第4話 【起④】
〇
「……がっ」
喉の詰まる苦しさに、目を覚ました。
冷たい。
頬の横に冷たい石がある。いや、床か。寒い。
アタシは冷たい床の上に倒されている。
喉のつまりは、……血か? 鉄臭い嫌な味がする。全身にへばりつく、乾いた血と、それがしみ込んで硬くなった制服。
覚醒する意識に、少しずつ状況を思い出す。
夜道。倒れた仲間。大男。呼んだ黄金竜……は、アタシの意識が途切れたから消えただろう。
重い瞼を開ける。石の床。身をよじり、立ちあがろうとするが、腕が動かず、後ろ手に拘束されているのに気づく。
「目が覚めたか」
聞いたことのない声が頭の前、前方からする。
首だけでそちらを見る。視界の先には高い天井と広い空間があった。
四方を高い壁に囲まれたドーム状の空間。大聖堂のような場所。
前方には少し高くなった祭壇めいた場所が見える。その奥にそびえるのは大きなステンドグラス。
祭壇の上に男が1人立っていた。司祭を思わせる黒い修道服めいたローブをまとっている。肥えた壮年の男だった。
首元から覗く顎にはわずかに肉がつき、手すりに置かれた指は白く太い。贅沢と怠惰の境目にいるような身体つき。
かっ、と喉のつまりを吐き出し、アタシは声を出す。
「ここは……。いや、ネモラ……、みんな、仲間たちは……?」
床に伏した狭い視界の外、斜め前から冷たい声がした。
「ここは、我らが組織『完全なる秩序』の第八支部」
身をよじり、声のしたほうへ体と首を向ける。
祭壇の斜め前、壁際。ほとんど真横と言っていい位置に、灰銀髪の大きな男が立っていた。
アタシを叩きのめしたその男は、そのまま低い声で続けて言う。
「お前の仲間は無事だ。少なくとも、命は。ここへは来ていないが」
「そうか」
短く納得の答えを返す。
道に落ちていた、血の量を思い出し、男の言葉が真実であるか不安になったが、確かめるすべはない。
『ここへは来ていない』
ここにいない、ではなく、来ていない。
その言葉であれば、意識の無い間に、ネモラたちではなく、アタシだけがどこか――あの襲撃の現場から離れたこの場所――へ拉致されたと見るのが妥当だろう。
わかるのはそこまで。考えるのはそこまで。ネモラたちの無事を疑ったり、無駄な思考をする必要はない。
「お前たちは、『完全なる秩序』との契約に従い、私の管理下に置かれることになる」
祭壇の上の男が言う。
アタシの倒れる石床の上を、すべるようにこちらへ這い寄ってきて、耳から身体にまとわりつくような声だった。
「……契約だと?」
倒れたまま、アタシは訊き返す。
心当たりのない言葉だった。契約、それ自体は日常としてはいるけれども。
床に倒れたままでは、声も姿勢もみっともない。
立てるか、状況を確認する。足をそっと動かす。血が噴き出た影響か、あちこちにズキズキと痛みはあるが、拘束はない。
後ろ手の拘束は木製の枷と金具を組み合わせた一般的なもの。
「お前が自らの意志で署名しただろう。すでに契約は執行されており、お前たちは、その影響下にある。騒ぐな。争うつもりはない」
「……ふざけるなよ」
世迷言を。
後ろ手のまま立ちあがる。両腕を封じられたくらいで、身体が自由にならないわけではない。
普段後ろで結んでいる髪が乱れ、額に貼りつくようになっている部分もある。
怒りのままにアタシは叫ぶ。
「婦女子を攫うような犯罪集団と、この私が契約を交わすなど、あり得ない! 侮辱するのも大概にしろ!」
叫んだアタシに、祭壇の上の男は言った。
「わからない小娘だな。ここにこうしてあると言うのに」
蔑むような目つきで、ローブの懐から、男は一巻きの書面を出した。
男の両手で、上下に開かれたそれ。緑の飾り罫に縁どられた厚い紙。
署名欄に、はっきりとアタシの署名がある。見まごうはずのない。
「……バカな」
呆然と返す。
確かに、見覚えのある紙だった。ネモラが「好みではない」と言いながら、問題はなさそうと判断した契約書。
時間が無い中、きっちり確認し、署名した。
「『契約災害対処に関する臨時従事同意書』。お前が署名したものだろう。契約に従い、私の監督下に入ってもらうぞ」
祭壇の男の声が、身体を絡めとるように響く。
……署名はアタシのもので間違いない。だが。
「そ、それは、襲撃されたパーティー会場のためのものだろう? 契約存在を連れていた賊と、やつらへの被害に対処するためのものだ」
「お前が何と思って署名したかは知らない。だが、子供でもわかるように説明してやろう。契約の中身は『契約存在、それにまつわるものを管理下に置く。あるいはその作業へ従事させる』だ。同意して署名した以上、お前たちは違背も反抗も許されない。契約とはそういうものだろう」
「な……」
契約という言葉への理解。それ自体はアタシの認識とそう違いはない。
しかし、契約書の中身への理解が大幅にかけ離れていた。
狼狽しながら、確かめるべく、質問をする。
「り、臨時と記載があったはずだ! あの場限りのものだろう! そして先ほどから言う……お前たちとは誰のことだ? 署名をしたのは私だけのはず!」
男は、フン、と鼻を鳴らし、その後で答えた。
「お前はすでに高位契約存在である黄金竜と契約をしていたはず。臨時と言うのは、署名する対象の、その契約存在に依る。黄金竜であれば、最短でも30年、あるいはそれに応じた功績を上げるまで、といったところか」
「……っ!」
30年!?
30年だと!?
心臓が早鐘のように鳴り、背筋が冷える。
コイツらの言いなりになる契約を結ばされ、30年縛られる、そう目の前の男は言っている。30年もあれば、財政難に困窮する我が家ローゼンヴァルトはどうなる? 本音を言えば、中等部への3年間やその先の学業すら惜しい。今すぐにでも嫁ぎ、王家からの援助を引き出したいくらいなのに。
焦り、愕然とするアタシに男は続けて言った。
「お前たち、と言ったのは、お前と、お前に従属する高位契約存在のことだ」
そこで言葉を切り、息を飲むアタシに向かって、男は続ける。
「平たく言えば所有物、黄金竜だ。正直言って、お前自身に大した価値はない。希少な竜を所持している――その一点において、我が組織の管理下に置く価値がある。尤も、竜自体も、貴重ではあっても、1つの契約存在にすぎないが」
その絡みつくような声が、嫌悪感を覚える口調や声の質だけでなく、内容でもアタシをイラつかせる。
所有物。我が誇りたる黄金竜をそんな風に。
だが、ここがどこかも、状況の全てもまだ見えていない。ここは従う方が得策か。
逡巡する脳に、矜持と誇りが囁きかける。それでいいのか、と。
「訂正しろ」
アタシは冷たく言い放つ。
「何?」
「グラファリエルは私の所有物ではない。契約存在には違いないが、かけがえのない友、魂の置き場だ」
男は、また、鼻をふん、と鳴らした。
「こちらにとっては同じことだ。契約に応じ、力を供し、呼ばれれば現れる。人ではない以上、物として扱われるのは当然だろう。訂正するつもりはない」
「……そうか」
決意を沈めてアタシは言う。
嘲りさえ含んだ、男のその口調。
誇りを汚されて黙っているなど、ローゼンヴァルトのすることではない。
自分の身体より、この先のことより、優先されるべきことだ。
つまり……問答は終わりだ。アタシの黄金竜を『所有物』などと呼んだこと、後悔させてやる。
「……『炎の斉射』」
バキィィン!!
後ろ手の拘束を打ち砕く。
「なっ……」
祭壇の男が初めてわずかに表情を崩し、契約書を懐にしまい込む。
アタシを叩きのめした灰銀髪の大男は、無言で動きを見せない。
何のことはない。魔力を細く凝縮させた火柱とし、手の周りに通しただけだ。
木材であろうと、金具であろうと、その融点を超える温度で熱すれば、脆く、形を変える。
なお、手っ取り早く魔法としたが、時間をかければ、ただの魔力に火の属性を持たせて同じことは出来る。
ローゼンヴァルトの家の者ならば、就学前の幼児でもやる。
ちら、と。自由になった左腕を見る。細剣はないが、手首のタリスマンはそのままだ。
あまりにも無警戒が過ぎる、と言わざるを得ない。
大聖堂の空間は、呼び出すには十分な広さがある。
「――『顕現』!!」
瞬間、アタシの左腕に嵌めた腕輪が光を放ち、アタシは金色の光に包まれた。
アタシの頭上へ、大きな翼を広げた輝く黄金の竜が力強く顕れる。
目も眩む輝きの中、光とともに誇りを振り撒くように。
「ゴガアアアアアァァァァァァァッッ……!!」
呼びかけるまでもなく、状況を理解する黄金竜は、祭壇の男を睨みつけ、威嚇の雄叫びを上げる。
アタシがまだ弱く守られていた頃、数多の敵相手でも、怯まず強さを見せつけたとき、そのままに。
ローゼンヴァルトの心と力を顕したかのような、その姿。
今アタシが恃みとし、状況を打開するものだ。ここがどこだろうと関係ない。状況の全容など、事態の中で見える方が少ないのだ。
敵が眼前にいるなら、打ち砕いた後で考えればよい。
と。灰銀髪の大男が叫んだ。
「やめろ! 懲りていないのか! わかっているだろう! 力を使うな!」
黄金竜と力を通した瞬間の、激痛のことを言っているのだろう。
うるさい。見ていろ。
どういう仕掛けか、術かもわからないが、勝機があるなら、そこに苦痛があろうと関係ない。
敵の撃滅に最善を尽くすのがローゼンヴァルトだ。
アタシは構わず呼びかける。
「力を見せよう、グラファリエル! アタシたちが何者か、誰に喧嘩を売ったのか教えてやる!」
――あなたを、『所有物』などと呼んだコイツらに。
黄金竜を見たまま、身動きのとれない祭壇の男と、ロングソードを構え、抜こうとしている男を見ながら。
「アオオオオオォォォォンンンン……」
燃え盛る闘志と矜持に、黄金竜は遠吠えのように吠えた。
王国で最も古い、我が家の壮麗と豪壮さながらな、その声。
アタシの視界の端が金色に光り、全身に力がみなぎる。――同時に、視界が金から朱に染まった。鮮やかな赤に。
「がっ……はあっ……。ぐうううううううっ……」
アタシの喉奥から苦痛が絞り出る。奥歯を噛みしめ、それを堪える。
痛い。雷撃魔法で焼かれたような激痛が、その何倍も強い熱さと強さでアタシの全身を駆け巡る。
だが、痛いだけだ。目じりと目頭、視界が赤いのと同様、全身から血が噴き出る感覚がある。一瞬熱くてすぐに冷たくなる、吹き出た血が聖堂の冷気で冷える感覚。
――痛いだけなら耐えられる。痛みが来るとわかっていれば耐えられる。ローゼンヴァルトはそう教わる。
それでも、身動きは取れない。耐えて、意識を失わないだけで精いっぱいだ。
「クオオオオン……」
黄金竜が、ほんの少しの上から、目でこちらを見て、案ずるように鳴く。
だが、契約存在が力を十全に発揮するには、契約者と同様、力を互いに通す必要がある。
これ以外に方法はない。
「こちらに構わないで……。……おねがい!」
「ゴアアアアアァァァ……!」
応えて、黄金竜の大顎の周りに光が、力が集まるのを感じる。
ブレスを放つ前動作。天を裂き、地を抉る黄金竜のブレス。
契約だろうとなんだろうと関係ない。そのチンケな契約書ごと吹き飛ばせ。
ここがどこだろうと関係ない。あなたが力で支配する。
――と。
黄金竜の動きが止まった。溜めたブレスの光が消える。
「ギャオオオオオオオォォォォオオオオン!!!」
聞いたことのない声で、黄金竜が吠えた。
まるで断末魔のように、苦しそうな声で。
空中で、そのまま身をよじる。アタシが耐えている痛みよりも、ずっと強い苦痛のように。
「なっ……」
痛みで動かない首を必死で上に向け、アタシは見た。
黄金竜の身体と首が、まるで、雑巾でも絞るかのように、絞られ、よじれる。
ぞるっ、と。ごそっ、と。
黄金の鱗が、全て剥がれ、落ちてきた。ドドドド、ドスドス、と音を立てて、それらは地面に突き刺さる。
「ギャン!」
「グラファリエル!?」
最後に一声鳴いて、黄金竜の首がねじ切れ、顔から飛び出た目玉がボトリ、とアタシの目の前に落ち――。
――直後に、捻じれて血と肉の大きな塊になった、黄金竜が落ちてきた。
「グラファリエル! グラファリエル! ……嫌。いやあああああああああああ!」
アタシは駆け寄る。元・黄金竜である大きなひき肉に。
信じられない。どんな時もアタシを守り、共に戦い、力をくれた愛する存在が。
手をつき、抱きつく。べちゃりとした血と肉の感触。すでに蔓延する、潰れた臓物と体液が混ざった耐えがたい臭い。着ている制服が血と体液に汚染されていく。
地面に突き立った鱗が、サラサラと砂のように消えていく。
鱗は竜の魔力で出来ている。それが消えたということは、持ち主の魔力が消えたことを意味していた。
アタシの左手首のタリスマン、その宝石も黄金だった輝きは消え、透明な無色に戻っている。
「ああ、ああ……。いや、ウソ、嫌、いやあぁぁぁぁ……! グラファリエル、グラファリエルぅ……」
涙とともに、何度呼びかけるも、目の前の肉の塊から、返事はない。
死んだ。グラファリエルが死んだ。尊厳すら踏みにじられた醜い姿で、死んだ。
その事実が、アタシの心を支配する。
「契約に逆らうからだ。すでに影響下にあると教えたではないか。全く……、希少な竜だったと言うのに……」
祭壇の男が冷たく告げる。
最愛の存在を失ったアタシへ聞こえるように。
と。
アタシは気付く。
駆け寄れた。動けた。つまりそれは。
体の痛みが止まっている。裂けた皮膚はまだジンジンと痛むが、それだけだ。灼けつくように体を走っていた激痛がない。
どういう仕組みかは知らないが、考えるべきは原因ではない。体が動く、戦えるという事実だけだ。
「貴様、貴様……許さん。……許さんぞ。よくも、グラファリエルを」
ゆっくりと元・黄金竜から離れ、涙のままに祭壇の男を睨みつけ、怒りのままにアタシは呪文の詠唱を開始する。
使える中で最大級の破壊力を持つ魔法。
「――そらの彼方に、其れは在る」
最初の一説。
破壊力が強すぎて、そうそう使えない呪文。
黄金竜の力を借りずとも、その呪文は山脈の一部を消し飛ばし、代わりに大きな湖を作った。
ここがどこだろうと、状況ももう関係ない。
すべてを灰燼に帰してやる。
「――星の…… ガァァンッ!
注意を払っていなかった。いつの間にか間合いへ入っていた灰銀髪の大男の一撃を、まともに後頭部に受け、アタシは呪文の詠唱を中断させられる。
「……畜生」
ばしゃ、と。
血と生臭い肉の中に、アタシは倒れ、意識を失った。
〇
高き願い 砕ける誇り 終




