第6話 【承②】後
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仕事。そういうことか。契約存在の回収が多いとは言われたが、確かに、今日の任務か仕事がそれだとは聞いていない。
つまり今日、この安宿で、部屋にアタシを連れ込もうとする大男の相手をしろと、そういうことなのだろう。
うっすらと、覚悟はしていた。
得体の知れない組織に攫われ、虜囚の身である。
そういうことになっても、おかしくは無いのだ。
それでも、いざ目の前にすると、脚が震える。
こんな清潔感の欠片も無い安宿で、ダニかシラミにまとわりつかれながら、安い宿付けの娼婦か、訪問娼婦を抱くように、雑にアタシの貞操は奪われるのだ。
第三王子の許嫁。順位は低くても王位継承権もある。堅苦しいとは聞くが、ここに来るよりはずっと幸せな契りを、純白のそれを夢見なかったわけではない。これでも乙女である。
それでも、お前は所詮こんなものだ、と現実が告げてくる。
「どうした、早く入れ」
とん、と。
軽くシンが肩を押す。
「あ、あっ……」
どさり、と。
ほんの少し押された、それだけで、震えた脚がもつれて、部屋の床にアタシは、膝から崩れ落ちた。
「何をしている」
低く、冷たく、暗い声が頭の後ろから降ってくる。
がちゃり、と。扉が閉められた。
思わず、床に倒れたまま振り返る。
扉を背に、こちらを見下ろす大男の威圧感は強い。今にもアタシを食い殺す猛獣のように感じられた。
両肩を自ら抱き、守るような姿勢に腕が勝手に動く。
「た、頼む……」
「ん?」
見下ろす視線は冷たいというより、ひどく面倒そうだった。眉間に深い皺が寄っている。
恐ろしさに、思わず視線を落とし――そうだ、目の前の男が心底恐ろしい――、床を見ながらアタシは言った。
抵抗は無意味だ。縛る契約があり、そもそもそれが無かったとしても、目の前の男はアタシより強い。
「初めてなのだ。か、覚悟はしている。できれば、丁寧に……」
――震える声で言いながら、そこで、胸に残った誇りの欠片が、矜持を思い出させる。
土壇場でこそ、魂の本質は出る。アタシは今、どう在るべきかを問われている。
ローゼンヴァルトの長子として、ここで見せるべきは、ガタガタ震える、無力な村娘のような姿か?
――否!
「――――ぐっ」
奥歯を噛みしめ、アタシは震える脚を引き寄せる。
そのまま脚を組んで座り直し、胡坐を組んで背筋を伸ばす。
両の拳を脚の付け根に置き、吠える。
「汚したければ、汚すが良い! だが、覚えておけ。今から貴様が汚すのは、王国で最も古く、最も強い家の名誉と誇り……」
そこまで言い、脳裏に、家の弟妹や両親の顔が浮かんだ。
すまない、ここでアタシは終わりだ。
国母になる目もうっすらあった、アタシの最大の財産。貞操。これが奪われては、婚約などとてもではないが、そのままとは思えない。
それはつまり。
「……そして、奪うのは未来だ! いいか、このような辱め、ローゼンヴァルトは決して忘れん。恥は必ず雪いで見せる。覚えておけ!」
こちらを見て、声も出せぬ灰銀髪の大男を威嚇するように。
ローゼンヴァルトらしく、そう、いかなる時も誇り高くアタシは告げる。
「いつか、そう、いつの日か。必ず私の手で、静けき岸辺へ送ってやる! 彼方で己を省みるが良い!」
そこまで言って、言いきった安堵に胸が包まれ、何かがこみあげてくる。
「ひっ……ひぐっ……ぐうううっ……父様、母様、申し訳ありません……うっ……ううっ……」
感情を、嗚咽を制御できない。
目を瞑って、視界が消え、泣き声が漏れる。
口元で歯がガチガチと音を立て、胡坐を組んだ足も、拳も小刻みに震える。
肩に、大男の手が置かれた感触があった。
「ひいっ……」
情けない声が漏れた。
しかし、いつまで経っても、そのまま動きがない。
おそるおそる、濡れた目を開ける。
目の前にあったのは、欲情でも獰猛さでもなく、眉間に皺を刻み、心底わけがわからないという顔をした灰銀髪の大男だった。
「……お前は、何を言っているんだ?」
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「わ、私をだ、抱くのだろう? き、貴様のような下賎な者にとっては、貴族の子女である私の体は、さささ、さぞ魅力的に映るだろうな。本来なら、触れることさえ許されぬのだ!」
震えながら、それでも精一杯の強がりとともに返す。
大男は、ふう、と一声ため息をつくと言った。
「誰が、お前なんかを抱くか」
「へ?」
涙で上擦った、間抜けな声が宙に浮く。
「ここへ来たのは、あくまで任務への待機のためだ」
「な、そうやって私の心を解す、油断させる腹積もりだろう。そうだ、試す、だとか、試し、と言っていたな。女を物のように扱って、試すような真似をする輩がいるとは聞いたことがある…………」
「あるわけないだろ。『試し』というのは、任務の内容を土壇場で教えて、それへの即応性を見るだけだ。だいたい……」
そこまで言って、シンは床に座り込んだアタシを足先から頭まで一度見下ろした。
鼻でふ、と笑い飛ばすようにして言った。
「男に抱かれるよりも、ママに抱かれる方が似合う歳じゃないか」
「なっ……ななななな」
侮辱に、頬が一気に熱くなる。
シンは、アタシの怒りに気づかず、なんでもないかのように言った。
「お前、昨日リタと話しただろう。どう思った? あの子だって女だぞ」
言われて、懸命に働く炊事場の、くすんだ金髪と青い瞳を思い出す。
将来は美人になるかもしれないが……。
「いや……まだ子供じゃないか。女ではない。あの子を女として見る男などいるわけないだろう」
「オレには、お前も大して変わらん」
「――――――っ!」
があん、と。
頭を殴られた気がする。この場で貞操を奪われる心配は、どうやらなさそうだ。
だが、それは同時に、アタシに別の大きな屈辱を突きつけてもきた。
……男であれば、誰もが欲しがるであろうこのアタシの体を、その辺の子供と変わらぬとは。
「それにな、仮にお前が子供でないとしても、泣きわめく女は嫌いだ。抱けるか。大体、いちいち言葉が回りくどくてかなわん」
「うぬ、ぐな、ぐぬぬぬぬ……」
言い返したいのだが、恥辱に、ろれつが上手く回らず、妙な歯噛みをしてしまう。
この男、寡黙で何を考えているかわからぬ男と思ったが、喋らせると、それもこちらの神経を苛立たせてくる。
「わかったら、もう寝てしまえ。仕事は夜だ」
シンは、肩に置いた手を、ぽん、と軽く叩くようにする。
いつの間にか体の震えは止まっていた。
「ぐ~ぬ、ぐ~ぬ、ふぬぬぬぬぬぬ……」
屈辱を飲み込み、アタシは立ちあがる。
が、気になる点はまだあった。
「ベッドは1つしかないぞ? どうするんだ?」
「俺は床で良い。ベッドは子供が使え」
「ぐっ……。子供扱いするんじゃない! それに、私は貴族だ。貴様のような庶民が床で寝ているというのに、ベッドを使えるものか!」
「うるさいガキだな。庶民を虐げるのが貴族だろ」
「我がローゼンヴァルトは、そんな教育を受けていない。下劣な貴族と同じにするな!」
「オレの知っている貴族はそうだ。黙ってベッドを使え」
「うぬ……」
決めつけるような言葉に腹が立つ。
だが、ここでさらに言い争っても、言い負かされるだけな気もした。
シンはロングソードを外すと、壁の近くの床に横にして置いた。
外套を脱ぐと、壁を背に床へ座り込み、それを毛布代わりにしてくるまった。
外套の下、ブーツの紐を少し緩めたように見える。
ロングソードはいつでも抜ける位置にある。
「……」
無言で、ちら、とこちらを見て、顎でベッドを指す。
取り付く島もない。
ベッドを見る。古びた寝台は臭く、痛んだ布団にも寝心地は期待できそうになかった。このまま寝たら、体のあちこちを虫に刺されるだろう。
アタシは跪き、ベッドに向かい、『洗浄』と『消毒』を中心にいくつかの魔法をかける。
ぼふ、と。
軽く弾力を取り戻した寝具から、熱を持った空気が漏れ出て、それなりの見栄えになった。
「……ほう」
背後から、シンが感心したように呟く。
こちらの動きを、見張ってはいるらしい。
「便利なものだな。今度オレの布団にもかけてくれ」
「夫でもない男の寝室になど、誰が入るか」
後ろを振り返らずに言って、靴と靴下を脱ぎ、ベッドに入る。
こんな野卑な男に見守られたまま、眠れるものか。
緊張から、目はずっと冴えたままだった。
――意識が落ちるまで。
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