第14話 【結②】前
〇
「――『顕現』」
光の消えた夜の中、自室の机の前に座りながら。
もう何度目の訓練になるだろう。
呼び出しの声に応じて、 左手首のタリスマンの宝石が、ぼう、と黒っぽい灰色に光り――。
――少しの闇のゆらぎとともに、机の上に、契約存在であるネズミが現れた。
すり、と。アタシの腕に、軽く頭を摺り寄せてくる。
汚らしいと嫌っていたが、コイツはなんだかんだ、当初からアタシになついている。
考えてみれば、初めて呼び出したときから、擦り寄る様子があった。
まあ……この小さな契約存在には、アタシしか主はいないのだ。見捨てられたら終わり、みたいな意識があるのかもしれない。
誇り高き黄金竜とは違う。
「よし、今日はこれな」
言って、小さな食べカスを嗅がせる。
「――わかったか?」
こく、と頷くように頭を軽く下げたネズミは、机の脚を走り降りると、そのまま、扉を抜け、回廊の闇の中へ消えた。
――少しの間が空いて、闇の中から、音も無くネズミが戻ってきた。
手にチーズの欠片を持っている。
魔力を通じて、厨房へ行き、取ってくるように目的を与えたものである。
互いに力を通さなくても、四六時中、契約の内でアタシを見ているからか、意図を汲んでくれるようにはなっていた。
だが。
「いや、……チーズではないんだ。同じ発酵食品だが、今日は、あれだよ、あの茶色っぽいやつ。……まあ、訓練だから良いか。仕方ない」
言って、苦笑するアタシ。
ネズミの取ってくるものは、物の臭いを嗅がせたうえでも、なお成功率は低かった。3割に満たないといったところだろうか。
意図を汲んでくれるのは良いのだが、そもそもが契約存在だ。臭いで物を判別するのではなく、似たようなものを持って来てしまう。ひょっとすると、アタシの中での物の認識が曖昧で、それに精度が依存しているのかもしれない。
ネズミが、心なしか、申し訳なさそうに、頭を垂れている。
アタシの様子で、がっかりしているのが分かるのかもしれない。物の区別はつかないが、アタシの気分だけは察してくれる。
……解決の手段は分かっている。
力を通すことだ。より強くアタシとネズミをつなげ、ネズミの力を増幅させ、意図も精度を上げて伝えることだ。
軽く……試しに、軽く、そっとだ。もう一度取ってこさせよう。
力を通して、もう一度……。
「ぐっ……あっ……ぁぁぁぁぁぁ」
通した瞬間、頭がガァンと殴られたように……、その後ズキズキと。全身も細かい雷撃魔法を通されたように。
思わず苦悶の声を上げてしまう。
『完全なる秩序』との契約と、契約存在の力が、アタシの身体でぶつかる痛み。内側から来るこれは、いくら身体を鍛えても変わらない。
苦痛に耐えきれず……力を通すのをやめた。瞬間、痛みは消える。
「……クソ。どうにか耐える方法は」
解決策は……思いつく限り1つある。あまりやりたくないが。
と。ネズミが、心配そうにアタシを見てくるのに気付いた。何度も、鼻先を摺り寄せ、慰めるようにしてくる。
よしよし、必ずお前を使いこなしてやるからな。
〇
「サキ様! 湯舟にネズミを入れないでください!」
いい気分で、岩で出来た温泉の湯舟に浸かっていたところ、リタに叱られた。
近頃のアタシは、寝るとき以外、ネズミと常に一緒に居る。
つまり……こうだ。
黄金竜と一緒の時は、もっと全身がバラバラになる痛みでも耐えられた。同種の痛みであっても、ネズミの力と、そこからくる痛みはずっと弱いのだから、長時間耐えることさえ出来るはずだ。アタシが、黄金竜に力を使えたのと同じくらい、ネズミに力を発揮してもらえるように、痛みに慣れる訓練をすれば良い。
あるいは、ネズミに力を発揮してもらいたいと思えるくらい、ネズミを愛せれば良いのだ。……汚らしく矮小な存在だが、今のあたしにはこれしかないのだから。
よって、ネズミを愛するために、四六時中出していることに決めた。
なあに、フェルナー曰く『ただのネズミではない。低級だが契約を結ぶ価値のあるもの』だからな。
あまり頭も良くないし、力も弱いが……。きっと出来るはずだ。
「いいじゃないか。ちゃんと洗ったぞ」
言うアタシの傍には、少し浅いところで、湯船に体を半分つけて寛ぐネズミ。ちゃんと石鹸で洗ったからその黒っぽい灰の毛並みも艶々だ。
「そういう問題ではありません! 小さい子たちが、自分たちも、他の動物を捕まえて入れたいとか話してるんですよ!」
リタの顔はぷりぷりと赤い。
年下の子なのに、なんだか、実家の母に叱られているようだ。
「わかったよ……じゃあ、頭の上に乗せておくか」
言って、ネズミをつまみ上げ、頭に乗せる。
ネズミはおとなしく、それに従い、頭の上に乗っかり、バランスを取って体を丸くした。
「あまり良くないですが……まあ湯舟の中よりは」
「リタは厳しいなあ……」
「ただの常識です! それと、最近、気をつけているのに、厨房でネズミが袋をかじった痕とかがあるんです。そのネズミじゃないですよね?」
「……多分、違うのではないかな。ははは……」
乾いた笑いと滝のような冷汗は、風呂の湯気にすぐに隠されて、リタにはバレなかった。
〇
何日かが過ぎた。
ネズミを使いこなすには、十分な時間が。
――いやそれは言い過ぎか。だが、匂いを辿り、目当てのものを1つだけ持ち帰らせる。
そのくらいなら何とかなる。
「サキ、これで良いか?」
「ああ。物持ちが良いな、貴様は」
夜の闇の中、携帯照明のみのアタシの自室。
シンが差し出したのは、木製の蓋のついたガラス瓶。
『忘れ虫』と同時に回収したが、フェルナーが不要と断った物だ。
アタシなら、気色悪くてすぐに捨ててしまうだろう。
「……何かに使えるかと思ってな。貧乏性だ」
「一応言っておくが、首尾良く『忘れ虫』を手に入れたとしよう。だが、不正があるとしても『忘れ虫』を使ったとは限らん。見つからなかったらどうするんだ?」
「ん。他の手段を考えるか……あるいは、不正はなかったとして諦めるさ。オレとしては、フェルナーがそんなことをしたなんて思いたくはないんだ。付き合いも短いわけじゃない」
「たまに思うが、貴様、良いやつだよな」
「……監視役失格なのかもしれん」
言うと、シンは考え込むように少し黙った。
アタシはネズミを呼び出すことにする。
「――『顕現』」
立ったまま唱えたそれに応じて、左手首のタリスマンの宝石が、ぼう、と黒っぽい灰色に光り――。
――少しの闇のゆらぎとともに、足元に契約存在であるネズミが現れた。
受け取った瓶と蓋を見せ、嗅がせる。
ネズミはおとなしくそれに従い、確かめるようにしている。
「わかるか? 今、力もくれてやる」
言って、細く薄い互いのつながりに、力を通す――。
ガンガンと重く、殴りつけてくるような頭痛と、走りぬける全身の痛みに、思わず、目を閉じる。
「ぐっ、……くうううぅぅ……ぁぁぁぁぁ」
苦痛に耐える声が、勝手に漏れ出る。
立っていられず、思わず、しゃがみ、膝をついた。
目を開けると、視界の端が、薄い灰色に染まっている。
力が互いに通った証だ。アタシの目を外から見れば……おそらく、灰色の鈍い光に包まれているだろう。
しゃがみこんだアタシを、ネズミが見上げる。気遣う様に。
「心配するな……。行け、お前の力を見せてやれ!」
一声かけると、応えるように、つい、とネズミは頭をもたげた。
そのまま、部屋を走り出て、回廊の闇に消える。
「ぐ……」
「大丈夫か?」
苦痛にうめき、奥歯を噛むアタシの傍に、シンがしゃがみ、顔を覗き込むようにしてくる。
正直、あまり見られたい顔ではない。
「……このままの姿勢でいいから、肩を支えてくれないか」
「ああ。……すまん、力になれたら良いのだが」
言うと、シンは両手で、アタシの両肩を包み込むように支えた。
隣に誰もいなければ、みっともなく、床に頭をこすりつけて痛みを紛らわしたいくらいだ。
痛みの中、支えられている肩がやけにはっきり感じられる。
目的の保管庫は、居住区の回廊を抜け、聖堂の扉を抜け、――石畳の広場と道の先。
フェルナーの自室に隣接したそこは、ネズミの足では遠い。ネズミ特有の抜け道でもあるのかもしれないが、それにしても。
はぁはぁ、と。荒い息をつく。ネズミが遠くへ行った感覚はある。
痛みに耐え、信じて、――待つだけだ。
……『完全なる秩序』との契約が邪魔しなければ、アタシの力も何か強化されるのだが。
まだか……。まだか……、と。
シンに何度も、謝るような励ましを受けた長い時間――体感だが――が過ぎた。
「……来たか」
呟くように言う。回廊の闇の向こう、かすかにその気配がある。
いや、気配はない。ネズミは闇夜に溶け込み疾走る。気配すら残さずに。
アタシが察知したのは、つながったその小さな感覚だけだ。
闇を抜け、開いた扉から、うつむくアタシの目の先に、走り寄る小さな灰色の影。
口に咥えられていたのは、紙片でも木札でもない。
古びた羊皮紙のように黄ばんだ、乳白色の虫だった。
「……よくやった」
呻き混じりに言うと、ネズミは応えるように、誇らしげにそれを咥えたまま掲げた。
咥えられた忘れ虫の腹の節が、うっすらと蠢き、内側に黒い筋めいたものが幾重にも透けて見えた。
「瓶だ、シン。早く」
「ああ」
短く応えたシンが、蓋を外したガラス瓶を床へ差し出す。
ネズミは、そのまま忘れ虫を瓶の口へ落とした。
からり、と木蓋の閉まる音がする。
瞬間、アタシはようやく力を抜いた。
灰色に染まっていた視界が揺らぎ、遅れて、何かが喉の奥からせりあがってくる。
「おえっ……うえっ……えええぇぇぇ……えろろろろろろ……」
我慢できずに、アタシは床の上に、盛大に吐しゃ物をまき散らした。
「っ……大丈夫か。すまん、サキ、ここまでやってくれるとは……」
言いながら、シンは、近くにあったゴミ箱をアタシの吐く下へ置いた。
せき込みながら、それへ向けて、吐ききる。
「えうっ……げっ……えっ…………はあっ……はあっはあっ」
言いながら、多少すっきりした視界――灰色は無く、代わりに少しの涙がにじむ――で、床を見る。
心配そうにアタシを見上げるネズミが見える。
「よしよし、よくやった。後でまた一緒にお風呂に入ろうな」
言うと、ネズミは嬉しそうに、一番近くのアタシの身体――足へすり寄り、頭をこすりつけてきた。
そのまま淡く光り、輪郭がほどけるように揺れ、次の瞬間には光とともに、宙へ沈むように消える。
次に呼ぶまでは、契約の内側だ。
アタシはゆっくり立ち上がると、ふらふらとベッドへ。
そのまま、ベッドの中へ、飛び込むように、うつぶせに倒れこんだ。
「サキ……」
心配するシンが寄ってくる。
「『忘れ虫』を使う前に少しだけ休む。……床の上のゲロを掃除しておいてくれ」
そこまで言って、張りつめていた意識が切れた。
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