286:禁忌の森
禁忌の森と呼ばれる空間には闇しかなかった。
それは光が無いと言う意味ではない。
空気が無い。熱が無い。地面が無い。水が無い。生命が無い。
無い無い無い。
何もかもが無い。
区別も、境界も、差別も、何も無くて、全てが闇が溶け込んでいく。
そんな空間であり、時間や因果すら存在しているか怪しくなってくる場所だった。
『『闇軍の魔女』ミーメ・アンカーズの名において命じる。闇よ、魔よ、畏れよ。我が下へ集いて力と為れ』
だが幸いにして。
ワタシは闇属性の魔術師である。
ワタシはこの空間の事を知っている。
ワタシはトリニティアイとして圧倒的な出力の魔術を扱える。
属性と知識と力が揃っているのだから、何とかする事は出来た。
『『闇軍の魔女』ミーメ・アンカーズの名において命じる。光とは闇無き場所にあるものである。光あれ。我が身ある場所は人が生きられる地である。秩序あれ。魔とは怪しきもの、惑わすものが冠する名であり、それを調伏し、鍵かけて、閉ざしたならば、この場は休息の場である。安寧あれ』
『闇』の還元によって、ワタシは自分とそれ以外を分けるように光を生み出す。
『人間』の応用によって、生存に必須な空気や熱だけでなく、踏み締めるための大地も生み出して、留まる。
『魔力』の制御と『万能鍵』の応用で以って、ワタシの領域を固定化し、維持を楽にする。
そして、当然のことながら、これらを相互作用させ、細かい調整を後から加えていくことで安定性も高めていく。
その結果、ワタシの周りだけ闇は退けられて、ワタシは真っ黒な床の上に立つ事になった。
まるでスポットライトを浴びているような状態だ。
「ふぅ」
これで一息吐ける。
そう判断したワタシは、周囲を確認する。
うん、やはり禁忌の森だ。
全てが闇なのに、闇の中に草や木があるのは不思議と感じられる。
きっと、グロリベス森林の深層が、どんな森にするのかを既に決めているから、闇の中にこれから生まれる予定のものがあるように感じられるのだろう。
同時に、この場は『わたしだけのみち』を使っての転移を行う際に利用している空間にもよく似ている。
ただ、あちらと違って、周囲の闇の積極性は低い。
あちらなら、もっと激しく侵食してきていて、ワタシの周りにある空間や光を奪おうとしてくる。
だからこそ、『わたしだけのみち』では出来る限り、こちら側に居る時間を少なくすると共に、ワタシの身体を闇に変換する事で、闇に潜む何かに気づかれないようにしていたのだし。
この差はどうしてだろうか?
「いや、それよりも今は、とにかく戻らないと」
幸いにしてヘルムス様たちの姿は見えない。
ただそれはヘルムス様たちが無事である事を示すものではない。
だが、仮にヘルムス様たちが禁忌の森に飛ばされていたとしても、ワタシに出来る事は無い。
此処が本当に『わたしだけのみち』で使っているのと同じ空間なら、侵入した途端に闇が押し寄せてきて、闇に溶け込んでしまうからだ。
それこそ助ける暇なんてないほどに早く。
だから、ヘルムス様たちはこちらに飛ばされていないと信じて、ワタシはこの先の行動をする他ない。
「……」
しかし、この空間の性質を考えると、仮にここまで飛ばされてきた道を正確に戻れたとしても、元居た世界に戻る事は叶わないだろう。
理由は分からないが、この闇しかない空間は、中に居る者をそう簡単には外へと逃がさないようになっているからだ。
だから、グロリベス森林深層と禁忌の森の境界に辿り着けたとしても、その境界を超える事は叶わない。
ここから脱出するためには、それこそ『わたしだけのみち』を使って、存在しないはずの出口を作り出す他無いだろう。
そう判断したワタシはこの場から脱出するべく、『わたしだけのみち』の詠唱に入ろうとした。
「少し詠唱を変えないと拙いか」
だが、幸いにして口を開く前に気づいた。
普段使っている詠唱そのままでは駄目な事も、対策なしに闇になってしまうとグロリベス森林の深層に食われてしまうであろう事も。
特に後者が拙い。
今さっきまでしていた考え事のお陰で気づいた。
此処の闇が大人しいのは、既に新たなグロリベス森林深層を作るための魔術に巻き込まれて、食われてしまったからだ。
食われるとはつまり、新たな深層の木や草、地面に変えられてしまうと言う事。
そうなってしまっては、生きている事など当然出来ない。
だから、巻き込まれないように身を守りながら、転移をしないといけない。
「なるほど。生き意地が汚いってのはこう言う事」
ついでに、ワタシを攻撃し、吹き飛ばしてきた存在についても少しだけ考える。
アレは、肉体こそシミヒの作った半分腐った獣とやらなのだろうけど、中身については、建国神話に出てくる闇属性のドラゴンで間違いないはず。
天竜曰く、生き意地が汚く、生き残るためならば何でもするとの事なので、こちらの事を確実に始末するべく禁忌の森の利用をして、より確実性を高めるべく不意打ちもしてきたと言う事なのだろう。
行われた攻撃の一撃目は、ワタシの常駐防御魔術を全て抜いてきたので、威力的にはドラゴンの一撃と同等かそれ以上。
これについては、体内に天竜の鱗製魔道具が入っていて、それを魔力源として攻撃に生かせるのならば納得できる。
後は、確実に始末する相手としてワタシを狙ってきたのが偶然なのか、故意なのかなど、気になる事もあるが……。
うん、これ以上は、流石にこの場で考える事ではないか。
禁忌の森に向かって突き飛ばされたのが、禁忌の森に対処可能なワタシで良かった。
そのようにプラスの思考で捉えておこう。
だが、禁忌の森をそこへ突き飛ばすと言う形で利用してきた以上、本当の意味で何でもやってくると理解した上で、戦いに臨む事も必要だろう。
なのでワタシは少しだけ、思考をそう言う方向性で切り替えておく。
そして、戦いたいのであれば、今はまずアチラへと戻らないといけない。
「『闇軍の魔女』ミーメの名において命じる。闇よ、魔よ、畏れよ、我が下へと集え」
ワタシは『わたしだけのみち』の詠唱を始める。
「闇よ、魔よ、標へ向けて人のように駆けよ。駆けた後にこそ道は出来るのだから。闇よ、標ある地に光ある世界へ帰るための小さき門を備えよ。我が身よ、闇を友としつつも、異なる闇となれ」
目標はヘルムス様の持っている金属製の小さな箱。
より正確には、箱の中に封入されている特別製の闇。
幸いにして、その箱の位置は容易く知る事が出来た。
戦闘中なのか、箱の位置は細かく激しく動いているが、凡その位置さえ分かれば、門を開く事自体に支障はない。
「万能の鍵よ。その名が真であるならば、光ある世界へ通じる門を一時だけ開き、世の理を捻じ曲げて、我が身を標の下へと導き給え。開け。『わたしだけのみち』」
ワタシの前で闇が渦巻き、黒い霧のようになったワタシの身体が渦へと飲み込まれていく。
普段の流れであれば、此処から、この闇しかない空間を渡って目的地にまで移動するのだけど、今回は直ぐに視界が本物の光で白く満たされていく。
「脱出!」
そうしてワタシは禁忌の森から、グロリベス森林の深層への脱出に成功。
闇から人の姿を取り戻していくワタシの目に、周囲の状況が映り始める。
「何……故……」
「は?」
そして、最初に見えたのは、腹の辺りを半分腐った獣の爪で貫かれたイアキレミの姿であり、半分腐った獣の憤りも感じさせる笑みだった。
「ミーメ嬢。よくご無事で」
「ヘルムス様。この状況はいったい……」
「分かりません。私たちとの戦闘中、不意に半分腐った獣がイアキレミを攻撃しました」
ワタシはヘルムス様の前に着地し、常駐防御魔術を素早く再展開していく。
それが終わる頃、半分腐った獣はワタシたちの方を向いていた。
「ちっ。まさか、無明の荒野に落としても帰ってくるとは……」
半分腐った獣は、死んだイアキレミを投げ捨てると、吐き捨てるようにそう呟いた。
禁忌の森=ダイダロス空間=無明の荒野




