第9話 【転① 花の冠 誇りの空】
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「――そのとき、砦2つ分よりも大きな、砂漠を泳ぐ砂鯨の巨体が、わずかに揺らいだ! ドカーン! 天を行く、後のローゼンヴァルト4代目当主、嵐の王ゲヴァルト。まだ若きその男が駆る飛竜ストライダムの火球が、ついに砂鯨の尻の柔らかい部分に直撃したのだ! そのわずかに揺らいだ、と言っても、周囲に地響きを起こし、並みの者なら立っていられぬほどの衝撃のある砂鯨の揺らぎだがっ! ズズズ~ン! そのわずかに揺らいだ間隙を逃さず! 大きな谷をも飛び越える勇猛な愛馬にまたがった、我らが2代目が、母衣をたなびかせ閃光のごとく駆け抜ける! その巌のごとき手に持つ、マグマを噴きあげる槍が、砂鯨の首横、喉近くの鰓の隙間を刺し貫いた! その朱の穂先は、まさに我らの連綿と続く、煮えたぎる血脈のごとし! グサーッ!! えっ、鯨なのに、なぜ鰓がある!? 戦闘知識においては他の追随許さぬローゼンヴァルトの叡智をもってしても、その理由は未だ解かれていない。 大自然はまだまだ解き明かすべき謎が多いということだ! ともかく、その槍が抉った傷口を目指し……」
「な、なあ、サキ」
「む、なんだ? この『月影冷ややかに銀の海を憂う麗人』の章は、まだ序盤だぞ」
夜の間、石畳に座り込み、星を見ながら話し込んでいたアタシたち。
偉大なるご先祖の英雄譚が、盛り上がる佳境に入りかけたところで、シンが青ざめた顔で右手を上げた。
「よ、夜明けも近いし、……続きはまた今度にしないか? 話しっぱなしで疲れただろう」
見れば、なんだかげっそりした、その顔色の悪さが分かる程度には、陽が差し、夜が白んできていた。
夜明けはもうそこだ。
「いや、我が家の話なら、いくらでも話していられる。心配することはない」
「心配はしていないが……。一晩中話したのに、分かったのは、建国以来の王家の盟友であるお前の家が、財政難で危機に瀕していること。王家が、心情的にはお前の家を援助したいが、他の貴族への体面もあり援助しづらい立場にあること。お前が王家に嫁入りすることで援助を引き出す、政治的婚約を結んでいたこと、くらいだな……。とりあえず、今日はフェルナーに報告して、朝食にしよう」
「むう。そう言うなら……そうするか」
まだ我がローゼンヴァルトの今日までの栄光の道のり、その30分の1も話していないと言うのに。
実を言えば、歴史語りに関しては多少の自信があるのだ。
剣も魔法も、どれだけ成績を上げても、あまり褒めてくれない両親が、アタシを手放しで褒めるのは、これくらいだ。
「しかし……お前の話は回りくどくてかなわん。どの貴族もそうなのか? 昨日の寝る前も、『静けき岸辺へ』どうたら、とか言っていたな」
シンが言っているのは、アタシの貞操を奪いかけた宿屋での会話を言っているのだろう。実際は奪う発想すら無かったようだが。
目の前に、誰もが欲しがるお宝があったと言うのに、なんだか変わったやつだ。
いや、物の価値のわからぬやつかもしれない。いくら強くてもそれではダメだ。
「ああ、あの時言ったのは……『彼方で己を省みるが良い』だったか」
「それって、つまり、殺すってことだろう? 素直に『ブチ殺す』と言えばいいじゃないか」
「そんな品の無いことは出来ん。土壇場で、殺意をいかに格調高い言葉に置き換え、飾れるかに、その家の格が出るのだ」
『殺す』という言葉を使って良いのは、明瞭さを要求される、命令を出す部下や指示する味方相手の時だけだ。
少なくとも我が家ではそう教わる。
シンは、ふう、とため息をつき、土埃を払いながら立ちあがった。
「つくづく貴族の話は理解できん。まあ、なんだ。ここには、娯楽が少ない。子供も結構いるのにな。その、さっきの長い長いおとぎ話は、子供らに話してやってくれ。きっと喜ぶ」
「我がローゼンヴァルトの栄光を、おとぎ話とは失敬な!」
〇
太陽が昇るのを待って、フェルナーの自室を訪問した。
「入れ」と言う招きに応じ、シンに続いて入る。
フェルナーは、寝間着であろう白いローブの上から濃い赤紫のガウンを纏って、出発前と同じ、一枚板の豪奢な机の前に座っていた。
机の上には罫線が規則正しく引かれた羊皮紙の束と、羽ペン。
――働きを終えた人間を、寝間着のままで迎えるとは。
ほんの少しの怒りをこめかみに感じる。
「ことの外、早かったな。ご苦労。シン、ヴェルザキーナの働きはどうだった?」
「……はるかな先達を除けば、今まで組んだ誰よりも優秀だ」
フェルナーの質問に対し、妙に仰々しい言葉をシンは使う。
「そうか。見立て通り、さすが私の見込んだヴェルザキーナだな」
言って、口を歪ませ、満足そうにフェルナーは笑う。無表情を装い、顔に出さないようにしているが、生理的嫌悪を隠せそうにない。黄金竜の仇だ、という思考、いや感情と相まって、正直、今すぐにでも――。
「では、『忘れ虫』をここへ」
言って、フェルナーは机のかげをゴソゴソと、何かを探して漁るようにした。
「容器類も回収してきた。必要か?」
「いや、用意しているから、不要だ。……あった、これだ」
シンの質問に、手を止めずに応えたフェルナーは、机の上に透明なガラス瓶を取り出した。『忘れ虫』の保管用だろう。
「サキ、頼む」
「ああ」
振り返ったシンに言われ、それを追い越し、机に寄る。
「――『顕現』」
瞬間、仮の契約としていた『忘れ虫』が契約の内側まで入りきらない、引っ掛かった隙間から、フェルナーの机の上、紙1枚程度の場所に出現する。
仮契約はこれで終わり。運ぶためだけのそれは、一度出現させて、解いたらお仕舞いだ。
「おお、――おお」
喜色満面、といった顔のフェルナーは、それを用意した瓶へ入れる。
こんな虫を、なぜそんなに喜ぶのか。アタシには理解できない。
「記録をしないのか。支部長の役割だろう」
「そう、そうだった」
シンの言葉に応えたフェルナーは、用意した羊皮紙の上に『忘れ虫』の正式名称を書きつけた。
と、その記した文字列の色が変わる。書きつけた瞬間は黒だった文字色が、鮮やかな赤へ。
「これでも、赤か。まあ想定通りではある」
少しだけ、声を震わせ、フェルナーが言った。
この場で1人、事情を知らず、不思議な顔をしているだろうアタシに向かってシンが言った。
「支部へ運び込まれた契約存在は、支部長がその名前を、魔力を通したインクで決められた紙へ記すんだ。書いた文字が赤なら、支部止まり、支部長限りで扱いを決めて良い。青なら、一定時間留め置き、円座へ送り、扱いを決める。移送用の構成員がいるから、それが来る時期にまとめてな。送った結果、支部へ戻ってくることもある」
「ふん……カデンツというのは何だ?」
この際だ、知らない単語は知っておこうとアタシは腹をくくる。
と、シンに訊いたつもりが、目の前のフェルナーが口を開いた。
「円座というのは、組織『完全なる秩序』の移動式の本部のようなものだ。場所は不定期に変わり、構成員は成果をあげればそこへ近づける。と、言われてはいる。……とはいえ、探ろうとするなよ。探っただけで消された構成員を何人も見てきた」
「……」
フェルナーの説明に、シンは無言で何も言わない。
本部か。以前抱いた推測は、どうやら合っているらしい。
しかし、移動式か。契約をなんとかできるなら、そいつらなのだろうが、接触すら難しそうだ。
「おお、そうだ」
と。フェルナーが羊皮紙の束を捲りながら言った。
手が止まる。その止まったページをアタシに見せてきた。
その示した頁。指し示された青い文字。
「――――っ!!!」
声にならない、叫びが出た。
無表情としていた顔が、歪む。
文字列は――――黄金竜グラファリエル
「あの竜は、書いた瞬間、青い文字に変わったぞ。さすがに価値が高かったな。いやあ、惜しいことをした。あれを移送できていれば、円座の私への評価も相当稼げたものを」
「貴様ぁ……っ」
「ん、怒るのか? ヴェルザキーナ、お前が持っていたものの価値が高かったと教えてやっているのに。……ああ、失ったからか。心配するな。あれを手に出来たお前なら、同じくらい価値のあるものは、またいくらでも手に入る」
思わず、腰のショートソードに手が伸びる。
と、シンがアタシを向いて、フェルナーを背に、割って入った。
大男に遮られ、視界がシンで埋まる。
「話は終わりだな、行くぞ」
一言。アタシへか、フェルナーへか、どちらかはわからないが。そう言ったシンは、アタシをひょい、と小脇に抱えるようにして担ぎ上げ、部屋の出口へ大股で歩きだした。
「ではな、ヴェルザキーナ。次の仕事があるまで待機しておけ」
そう言ったフェルナーに応える間もなく、アタシは部屋から連れ出された。
〇
「おろせ! おい! お~ろ~せ~!」
フェルナーの部屋から連れ出され、支部の中心部、聖堂への道を歩き、戻るシン。
じたばたと手足を振り回すと、ようやく小脇に抱えられた体を離してもらえた。
どさりと落ちるアタシの体。
「……クソっ」
思わず口から出る本音。道の石畳へ振り下ろされるアタシの拳。
シンの声が上から降ってくる。
「我慢しろ。フェルナーとお前の価値観が合わないだろう、というのは理解できる」
「ああ。わかっている。契約があるからな。……あの発言に悪気はないと、思うか?」
黄金竜を、あそこまでよくも冒涜出来たものだ。
だが、その扱いは少しばかりの挑発も含まれているような気もした。
「わからん。欲深い男だからな。どちらでも良かったのかも知れん。……お前を励ますでも、怒らせるでも」
「私を怒らせて、何がしたいんだ」
「言ったろ。契約に違背すれば、お前は過去を奪われる。帰る場所が無くなるわけだ。今回の働きで分かった、便利なお前を手放したくないのかもな」
「……おぞましいな」
今の目的は生存と帰還だ。
黄金竜が失われた今、故郷へ帰るという希望がアタシを支えていると言っても良い。
それさえ無くなり、あの醜悪な男に飼われて生きる。シンの発言はそれを意味していた。
冗談ではない。
ゆっくり、立ち上がり、聖堂への道を歩き出す。
シンも並んでついてきた。
「思わず衝動的になるところを止めてくれて、少しばかり感謝しようと思ったが、……やっぱり礼は言わん。……貴様だってグラファリエルの仇だ」
少しは違って見えかけていた。
だが、黄金竜の名がそれを吹き飛ばした。
「別に、それでいい」
「契約がなんとかなれば、お前もフェルナーも、真っ先に殺してやる。……クソっ、ダメだ。殺意を言い換えられそうにない。言葉を飾るなどとても」
黄金竜の文字を見せつけられたせいか、胸がずっとざわめく。
はぁはぁと、息がずっと荒い。
ローゼンヴァルト失格だ。
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イラつきながら聖堂へ戻り、そこから居住区へ抜ける。
回廊を歩いていたところ、厨房から漂う料理の匂いがアタシたちを出迎えた。
ここの料理は、嗅ぎなれない不思議な匂いが多い。
「とりあえず、着替えて朝メシにしよう。オレは食堂で食べるが、お前はどうする?」
「……部屋で食べる」
ここ、第八支部の食事は、炊事場で受け取り、好き勝手なところで食べる形式だ。
食べ慣れぬものが多く、戸惑ったり、作法もわからず。
……正直、他人に様子を見られるのが恥ずかしい。
食堂……。昨日は気付かなかったが、共同の場所があるのか。
「そうか。気が向いたら食堂にも来いよ。人が多い方が楽しいだろ。メシの後はどうするんだ? オレは正直、眠いから軽く寝るつもりだ」
「そうか。……私も寝ようかな。寝不足で私の美貌が翳っては困る」
「……お前、自分が美人だと思っているのか」
「? 当たり前だろう? 我が家では、生き方は容貌に出ると教わる。私ほど美しく生きている者の容姿が美しくないはずがない。……しかし、他にやることが無い。本か学習書は無いのか? それか、何か体を鍛えられるものは」
「オレは本に興味が無いからな……。今度、詳しい奴に訊いておこう。体を鍛えるのは……。武器庫や倉庫なら多少わかるから、何か見繕ってやる。木剣や素振り用の重り、袋竹刀なんかもあるぞ。武器そのものも、数はあるが、手入れされていない物も多い。……小さい子供が多いからな。使うなら気を付けてくれ」
「言われるまでもない。では、朝食後に頼む」
〇
部屋で着替える。普段着に渡されている、支部共通の布の服は、簡素だが粗末ではない。
シンとともに厨房へ行ったところ、リタとともに、茶色いウエーブのかかった髪の成人女性がいた。
昨日、子供たちの世話係のようなことをしていた人だ。
歳の頃は、母よりは若く、シンと同じくらいか少し上に見える。
そもそものシンの年齢も知らない。酒は飲めるであろう、成人を迎えたばかりくらいに見える。
アタシとシンの姿を認めたその人は、こちらへ寄ってくると微笑みかけながら言った。
「おはようございます。シンさん。……と、サキさんですか。昨日は挨拶もできずすみません。初めまして。ここで働いているイコマです」
明朗な、聞き取りやすい声だった。
リタから食事をもらうだけのつもりだったから、一瞬、想定外の事態に心が跳ねた。
が、それだけだ。
「はじめまして。ヴェルザキーナ・フォン・ローゼンヴァルトです。そのまま、サキと呼んでください。こちらこそ、昨日は挨拶もせず、失礼をしました」
なんとなく丁寧な口調で、アタシも返してしまう。
にこ、と口角を上げてイコマはこちらへ笑いかけてくる。
話すのが初めてでも、こちらの心をほぐすような、柔らかい雰囲気を持つ人だ。
と。
シンの声が、アタシの頭の上を飛び越えるように、後ろから話し出した。
「おはようございます。イコマさん。厨房にいるなんて珍しいですね」
「まあ、ひどい。料理も出来ない女のように言われては困ります」
「いえいえ、ここはリタが主のようにしてるから……。イコマさん、いつも忙しそうで、あまり会えないし、珍しいなって。こうしてここで、話せるだけでもオレは嬉しいですよ」
――衝撃だった。
コイツ、丁寧な話し方出来るのか。
アタシ相手でも、上司のフェルナー相手でも、ぶっきらぼうなタメ口のくせに。
「シン様、主だなんて、いじわるで偉そうな人みたいに、言わないでください!」
リタが炊事場の奥から手を止めずに叫ぶ。
こちらを一瞬見ても、その手元の包丁は、魔法のように青野菜を千切りにしていた。
「すまんすまん。じゃあ、邪魔しても悪いから、料理をもらったらすぐ行くぞ。……今日は、おっ、キノコとトウフか」
不思議なにおいのする茶色いスープを、鍋から椀にうつし、シンは頬をほころばせて呟く。
ここでの食事は、その椀と、白く炊いた米が主だ。
粥でもなく、混ぜ物もなく、味もついていない。ただ炊いただけの米を、そのまま食べる。
そこへ、いくつかのおかずの小鉢が添えられるのが定番。
おかずは、ただ焼いただけの魚の切り身や、味付けの薄い青菜。塩気と酸味の強い、刻んだ野菜の小皿なんかもある。
どれも粗末というわけではない。料理の手順は単純そうに見えるのに、味も形も妙に整っている。
食器は共用の木製のものばかりで、ナイフもフォークもない。アタシの場合は木の匙を1本、借りて使う。
シンもアタシも、自分の分の盆を取り、炊事場を出る。
出ようとしたところで、シンが足を止めて言った。
「じゃあ、リタ、イコマさん。ありがとう。イコマさん、手伝えることあったらなんでも言ってください。今日はオレ、暇してるんで」
「お仕事終わったばかりなんでしょう? お疲れでしょうから」
「いやいや。楽な仕事だったから元気いっぱいですよ」
――眠いから軽く寝るつもり、と言っていたのは誰だ?
内心のツッコミはおくびにもださず、観察に努める。
シンの笑顔は柔らかい。表情筋が死んでいそうな気配すら任務中はあったのに。
「そう? じゃあ、後で何かお願いしようかしら」
「はい! いつでも」
…………この男、なんだか仕事中と雰囲気が全然違う。
軽いでは足りず、軽薄にすら見える。
炊事場を後に回廊を歩く。
――明るくて、なんというか女性らしい人だったな。太ってないのに、出るところは出て、どこかやわらかそうで。
ああ、そういうことか。ああいう人が好きなのね。
「……スケベ」
「? なんか言ったか?」
「……別に」
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