第14話 【結②】後
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「さて……」
起きて椅子に座り、机の上、瓶の中の『忘れ虫』を見つめる。
この中から不正の証拠を取り出さなくてはいけない。つまりは改竄される前の紙片か、記載された名前か、あるいは……。
「どうするんだ? また契約を結ぶのか?」
横に立つシンが訊いてくる。
「いや……」
薄い知識だが、『忘れ虫』は、記録の出し入れに使えると言う。記録を好んで喰うというのは、腹の中に記録を溜め込む性質のせいだ。
その腹の中にうっすら透けて見える喰い溜めた紙片や黒い筋。
それらが、概念だとしても、そこに『在る』のだ。
吐き出させれば良い。
「あとはきっかけだけ……。まあ……やはり、こうするしかないか」
アタシは、机の上に、瓶の蓋を外して置く。
軽く魔力を込めた右手の親指で、左の手の平、下の部分を切り裂いた。皮膚が裂け、血がにじむ。
蓋の上に魔力を込めた血を垂らす。
そのまま、『忘れ虫』をその上へ。
「うえ……触りたくないなあ」
言いながら、指で軽くぶよぶよとしたその腹をつまむ。
魔力を込めてその腹を、何度か押し出すようにした。
「お、おい。どういうことだ? 大丈夫なのか?」
シンが少し動揺した声で言った。契約存在についてはコイツの方が知識があると思っていたが、そういうわけでもないらしい。
つまりこういうことだ。
『忘れ虫』の中から、なんらかの記録の概念が取り出せるとしても、何も指定が無ければ、良くわからないものが無作為に出てくるだけ。
今欲しいものは『返り鳥』に関する何らかの記録。
……手がかり、きっかけになるのは、アタシの魔力を込めた血。一度『返り鳥』と、仮契約とはいえ、血絆を結んだそれ。
『忘れ虫』はアタシの血に近づくと、それをたしかめるように頭らしき部分を近づけ、アタシの押し出すような魔力に応えた。
光がほぐれるように、『忘れ虫』の頭らしき部分から、茶色い、半分液体のような、固体が流れ出てくる。
茶色い半液体はそのまま、どろどろと流れ、蠢いたかと思うと、――文字の書かれた紙片を形作り、固まった。
紙片に書かれた文字は『返り鳥』。
文字の色は――青。円座送りを意味するそれ。
「ふう。――決まりだな」
一息つき、紙片を手に取り、それを指で弄ぶようにして、アタシは言った。蓋の血の上で蠢く『忘れ虫』を横目で見ながら。
「なぜだ。フェルナー……」
シンは呟くように言った。
信じられない、信じたくないという雰囲気で。
自分から、不正の話を振ってきたくせに勝手な男だ。
シンはしばし黙り込み、視線を落とした。
そして――意を決したように、口を開いた。
「この際だ。疑問を解消してしまおう。――サキ。もう1つだけ頼む」
「ふふん。諦めたようだな。あの気持ち悪い男は裏切り者だ。……もう1つ? 何を探るんだ?」
シンは答えず、しばしアタシを見た。
その目の意味がわからず、アタシは軽く首を傾げる。
「……お前の、最初の記録だ」
「はあ? 私の?」
「ああ」
「私の名前があるとすれば、あの『契約災害対処に関する』……なんとか『同意書』と言うものに書いた名前だけだ。貴様もあの日見ただろう。自分の名前だし、色は変わっていなかったぞ」
フェルナーがあの日、大聖堂の祭壇の上で見せつけてきたそれ。シンもその場にいた。
時間が押し迫る中、署名してしまった自分の迂闊さを今でも悔やむ。
……いや、それでも、あの思慮深いネモラのチェックさえすり抜けたのだ。時間をかけたとて、罠に気づけなかったかもしれない。
「いや。それはあくまで、我が組織とお前の間の契約書だ」
シンはきっぱり言った。
「支部に来たものは、契約の器も契約存在も、等しく支部長が別の用紙へ記載する。お前の名も、記録として円座へ送られているはずだ」
そこで一度、シンは言葉を切った。
「そして……オレの推測が正しければ、それは……」
言いたいことは、わかった。
わかってしまったからこそ、先に切り捨てたくなる。
「……言いたくないが、私に価値があったのは、グラファリエルとともにあった時だろう。記録されていたとしても、今は……改竄の価値など無い」
「いや。契約の器の価値は、中身――つまり契約存在で変わらない。お前が黄金竜を失ったとしても、我らにとって、その価値や、記録される文字の色は変わらない」
シンはそこで、少しだけ目を伏せた。
「……頼む。お前のためじゃない。オレの疑問のためだが」
「そこまでいうならまあ……。といっても、何も出ないかもしれないぞ。私は、そちらの可能性の方が高いと思っているからな」
シンの勢いに押され、渋々、蓋の上の『忘れ虫』を見る。
まだ、アタシの魔力を込めた血の上にいるから、手がかりとしてはそれで十分だ。なんなら『返り鳥』よりきっかけとしては強いはず。
改竄されたアタシの記録があるとすれば、『返り鳥』より古い記録だから、概念的にはずっと奥の方になるのか?
とはいえ、『返り鳥』とアタシの記録の間に、フェルナーが何も喰わせていなければ、近い記録になるのか。……あるとも思えないが。
嫌悪感を覚えながら、指で軽くぶよぶよとした『忘れ虫』の腹をつまむ。
魔力を込めてその腹を、何度か押し出す……前に、蓋の上の血と似た種類の物を探る。
――っ!
ある、ような気がする。血が、『忘れ虫』にとってだけではなく、アタシにとっても手がかりになっているのかもしれない。
「ふう……これ……か……?」
探り当てた――といっても違和感程度の――それを押し出す感覚で、魔力を通す。
『忘れ虫』はアタシの押し出すような魔力に応えた。
光がほぐれるように、『忘れ虫』の頭らしき部分から、茶色い半液体めいたものが流れ出る。『返り鳥』の時と同じく。
どろどろと流れ、蠢いたかと思うと、――文字の書かれた紙片を形作り、固まった。
紙片に書かれた文字は――『ヴェルザキーナ・フォン・ローゼンヴァルト』。
「……本当にあるとは」
信じられず、思わず、呟く。アタシに改竄するほどの価値があるとは思えなかったから。
だが、その文字の色は――赤でも青でもない。
白に近い、輝く『緑』だった。ほとんど白と言っても良い。
「見ない色だな。3つ目があるなら言っておいてくれ。おい、シン。緑は何だ?」
自分の記録などない、と言っていた手前、少しの恥ずかしさを覚えながら、軽口のようにシンに訊く。
しかし、返事がない。
「おい、もったいぶらなくてもいいだろう」
言いながら、怪訝に思い、シンの横顔を見上げた。
――蒼白で、表情を失ったシンの顔。
一拍おいて、返事が返ってくる。
「『緑』は……円座以外、手出し無用。……即座に円座へ送れないのなら、絶対にそれに手を出すな、だ」
〇
「バカな……。フェルナーは……何を考えているんだ……」
シンが呆然と呟く。
そのまま、はぁはぁ、と荒い息をつき、ふらふらと焦点の定まらない目が、ゆっくりとアタシを見た。
明らかに動揺している。
「おい、どういうことだ? 意味が分からん。説明してくれ」
言いながら、紙片を横にずらし、『忘れ虫』を瓶へ戻し蓋をする。
アタシの名前があったのは意外だったが、もういいだろう。
「今、言ったそのままの意味だ。記録した時点で……その色が出たのならば、即座に円座へ送る。青とは違って、移送係が来る期限を待つのではなく、可能な限り早く。契約を結ぶなど、以ての外だ! 誰が窓口になっていたとしても、契約を結んだのなら、即座に取り消されるべき案件。……いや」
そこまで早口に言って、シンははっきりとアタシの顔を見た。
そのまま、シンはアタシの両肩をつかむ。意識をしていなくても、いや、意識していないからこそ、今この男の握力はとんでもなく強い。
座ったまま、身体をずらされ、正面からシンを見るような体勢になった。
「いや、いやいやいや……。そもそもお前は、我が組織との契約で何を得た? 何を要求した? よほどの何かを得なければ、『緑』……お前ほどの価値がある者との間に、成立しない、いやさせてはいけない契約だ」
「はあ? 私は貴様らとの契約で得たものなんか無い。要求したことなぞ無いはずだ」
応えたところ、肩をつかんだままのシンの顔がゆがんだ。
「――――っ! では、お前は、最初から騙されて……?」
「最初からそう言っているだろ。要求するとすれば、そうだな。さっさと家に帰してくれということだ」
シンの顔が、いや、上半身が、アタシの肩をつかんだまま、がっくりと落ちた。
そのままの勢いでシンは、がくん両膝を落とし、床につく。
「お前と我が組織の間で結んだ契約は、反抗の恐れがある構成員と、我が組織との間で結ばれる、奴隷のような契約だと言っただろう? 我が組織の力は強大だ。知れば、その力を借りたいものも多い。また、報酬を得る代わりに構成員として働かせてくれと言う者もいる。力を貸す代わりに、組織の力になってもらう。で、信用できない者をその契約で縛るわけだ。契約の前にしろ、後にしろ、助力か、報酬は得られる。意に反して結ぶことなど無いはずなんだ」
「……っ。はずとはなんだ、はずとは」
シンは続ける。アタシの顔を見ずに、顔を下に向けたまま。
「オレがお前をここへ連れてきたあの日、オレがフェルナーに言われたのは『契約を結んだものの、召喚に応じない、竜を持った強い少女がいる』だ。その少女を連れてくるように、と『門』を通じて、お前の学校へ現れた。竜を持っているから価値はある、野放しには出来ない、としてな」
「……召喚に応じるも何も、私があの契約書に署名をしたのは、貴様に会った日だ。応じられるわけがないだろう」
シンの肩が目に見えて、さらに落ちた。
「……オレは、お前のことをずっと、何かを我が組織との間で得た、あるいは報酬として何らかをこれから得るものだと思っていた。その代償として契約を結んだにもかかわらず、それに逆らった愚かな者だと」
「なっ……。何を言っている!?」
「考えてみれば、最初からおかしかった。修練の結果だとしても、並外れた魔法の力……いや、それを差し引いても、3つも契約を結んで、平然としている契約の器としての大きさ。有能すぎると、もっと早く気づくべきだった」
シンの声が、そこで鈍く崩れる。
「すまない。今の今まで、オレはお前のことを、かわいそうではあるが、自ら結んだ契約への、愚かな違背者だと思っていた」
ふらふら、と上がってくるシンの上半身。
その泳ぐ目がアタシの顔を捉えた。
「これでは、お前を攫ったオレは、ただの加害者で、お前はただの被害者だ。すまない。許してくれ……許してくれ……」
バカな……。
すぐには呑み込めなかった。
当初からコイツとアタシの認識が違っただと?
許してくれ、と言われても、状況を飲み込めない。
――いや。
「あの日、私の前に会った6人……ネモラたちがいただろう」
頭の中で、いくつものことがぶつかっていたが、その中でも一番先に浮かんだのは、あの夜の光景だった。
アタシ寮に帰る途中、
「貴様、ネモラたちをどうした」
シンは一瞬だけ息を止めた。
「……お前を連れて行くのに、邪魔だった」
あまりにもまっすぐな答えに、喉が詰まる。
「邪魔……だと?」
「ああ。フェルナーからは、お前を連れてくる上で、障害があるかもしれない、とは聞かされていた。だが、当時のオレの認識では、お前は契約を結んだうえで召喚に応じない、危険な少女だ。竜を持ち、力があり、反抗の可能性もある。だから障害の排除と速やかな回収を優先した……。お前が見たものはその結果だ」
「貴様……」
「すまない。……命に別状はないと以前言ったことは、間違いではない。後遺症も残ってはいないはずだ。だが、傷つけたのは、……それもオレの誤ちだ」
ぐ、とアタシの奥歯に力が入る。
睨みつけた視界がぶるぶる震えた。
そのままの勢いでアタシは訊く。
「本当に無事なんだろうな……。いや、『即座に取り消されるべき案件』。ならば、私が結んでいるこの契約は、今からでも取り消せるのではないか?」
シンの眉が情けなく、落ちた。
普段の力強さが嘘のように、震える唇で情けなく、目の前の大男は応える。
「あ、あ……。いや……。あの時すぐなら取り消せたはずだ。だが、時間が経ちすぎたし、しかも、黄金竜が違背の代償として失われ、執行された今となっては……」
出来ないと言うことか。
黄金竜。その言葉が、さらにアタシの神経を苛立たせた。
そのまま、アタシは、立ち上がり、シンの胸倉を両手で力任せに掴む。
「ふざけるな。……ふざけるなよ。先ほどから、貴様の言葉を聞いていると、グラファリエルが死んだのは、……ただの手違いで、貴様の勘違いがほとんどの原因で、……本来、何も意味がなかったと。失われるべきでなかった事故であると。……そう言っているように聞こえるが」
「……そうだ。すまない。取り返しのつかないことを。すまない……」
「ふざけるなよ!」
ガツッ!
叫んだアタシは、左手で胸倉をつかんだまま、拳で思い切りシンを殴りつけた。
足りない。気が済まない。
もう1発、2発、3発、4発……と殴りつける。
はぁはぁ、と息が切れる。
「グラファリエルをなんだと思っているのだ! 名誉ある戦いの中で失われるならまだしも、わけのわからない貴様らとの契約で失われたのだぞ! しかも、それも本来起こるべき事態ではなかっただと! アタシたちを馬鹿にするのも大概にしろ! すまない? すまないだと!? 今すぐグラファリエルを返せ! グラファリエルの命を戻したならば、その謝罪、受け入れてやる! 強大な組織なのだろう? 力はいくらでもあるのだろう? さあ、早くしろ!」
言って、いや、言いながらも、何度も殴りつける。
シンは、苦悶の表情を浮かべ、謝罪を何度もしながら、何度揮ったかわからないその拳で、殴られるがままになった。
鍛えていない拳で殴ったならば、アタシの拳頭や小指の付け根から、皮が破けて血が出たり、手の骨が折れたりしてもおかしくない勢いではある。
だが、鍛えて硬いアタシの拳は、そんなもので傷ついたりはしない。せいぜい、骨に鈍く響くくらいだ。
少しずつ思考が戻ってくる。
「はっ……。はっ……。貴様の謝罪など意味がない。それに、こうして殴っていても、契約の執行が、……何も奪われる気配が無いと言うのは、アタシの拳に、貴様を殺す力が無いと言うことだろう。クソっ……」
「うう……すまない」
「……いや。待て。貴様が誤認していたのならば、それをさせたのは、……フェルナーで、つまり、それは……」
「ああ……」
シンはアタシの言葉に相槌を打つと、そのまま、力なく、呟くように言った。
「フェルナーの狙いは……最初からお前だ。あの時手に入れようとしていたのは、黄金竜ではない。推測が正しければ、最初からお前1人が目的だ」
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