第7話 【承③】前
〇
「おい、おい……起きろ。起きろ、サキ」
「……ふがっ」
低く、抑えた声に目を覚ます。
夢の底を引きずりながら、アタシはゆっくり目を開ける。
「……全く。大いびきをかいて寝やがって。寝る前は誇りだ名誉だと言っていたくせに。初仕事の前にお前みたいなのは初めて見た。豪胆というのか? ……本当に貴族なのか」
徐々に覚醒する意識。
汚い裏路地。昼間から聞こえていた下卑た笑い声。1つだけのベッド。
目の前の灰銀髪の大男。
ああ、そうだ。任務、仕事だったな。
「……ん」
光の方、窓の外を見る。
完全な闇ではない。窓の外から、夜の薄い青が差している。
昼間はあれほど汚らしく見えた部屋も、今は輪郭だけが静かに沈んでいた。
ぼんやりした頭を、シンからの言葉が強制的に覚醒させる。
「服を脱げ」
「なっ」
反射的に、毛布を身体に引き寄せる。
「や、やはり、貴様、そういう目的で……」
シンは、はぁ、とため息をつき、ばさり、と何かを毛布の上に放りながら言った。
「勘違いするな。着替えるんだ」
見ると、シンの着ているものと同じような、黒に近い紺色の革のような上下揃いの服だった。
小さめで、アタシのサイズに合わせてある。
「……最初からそう言え。おい、着替えるからこちらを見るな」
「わかっている。うるさいな」
そういうとシンは部屋の隅へ行き、背を向けた。
一応、コイツなりの精一杯の気遣いらしい。
用意された服を着る。革の手袋も。
動いて擦れても音がほとんどしない。
「それで、これだ」
着替えたのを見計らい、シンがこちらへ、1本の棒状の物を手渡してきた。
鞘に入った剣。長さはアタシの腕くらい。腰に巻く帯革も合わせて。
重量の重心が手元に近く、狭い場所で抜きやすそうな長さだ。
「ショートソードか」
「初めて会った時に、もっと長い剣を使っていたな。ある程度できるのは知っている。慣れぬ得物だろうが、我慢しろ」
「……長さが多少違うだけだ。心配するな」
『ある程度できる』。
その剣はまったく通じずに、コイツに叩きのめされたのだが、存外評価は悪くない気がする。
帯革を巻き、ショートソードを腰に装備する。
「『試し』を入れろとフェルナーに言われていた――つまり、新人がどれだけやれるか、情報を少なくして当たらせろ、と。――が、……好かん。任務へは真摯に当たるべきだ。オレの知る情報を与える。心配するな。ある程度実力は見せてもらいたいが、お前が使えないやつでも、オレがなんとかする」
「ふん。頼もしいことだ」
……軽く嫌味をこめて言ったものの、そう言えるだけの剣の腕があるのは知っている。
シンは、アタシの嫌味に取り合わず話を始めた。
「『忘れ虫』というのを知っているか?」
「ああ。記憶を盗むと言われているが、実際には紙や帳面に残された記録を好んで喰う虫だろう。喰うだけならまだいい。だが、喰った跡を隠すために、元の文面や物体そのものを少し変えた形で繋いでしまう。一見しただけでは気づかぬほど自然に。帳簿の改竄なんかの不正や犯罪に使われる、あまり良い虫ではなかったはずだ」
蚊が血を吸うだけでは済まぬのと同じで、『忘れ虫』もただ喰うだけでは終わらない。
正確には虫に似た、半ば契約存在のようなものだが、害をなす有害生物としては十分だ。
王国でも、それを使った犯罪がたびたび起き、規制対象になっている。
我が家にはおそらく縁がないだろうが、存在くらいは知識にある。
「その『忘れ虫』を手に入れるのが今夜の任務だ。町はずれの商人の家に侵入する」
「……妙な物を欲しがるんだな。侵入とは……犯罪ではないのか」
「フェルナーが急ぎだと言っていた。まあ、我が組織の管轄にあるべきものではあるな。契約存在としての位はそこまで高くないが、希少ではある」
任務の話になると、少しだけ、シンの口調は堅くなった気がする。
得体のしれない男なのに、妙な頼もしさすら感じる。
「警備がいるだろう?」
「厳戒だと聞いている。詳しいことは、見てからだ。会っても、なんとかなる。……その前に、お前は何ができる? 剣は悪くない。他は? 火の魔法を器用に使うのも見せてもらった。先ほどの家政婦めいた魔法は……戦闘向けではないな」
「魔法は……基礎は出来る」
「基礎というと……」
「地水火風の四大属性魔法、その基礎なら全て出来る。唱えられるという意味でだが」
ローゼンヴァルトの家で厳しく鍛えられたものだ。
初等部でもアタシより出来る者はいないし、毎晩魔力を鍛え上げてもいる。
応えると、シンは顎に手をやり、少し、考え込むようにした。
「……基礎だけか。四属性を全て使えるのは、中々珍しいが、基礎だけではとても戦力とはな……。厳しいが、まあオレの横にいればなんとかなるか。剣もあれくらいやれれば、護身なら十分だろう」
「私ばかり情報を開示させられるのは、我慢ならん。貴様は何ができるんだ?」
「身体と……武器で出来ることは大概出来る。徒手も剣も……長柄も棍も釵も、ひととおり。魔法は使えないから期待するな」
「む……」
魔法の火球4連を、剣で切り裂く男の言う『ひととおり』だ。
少なくとも、守る必要は無いのだろう。
と、シンはもう一度、口を開いた。
「ああ。期待しないが、訊いておく。人を殺した経験は?」
「……ローゼンヴァルト領では、罪人に救済を与えるのは、領主の家の役目だ」
〇
軽く、必要なこと――合図、引くときの手はず、声を出せない場合の手振り、等々――を話され、宿を発つ。
……窓から。
『そのための前払い』とのことだ。
出入りを、逐一見とがめぬための金でもあるらしい。
窓は狭いが、シンの大きな体でも通るには足りた。
先に出たシンが、音もなく狭い裏路地に着地し――3階だぞ――、見上げて、手を広げる。
飛び込んで来い、との意図を感じた。手を借りるのは嫌だったので、別な場所へアタシも飛んで、魔力でほんの少しだけ身体を浮かせ、着地する。
服と一緒に渡されたブーツは、靴裏が弾力のある、謎の素材で出来ている。
学院で履いていた革靴のように、カツカツと音を立てたりはしない。
夜の空気は冷たく、湿っていた。なんとなくだが、日は変わっていそうな雰囲気がある。
昼間は吐き気すら催した路地の臭気も、闇の中ではいくらか薄れている。
消えたわけではない。腐りかけた生ごみも、汚泥も、下水も、夜気に溶けただけで、確かにそこにある。
シンは何も言わず、細い裏路地を進む。
アタシもその後を追った。
夜の街は、昼とは別な顔をしている。
表通りにはまだ灯りがあり、酔っぱらいの笑い声や、女を呼ぶ甲高い声が遠く聞こえる。
だが、裏は静かなものだ。
閉ざした窓。軒下に積まれた空樽。時たま、元気のない野良犬。
人の気配は薄い。水の下へ潜っているように。
何度か角を折れ、汚れた裏町を抜ける。
やがて道幅は少しずつ広くなり、建物の壁も石造りへ変わった。
路地の臭いも弱まり、代わって、夜露に濡れた庭木と土の匂いが混じりはじめる。
貧民街と富裕区は、壁で切り分けられているわけではない。
ただ、空気は確かに変わった。
手入れの行き届いた石畳。整った塀。窓ごとに規則正しく灯る控えめな明かり。
今日の目的地は王国ではない、とシンは言った。ただ、路面や建築様式を見れば、見知った物ばかり。
文化圏は共通のようだ。
シンが足を止めた通りの先。
高い塀に囲まれた屋敷があった。
建物そのものは夜に沈み、その輪郭しか見えないが、敷地の広さだけはいやでもわかる。
外から見える限り、門番や警備の姿はない。
だが、2階の一室にだけ灯りが残り、庭の奥にはときおり人影が動いた。
警備は外で見せるより、中で待たせる形らしい。
「希少な物でも、外に見張りはいないんだな」
「立たせれば目立つ。何かありますと知らせるようなものだからな。それを嫌っているんだろう」
低く言って、シンは塀と屋敷の間の暗がりを眺める。
アタシも目を凝らした。
庭木は多い。
正面から見れば整えられた趣味の良い庭なのだろうが、夜の闇の中では、身を隠す影の塊にしか見えなかった。
犬の気配はない。
その代わり、庭の奥を横切る影は一定の間隔で現れる。巡回だ。
「見えたか」
「ああ。2人だが……見えるところにそれなら、中にはもう少しいるんだろう?」
応えに、シンは頷く。
「存外わかっているようだ。厳戒警備の情報。それに、明かりの点いている部屋が多いのに、窓際から人が見えない。待機していると見て間違いなさそうだ」
なるほど、と心の中でだけうなずく。
こういう時、シンは無駄がない。
「どうするんだ?」
「裏から入れば、それで良いだろう」
シンは言って、壁沿いの暗がりへ身を滑らせる。
アタシも後を追う。
屋敷の横手。
塀は高いが、よじ登れぬほどではない。
ただし、音を立てないほうが良さそうだ。
使える魔法の詠唱を始めるか逡巡した時、シンが背負う麻袋の角度をずらした。
そのまま、シンは壁を走り、這うように飛んだ――いや、見慣れぬ動きがそう見えた。
壁の継ぎ目に手をかけた。
次の瞬間には、長い腕で塀の縁を掴み、そのまま体を引き上げている。
跳ねたのでも、よじ登ったのでもない。片手懸垂の延長のような、あまりに静かな動きだった。
大きな体のくせに、気配が軽い。
塀の上へ着いた時も、石が鳴る音はほとんどしなかった。
――化け物だ。ローゼンヴァルトの一族の中にも、魔力も使わずにこんなことが出来る者はいるだろうか。
「ほら」
小声で言い、塀の上から前傾し、こちらに片腕を伸ばしてくる。
動きに圧倒され、それに従い、軽く飛ぶ。
こちらをしっかりとつかむ腕。不安定な場所なのに、軽々と引き上げられる。
宿屋であのまま襲われなくて本当に良かった。そんな妙な安堵をアタシは覚える。
〇
「しまった」
木々の間をぬって庭を横切り、塀から屋敷に取り付く。
外周を回り、裏口か何かの侵入口を探っていたところ、シンが短くそうつぶやいた。
目の前には2人の巡回の警備。外から見るよりも、巡回は多かったのだろう。
鉢合わせたらしい。
「なっ、なんだ、お前ら!」
慌てる2人組相手に、シンは今にも飛び掛からんと、早くも腰のロングソードに手を掛けている。
応援を呼ばれては面倒、と判断したか。
「待て」
まずやることがあるだろう、とアタシはシンを片手で制し少し前に出る。
名乗りもせずに要件を済ませる者があるか。
「ん?」
戸惑うシンに構わず、 すう、と息を吸い込んだ。
そのまま、深夜の静寂を切り裂かん、と雷のごとき名乗りを。
「謎の組織『完全なる秩序』と、我が家の名に於いて! 私、ヴェルザ――ぐわっ」
バキッ、と。
シンの裏拳が横から飛んできて、アタシは軽く吹っ飛んだ。
「何をする!」
「名乗りを上げる泥棒がどこにいる」
シンが冷たく見下ろしている。
「泥棒だと!? 私が泥棒であるものか! 『忘れ虫』を取りに来たんだろう? 我らの管轄にあるべきもの、だと言っていたではないか。警備に遭っても、なんとかなると。正々堂々、持っていくと言えばよい」
「確かに言ったが、今の所有権はこの家の主にある。こっそり持ち去るんだよ」
「ん?」
「ん?」
あっけに取られる警備2人を前に、アタシとシンは顔を見合わせる。
……所有権が向こうで、こっそり持ち去る……?
この家の主が持ち主……?
「……ええっ! ……泥棒ではないか! 犯罪だぞ!」
「だから、そう言ってるだろ。向こうから見ればそういうことになる。心配するな。ここはお前の国じゃない」
平然と、シンは言ってのける。
バカな……。いつの間にか犯罪行為の片棒とは……。
アタシの国でないと言われても、泥棒はどこの国でも犯罪だろう。
だが、それが生き抜くための条件なら、やるしかない。契約で縛られた身に選択肢は無いのだ。
「応援を呼ばれる前にさっさとやるぞ」
「待て、待て待て待て」
それでも、アタシは飛びかからんとするシンを止める。
目の前にいるのは、金で雇われただけのただの警備だろう。
貴様が斬りかかったら、最悪殺してしまうじゃないか。
そこまですることはあるまい。
「どうするんだ?」
「目と耳をふさいでいろ。感覚がおかしくなっても知らないぞ」
こちらへ疑問を投げるシンに答え、短く呪文の詠唱を開始する。
「――『夜告霧』」
アタシの右手を中心に、夜の闇よりも濃く、暗い、漆黒の霧が発生し、辺りを包み込んだ。
闇はどんどん広がり、屋敷全体を包み込む。明かりが漏れていた窓も、瞬く間に闇の霧に包まれる。
「なっ――」
戸惑う警備たちの声はすぐに聞こえなくなった。闇の中で声を上げてはいるだろう。
『夜告霧』は漆黒の、感覚を奪う魔法だ。
その効果範囲では、視覚を中心に、五感のほとんどが遮断される。欠点は、術者にも周りの様子が分からなくなることだが、魔法自体が知られていなければ対処は難しい。声を上げても他人には届かない。漆黒に吸い込まれるその声は、自分の耳にすら、返ってこない。
ここからが本番だ。
アタシは霧を発生し続ける右手をそのまま維持し、左手を掲げる。
集中し、ゆっくり呪文の詠唱を開始した。
「――『妖精の囁き』」
力ある言葉とともに、『夜告霧』の漆黒の霧の中に、睡眠欲を刺激する、霧を混ぜてやる。
光があるところならピンク色にきらめく霧で、とても目立つ。魔法を知る者には、まず対策されて通じない。
だが、五感を奪う漆黒の霧の中なら話は別だ。何が起こるか知らぬ者は、夢の彼方へ。
たっぷりと、館全体に、少なくとも人のいそうな辺りへ行き渡るよう、長く霧を保つ。行き渡るように、長い時間をかけて。
――2つの魔法を同時使用は、集中力が必要で疲れる。夜の冷気の中に、汗が少し滲んだ。
「……ふう。こんなものか」
館全体を、あらかた無力化した後で、霧を止め、アタシは呟く。
霧を晴らした後には、倒れて眠りこける2人の警備。
おそらく、館の中も同じ状況だと推察できる。
装備に金は掛けていなさそうな連中だ。高位の護符など持っていても少数だろう。
――あ。
シンを忘れていた。目と耳をふさぐように言ったが、睡眠避けの護符でもなければ、とてもそれでは間に合うまい。
おそるおそる、隣を振り返る。
「……驚いたな。まだ何も見えない感覚が残っているみたいだ」
……平然と、話しかけてくる灰銀髪の大男。
何らかの護符かタリスマンでも持っていたのだろうか。
「貴様、なぜ起きている」
「感覚のなくなる闇、黒い霧か? そっちの方は驚いた。話に聞いたことはあるが、見るのは初めてだ。途中から、眠くなる何かを混ぜていたな。……状態異常には多少の耐性がある。気合で耐えた」
……少しだけ、プライドが傷ついた。
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