285:帰還不能境界線
「しかし、何も起きませんね」
「そうですね。それこそ、何処からともなく魔物が現れる。くらいは考えていたのですが」
奇妙な森の中を歩く事暫く。
ダニーの案内に従って進んでいるが、何も起きていない。
属性感知による警戒も、闇人間による警戒もしているのだが、一切の反応なしだ。
あまりにも何もないので、ヘルムス様もどことなく困惑気味だ。
ただ、この森が普通でない事は明らかだ。
視界に入ってくるものがおかしいと言う点でもそうだが……。
「ですが、この草など、何の変哲もない草なのに、まるでマンドラゴラのような魔力でございます」
「俺っちの鎧にカナブンみたいな虫がくっついてきたんだが、コイツも魔力の量だけなら結構な物だぞ」
「カァッ!」
「こら、ダニー! 変な物を食べて……あ、大丈夫? ならいいんだが……」
草も、小さな虫も、そこらへんに生えている木の枝葉も、とにかく大量の魔力を保有している。
それこそ、森の外に居る普通の魔物よりも多くの魔力を、指でつまめる程度大きさなのに持っているようだった。
目的を達成後、帰る道に拾える素材を邪魔にならない程度に拾っておいてもいいのではないかと思えるくらいである。
「ミーメ嬢。どうして普通の虫や草が、このように大量の魔力を保有しているのでしょうか?」
「……。グロリベス森林の深層と言う空間を作っている途中である、と言う状況の影響はあると思うのですが、確証はありません。ですが、それに絡めて無理やりに考えるのであれば、空間を作るに当たって何かを集めていて、その何かを虫や草の形に凝集しているため、大量の魔力を保有しているのかも」
「なるほど。検証すら難しそうですね」
「そうですね。こうなってくると、机上の計算を専門とする方々に情報を投げて、ワタシたちは待つ方が正解だと思います」
ワタシは呆れ気味に息を吐き、ヘルムス様も同様に息を漏らす。
うん、ワタシ自身、何を言っているのかよく分からない。
きっと前世知識で言う所の素粒子とか、ビッグバンとか、そう言う話が関わってきてしまう話なのだろう。
だったら、もうワタシには理解の及ばない範疇である。
「カァカァ」
そんな会話をしつつ歩く事更に暫く。
そろそろお昼時と言う時間帯。
ダニーがこれ以上は進めないと言わんばかりに、拒否の鳴き声を上げる。
「「「……」」」
だが、仮にダニーが鳴かなくても、ワタシたちは誰一人としてこの先に進もうとは考えなかっただろう。
それほどまでに、ワタシたちの前に広がる光景は異常であり……禁忌の森、と称するに相応しい光景だったからだ。
「これは……先に進もうとは思えませんね」
「同感だ。俺っちじゃなくても……いや、生きている奴だったら、誰でも此処で帰るだろ」
「ジャン様に同意でございます。これを見て引き返さないのは、生きていない者だけかと」
ワタシたちの少し前で森は途切れていて、色彩が不安定であれど鮮やかで生命力に満ちていた森から、黒だけで構成された一切の命を感じられない森になっていた。
禁忌の森は全てが黒一色であり、その領域に飛び込む全ての光を飲み込んでいるはずなのに、木があり、草があるのが見えていると言う、不気味な状況だった。
属性感知で見る限り、境界の先にあるのは闇のみで、ワタシたちの目に映っている木も草も実在はしていないらしい。
あまりにも異様で、異常な領域だった。
「……」
いや、でも、この禁忌の森の気配。
ワタシは何処かで感じた事があるようにも思えるが……。
はて、何処で感じたのだろうか?
「ミーメ嬢。今更と言われればそれまでなのですが、空間を作り出すのに必要な属性、魔力、魔術と言うのは、どれほどのものなのでしょうか?」
「分かりません。属性についてはそう言う物で終わらせていいとは思いますが……。いえ、もしかしたらですが、複数の生物が協力してこの場を築き上げているのかも……」
ヘルムス様に話しかけられ、ワタシは意識を目の前に戻す。
しかし、禁忌の森は本当に少しずつだが、後退していっている。
まるで植物の根が水を吸い上げるかのように、ワタシたちが居る側の森が、禁忌の森の領域を侵食して、自分の物にしていっている。
その光景に、ワタシは今正にここで新たなグロリベス森林の深層が作られているのだと理解する。
きっと、こうして禁忌の森を削り取り、奇妙な森へと変換して、奇妙な森が時間経過と共に普通のグロリベス森林深層へと変化していっているのだ。
これを成しているのは……それこそ『開拓王』のレリックか、その魔術の恩恵を受けてグロリベス森林の深層を始めた植物たちなのだろう。
そうでなければ、納得できないような光景が広がっていた。
「いずれにせよ、です」
ワタシは話を切り上げるように、一度手を鳴らして集中を集める。
「この先にはワタシたちは進めません。イアキレミも此処までに見つかりませんでした。ならばもう帰るしかありません」
ワタシの言葉にヘルムス様たちが頷く。
イアキレミも半分腐った獣も見つけられなかったのは残念ではある。
だが、見つけられないからと無理をする謂れはないし、ましてや、見るからに帰還不能点である境界を超える理由もない。
なので、ここで帰還の判断をするのは、至極当然の事と言えた。
「では、帰り……」
その時だった。
「ご機嫌よう。三つ目」
「っ!?」
気が付けば、ワタシの前に何かが立っていた。ワタシの脇腹に拳が叩き込まれていた。
叩き込まれた拳に常駐防御魔術が反応し、ワタシが受けるダメージを抑えようとするが、桁違いの威力に防御は打ち砕かれて消えていき、しまいには魔道具によるダメージの肩代わりまで使わされ、腰に何時も提げていた身代わり人形が砕け散る。
「そしてさようなら。永遠にな」
「ミーメ嬢!?」
そして、その状態で両足が地面から離れ、吹き飛ばされ始める。
ダメージは抑えられていても、衝撃までは殺し切れていなかった。
吹き飛ぶ先にあるのは……禁忌の森。
闇しかない領域へと、ワタシは猛烈な勢いで真っすぐ飛ばされていた。
「何が起きて……」
時間が引き延ばされたかのように、目の前の光景がゆっくりと流れていく。
その中で、ワタシは自分を吹き飛ばした相手を見る。
そいつはこの辺りに生える木の葉っぱや草を貼り付けた布を被っていた。
布の下に見えたのは、三つの目を持つ犬の頭、振り抜かれたのは熊のような前足だった。
皮膚には見えている範囲だけでも繋ぎ目が幾つもあって、膿のような液体が零れていた。
半分腐った獣、総称されるだけの事はある姿だった。
「そう言う事……」
同時に、ワタシはどうして殴られるまで相手の存在を認知できなかったのかを理解した。
闇を敢えて除けず、魔力を周囲に同調させ、視覚面での偽装も施し、何かしらの方法で臭いや音を断つ事によって、どの感知でも認識できないようにしてみせたのだ。
その上で、こちらの様子を窺い、帰還を開始する直前と言う気が緩む瞬間を狙い、肉食獣のように一瞬で戦闘態勢を整えると、一撃を叩き込んできたのだ。
そこまでされてしまえば、殴られるまで気づけないのも当然としか言えなかった。
「ヘルムス様!」
「!? はいっ!」
ワタシは自分の身体が禁忌の森に触れ始めたのを感じた。
境界線を越えた。
闇の側へと引きずり込まれる。
抵抗は出来ない。魔術を発動しようとしても境界線を越えられず、全てが闇へと引きずり込まれていく。
辛うじて出来たのは叫ぶ事だけ。
だが、ワタシの言いたい事は伝わったのだろう。
ヘルムス様は返事をしてくれた。
そうしてワタシは禁忌の森へと落ちた。




