第10話 【転②】後
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陽も落ちかけた、空に残った朱と、青の薄暮の中、今日の『門』を抜けた先は、村はずれの民家の庭先だった。
その場にいた住人であろう男に、シンが頭を下げ、向こうも軽く手をあげ、無言でその場を後にする。
庭先を抜け、路上に出たところで訊いた。
「さっきの人は?」
「協力者だ。各地にいる。毎回こうだと良いんだがな」
村は遠めに人の姿も見えるが、暗いこともあり、アタシたちに気を止める人はいなさそうだった。
高い建物の無い田舎の村を出て、森の方へ。
仕事着の革っぽい服の上下と、音のしないブーツ。
事前情報通りなら、目的地は村はずれの墓地。
今回は家の潜入等ではないので、防寒用のマントを羽織ってきた。
シン曰く『現地まで行くだけの簡単な任務』。人が少ない方が気兼ねがない。
村を離れ、森にほど近い斜面を歩く。
獣道に近いとはいえ、人の通る跡があり、これでも立派な道である。
道の周囲は茎が細くて硬く、葉は薄い代わりに幅広で、これまた硬い植物が一面に生えている。
なんとなく竹に似ているがずっと細く、短い。
体や革手袋の手は大丈夫だが、肌に当たると切れそうだ。踏みしめる道も、その茎が落ちていたりして硬い。「顔や目を切る者もいる。お前は背が低いから気を付けろ」とはシンの言葉だ。アタシの背が低いのではなく、貴様がデカすぎるだけだろうが。
道すがら、シンが確認のように語りだす。
「今はあまり使われていない……火葬した骨を納める納骨堂と言っていたな。墓場と変わらんか。妙な鳥が住み着いて、みな、気味悪がって近づかんらしい。灰が躍る……骨が歌う、か」
「命を戻す鳥……。死者が蘇るのか?」
「伝説の不死鳥ならそうかもしれないが、こんな人里近くにはいないだろう。『返り鳥』だろうな」
「『返り鳥』?」
知識の中には無い言葉だった。
「ああ。見たことは無いが、歪んだ形で、命を元の形っぽく振る舞わせるという鳥だ。名前に騙されるなよ。命が返るわけじゃない」
「そうか」
「近年亡くなった者は、新しい墓地の方に弔うらしいが……。墓参りが出来ないのは気の毒だ。回収任務抜きに、なんとかしてやりたいな」
「へえ……ふふ」
アタシは軽く意地悪に笑う。
「なんだ?」
「貴様らでも、墓参りなんて言い出すのか、と」
少し村人への同情を見せるシンに、珍しさを感じ軽口を叩く。
シンは、きょとんとして――といっても、暗く、表情までは分からないが、脚を止めたその雰囲気から――アタシに言った。
「……? 当たり前だろう? オレたちの場合は、たまたま先に行っただけの、志を同じくした先人たちだ。村の人達だって、先祖のことをそう思っているはずだ。可能な限り大事にしてやりたいじゃないか」
「……同感だ。失礼をした」
ローゼンヴァルトでも、厳しい土地を拓き、今日まで守り抜いた祖先は大事にする。
無礼な言葉だった。人の想いに違いがあるわけではないのだ。
〇
たどり着いた場所は、大きな石を土台とし、細い石をその上に四角く切った墓石が立ち並ぶ墓場だった。
「鳥は……どこだ? そもそも、契約存在と言っても鳥だろう? 夜目は効くのか」
独り言のようにアタシは口に出す。
アタシもコイツも夜目は効くから、星明りのみの夜空でも、立ち並ぶ墓石の間を歩くくらいは訳はない。
――いや、嘘だ。素でなんでもなく進むシンと違い、アタシはこっそり暗視用の魔法を使っている。
「生物とは限らないからな……。強力な契約存在ほど、形に意味はないこともある。力をばらまくただの構造で、意思すら無かったりするだろう」
シンが辺りを警戒をしながら言う。
確かにそうだ。鳥の姿をしているからと言って、知能があるとも限らない。
と、暗い墓の奥の方に些細な違和感。ぼんやりとした闇が、そこだけ歪んでいる。
かち、と。
重なる墓石の隙間が鳴った。
風はない。草のズレでもない。
土の下で、骨がわずかに位置を変えたような音。
墓石の根元に溜まっていた灰が、ふるふると震え、細く這うように奥の闇へ集まり始める。
尤も、暗くて灰かどうかはわからない、細かい砂かもわからないが、なんらかの粒が。
しゃり、と粒、その塊が盛り上がった。
ネズミほどの大きさの何かが、墓のあいだから這い出る。
暗くてもわかる。骨だけのようにやせぎすで、輪郭も曖昧。小骨と灰を無理に寄せ集めたような形。
それが上半身から首らしきものをもたげ、奥の歪みへ向かって、頭を垂れるようにした。
頭を垂れたその奥。
墓石の上に、1羽の鳥。
赤っぽく、ぼんやり光って、翼は畳んだまま。大きさは、大きめの猛禽類。大鷲くらい。
「コイツだな?」
「ああ」
小さなネズミのようなものは、どう見ても生者ではなく、どう見ても善きものでもない。
まるで、鳥がそこにいるだけで無理に呼ばれて、平伏するためだけに出てきたような。
シンが呟くように言う。
「……『返り鳥』だ。少し下がれ」
言われてアタシはシンから2歩ほどの後ろへ下がる。
鳥がこちらを見ているような気がする。なのに意思は感じない。
――と。
ぞわり、と。
ネズミほどの大きさの何かが複数、墓石の周りの闇から這い出てきた。
20から30くらいか?
さあっ、と。
闇を広げてこちらの認識へ浸食するように感じるそれらは。生理的にかなりおぞましい。
「ふっ」
一閃。アタシの目の間でひらめくシンの体。
鞘に納めたままのロングソードで、ネズミを一薙ぎにした。
「見た目、敵対の意思はない。単純な力だけの存在だ。さっさと仮契約を済ませてくれ」
「ああ! ……うわっ」
がくん、と。
応えて、前に出ようとするアタシは、そのままつんのめる。
見れば、死後何日も経った屍のような、腐った肉の塊の人の上半身。それが地面から生えていた。
アタシの右足首はそいつの両手に掴まれている。
ぐじゅぐじゅ、じゅわじゅわ、と音が聞こえる。ブーツを毒か酸性の何かが侵食していた。
「くっ」
慌てて、ショートソードを抜いて切りつけ、振り払うようにする。
しかし、思いのほか腐った肉の塊は硬く、脚をつかまれていては思うように力が乗らず、振り払えない。
「サキ!?」
慌てたシンがこちらへ駆け寄り、ロングソードを素早く抜いて、2回ほど切りつけ――、ようやくアタシの脚が抜けた。
ブーツの掴まれた部分が、ブスブス、と煙を上げて溶かされている。
「焼け! そのまま肉から骨まで行くぞ!」
「わ、わかった! ―― 『炎の斉射』!」
シンの叫びに答え、火の魔法で焼き切る。ブーツとアタシの脚を少し焦がす犠牲を払い、浸食が止まった。
武器の強化魔法でもないと、ショートソードだけではとても戦力にならない。
「づう……」
焼いて露出した脚が痛い。最初から魔法で対処すべきだった。
と、少し距離の空いた、鳥の赤っぽいぼんやりした光が増した。火にくべられた薪の中で、燠火が輝くように。
――応えるように、腐った肉の塊の上半身がいくつも暗がりの地面から這い出てくる。
「おい!」
「なんだ」
這い出してきた人型の肉の塊がこちらへ掴みかかってくるのを、必死にショートソードで捌きながら。
叫ぶアタシに、シンが応える。
ばっさばっさと、ロングソードで肉の塊を薙ぎ払うその姿は、まだ比較的余裕そうだ。
一振りで――ひょっとすると一振りではないかもしれないが――人型の腐った肉の塊が、打ち砕かれる。
「何が、『敵対の意思はない』だ! 敵ばっかりじゃないか!」
しかも、ただの人間よりやっかいだ。
動きはそこまで速くないが、暗闇から這い出す姿が気色悪くて、アタシの判断と動きを鈍らせる。
眠りもしないだろう。なんせ起きてきたばっかりだ。
「意思で襲ってくるわけじゃない。ただ、近づくと周りで勝手に魂の残滓が起きる。そういうことだろう」
「……クソっ!」
結果は一緒だろう、と心で毒づく。
鳥までの道は、すでに多数の人型の肉の塊に防がれて、近づけそうにない。
シンが手を止めずに、アタシに訊く。
「実体がある。この手の、動く死者のようなやつらには、雷撃が有効だ。地を這うような雷撃、そんな魔法は使えないか?」
「そりゃ使えるが、貴様がいたら、巻き添えだ!」
「……ダメだな。なんとかするから、あいつへの道だけ作ってくれ」
道だけ作れと言われても。舗装や用地締め固めのような呪文は知らない。知識に無い。
――いや。あった。
「ボコボコでもいいか?」
「構わん。やってくれ」
言うが早いか、シンはアタシの傍まで走り寄る。
まあどんな道でも、飛んで走り抜けそうな男だしな。
そんな思考を巡らせ、――早口で詠唱と、魔力と呪文のアレンジを終え、アタシは魔法を解き放つ。
「――『層理面』!」
アタシから鳥まで直線状に、硬い地面が、アタシの背を超えるくらいに盛り上がる。何度も何度も凹凸をつけて。いくつか墓石が犠牲になった。
盛り上がった部分は、そのまま人型の肉の塊を跳ね飛ばす。――どうだ!
「よし、行くぞ」「――へ?」
言ったシンは、アタシを右肩に担ぎ上げ、凹凸の上を宙を舞った。
飛ぶように、段差をものともせずに、突進する。
「おおおおおおっ!」
雄叫びを上げながら、跳んだシンはそのまま鳥に飛び掛かり、左手でそれを押さえつけた。
「やれ!」
「わかってる!」
まだ肩に担ぎ上げられたまま、意図を読み、シンの指示に応える。
両手の手袋を放り投げるように脱ぎ、右の親指の爪で、左の手の平を切り裂く。
そのまま押さえつけられている鳥へ、魔力を込めて、ぶしゃあ、と噴き出た血を振りかけるようにした。
鳥の身体が淡く光った。
そのぼんやり光る赤の輪郭がほどけるように揺れ、次の瞬間には光とともに、宙へ沈むように消える。
血絆の成立。ほとんど意思の無い力だけ、というのは本当らしい。意思があるなら、契約自体も少しばかり手間取る。
『返り鳥』は契約の内側へ消え、と、同時に、周りの腐った肉の塊たちも、さらさらと、風に吹き散らされる灰のように消えた。
「……ふう」
「担ぎあげるなら、最初に言ってくれ」
「言わなくても、分かってくれると思っていた」
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「おんぶか、抱きあげて帰ってやってもいいぞ」
座り込み、焼いた脚に治癒魔法を掛けていると、シンが頭の上から言ってきた。
焼いた右のブーツは、外側を中心に裂けている。底面は残っているものの、歩けばそのまま裂け目が広がりそうで、如何にも頼りなかった。
このまま来た道を戻るのは……つまり、 硬い植物の生えた藪を通るのは、避けたい。
「……夫でもない男に抱きあげられるのは、不愉快だ。だが……、これでは歩けん。すまんが、おぶってくれ。変なところに触るなよ」
「わかっている。子供のくせに、そんなことをいちいち気にするなと」
屈んで、アタシに背を向けるシン。
ガキ扱いするなと何度も言っているのに、毎度こちらをイラつかせてくる。
だが、背に乗る前に、やることがあった。
「ちょっと待ってくれ」
言って、立ち上がり、少し長めに感じる呪文の詠唱を始める。
慣れぬ魔法だが、やっておいた方が良いだろう
「――『安らかなる眠り』」
唱え終わるとほぼ同時、アタシを中心に、透明に近い白い光が、墓地全体に広がっていく。
ふ、と。ふ、ふ、ふ、と。
墓地のあちこちで、ごく小さな、弱い光が一瞬現れては、消えていった。
魂の残滓――と呼んでいいかはわからないが、迷い、留まる何かを清めるための浄化魔法。
地水火風の4つを薄く重ねて扱う、少し扱いの難しい系統だ。
……いや、言い訳だな。修練不足だ。汚れた墓地のような場所など、まず行かないから、使う機会もないと高を括っていた。
「あの『鳥』がここに留まっていたからか、なんだか良くないものが溜まっている気がする。私の魔法では、どこまで出来たかわからないが……やらないよりはな。気休めかもしれんが」
シンは、感心したように言った。
「――すごいな。一瞬、聖女に見えた」
「真似事だ。これも教本に載っていたから出来るが、殆ど使ったことは無い」
回復や治癒魔法もそうだが、浄化魔法も、使う機会がないものは、上達のしようがない。
唱えて発動させることは出来ても、本職には全く及ばない。
「いやいや。大したもんだよ。ほら、乗れ」
「ん。――助かる。……丁重に運べよ。レディだぞ。乾燥した花を扱う様に丁重にだ」
今度こそ、アタシはシンの背に身を預けた。
〇
「火葬した骨を埋める場なのに、死体と戦闘になるとは思わなかった」
シンの背中に揺られながら、ぼやく。
「あれは死体そのものではないだろう。骨や灰の……形の記憶みたいなもんだろうな」
「なるほど。……なあ、……骨や灰であそこまで形になるなら、死体そのものがあれば、生前のように復活させられたりはしないのか? あるいは……灰から死体を復元して、さらにその死体から……」
思いつきをそのまま口にする。その場にあるだけなのに、『返り鳥』が見せた光景は、衝撃だった。
単純な構造の契約存在は、契約することによって、相互に力を何倍にもする。
もし仮契約ではなく、正式な契約ならば、死者をも本当に蘇らせることが出来るのでは、と。
そう思わせる光景だった。
「無理だ」
シンはきっぱりと言った。
「……そうか」
「今日動いた死体たちだって、その骨や灰になる前の姿ではないかもしれん。あくまで似せた、それらしく形作るだけだ」
「……グラファリエルの死体があれば、と思ったが」
「諦めろ。命は帰ってこない。もし帰ってきても、歪んでいて、もう同じものではないだろう」
「…………」
正直、『返り鳥』を手放したくない。
支部に戻り、渡すしかないのはわかっている。
……歪んでいても、黄金竜に帰ってきて欲しい。そう思うのは、いけないことだろうか。
シンもそのまま沈黙し、重なり歩む1つの影に、少しの沈黙が流れる。
「……そういえば、実体のある死体へ、雷撃が有効と言っていたが、どういう意味なんだ? 初めて聞いたぞ」
無理くり話題を変え、アタシは戦闘を振り返る。
これ以上考えたくなかったのもあるが、知識はいくらあっても良い。
「人や獣の身体は、小さな雷の連続で動く。動く死体も同じだ。人より雷を伝える導線が脆いから、そこに強い力を加えてやると、導線自体が壊れて機能不全を起こす」
「へえ。覚えておく。……貴様も魔法が使えたら良かったのにな」
「別に、魔法が使えないことを恥とは思わん。オレの師は『万の技を使える者は怖くない。1つの武を万回修練した者は怖い』と言っていた。まあ……そう言いながら、戦斧も鎖鎌も教えてくれた師だったが」
「なっ……」
思わず、息を呑む。似たような言葉を知っている。
「どうした?」
シンが、優しげに訊いてくる。
背中に揺られて、体を伝い聞くシンの声はいつもより低く、なんだかこちらの心を穏やかにさせる。
ついつい、……言わなくて良いことまで話してしまいそうだ。
「……それは、私の父の言葉だ」
「どういうことだ? オレの師はお前の父ではないはずだぞ」
「以前話しただろう。我が家の家訓、前半部分は『万を恃むな畏れるな』。後半部分の言葉はそれぞれが探しながら生きる。生き方をそれぞれが見つけ、言葉とするのがローゼンヴァルトだ。『万を恃むな畏れるな』の後に、『百なる声に万で応えよ』と続けた者もいれば『一の涙を見捨てるな』と言った祖先もいる。……尊敬する祖父の二の句は『万なる敵を友とせよ』だ」
「ほう」
「父の見つけた言葉は『一なる技を万と成せ』。貴様の師と重なる」
シンの背中が、軽く震えた。笑ったのだろう。
「ふふっ……。確かに、よく似ている。覚えておこう」
それだけではない。
攫われて以来、日常の過ごし方や鍛錬を見ていれば分かる。
価値観も、子供たちへの接し方も、自分への律し方も……コイツのそれは、どこかローゼンヴァルトの理想に似ている。
「……修練を突き詰めると、同じ言葉に行きつくのだろうか」
「かもな」
大きく広い背中は頼もしく、背負われ揺すられていると、幼い頃、父にそうされた時のような安心感があった。
おもわず、眠気にすら誘われながら、呟くように言う。
「……出会い方が違えば、アタシたち、友達に……」
……なれたのだろうか。
どろんとして落ちたまどろみの向こう、優しく寂しげな声の言葉を聞いたような聞かないような……。
「お前はオレを許せないだろうが、それでも、オレはお前から、いつか友と呼ばれたいとは思っている」
〇




