343:彼岸より此岸への囁き ※
今回は第三者視点となります。ご注意ください。
トリニア教における地獄である無明の荒野。
そこは同朋を進んで殺すような愚者が魂だけになった時に送られる空間。
闇しかなく、故に個は溶け、全ては一となり、魔術は顕れず、魔の法が支配し、堕ちた者はこの地を利用する者によって砕かれる時までただ在る事を強要される領域。
「ちっ、亡者どもめ。今日もうるさくてかなわんな……」
だが、何事にも例外と言うものが存在する。
その例外の一つが、半ば自らの意思でこの地に踏み込んだ死竜と言う名のドラゴンだった。
「「「ーーーーー~~~~~……!?」」」
「くそ、やかましい……我は我の物であるといつも言っているだろうが!」
死竜は闇属性魔術によって、無明の荒野に満ちる闇から無制限に魔力を得る事が出来ていた。
そして、その魔力を操る事によって、自らとそれ以外の闇を切り分け、己と言うものを五百年以上の長きに渡って保ち続けていた。
それだけでなく、無明の荒野から現世へと干渉する手段を模索し、自らの欠片とでも言うべき物質を地上に出現させることで、少しずつではあるが脱出の手筈も整え、二度の経験を積んだ今では、適切な器さえ自らの欠片の近くにあれば、現世への回帰自体は容易な物となっていた。
「乱されるな……。今は我の器を得る方法を考えるのだ。最初は一時的な物で構わない。我本来の肉体を取り戻すのは、あちらに戻ってから百年がかりの計画でもいいのだ。だが強さは必要だ。人間どもは臆病で、執拗で、絶対に我の復活を阻止しようとしてくる」
死竜は生きる事を望んでいた。
だからこそ人間とは相容れなかった。
死竜は知っていたからだ。
人間と言う種族がどれほど狡猾で、残忍で、同族の命すらどうとも思っていない事を。
そんな相手の顔色を窺い、住処を分け、平和に暮らしましょう?
出来るはずがない。
彼の天を統べる竜程に隔絶した力があるならばまだしも、自分程度の力では、長い長い時の中、何時か何処かで命を奪われる事は容易に想像できたし、事実、自分は戦いの結果として肉体を失っている。
どちらかが絶対的な強者でない以上、どちらかが滅びるまで狩り合う形で関係性は固定されているのだ。
「特に三つ目の人間だ。一時的にでも、奴の力を削がなければ、あちらで力を取り戻す余裕すら無い」
故に死竜は考える。
自分の敵に気づかれずに復活する方法も、気づかれた上で復活する方法も、途中で気づかれた場合の抵抗手段も、過程に頓着せず、自身にとって都合のいい結果を追い求める。
そして、自分の考えが間違っていないか、実現できるかを、闇の中から欠片を通じて現世を観察し、情報を収集していく。
『クソ! クソッ! クソッ! どうして上手くいかない!』
そんな中で人間の声が聞こえてくる。
耳を震わせるのではなく、聞いている死竜の精神に直接響いてくる。
その響きは、死竜にとっては不快でありつつも、機会が巡ってきた事を知らせるものでもあった。
だから、まずは情報を求めて、冷静に耳を澄ませる。
『私は何も間違っていないはずだ! なのにどうして目覚めない!』
暫く話を聞いていた事で、死竜は理解していく。
この人間は力を求めて止まなかった。
それこそ、あの忌まわしい三つ目の人間のように、宮廷魔術師とやらになりたかったようだ。
だから、基礎は習ったが、その先は我流で学んだ。
二人の関係性を確かめるために情報も集めた。
希少な闇属性の素材とされている、生物の鱗も手に入れた。
王都全体を騒がせた騒乱で実戦経験も積んだ。
希少な文献も読み漁った。
イストフィフス侯爵領から逃げてきた者たちから情報を集める事もした。
特別講義とやらにも顔を出した。
だが、第二属性に目覚める事は出来なかった。
あの三つ目の人間と同じように進めたはずなのに。
故に、この人間は怒り、自分の寝床の枕を叩く事で、怒りを発散しようとし……むしろ怒りを募らせていた。
『そうか……。あの女……、私に嘘を教えたのか……! いや、それ以外にあり得ない! そうでなければ、私が第二属性に目覚めないなどと言う事があり得るものか!』
人間が憤り、叫ぶ一方で、死竜は闇の中で嘆息する。
我が未だに目覚めていない以上、そう簡単に目覚めるわけがないだろう、と。
だが同時にこう思いもした。
分かり易い渇望があるのであれば、我が復活するための礎を築かせるように誘導する事は、そう難しい事では無いだろう、とも。
「……」
死竜は即座に幾つかの試算を重ねていく。
現状では人間側の反撃は恐れる必要がない。
先日の一件で魔力ごと焼き尽くす火は出されたものの、あの場面でそれ以上の攻撃が飛んでこなかった以上、失敗したところで無明の荒野に戻されるだけで、本質的な部分に触れられる事は無い。
だから、堂々と姿を現し、相手の力を削ぎ、制し、壊滅させると共に、自らが完全に復活するための贄にしてやればいい。
そんな考えの下に、状況を作り出すためにするべき事を考えていく。
幸いにして、自身の欠片を持つこの人間は、自分が聞き耳を立てている事にも気づかず、今を吐露し続けている。
理解しがたい考えも、正確さに欠ける情報も多いが、それでも導くために必要な情報は集まっている。
死竜はかつても……人間たち相手にしたような囁きをすることにした。
「指輪だ。あの女の力の源泉は、奴が身に着けている指輪にある」
『!? だ、誰だ!?』
「……。指輪だ。指輪を奪えばいい」
『いや、これは、私の中から声が響いてきたのか?』
「指輪こそが力の源。アレさえなければ……」
『そう……か。そう……だ。単純な話だった……』
正確には、死竜は無明の荒野から、己の鱗を介して現世に干渉した。
自分の鱗を持っている人間の体内の闇へと干渉して、空気よりも骨を主体として、音を人間の中でだけ響かせる。
そうする事で、人間は何処からともなく響いてきた声であるのに、自分の心が囁いてきたように感じる事を、死竜は知っていた。
『指輪だ。あの女から指輪を奪えばいい。そうすれば、私が宮廷魔術師になれる。あの女の名誉も、地位も……私の物に出来る……ふふっ、ははっ、あははははっ!』
哄笑を上げる人間の姿を見て、死竜は愚かな事だと、改めて嘆息する。
真っ当かつ論理的に時系列と言うものを考えれば、あの人間にとって自分の鱗が力の源泉で無い事など明らか、精々が魔術の使用を補佐している程度だと直ぐに分かるはずだろうに、と。
同時に、こんな人間を唆して動かさなければいけない、自らの現状に腹も立ってくる。
だがそれでも機会は機会であるし、貴重である事もまた確かだった。
故に死竜は自分の行動を間違っていないと肯定する。
「さて……」
「「「ーーーーー~~~~~!」」」
誘導した人間が動き出したことを確認した死竜は、意識を周囲へと向け直す。
周囲は相変わらず亡者で満ちていて、自身ではない死竜を自身にしようと試みてきている。
そんな無明の荒野の亡者たちを見て、死竜は口の端を歪ませる。
「全てが上手く行ったのであれば、奴と周囲の雑魚共の目を眩ますためにも、手駒が必要になるか。くくくくくっ、いいだろう。同朋殺しを生業とするような貴様らにとって、自身しか居ないこの領域は、苦痛その物であろうからなぁ。我と一緒に幾らかであれば這い出る事を認めてやろうではないか」
「「「ーーーーー~~~~~!」」」
死竜の言葉に、亡者たちはまるで歓喜するように、けれど実際にはただの反射行動としてざわめく。
その事実に死竜は不快感を覚えたが、その心情を押し殺して、準備を整えていく。
死にたくはない。
こんな奴らにはなりたくない。
そんな思いを抱えたつつ。
無明の荒野ですが、簡単に言えば、人間でいう所の快楽殺人鬼の類しか居ないような場所なので、収容対象はもはや反省も悔恨も求められていないんですよね。
そう言うのが無理だから、此処へ押し込めているのです。




