第5話 【承① 故郷は遠く 夜は深く】
〇
「っ……」
仰向けに寝かせられ、天井を向いた状態で目が覚めた。
見えたのは、黒っぽい木の板で出来た平たい天井。
寝ているのは壁際のベッドの上。上質ではないが粗末でもない、清潔なシーツ。薄い服の上から、カバーの無い毛布がかけられている。
目を動かすだけで確認する。横も黒っぽい木で出来た壁。寝かされる方向の辺が、アタシの歩幅で4歩、もう1辺が6歩ほどの長方形の部屋。
寝かされているベッド以外に、1人用の机と椅子が1つずつ。
採光用の窓がベッドの上に見える。角度的に外は見えないが、差しこむ光は明るい。現在は昼間のようだ。
窓と反対側に出入口が1つ。扉は開け放たれている。
「づっ……つつつつつ」
体のあちこちからズキズキと痛みがする。着ているものは、上下とも布製の服だろうか。粗末な物ではない。運動をするときの学院の練習着とそう変わりはない。
息を殺して、シーツの下でそっと自分の体に触れる。拘束はない。
胸も腹も腕も脚も、包帯が巻かれている。顔も引きつるように突っ張った。ところどころ、貼りつけた布の感触まである。
皮膚が裂け、全身から血が噴いたあの痛みを思い出す。
意識の無い間に、手当をされ、服まで替えられている。
……婦女子の身を同意なく改めるとは。
首を動かして、周りに誰もいないのと、開け放たれている扉の向こうにも人の気配が無いのを確認する。問題なさそうだ。
天上を向いて寝たまま、魔力を慎重に集め、全身に通す。
ゆっくり、慣れない自己治癒魔法の呪文詠唱を始める。
「……再生」
包帯の下、熱いような、むず痒いような、自分の身体が変質する感覚に襲われる。
見えず、慣れない魔法で不安ではあるが、壊された皮膚や血管を中心に、急速に傷が回復しているはずだ。
見えないのは、敵からも確認できないということで、悪いばかりでもない。
全快とはいかないまでも、ひととおり、全身を回復させた気配がある頃、開け放たれた扉の方から声がした。
「起きたか」
首だけでそちらを見る。まだ戦闘能力を取り戻したことを悟られたくない。
扉の向こうから、灰銀髪の大男がこちらを見ていた。
夜にアタシを襲ったときの、身体に吸い付くような革製らしき上下のまま。
……そもそも、どのくらいの時間が襲撃の夜から経っているのか定かではない。
同じに見えても、違う服かもしれない。
「……」
首だけ横向きのまま、無言で男を睨みつける。
この男に裸を見られたのか、と思うと、胸の奥に屈辱と怒りがわいてくる。
と、男はこちらの気分を察してか、言った。
「お前を手当てし、着替えさせたのは、炊事係のリタだ。礼ならそいつに言え。呼んでくるから待っていろ。ついでに、体力が無くても食べられる食事も運ばせよう」
襲撃時より、声が柔らかい。
もっとも、気遣いというよりは、まだ反撃できぬ負傷者と見ているだけかもしれない。
言うと、男は扉の向こう、どこかへ行ってしまった。
リタ。
女の名前だ。男が着替えさせたわけではないと言いたいらしい。
炊事係。下働きの下女だろうか。
食事を運ばせると言っていた。つまり、食器を持ってくる。
ちょうど良い。ナイフだろうがフォークだろうが、最悪スプーンでも、アタシが持てば殺傷力のある刃物と変わらない。
それを利用して脱出を図るとするか。
少しの間が空き、戻ってきた男が扉の前に立った。
目線もくれずに、そちらを見ないように、警戒されないように、無力と捨て鉢を演技し見せつけるようにする。
天井を見たままのアタシの様子に、男は扉の前から身をずらした。人ひとり通れるだけの隙間を空ける。
「さあ、リタ。俺は入らないから、頼む」
口調が優しい。下女相手だというのに、ずいぶん丁寧な口をきく。
そういう男なのか、この場所がそうなのか。
まあいい。入らないと言うのも好都合だ。
「は、はい」
高く、甘い声だった。
ベッドの横に歩き寄る気配も、かなり小さい。
「あの、お粥をお持ちしました。食べられますか?」
がば、と。
毛布をはねのけ、飛び起きる。
同時に、食事を運んできた下女へ、飛び掛かった。
「なっ」
入り口の向こうの男が驚愕する声が聞こえる。
甘い。
そして――。
――同時に、アタシも驚愕していた。
まず、視界全てで捉えた下女が、想像していたよりもずっと小さい、幼い女の子だった。
3歳年下の妹と同じか、さらに下くらいに見える。
同時に、確認できた、その小さな女の子が持ってきた食器は、盆も椀も、小さな匙も木製だった。とても武器とは出来ない。
こんな子を利用するのか、と、ちらと心の奥の矜持が囁く。
ええい、無力なら都合が良いだけではないか。
食器が使えないなら素手で十分。
「きゃああっ」
下女が悲鳴を上げ、盆を取り落とす。構わず引き倒し、そのまま背後へ回る。
左手で細い手首をねじり上げ、右腕は脇の下から絡めて封じる。
さらに魔力を通した右手を貫手とし、首元へ突きつけた。
こんな幼子の首など、魔力を込めた素手で十分貫ける。
入り口から踏み出そうとしていた男が見える。
ベッドを背に、腹の前へ下女を抱え込む。
盾にするようにその小さな身体を押さえつけ、男の様子をうかがった。
男はそのまま動きを止めて、言った。
「そこまで動けるとは思わなかった。……その子を離せ」
静かで、冷たい声だった。
「黙れ! ここがどこだか知らないが、私を今すぐ解放しろ!」
男を威嚇するように、アタシは叫ぶ。
冷たい声に負けないような熱さで。
「それは出来ない。お前と我が組織の契約には、逃亡阻止や情報漏洩の防止も含まれている。ここから許しや事情無く出ることは、我が組織への不利益となり、契約への違背を意味する。お前にとって不都合しかない」
「勝手に結んだ契約だろう! 無効としろ」
「それも出来ない。契約はすでに執行されている」
事実として。ただ、事実として。
交渉に応じないのではなく、成す術はない。決定事項であると男の口調は告げている。
アタシにつかまれている下女は、無言でぶるぶる震えていた。
執行。つまり、意識を失う前のあの光景。
「ならば、せめて……我がグラファリエルを」
ぽた、と。
名前を出した瞬間、思い出した。黄金竜の温もりと安らぎと、――最後の無惨な姿を。
目から水が溢れる。
「グラファリエル……グラファリエルを……グラファリエルを返せ。アタシがここから出られなくても良い。グラファリエルを返してくれ」
みっともなく顔が、口が、目がゆがむ。
頬の端が突っ張り、表情が保てない。
顔から水が溢れる。
「グラファリエル……お前が呼んでいた、あの黄金竜の名だな。それも出来ない。竜はすでに失われた」
男が冷たく告げる。
アタシの身体も震えている。つかんだ下女と同じくらい震えているだろう。
「ああ……。あああ……グラファリエル……グラファリエル……」
「諦めろ。その子を離せ。そんな小さな子をどうするつもりだ」
「うるさい! 子供と言えど、グラファリエルを奪った貴様ら、悪鬼の手先だろう! その命など、グラファリエルに比べれば無に等しい!」
叫ぶアタシだが、涙で歪んだ視界で、男を睨みつけたまま、動けない。
つかんでいる左手も、突きつけた右手もぶるぶると震え、どうしていいかわからない。
腹いせにこのまま突き刺してやろうか、とすら思う。
はあ、はあと荒い息。
アタシの殺気を察したか、男は言う。
「よせ。教えてやる。お前の契約には反逆の禁止も当然含まれている。だが、その子を殺したところで、おそらく何の罰もないだろう。それだけ、我が組織にとっては無意味な命だ。何の痛手もない」
「……」
「そして、そんな無力な者を殺すほど、お前の竜の誇りは安いものなのか」
ぎゅっ、と。
心臓をつかまれたような痛みと、胸の奥が空になるような喪失感に襲われる。
竜の誇り。黄金竜の誇り。
こんな男の口から出て良いものではない。だが、それは、アタシの心を折るには十分だった。
ふ、と。
つかんだ左手から力が抜ける。右手の魔力も抜けた。そのまま両手がだらん、と落ちた。
目の前の下女が、張りつめていた息を吐いた。反対に、アタシの身体は震えたまま……首ががくんと落ちた。
下女が振り返り、アタシの顔をうかがうようにした。男が踏み込んでくる。
そのまま、男は下女をつかみ、引き寄せるように後ろに下がらせると、アタシに向かって言った。
「後で、改めて来る」
「……」
男と下女は、部屋を出て行った。
扉が閉まる。
しゃがみこんだアタシは、そのまましばらく動けなかった。
ふと。
震える視界の端に、ベッド脇の小机が映る。高さが低く、ベッドの上で天井を見た姿勢では気づかなかった。
そこに、タリスマンとそれに付属する宝石が特徴的な、見慣れた腕輪が置かれていた。
震える指で、何度も失敗しながら、それを手に取る。
「――『顕現』」
宝石の色は無色のままだ。変わらない。
あの壮麗なる誇らしさも、愛しき温かさも。そこにはない。
「――グラファリエル」
呼んだ瞬間、失ったのだと思い知らされた。
アタシは腕輪を胸の前で、両手で包み込むように抱きしめた。
「グラファリエル……グラファリエル……ああ…ぁぁぁ……うう……グラファリエル、グラファリエルぅ……」
契約の対象を失い、何の意味もなさなくなった透明な石を抱き、アタシはしばらく名を呼び、嘆き続けた。
〇
どれほど泣いていたのかもわからぬ後、腕輪を置いて立ち上がり、部屋を出た。裸足のままでふらふらと歩く。
部屋と同じ素材のように見える黒っぽい木材の廊下は、緩やかにカーブしていて、とても大きな回廊のようだった。行く手が見えず、不安を覚える。
さっきまでいた部屋と同じような扉のついた部屋が、いくつもある。
ほとんどの部屋は扉が開け放たれていて、無人なのが分かった。どこも先ほどまでの部屋と同じような作り。ベッドが1つ。机と椅子が1つずつ。
共同の居住区だろうか。1つ1つは狭いけれど、学院の寮にも少し似ている。もっとも、材質も色も違うせいで、受ける印象はずっと冷たい。
扉の閉まっている部屋もある。人が住んでいるのかもしれない。人のいない部屋も廊下も、埃はない。掃除が行き届いている。
回廊を歩いていった先、湯気の立つ、扉の開いた大きな入り口があった。
中を覗く。そこは広い炊事場のようで、先ほど、アタシが人質とした下女――くすんだ金髪の幼い少女――が火にかけられた2つの鍋の間を行ったり来たりしていた。
鍋から立ち昇る湯気は、嗅ぎ慣れない、不思議なにおいがする。
「あ……」
と、扉の前から中をうかがうアタシに、下女は気づいた。
ぎょっ、としたようにこちらを見る。目にはまだ怯えが残っていて、小さな手が反射的に口元を押さえた。悲鳴を堪えたか、呑みこんだのだろう。
先ほど、人質としたのだから、怯えさせるのも当然だ。こんな小さな子に……アタシは……。
中へは入れず、入り口の前で足を止めた。
「あ……その……粥……」
部屋の床にこぼしたままの粥。この子が持ってきてくれたその残骸を思い出し、そのまま口からその単語がこぼれた。
後で掃除もしなければ。
「いや……なんでもない。先ほどはすまなかった」
謝罪し、頭を下げる。
下女が、目を丸くしてこちらを見て、口を開け、はっとするようにした。
「驚かせてすまない。危害を加えるつもりはない」
言ったものの、長居をする理由もない。歓迎されるわけもないのだから。
居た堪れなさを感じたアタシは踵を返す。行く当てはないが。
「待ってください!」
背中に、下女の声がぶつかった。
思わず、足をとめ、再度ふらふらと振り返る。
下女は、そのままアタシに歩み寄ってきた。
足音は殆どしない。布製らしき白い内履きを履いている。
歩み寄ってきた下女は、下からアタシを真っ直ぐ見た。きれいな青色の目だ。
戸惑うアタシに、下女は言った。
「大切なものを失くされたと聞きました。お粥なら、また作れます。あ……必要でしたら、今すぐでも」
「あ、ああ……」
善意しか感じない真っ直ぐな青い視線に射すくめられ、思わず気圧される。
空腹を感じてはいないが、断るに断れない妙な圧があった。
「で、では……頼む、いや、その前に」
「はい?」
コホン、と。
首を傾げる下女を見ながら、軽く咳ばらいをしてアタシは続ける。
「名乗りもせず、失礼をした。私はヴェルザキーナ・フォン・ローゼンヴァルト。先ほどは本当にすまなかった。……リタ、だったか。そう呼ばれていたな」
「はい。リタです。ここで働かせてもらっています。ヴェ、ヴェル……ナ、様」
「サキだ。どれだけの付き合いになるかはわからないが、そう呼んでくれ。親しい者も、親しくない者も、みなそう呼ぶ」
そこまで言った時、下女――いや、リタの表情から緊張が抜け、軽く笑顔になった。
「はい、サキ様。では、お部屋でお待ちください。お粥と、履くものをすぐお持ちします」
言われて、自分が裸足であることを思い出す。
少し恥ずかしさを覚えながら言う。
「あ、ああ。頼む。それと、掃除をしたい。水桶と雑巾を貸してくれ」
清掃魔法を使えば、一発だ。
だが、何が戦闘時や脱出時に鍵となるかわからない。
生活は可能な限り、魔法を秘匿し使わず過ごすべきだろうか。
〇
汚れた床の掃除を終えたところ、扉がノックされた。
「リタか。ありがとう」
言いながら、扉を開けたところ、入り口にいたのは、灰銀髪の大男だった。
木の盆に湯気を立てた椀を持っている。体が大きいから、リタが運んできた物と同じ盆と椀でも、ずいぶんと小さく見える。
「リタは忙しい。代わりにオレが運んできた」
「……そうか」
無駄に緊張感を覚える。
手当をされ、休息を与えられていた以上、危害を加えるつもりは無いと思われるけれど。
「ここに置くぞ」
「ああ」
男は、盆のまま、椀を部屋に1つある机の上に置いた。
言って、即座に部屋を出て行こうとする。
「ではな」
「待て」
言うと、男が足を止めた。
立ったまま、アタシは続ける。
男の目線は高く、アタシの目は自然、上目遣いで睨みつけるような目つきになる。
「教えてくれ。私はこの後どうなる?」
「……本来であれば、竜とお前が揃っていれば円座送りだった。だが、竜が失われた以上、お前に円座送りとするほどの価値は無いそうだ。このまま第八支部の預かりとなるのだろう」
カデンツ……組織『完全なる秩序』と名乗っていた。その本部のようなところだろうか。
「価値がないなら、解放してくれても良いのではないか」
「内情も見られてしまっている。帰すわけにはいかない、いや、それだけではない。竜がいなくても、契約下にあることは変わらない。逃亡も、反逆も、情報漏洩も、違背には代償が出る。竜を失ったことでわかっているだろう。違背すれば奪われる」
全身の皮膚が裂け、血が噴いた感覚が喉の奥へせり上がる。
言葉にされるまでもなく、あれが脅しでないことだけは骨身にしみていた。
「……そうか」
「フェルナー……聖堂で会った、肥満の男がいただろう。あれがここ、第八支部の支部長だ。あいつは、お前を俺と組ませて仕事をさせるつもりらしい。竜がいなければ、それくらいの価値しかない、役に立ってもらうと言っていたな」
淡々と男は言う。
「……仕事?」
思わず訊き返した。不穏なものを感じる。
婦女子を攫うような組織だ。仕事と言っても、どうせろくなものではあるまい。
「ああ。基本的には、強力な契約存在の回収になるだろう。我らの組織、下級工作員の仕事と言えばほぼそれだ。報酬が出ることもある。お前の契約期間も、成果を上げれば短くなる種類のものらしいからな」
「……そうか。お前と組んで……」
戦闘力は申し分なさそうな男だ。
契約存在の回収……。危険なものだろうか。
「呼び方は、リタの言っていた、サキで良いか? 組むならそのくらい決めておきたい」
「ああ。構わない。お前は……」
「シンだ。みな、そう呼ぶ。お前もそう呼べ」
そこまで言い、男――シンは、机の上の粥を見た。
「まずは、仕事の前払いだ。リタの料理は報酬には十分すぎる。食ってよく休んでおけ。……風呂、温泉もある。後で案内してもらえ」
攫われ、契約で縛られた身に、粥だの温泉だのと言われる。
丁寧に整えられているぶん、牢よりなお質が悪い気すらした。
「……わかった」
シンは部屋を出て行った。
誰にも見られていないか確認し、手に消毒と洗浄の魔法を使う。
小さな木の匙を使い、粥に手を付ける。
「……なんだこれは」
白い粥の上に、赤紫の何かが潰れて乗っていた。
果実のようにも見えるが、煮崩れた肉のようでもあって、最初は食べ物かどうかも疑う。
そっと匙でつつくと、ぶよぶよと潰れ、粥へ酸っぱい匂いを広げた。中の赤い汁が周りの白へ浸食する。
口へ入れてみた。
「うわっ、ぺっ」
ひと口で、思わず目が覚め、思わず粥の上にそのまま吐き出す。
舌が縮むように酸っぱく、しかも塩辛い。
しまった。せっかくあの子が作ってくれたものに。
だが舌が縮むような酸味に、身体の方が勝手に拒んだ。
しかし、その刺激で、食欲がわいてくるようにも思える。
不思議な物体だ。粥と一緒に少しずつ食べる。
「生きるぞ。帰るんだ、ローゼンヴァルトへ」
不思議な酸味とともに、決意をアタシは噛みしめた。
〇




