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抗い 結ぶ  作者: すら氏
第1章「ネズミは闇夜に溶けはしる」
7/22

第6話 【承②】後

 〇


 仕事。そういうことか。契約存在の回収が多いとは言われたが、確かに、今日の任務か仕事がそれだとは聞いていない。

 つまり今日、この安宿で、部屋にアタシを連れ込もうとする大男の相手をしろと、そういうことなのだろう。

 

 うっすらと、覚悟はしていた。

 得体の知れない組織に(さら)われ、虜囚(りょしゅう)の身である。

 そういうことになっても、おかしくは無いのだ。

 それでも、いざ目の前にすると、脚が震える。

 こんな清潔感の欠片も無い安宿で、ダニかシラミにまとわりつかれながら、安い宿付けの娼婦か、訪問娼婦を抱くように、雑にアタシの貞操は奪われるのだ。

 第三王子の許嫁。順位は低くても王位継承権もある。堅苦しいとは聞くが、ここに来るよりはずっと幸せな契りを、純白のそれを夢見なかったわけではない。これでも乙女である。

 それでも、お前は所詮こんなものだ、と現実が告げてくる。


「どうした、早く入れ」


 とん、と。

 軽くシンが肩を押す。


「あ、あっ……」

 

 どさり、と。

 ほんの少し押された、それだけで、震えた脚がもつれて、部屋の床にアタシは、膝から崩れ落ちた。


「何をしている」


 低く、冷たく、暗い声が頭の後ろから降ってくる。

 がちゃり、と。扉が閉められた。

 思わず、床に倒れたまま振り返る。

 扉を背に、こちらを見下ろす大男の威圧感は強い。今にもアタシを食い殺す猛獣のように感じられた。

 両肩を自ら抱き、守るような姿勢に腕が勝手に動く。


「た、頼む……」


「ん?」


 見下ろす視線は冷たいというより、ひどく面倒そうだった。眉間に深い皺が寄っている。

 恐ろしさに、思わず視線を落とし――そうだ、目の前の男が心底恐ろしい――、床を見ながらアタシは言った。

 抵抗は無意味だ。縛る契約があり、そもそもそれが無かったとしても、目の前の男はアタシより強い。

 

「初めてなのだ。か、覚悟はしている。できれば、丁寧に……」


 ――震える声で言いながら、そこで、胸に残った誇りの欠片が、矜持を思い出させる。

 土壇場でこそ、魂の本質は出る。アタシは今、どう在るべきかを問われている。

 ローゼンヴァルトの長子として、ここで見せるべきは、ガタガタ震える、無力な村娘のような姿か?

 

 ――(いな)


「――――ぐっ」


 奥歯を噛みしめ、アタシは震える脚を引き寄せる。

 そのまま脚を組んで座り直し、胡坐(あぐら)を組んで背筋を伸ばす。

 両の拳を脚の付け根に置き、吠える。


(けが)したければ、汚すが良い! だが、覚えておけ。今から貴様が汚すのは、王国で最も古く、最も強い家の名誉と誇り……」


 そこまで言い、脳裏に、家の弟妹や両親の顔が浮かんだ。

 すまない、ここでアタシは終わりだ。

 国母になる目もうっすらあった、アタシの最大の財産。貞操。これが奪われては、婚約などとてもではないが、そのままとは思えない。

 それはつまり。

 

「……そして、奪うのは未来だ! いいか、このような辱め、ローゼンヴァルトは決して忘れん。恥は必ず(そそ)いで見せる。覚えておけ!」


 こちらを見て、声も出せぬ灰銀髪の大男を威嚇するように。

 ローゼンヴァルトらしく、そう、いかなる時も誇り高くアタシは告げる。


「いつか、そう、いつの日か。必ず(わたくし)の手で、静けき岸辺へ送ってやる! 彼方で己を省みるが良い!」


 そこまで言って、言いきった安堵に胸が包まれ、何かがこみあげてくる。


「ひっ……ひぐっ……ぐうううっ……父様、母様、申し訳ありません……うっ……ううっ……」


 感情を、嗚咽を制御できない。

 目を瞑って、視界が消え、泣き声が漏れる。

 口元で歯がガチガチと音を立て、胡坐を組んだ足も、拳も小刻みに震える。

 肩に、大男の手が置かれた感触があった。


「ひいっ……」


 情けない声が漏れた。

 しかし、いつまで経っても、そのまま動きがない。


 おそるおそる、濡れた目を開ける。

 目の前にあったのは、欲情でも獰猛(どうもう)さでもなく、眉間に(しわ)を刻み、心底わけがわからないという顔をした灰銀髪の大男だった。


「……お前は、何を言っているんだ?」


 〇

 

「わ、(わたくし)をだ、抱くのだろう? き、貴様のような下賎な者にとっては、貴族の子女である(わたくし)の体は、さささ、さぞ魅力的に映るだろうな。本来なら、触れることさえ許されぬのだ!」


 震えながら、それでも精一杯の強がりとともに返す。

 大男は、ふう、と一声ため息をつくと言った。

 

「誰が、お前なんかを抱くか」


「へ?」


 涙で上擦った、間抜けな声が宙に浮く。


「ここへ来たのは、あくまで任務への待機のためだ」


「な、そうやって(わたくし)の心を(ほぐ)す、油断させる腹積もりだろう。そうだ、試す、だとか、試し、と言っていたな。女を物のように扱って、試すような真似をする輩がいるとは聞いたことがある…………」


「あるわけないだろ。『試し』というのは、任務の内容を土壇場で教えて、それへの即応性を見るだけだ。だいたい……」


 そこまで言って、シンは床に座り込んだアタシを足先から頭まで一度見下ろした。

 鼻でふ、と笑い飛ばすようにして言った。


「男に抱かれるよりも、ママに抱かれる方が似合う歳じゃないか」


「なっ……ななななな」


 侮辱に、頬が一気に熱くなる。

 シンは、アタシの怒りに気づかず、なんでもないかのように言った。

 

「お前、昨日リタと話しただろう。どう思った? あの子だって女だぞ」


 言われて、懸命に働く炊事場の、くすんだ金髪と青い瞳を思い出す。

 将来は美人になるかもしれないが……。

 

「いや……まだ子供じゃないか。女ではない。あの子を女として見る男などいるわけないだろう」


「オレには、お前も大して変わらん」


「――――――っ!」


 があん、と。

 頭を殴られた気がする。この場で貞操を奪われる心配は、どうやらなさそうだ。

 だが、それは同時に、アタシに別の大きな屈辱を突きつけてもきた。

 ……男であれば、誰もが欲しがるであろうこのアタシの体を、その辺の子供と変わらぬとは。


「それにな、仮にお前が子供でないとしても、泣きわめく女は嫌いだ。抱けるか。大体、いちいち言葉が回りくどくてかなわん」


「うぬ、ぐな、ぐぬぬぬぬ……」


 言い返したいのだが、恥辱に、ろれつが上手く回らず、妙な歯噛みをしてしまう。

 この男、寡黙で何を考えているかわからぬ男と思ったが、喋らせると、それもこちらの神経を苛立たせてくる。

 

「わかったら、もう寝てしまえ。仕事は夜だ」


 シンは、肩に置いた手を、ぽん、と軽く叩くようにする。

 いつの間にか体の震えは止まっていた。

 

「ぐ~ぬ、ぐ~ぬ、ふぬぬぬぬぬぬ……」


 屈辱を飲み込み、アタシは立ちあがる。

 が、気になる点はまだあった。

 

「ベッドは1つしかないぞ? どうするんだ?」


「俺は(ゆか)で良い。ベッドは子供が使え」


「ぐっ……。子供扱いするんじゃない! それに、(わたくし)は貴族だ。貴様のような庶民が床で寝ているというのに、ベッドを使えるものか!」

 

「うるさいガキだな。庶民を(しいた)げるのが貴族だろ」


「我がローゼンヴァルトは、そんな教育を受けていない。下劣な貴族と同じにするな!」


「オレの知っている貴族はそうだ。黙ってベッドを使え」


「うぬ……」


 決めつけるような言葉に腹が立つ。

 だが、ここでさらに言い争っても、言い負かされるだけな気もした。


 シンはロングソードを外すと、壁の近くの床に横にして置いた。

 外套を脱ぐと、壁を背に床へ座り込み、それを毛布代わりにしてくるまった。

 外套の下、ブーツの紐を少し緩めたように見える。

 ロングソードはいつでも抜ける位置にある。


「……」


 無言で、ちら、とこちらを見て、顎でベッドを指す。

 取り付く(しま)もない。

 ベッドを見る。古びた寝台は臭く、痛んだ布団にも寝心地は期待できそうになかった。このまま寝たら、体のあちこちを虫に刺されるだろう。

 アタシは(ひざまず)き、ベッドに向かい、『洗浄』と『消毒』を中心にいくつかの魔法をかける。

 ぼふ、と。

 軽く弾力を取り戻した寝具から、熱を持った空気が漏れ出て、それなりの見栄えになった。


「……ほう」


 背後から、シンが感心したように呟く。

 こちらの動きを、見張ってはいるらしい。

 

「便利なものだな。今度オレの布団にもかけてくれ」


「夫でもない男の寝室になど、誰が入るか」


 後ろを振り返らずに言って、靴と靴下を脱ぎ、ベッドに入る。

 こんな野卑な男に見守られたまま、眠れるものか。

 緊張から、目はずっと冴えたままだった。


 ――意識が落ちるまで。


 〇

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