(ヴィルさん……)
彼の優しい笑顔だった。




