294:無明の荒野とは
「トリニア教によれば。人間を含め、この世に生きる者たちは、生前の振る舞いに応じて死後の行き先が変わるとされています」
前世知識で言う所の天国と地獄、あるいは六道のようなものだろうか?
こう言うのは、世界が変わってもあり続けるらしい。
まあ、生前は犯罪行為を隠し通す事に成功しても、死後にまでそれが通じる事は無い。と言う考え方は、社会秩序を保つためには有効なものなのだろう。
「その中の一つが無明の荒野と呼ばれる場所です。簡単に言えば、闇しかない空間であり、仲間を傷つけるような者……つまり、罪人は目を奪われた上で此処へ落とされ、闇に呑まれて消える事になります。そうですね、ある種の処刑場であり、牢獄とも言えるでしょう」
「牢獄、ね」
ジャン様が何か言いたそうな顔をワタシに向ける。
うん、その気持ちは分かるけれど、ヘルムス様の話はまだ続いているので、今はまだ聞く事に専念しよう。
ちなみに、仲間を傷つけるような者、とあるが、これは殺人や窃盗などの犯罪行為を指すものであり、騎士や魔術師が仕事で他の人間を取り押さえたり、殺す事は含まれていない。と言うのがトリニア教の公式見解である。
この公式見解は聖地トリニアがある頃からのものだそうだ。
まあ、こうでもしなければ、治安維持のための人員はどうなんだと言われてしまうし、実際、他の仲間を守るために行動した人を咎めるのはおかしいので、当然とも言える話である。
「ふむ。そうなると死竜は他のドラゴンを傷つけたのかな?」
「いえ、恐らくですが、死竜はミーメ嬢のように、自ら無明の荒野へと赴き、何かしらの方法で帰れなくなった物と思われます。先述した通り、無明の荒野に落とされた者は目を奪われる……つまり、魔術を使えない状態にあるはずですので」
「ああなるほど。言われてみればその通りだね」
大いに推測も含むところなのだけれど。
天竜から得た情報も合わせて考えると、死竜は『開拓王』との戦いの最後に、自身の肉体を失いつつも精神と魂は無明の荒野へと送り込んだのではないだろうか?
それならば、肉体は死んでいるが、精神と魂は残り続けていると言う現状とも合致する。
あの空間は闇の還元が出来るなら、エネルギーには困らない場所だし。
「ちなみに、ライオットが知る限りでは、無明の荒野を私的利用する事に対するお咎めはないそうです」
「あ、はい」
「無いって、いや、それは色んな意味で無いだろ」
「ミーメ様、死竜、グロリベス森林の深層くらいではございませんか? ……。意外と居ますね」
とりあえず『わたしだけのみち』はトリニア教的にはセーフらしい。
これまでに利用出来る人間が居なかっただけと言う指摘は……まあ、スルーで。
そんな微妙な表情をしていた所、ヘルムス様がワタシに向かって微笑みかける。
「いえ、トリニア教によれば、トリニア神は知らずに罪を犯した者に対しては、まず警告や指導を与えるそうなのです。無明の荒野の利用のような、突拍子もなく、他の人間はまず出来ないような行為となれば、なおの事。ですので、もしも無明の荒野の私的利用をトリニア神が良くないと捉えているなら、そう言う話がミーメ嬢に対してされていると思うのですが……どうでしょうか?」
「少なくとも、ワタシには覚えがありませんね」
「では、少なくとも現状の利用方法程度ならば、お咎めなしなのでしょう」
どうやら、『わたしだけのみち』にセーフ判定を出してくれているのは、トリニア教ではなく、トリニア神の方だったらしい。
うん、それならば、ワタシ個人が使う分には、今後も安心して使えそうだ。
とは言え、無明の荒野が罪人を閉じ込めておく場所なら、罪人が逃げ出さないように戸締りはしっかりとしておく必要がありそうだが。
ちなみに、トリニア神直々の警告や指導の話は、人類で最初に罪を犯した者との対話、と言う形で存在しているらしい。
どこまでが実話か分からないが、大昔に色々とあったようだ。
「と、これがトリニア教が説く無明の荒野なのですが……ミーメ嬢。ミーメ嬢が『わたしだけのみち』で利用する空間はやはり?」
「はい。改めて特徴を並べられると、やはり無明の荒野なのだと思います」
こうして無明の荒野についての情報は得られた。
とりあえず、ワタシ一人が利用する分には、お咎めなしであるらしい。
さて、それでは此処からどんな話をするのかだが……。
「ミーメ君。無明の荒野に突入して死竜を狩る事は出来るか?」
「不可能です。あそこは長時間居られる場所ではありませんし、たぶん、無限の空間が広がっていますので」
「では逆に、死竜を無明の荒野から引きずり出す事は?」
「そちらも不可能です。何が居るのか分かった物ではないので。下手をしなくても、死竜よりもっと危険な何かを招く事になると思います」
「そうか……まあ、そうだよね」
宮廷魔術師長の言葉に、全員が納得したような顔を浮かべる。
うん、残念ながら、無明の荒野については手出し不可能と言う結論にならざるを得ない。
だってあそこ、闇しかないし、特定の何かを探せるような場所じゃない。
仮に何かを引きずり出したら……たぶん、死竜が一番マシで当たりだ。
だって、あの空間に居るのは、基本的に仲間を傷つけた罪人だけなのだから。
「うーん、そもそもとして、死竜はどうやってこちらに干渉をしているんだい? それが分かれば、多少の警戒も出来るのだけど」
「それについてですが。死竜は恐らく、生前の自分の鱗などを利用しているのだとは思います」
ワタシは『ひとのまのもの』の魔術を込めてある指輪を見せる。
この指輪に填まっている石のような物が、死竜の鱗である事は既に確定している話だ。
死竜本人も反応していたし、何かがある事は間違いないだろう。
「なるほど。そうなるとミーメ君の指輪は……」
「そうですね。今後は細心の注意を払って管理すると共に、ワタシ以外の人間が触れたり使ったりしない事は徹底するべきだと思います。この鱗を介して、死竜が干渉してくる可能性は否定できませんので」
ワタシは力強く頷くと共に、指輪に纏わせる形で、隠蔽や干渉阻止の魔術を改めて施していく。
死竜は一属性、ワタシはトリニティアイなので、これで死竜がワタシの指輪に手を出す事は不可能……とまでは言わないが、極めて難しくなったはずだ。
「よろしい。では、他の死竜の鱗についてだが……誰か把握している者は?」
「「「……」」」
宮廷魔術師長様の言葉に、ワタシたちは揃って黙る。
まあ、これについては仕方がない。
死竜の鱗は長年晒された風雨の影響で、黒い石にしか見えないのだから。
しかも、鱗を介して干渉されるなんて危険性が明らかになったのは、今回が初めてである。
この状態で把握しろと言うのは、無理があるだろう。
なんなら、ワタシはこれまでに二枚回収し、一枚は指輪にしたが、もう一枚は売ってしまっていて、売った方の行方は未だに分かっていないし。
当然、ワタシ以外が回収した鱗もあるはずなので……うん、把握など出来るはずもないだろう。
それこそ、海外に持ち出されている可能性だってある事だろう。
「はぁ……。『アーティスト』の作った魔道具以上の厄介ごとになりそうだね。これは」
「結局のところ、怪しい動きがあったのなら、細心の注意を払って当たる。と言ういつもの動きをするしかないのかもしれませんね」
ヘルムス様の言葉にワタシたちは力なく頷く他無かった。
だが、ワタシたちが宮廷魔術師であり、王国を守る義務がある以上は、何かを考えなければいけないのだろう。
無明の荒野と言う安全圏に潜み、死と言う排除手段が通じない死竜をどうにかする方法を。
09/12誤字訂正




