第15話 【結③】後
「サキさん……。シンさんは?」
どう見てもただならぬやりとりに、イコマがアタシを不安そうに見る。
アタシは軽く唇を噛んだ。
説明は……どうするか。じきに動く死体の群れが来るだろう。
フェルナーが裏切った。端的に言えばそうなる。だが……。
この場所を、支部を整備し、生活区を充実させたのはフェルナーなのだ。
そして、仮にこの後、アタシが堪えきれず、敗れた後でも、子供たちやイコマが無事である可能性はある。真相を伝えるべきか。
……ローゼンヴァルトの歴史は戦の歴史が多く、……当然敗戦の歴史も多い。
民は支配者に振り回されるものだと決まっている。だから、支配者が負けた後でも、どちらが悪い、そういう考えを持たせてはならない。前の支配者に殉じるようなことがあってはならない。
アタシはそう教わった。
だから、事実を言う。知るべきであることだけを。
「――外に出ている人はいませんね?」
「え、ええ。この3人だけ。まだ朝ですから」
「嫌なものが来ます。聖堂の中へ入り、入り口に閂を。絶対に外に出ないでください」
イコマが息を呑む。
「で、ではサキさんは?」
「ここで戦います。守ってみせますから、安心してください」
広場は見通しが良く、石畳。敵が多勢でも問題はない。
『門』へも居住区へも、大聖堂の扉、入り口を通らないと行けないのだ。
アタシがここを抜かせなければ良い。
「戦うなら、私も一緒に。多少は腕に覚えがありますから」
イコマが、そう言った。嫌なもの――相手もわからないのにありがたいことだ。
だが。
「いけません。中で子供たちの面倒を見ていてください。絶対に外へ出ないように、言いつけて。私には出来ません」
残念ながら言葉のとおりだ。
アタシは、ここで子供たちの信頼を得られるほどにはなっていない。
「――っ。わ、わかりました。どうかご無事で」
言うと、子供たちを促し、水桶を持ったまま、イコマは大聖堂の中へ早足で向かった。
後ろ姿が扉に吸い込まれる。
それを見届け、アタシは小さく詠唱を開始し、――力ある言葉とともに魔法を解き放った。
「層理面!」
扉の前、それを覆うように、大きな扉の高さも幅も越えて、石畳の地面が盛り上がり、分厚い――アタシの歩幅1足分くらいの――壁となる。
硬い地面の場所で幸いした。
アタシが意識を失うか、解かない限り、崩れることは無いだろう。
振り返り、後ろを見る。
黒く、空を覆う無数の影。じりじりと迫るように見える、動く死体の群れ。
フェルナーもじきに来るだろう。
〇
にじり寄る、風景より多そうな敵を見ながら、実家の家訓を思い出す。
『万を恃むな畏れるな』
目の前の敵を見る。数百か……千を超えるか。何千といるかもしれない。
「ふん……なんだ、これでは私を試すにはとても至らん。万に満たぬ数じゃないか」
呟く。強がりかもしれない。
祖父の言葉、続く二の句を思い出す。
融和の言葉であったはずだが、なぜか戦う前の今、心に浮かんだ。
敵になるはずの子供たちを、聖堂へ逃がした後だからかもしれない。
『万なる敵を友とせよ』
「なぜ今になって……いや」
瞬間、脳裏に閃く別の解釈。
この言葉は、敵を友としろ、という意味だけではない。
『万なる敵』。つまり無数の敵がいること。それ自体を友とせよ。
敵が多数であり、万いたとしても、それを日常とする生き方を。
多勢に無勢であっても、友と思えるくらいに、その状況をこそ愛して生きよと。
そんな言葉であるのかもしれない。
「……さすがは、お祖父様だ」
呟く。今の気分にぴったりであるかもしれない。
完璧なタイミングで、新しい解釈がアタシを励ましてくれた。
広場に、うじゃうじゃと無数の死体がにじり寄ってきた。
その黒い身体が、白に近い灰色の石畳を侵食するように。
アタシは、平手の指先を地面につけ、詠唱を省略し、力ある言葉のみで、1つの魔法を放つ。
「――『雷熱の疾走』!」
瞬間、アタシの指先から雷撃が、広場全体に走った。
全体と言う表現は正確ではないかもしれない。
アタシの指先を起点とした雷撃は、広場に溢れる動く死体へ向かって、吸い込まれるように、無数の荒いのこぎり状の線となった。
狙いはつけていない。それでも正確に死体たちへ雷撃が走り、瞬間、その死体たちは動きを止める。
ぼろぼろと、強い火で焼かれ、燃え尽きるように死体たちは崩れ落ちた。
「ほう。言っていたとおりだな」
呟く。実体のある死体へは雷撃が有効だ、とのシンの言葉を思い出しながら。
多数の敵を相手に、1つの魔法をそれぞれ狙いをつけて放出することは、ある程度修練すれば出来る。ただ、それは集中力を多少なりとも要求されるし、ただ撃つより当然疲れる。
狙わなくても良い雷撃は効率が良い。
――ま、多少の気休めにはなる。
心の中でそう結論付け、次の手を考える。なんせ景色より多い敵だ。手当たり次第になぎ倒しても、手としては足りない。
と、広場の入り口に、見知った肥えた体の男――フェルナーが姿を現した。傍らには『返り鳥』を連れている。
――遅い到着だな。すでに第一波は屠ったぞ。
そこで足を止め、こちらへは近寄ろうとしない。
案外、契約でアタシが縛られているか、迷っているのかもしれない。
とすれば先ほどの台詞「契約があるのだぞ。私に手出しをすればどうなるか」は、アイツにとっても、ただのハッタリだった可能性もある。
シンは言っていた。裏切り者自体がほとんど想定されていないように。そして、アタシの契約は、反抗の可能性がある者へ結ばせる、組織のために尽くす奴隷契約。つまり裏切り者相手に、その契約で縛られた者が攻撃する事態など、誰も見たことすら無く、結果はわからないのだろう。
と。動く死体たちの動きが止まった。『返り鳥』とそれを操る者の意志へ従う様に。
不気味な静寂が広場を満たす。
入り口の方から、フェルナーが声を響かせるように言った。
「私のヴェルザキーナよ。戻れ。そこはお前がいる場所では無い」
その声は、アタシの全身へねばつく粘液のように絡みついてきて、心の中までしみ込んでくるように。変わらずアタシを苛立たせる。
「黙れ。貴様のもとなど、それこそ、私がいるべき場所では断じて無い。戻れだと? 勘違いするな。契約によって貴様に縛られたのは身体のみ。私の心が一瞬でも、貴様とともにあったことなど無いのだ」
「見目は美しいが、聞き分けの無い小娘だな。私のもとへあるのが、お前の幸福だぞ」
「……何?」
「円座は、お前に契約の器としての価値しか見ていない。そして、お前が元居た場所、貴族や王族は、お前の女としての価値しか見ていない。お前を飾る価値、産む価値、抱く価値で測るだけだ。だが私は違う。お前が持つ価値を、どれ1つ取りこぼさず見ている」
「……な、な、な。……貴様っ!」
露骨な、アタシの品位に真っ向から泥を塗りつけるような言葉に、頭に血が上る。
だが、これはおそらく挑発ではない。目の前の腐った――それが引き連れている死体に負けないくらい精神が腐った――男は、心の底からそれを信じ切っている。そんな雰囲気があった。
「わかるだろう? お前を最も高く評価できるのは、私だけだ。そして、お前が背中に庇う男。シンは、お前を最も評価できない男だ。器としても、女としても」
「それは……確かに」
シンは、男なら誰もが欲しがるであろうアタシの美貌に、全くグラつく様子を見せない。子供扱いするだけだ。イコマにはデレデレするくせに。
一瞬、そんな思考が頭をよぎる。
「わかるだろう? もう1度言う。戻れ。そこを退き、こちらへ来い。お前の価値は大変高いのを私だけがわかってやれる。高く承認、評価する者のもとへあるのが、人の、そして女の幸福だろう」
だが。
「――黙れ」
アタシは言った。どうあがいても目の前の男を、アタシは生理的に受け付ける気になれない。
「シンは、確かに、とんでもない男だ。私の女としての価値を、まるで理解しない、見る目の無い男だ。だが、貴様のような下卑た目線を私に向けることはしなかった。そして――」
押し黙るフェルナーへアタシは続ける。
あれで、説得になると思っていたのだろうか。
言いながら、全身へ魔力を通すことも忘れずに。詠唱が無くても、即座に魔法を使う準備として。
「評価する者のもとにあるのが、人の幸福だと? 自分の評価など、自分自身が最大限に評価するものだろう。私の価値が高い? 言われるまでもない。今日まで鍛え、磨き続けたこの体に、そしてこの美貌! 私の人生で出会った中で、私より価値の高いものなどいなかった! 承認、評価。そのような言葉は、引きこもりの温室令嬢か、自分に自信が持てない村娘へとでも使ってやるのだな! きっと涙を流して感激してくれるであろう!」
言い切り、溜めた魔力を広場の中央から入口へ向けて、力ある言葉とともに魔法とし、全力で飛ばす。
「――『絶断層』!」
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
――地鳴りが聞こえる。
飛ばした魔法に従い、広場の中央から、入り口まで亀裂が走る。亀裂はそのまま横へ広がり、広場を、アタシから見て真横、真っ二つに裂いた。
ガララララララ、と。音を立て、岩や地面と一緒に何体、いや、何十体かの動く死体が滑り落ち、犠牲になるのが見える。
水はないが、即席の掘、壕と言ったところか。
空を飛べるものには影響はないが、多少は死体の群れの進軍がまばらとなるだろう。各個撃破がしやすくなる。
それを見届け、力の限り、雷声と例えても良いくらいの大声で、堂々と宣言する。
「我が魂の友である黄金竜グラファリエルと、帰るべき家の名に於いて! 私、ヴェルザキーナ・フォン・ローゼンヴァルトが、貴様らに冥府の王への拝謁を許可する!」
〇




