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抗い 結ぶ  作者: すら氏
第1章「ネズミは闇夜に溶けはしる」
8/23

第7話 【承③】前

 〇


「おい、おい……起きろ。起きろ、サキ」


「……ふがっ」


 低く、抑えた声に目を覚ます。

 夢の底を引きずりながら、アタシはゆっくり目を開ける。


「……全く。大いびきをかいて寝やがって。寝る前は誇りだ名誉だと言っていたくせに。初仕事の前にお前みたいなのは初めて見た。豪胆というのか? ……本当に貴族なのか」


 徐々に覚醒する意識。

 汚い裏路地。昼間から聞こえていた下卑た笑い声。1つだけのベッド。

 目の前の灰銀髪の大男。

 ああ、そうだ。任務、仕事だったな。


「……ん」


 光の方、窓の外を見る。

 完全な闇ではない。窓の外から、夜の薄い青が差している。

 昼間はあれほど汚らしく見えた部屋も、今は輪郭だけが静かに沈んでいた。

 ぼんやりした頭を、シンからの言葉が強制的に覚醒させる。

 

「服を脱げ」


「なっ」


 反射的に、毛布を身体に引き寄せる。


「や、やはり、貴様、そういう目的で……」


 シンは、はぁ、とため息をつき、ばさり、と何かを毛布の上に放りながら言った。


「勘違いするな。着替えるんだ」


 見ると、シンの着ているものと同じような、黒に近い紺色の革のような上下揃いの服だった。

 小さめで、アタシのサイズに合わせてある。


「……最初からそう言え。おい、着替えるからこちらを見るな」


「わかっている。うるさいな」


 そういうとシンは部屋の隅へ行き、背を向けた。

 一応、コイツなりの精一杯の気遣いらしい。

 用意された服を着る。革の手袋も。

 動いて(こす)れても音がほとんどしない。


「それで、これだ」

 

 着替えたのを見計らい、シンがこちらへ、1本の棒状の物を手渡してきた。

 (さや)に入った剣。長さはアタシの腕くらい。腰に巻く帯革も合わせて。

 重量の重心が手元に近く、狭い場所で抜きやすそうな長さだ。


「ショートソードか」

 

「初めて会った時に、もっと長い剣を使っていたな。ある程度できるのは知っている。慣れぬ得物だろうが、我慢しろ」


「……長さが多少違うだけだ。心配するな」


 『ある程度できる』。

 その剣はまったく通じずに、コイツに叩きのめされたのだが、存外評価は悪くない気がする。

 帯革を巻き、ショートソードを腰に装備する。


「『試し』を入れろとフェルナーに言われていた――つまり、新人がどれだけやれるか、情報を少なくして当たらせろ、と。――が、……好かん。任務へは真摯(しんし)に当たるべきだ。オレの知る情報を与える。心配するな。ある程度実力は見せてもらいたいが、お前が使えないやつでも、オレがなんとかする」


「ふん。頼もしいことだ」


 ……軽く嫌味をこめて言ったものの、そう言えるだけの剣の腕があるのは知っている。

 シンは、アタシの嫌味に取り合わず話を始めた。


「『忘れ虫』というのを知っているか?」


「ああ。記憶を盗むと言われているが、実際には紙や帳面に残された記録を好んで喰う虫だろう。喰うだけならまだいい。だが、喰った跡を隠すために、元の文面や物体そのものを少し変えた形で繋いでしまう。一見しただけでは気づかぬほど自然に。帳簿の改竄(かいざん)なんかの不正や犯罪に使われる、あまり良い虫ではなかったはずだ」

 

 蚊が血を吸うだけでは済まぬのと同じで、『忘れ虫』もただ喰うだけでは終わらない。

 正確には虫に似た、半ば契約存在のようなものだが、害をなす有害生物としては十分だ。

 王国でも、それを使った犯罪がたびたび起き、規制対象になっている。

 我が家にはおそらく縁がないだろうが、存在くらいは知識にある。


「その『忘れ虫』を手に入れるのが今夜の任務だ。町はずれの商人の家に侵入する」


「……妙な物を欲しがるんだな。侵入とは……犯罪ではないのか」


「フェルナーが急ぎだと言っていた。まあ、我が組織の管轄にあるべきものではあるな。契約存在としての位はそこまで高くないが、希少ではある」


 任務の話になると、少しだけ、シンの口調は堅くなった気がする。

 得体のしれない男なのに、妙な頼もしさすら感じる。

 

「警備がいるだろう?」


「厳戒だと聞いている。詳しいことは、見てからだ。会っても、なんとかなる。……その前に、お前は何ができる? 剣は悪くない。他は? 火の魔法を器用に使うのも見せてもらった。先ほどの家政婦めいた魔法は……戦闘向けではないな」


「魔法は……基礎は出来る」


「基礎というと……」


「地水火風の四大属性魔法、その基礎なら全て出来る。唱えられるという意味でだが」


 ローゼンヴァルトの家で厳しく鍛えられたものだ。

 初等部でもアタシより出来る者はいないし、毎晩魔力を鍛え上げてもいる。

 応えると、シンは顎に手をやり、少し、考え込むようにした。


「……基礎だけか。四属性を全て使えるのは、中々珍しいが、基礎だけではとても戦力とはな……。厳しいが、まあオレの横にいればなんとかなるか。剣もあれくらいやれれば、護身なら十分だろう」


(わたくし)ばかり情報を開示させられるのは、我慢ならん。貴様は何ができるんだ?」


「身体と……武器で出来ることは大概出来る。徒手も剣も……長柄も棍も(さい)も、ひととおり。魔法は使えないから期待するな」


「む……」

 

 魔法の火球4連を、剣で切り裂く男の言う『ひととおり』だ。

 少なくとも、守る必要は無いのだろう。

 と、シンはもう一度、口を開いた。

 

「ああ。期待しないが、訊いておく。人を殺した経験は?」


「……ローゼンヴァルト領では、罪人に救済を与えるのは、領主の家の役目だ」


 〇


 軽く、必要なこと――合図、引くときの手はず、声を出せない場合の手振り、等々――を話され、宿を発つ。

 ……窓から。

 『そのための前払い』とのことだ。

 出入りを、逐一見とがめぬための金でもあるらしい。


 窓は狭いが、シンの大きな体でも通るには足りた。

 先に出たシンが、音もなく狭い裏路地に着地し――3階だぞ――、見上げて、手を広げる。

 飛び込んで来い、との意図を感じた。手を借りるのは嫌だったので、別な場所へアタシも飛んで、魔力でほんの少しだけ身体を浮かせ、着地する。

 服と一緒に渡されたブーツは、靴裏が弾力のある、謎の素材で出来ている。

 学院で履いていた革靴のように、カツカツと音を立てたりはしない。


 夜の空気は冷たく、湿っていた。なんとなくだが、日は変わっていそうな雰囲気がある。

 昼間は吐き気すら催した路地の臭気も、闇の中ではいくらか薄れている。

 消えたわけではない。腐りかけた生ごみも、汚泥も、下水も、夜気に溶けただけで、確かにそこにある。


 シンは何も言わず、細い裏路地を進む。

 アタシもその後を追った。


 夜の街は、昼とは別な顔をしている。

 表通りにはまだ灯りがあり、酔っぱらいの笑い声や、女を呼ぶ甲高い声が遠く聞こえる。

 だが、裏は静かなものだ。

 閉ざした窓。軒下に積まれた空樽。時たま、元気のない野良犬。

 人の気配は薄い。水の下へ潜っているように。


 何度か角を折れ、汚れた裏町を抜ける。

 やがて道幅は少しずつ広くなり、建物の壁も石造りへ変わった。

 路地の臭いも弱まり、代わって、夜露に濡れた庭木と土の匂いが混じりはじめる。


 貧民街と富裕区は、壁で切り分けられているわけではない。

 ただ、空気は確かに変わった。

 手入れの行き届いた石畳。整った塀。窓ごとに規則正しく灯る控えめな明かり。

 今日の目的地は王国ではない、とシンは言った。ただ、路面や建築様式を見れば、見知った物ばかり。

 文化圏は共通のようだ。


 シンが足を止めた通りの先。

 高い塀に囲まれた屋敷があった。

 建物そのものは夜に沈み、その輪郭しか見えないが、敷地の広さだけはいやでもわかる。

 外から見える限り、門番や警備の姿はない。

 だが、2階の一室にだけ灯りが残り、庭の奥にはときおり人影が動いた。

 警備は外で見せるより、中で待たせる形らしい。

 

「希少な物でも、外に見張りはいないんだな」


「立たせれば目立つ。何かありますと知らせるようなものだからな。それを嫌っているんだろう」


 低く言って、シンは塀と屋敷の間の暗がりを眺める。

 アタシも目を凝らした。


 庭木は多い。

 正面から見れば整えられた趣味の良い庭なのだろうが、夜の闇の中では、身を隠す影の塊にしか見えなかった。

 犬の気配はない。

 その代わり、庭の奥を横切る影は一定の間隔で現れる。巡回だ。


「見えたか」


「ああ。2人だが……見えるところにそれなら、中にはもう少しいるんだろう?」


 応えに、シンは頷く。


「存外わかっているようだ。厳戒警備の情報。それに、明かりの点いている部屋が多いのに、窓際から人が見えない。待機していると見て間違いなさそうだ」


 なるほど、と心の中でだけうなずく。

 こういう時、シンは無駄がない。


「どうするんだ?」


「裏から入れば、それで良いだろう」


 シンは言って、壁沿いの暗がりへ身を滑らせる。

 アタシも後を追う。


 屋敷の横手。

 塀は高いが、よじ登れぬほどではない。

 ただし、音を立てないほうが良さそうだ。

 使える魔法の詠唱を始めるか逡巡した時、シンが背負う麻袋の角度をずらした。

 そのまま、シンは壁を走り、這うように飛んだ――いや、見慣れぬ動きがそう見えた。

 壁の継ぎ目に手をかけた。

 次の瞬間には、長い腕で塀の縁を掴み、そのまま体を引き上げている。

 跳ねたのでも、よじ登ったのでもない。片手懸垂の延長のような、あまりに静かな動きだった。


 大きな体のくせに、気配が軽い。

 塀の上へ着いた時も、石が鳴る音はほとんどしなかった。

 ――化け物だ。ローゼンヴァルトの一族の中にも、魔力も使わずにこんなことが出来る者はいるだろうか。


「ほら」


 小声で言い、塀の上から前傾し、こちらに片腕を伸ばしてくる。

 動きに圧倒され、それに従い、軽く飛ぶ。

 こちらをしっかりとつかむ腕。不安定な場所なのに、軽々と引き上げられる。

 宿屋であのまま襲われなくて本当に良かった。そんな妙な安堵をアタシは覚える。


 〇


「しまった」


 木々の間をぬって庭を横切り、塀から屋敷に取り付く。

 外周を回り、裏口か何かの侵入口を探っていたところ、シンが短くそうつぶやいた。

 目の前には2人の巡回の警備。外から見るよりも、巡回は多かったのだろう。

 鉢合わせたらしい。


「なっ、なんだ、お前ら!」


 慌てる2人組相手に、シンは今にも飛び掛からんと、早くも腰のロングソードに手を掛けている。

 応援を呼ばれては面倒、と判断したか。


「待て」

 

 まずやることがあるだろう、とアタシはシンを片手で制し少し前に出る。

 名乗りもせずに要件を済ませる者があるか。


「ん?」


 戸惑うシンに構わず、 すう、と息を吸い込んだ。

 そのまま、深夜の静寂を切り裂かん、と雷のごとき名乗りを。

 

「謎の組織『完全なる秩序』と、我が(いえ)の名に()いて! (わたくし)、ヴェルザ――ぐわっ」


 バキッ、と。

 シンの裏拳が横から飛んできて、アタシは軽く吹っ飛んだ。


「何をする!」


「名乗りを上げる泥棒がどこにいる」


 シンが冷たく見下ろしている。


「泥棒だと!? (わたくし)が泥棒であるものか! 『忘れ虫』を取りに来たんだろう? 我らの管轄にあるべきもの、だと言っていたではないか。警備に()っても、なんとかなると。正々堂々、持っていくと言えばよい」


「確かに言ったが、今の所有権はこの家の主にある。こっそり持ち去るんだよ」


「ん?」


「ん?」


 あっけに取られる警備2人を前に、アタシとシンは顔を見合わせる。

 ……所有権が向こうで、こっそり持ち去る……?

 この家の主が持ち主……?


「……ええっ! ……泥棒ではないか! 犯罪だぞ!」


「だから、そう言ってるだろ。向こうから見ればそういうことになる。心配するな。ここはお前の国じゃない」


 平然と、シンは言ってのける。

 バカな……。いつの間にか犯罪行為の片棒とは……。

 アタシの国でないと言われても、泥棒はどこの国でも犯罪だろう。

 だが、それが生き抜くための条件なら、やるしかない。契約で縛られた身に選択肢は無いのだ。


「応援を呼ばれる前にさっさとやるぞ」


「待て、待て待て待て」


 それでも、アタシは飛びかからんとするシンを止める。

 目の前にいるのは、金で雇われただけのただの警備だろう。

 貴様が斬りかかったら、最悪殺してしまうじゃないか。

 そこまですることはあるまい。


「どうするんだ?」


「目と耳をふさいでいろ。感覚がおかしくなっても知らないぞ」


 こちらへ疑問を投げるシンに答え、短く呪文の詠唱を開始する。


「――『夜告霧(ナイト・ヴェール)』」


 アタシの右手を中心に、夜の闇よりも濃く、暗い、漆黒の霧が発生し、辺りを包み込んだ。

 闇はどんどん広がり、屋敷全体を包み込む。明かりが漏れていた窓も、瞬く間に闇の霧に包まれる。


「なっ――」

 

 戸惑う警備たちの声はすぐに聞こえなくなった。闇の中で声を上げてはいるだろう。

 『夜告霧(ナイト・ヴェール)』は漆黒の、感覚を奪う魔法だ。

 その効果範囲では、視覚を中心に、五感のほとんどが遮断される。欠点は、術者にも周りの様子が分からなくなることだが、魔法自体が知られていなければ対処は難しい。声を上げても他人には届かない。漆黒に吸い込まれるその声は、自分の耳にすら、返ってこない。

 ここからが本番だ。

 アタシは霧を発生し続ける右手をそのまま維持し、左手を掲げる。

 集中し、ゆっくり呪文の詠唱を開始した。


「――『妖精の囁きフェアリィ・ウィスパー』」


 力ある言葉とともに、『夜告霧(ナイト・ヴェール)』の漆黒の霧の中に、睡眠欲を刺激する、霧を混ぜてやる。

 光があるところならピンク色にきらめく霧で、とても目立つ。魔法を知る者には、まず対策されて通じない。

 だが、五感を奪う漆黒の霧の中なら話は別だ。何が起こるか知らぬ者は、夢の彼方へ。

 たっぷりと、館全体に、少なくとも人のいそうな辺りへ行き渡るよう、長く霧を保つ。行き渡るように、長い時間をかけて。

 ――2つの魔法を同時使用は、集中力が必要で疲れる。夜の冷気の中に、汗が少し(にじ)んだ。


「……ふう。こんなものか」


 館全体を、あらかた無力化した後で、霧を止め、アタシは呟く。

 霧を晴らした後には、倒れて眠りこける2人の警備。

 おそらく、館の中も同じ状況だと推察できる。

 装備に金は掛けていなさそうな連中だ。高位の護符など持っていても少数だろう。

 

 ――あ。

 シンを忘れていた。目と耳をふさぐように言ったが、睡眠避けの護符でもなければ、とてもそれでは間に合うまい。

 おそるおそる、隣を振り返る。


「……驚いたな。まだ何も見えない感覚が残っているみたいだ」


 ……平然と、話しかけてくる灰銀髪の大男。

 何らかの護符かタリスマンでも持っていたのだろうか。

 

「貴様、なぜ起きている」


「感覚のなくなる闇、黒い霧か? そっちの方は驚いた。話に聞いたことはあるが、見るのは初めてだ。途中から、眠くなる何かを混ぜていたな。……状態異常には多少の耐性がある。気合で耐えた」

 

 ……少しだけ、プライドが傷ついた。


 〇

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