第11話 【転③】後
〇
「……美味かった」
寝転がり、呟くように、空に言う。
墓地の一角。墓標の並んでいない場所があった。墓地の外側に大きな木があり、木陰になっている。
そこへ、居住区から持ってきた、茶色く薄い絨毯を敷いている。
細い草の繊維――なんだか、香ばしく良い匂いがする――を編みこんで、薄く織った物。温度や湿度の高いところでは重宝しそうだ。
靴を脱いでその絨毯の上に上がった。そのまま昼食を終えたアタシは、仰向けに寝転び、大きく手足を広げている。
絨毯は何枚もあり、子供たち全員がそこで座って昼食を摂り終えたところ。
昼食を摂るやいなや、もう遊び始めている子供らもいて、ゴロゴロする場所はいくらでもある。
物を挟んだパンも、米の球も旨かった。
米の球に巻いてあった黒い紙は、イコマに聞いたところ、そこそこの値が張るらしい。『完全なる秩序』の資金に不安はないとはいえ、普段から常食するには、少しばかり気後れする物だそうだ。
食糧調達の話を聞いていると、卒業パーティーのメニュー選びを思い出す。あの時も、資金は潤沢ながら、選定にはコストを含めて随分気を回したものだ。どこであっても、人のやることは同じらしい。
「きれいだな……」
青い空と、上空まで伸びる大きな白い雲。
雲の形は、ローゼンヴァルトではあまり見ないものだ。
「まぶし……」
太陽の位置はかなり高い。
時折、風が吹いて木の枝が揺らされ、アタシの顔がその木陰から出て、日光を浴びる。
「サキさん、お茶を入れました。飲みませんか」
空を見上げる視界を、見下ろすイコマの笑顔が遮った。
その言葉は、『入れた』であって、『淹れた』ではない。
沸かした湯で茶を淹れたわけではなく、持ってきた水筒から、小さなコップへ茶を移した、だけの意味だ。
「あ、いただきます」
身を起こし、冷たい茶の入ったコップを受け取る。
一口、すする。少し汗ばむ身体に、冷たさがしみる。
黒っぽいこちらの茶は、赤みがかったローゼンヴァルトのお茶とは、味も匂いも色も違う。なんなら飲み方まで違う。故郷で茶をすすったりなどしたら、母の厳しいしつけが待っている。
昼食と一緒に飲んだ温かい茶は、エメラルドのような美しい緑だった。
どちらも、砂糖や牛乳を入れる習慣は無いらしい。
両親も、何も入れない茶が好きだったのを思い出す。元気でいるだろうか。……心配しているだろうな。
「サキさんが、水を出してくれるおかげで、とても早く終わりました。ありがとうございます」
「いつもは、昼食を挟んで、まだ清掃を続けるんだ。ありがとう」
イコマとシンが、口々に言い、頭を下げる。
「ああ、いえ。力になれたのなら」
「サキさん、魔法はなんでも使えると聞きました。すごいですね。私も多少魔法は使えるのですが、水属性は苦手で……」
「コツがあるんです。水は基本ですから、火や風より掴んでしまえば簡単ですよ。……良ければ今度教えます」
イコマ相手だと、どうもこちらも丁寧な話し方をせざるをえないと感じてしまう。
柔らかい雰囲気のせいだろうか? その太くはないのに女性らしい体と顔のせいだろうか?
普段は子供らの面倒を見ている人だから、母性を感じるのだろうか。
今日は、シンがちゃっかり隣を確保している。なんだか少し緩んだ空気を感じる。
デレデレしやがって、スケベ野郎。
アタシのことは何度言っても子供扱いするくせに。
と。モヤモヤしていると、そのシンがぽつりと口を開いた。
「ここにも、そのうち水道が欲しいな」
「ああ、確かに。良いですね」
イコマが笑い、賛同する。
聖堂前の広場には、谷から水を汲み上げる魔力式の水場がある。料理や生活用水に使っているものだ。
露天の温泉もあるにはあるが、あちらは飲み水には向かないらしい。
その水場がここにも欲しい、という話だろう。
「なんとかならないか? お前の専門だろう」
シンがこちらへ話を振ってくる。
それは本当に欲しがっているのか、それとも、出来る者に話を振って、イコマに良いところを見せようとしているのか。アタシにはわからなかった。
「私の魔法は、家風として、戦闘に使えるものを学んでいるだけだ。装置や生活基盤のことまではな……」
「そうかあ……」
なんとなく少し残念な雰囲気で、アタシとシンとイコマは、ふ、と遠くを見るようにする。
風が気持ち良い。
子供たちが追いかけっこや虫採りをして、遊んでいるのが見える。
今日は、戻って掃除なんかもせず、作業もこれで終わり、自由時間らしい。
と。
リタたち、女の子を中心に、座る一団が目に入った。
地面に敷き詰められるように生えている花――シロツメクサやタンポポ――を、茎ごと使い、それを幾本も編みこむようにしている。
織って、円になるように湾曲させて。不思議なことをするものだ。
「……あれは?」
ぽつり、と。
呟くように言うアタシ。
「花冠だろ。知らないのか?」
シンが横から意外そうに訊いてくる。
「花冠?」
「草花を編んで、輪っかにして、冠に見立てるんですよ。昔は弟や妹によく編んであげました」
イコマが、アタシと同じ方向を見ながら、穏やかな笑顔で言う。
何かを懐かしむように。
「ふぅん」
「意外だな。女の子の定番の遊びだと思っていた」
シンが、揶揄うように言ってきた。
「……我が故郷には、あのように織るのに向いた花は、咲いていない」
寒風吹きすさぶローゼンヴァルト領での定番の植生は、もっとずっと短い芝生のような草だ。シロツメクサすら、こことは長さや形が違う。
花が咲く草もある。ただ、それは、チューリップのように首が長く、花も力強く大きなものが多い。
群生するちょうど良い長さの花はあまり見ない。
編む発想はなかった。
「そうですか。教えましょうか? 好きな子に贈り物にしたりできますよ」
「……もうそんな歳でもありません」
イコマの提案を断り、アタシは編む子たちの輪を見る。
花に負けない、かわいい笑顔があふれるそこは……幸せそのものな光景だった。
〇
「あ、あの、サキ様」
絨毯の上に座りこみ、風に吹かれて空を見ていると、横から――上からではなく――声を掛けられた。
「ん」
声のしたほうへ顔を向ける。
小さな女の子――6つ下の弟と同じくらいか――が、完成した花の輪を両手で持っていた。
後ろには、リタや他の女の子たちもいる。
「こ、これ、どうぞ」
そのまま、アタシに向けて、小さな女の子は両手で花冠を差し出す。
「私に……?」
困惑するアタシへ、その子と後ろの子たちが言う。
「今日は、……お水ありがとうございました」
「私たち、何もないけど、これを渡すんだって、この子が言うんです」「もらってあげて」
「あ、ああ。ありがとう」
その冠を、両手で、アタシは受け取った。
手に持つそれは、白と黄色と、少しの小さな青い花が編み込まれていて、茎の緑に映えて美しい。
――こんなものでも、まあ喜ぶべきか。
虜囚のアタシには、この手作りの花の冠くらいが相応しい。ここはローゼンヴァルトでも、貴族の子女が集まる学院でもないのだし。
本来なら、こんな花冠ではなく、本物の宝冠を戴く未来だって見えていたのだが……。
その未来も、シンやフェルナー――これを渡してきた子たちの未来の姿だ――の手によって、どうなるかわからない。閉ざされようとしている。
一瞬のうちによぎった、皮肉と諦め。……それを慰めるように、手元の花の冠を眺める。
――――っ!
今、アタシは何を考えた?
――『こんなもの』。
『こんなもの』と思ったのか?
親しくもない、アタシのことを思って、幼子が完全な善意とまごころで編んだ、その花の冠を見て、『こんなもの』と思ったのか?
煌びやかな宝冠と、手元のそれを比較して、前者が欲しいと頭をよぎったのか?
目の前の幼子を見ずに、それの未来の姿を見たのか?
眼前の姿を見ずして何がローゼンヴァルトか。
ぽた、と涙が落ちた。
声が聞こえる。胸の奥で、微かに残った矜持が囁く。
――ヴェルザキーナ・フォン・ローゼンヴァルトよ。
お前はその誇るべき名に恥じないように生きているか?
「う、うう……」
「サキ様!?」
ぼたぼた、と、花の冠を握った両手に、涙が落ちる。
唇を噛んでそれを堪える。
「すまない……こんな、私のために……」
絞り出すように言う。
胸が痛い。それでも……消えないものはある。善意に照らされ、自身の醜さを直視したことで、胸の奥に沈めていたそれも、認めざるを得なかった。
「だが、……ダメだ。ダメなんだ。アタシは、貴様たちを許せない。感謝はする。……でも、これをもらっても、許せないのは変わらない」
そう。
穏やかに日々を過ごしていても、子供たちを見ていても、ふとした時を見て、心の奥から奥から、憎しみがわいてくる。
――黄金竜の仇、そして、今はそうでなくても、将来はそうなるとして。
目の前の子の真心はわかるのだ。だが、アタシはそれに応えられない。
「アタシが、貴様らを殺さないのは、契約があるからだ。契約がアタシを縛るからだ。……そして、そこにいる男がアタシより強いからだ。ううっ、……アタシは、情けないやつだ。時々、どうなってもいいから、ここの谷ごと、自分ごと、貴様らを滅ぼしてやりたい衝動にすら駆られる」
目をつむる。それでも涙は、ぼろぼろと止まらない。
瞼の裏に、輝く黄金の竜が見える。いっそのこと、それと同じ場所に行けたらと思う。
花の冠を持ったまま、顔をそれに近づけ、隠す。
「サキさん……」「サキ……」
イコマとシンの手が背中に触れる。熱い。
「アタシのお祖父さまは、『万なる敵を友とせよ』と言った。…………これでもそれなりに、模範たらんと生きてきたつもりだ。その言葉で諍う学友を諌めたこともある。だが、違う。あそこにいるのは同朋で、敵ではなかった。恥ずかしい。……お前たちのような敵に会わないと、それすらわからない愚か者だ。アタシは……」
目の前の子はただ、呆然とアタシの言葉を聞いている。目を閉じていても、気配でわかる。
すまない。こんなことを言いたいわけではない。
感謝の気持ちを伝えたいのだ。だが、それでもアタシの言葉は、涙とともに、勝手に漏れ出てきて、止まらない。
「何が『万なる敵を友とせよ』だ。……初めて会う、たった数人の敵をすら、アタシは許せない。愛することなど、友とするなど考えられない……」
「お前の大事な竜をオレは奪った。被害者であるお前からすれば、当然だろう。お前が何か悪いわけじゃない」
背中に手を当てたシンが、アタシを諭すように言った。
それを否定するように、かぶりを振り、続ける。
「幾たびも戦場に出た、勝利より敗戦を誇りとするように語るお祖父さまだ。奪われた経験もアタシよりずっとあるだろう……。そんな浅い言葉であるはずがない。……大好きなお祖父さまの言葉を理想としながら……アタシはそのように生きられない。理想と現実は……こんなにも遠い。……うっ、ふっ、うぐっ……」
うっ、うっ、と嗚咽が漏れ出て止まらない。
すまない、と思う。
それは目の前の子に対してか。それとも、仇も討ってやれない、情けない友の姿を見ているであろう黄金竜に対してか。
と。何か小さな手と体に囲まれた。
濡れた目を開ける。小さな子たちが、アタシを抱きしめるように周りにまとわりついている。
「サキ様」「サキ様」「ごめんなさい」「ごめんなさい」
しきりに謝るそれら。コイツらが謝ることなど何も無いはずなのに。
――謝ることなど何も無い?
それでは、コイツらは敵ではないのだろうか。黄金竜の仇、それになりうる将来の敵ではないのだろうか。
アタシにもらい泣きしたか、涙を流してアタシにまとわりついてくる。
「うう……謝るな……お前たちは謝るな……」
うっ、うっ、と泣きながら、アタシは、花の冠を持ったまま、近くの子たちをを抱きしめた。
互いに抱き合いながら、泣く我らの姿は、きっと傍から見れば、滑稽だろう。
だが、どうしようもないのだ。認めざるを得ない。現実のアタシは滑稽で醜い。
「サキ様、今夜は一緒に寝てあげるから」
1人の子が唐突に言った。
あっけにとられ、涙の目のまま、訊き返す。
「ほぇ?」
「泣いてる子は、誰かが一緒に寝てあげることに決めてるんです」
別な子が言った。有無をいわさず、それがルールだと言うように。
「……」
「私たちの部屋に来て」
応えられずにいると、どういうことかを言われた。
子供たちの広い共同部屋。
コイツらが夜、そこでみんなで寝ていることは知っている。
「泣いている子。……い、いや、アタシはもう子供ではない……」
「――子供ですよ」
動揺しながら、それでも言葉を返したところ、イコマが諭すように言った。
「届かない物に必死で手を伸ばす、大人になろうと頑張る子供です」
「う……」
見ればわかる。
体型や顔の問題ではない。所作の少しの余裕や子供たちへの接し方、作り出す雰囲気。
確かに、この人ほどアタシは大人ではないかもしれない。
「行ってあげてください。一緒に寝てあげてください。この子たちの出来ることをさせてください」
優し気に、それでもきっぱりとイコマは言った。
周りの子たちも、何かを堪えるように口を引き結び、うん、うんと頷いている。
アタシやイコマの言っている意味など、半分も分からないだろうに。
だが。
「……わかった。では、夜、頼む」
わあ、と。
少しだけ、子供らが沸いた。アタシと同じく、涙を溜めた目のままで。
〇




