179:そうだ。釣りに行こう
「なるほど。『スノウルフ』の毛皮を糸にすると、人間にとっては冷却効果になるのですね」
「『ココドラゴン』の牙には特にこれと言った効果は見られませんね」
「『コミミゾワム』は……面白いですね。魔力を通さずとも伸び縮みします。これだけでも、価値はあると思います」
「魔物素材の糸化。調べれば調べるほどに面白いですね、ミーメ嬢」
「ええ、本当に面白いです。ヘルムス様」
ストリンさんの指導をしてから数日経った。
この間、ワタシとヘルムス様はストリンさんの指導と糸化した魔物素材の検分で忙しくしていた。
それこそ寝食の時間以外は、ワタシたちの為に用意された部屋で実験し続けていた日もあるくらいには。
「しかし、糸化しただけでもこれほどにまで変化が生じるとなれば……布や服にした際にはどれほどの変化が生じる事か……。ミーメ嬢はその辺り、どう思いますか?」
「誇張でも何でもなく、一生涯かけても調べ尽くす事は出来ないと思います。ワタシは新たな分野のドアを軽率な気持ちでノックしてしまったのかもしれませんね」
「ははは。だとしても、今更無かった事には出来ませんので、どうにかして調べるしかありませんね」
「ですねー」
ちなみに舞踏会で着ていくワタシのドレスについては、『シロートガイ』をストリンさんが糸にしたもので刺繍する事が決まった。
なので、ストリンさんは今現在非常に忙しくしていて、糸化した魔物素材の種類を増やすのは一時ストップしている。
ワタシとしては、他の素材の糸化をやって欲しかったのだけれど……これについては仕方がないだろう。
スポンサーであるトレガレー公爵家の意向は重要なので。
「いえ、ヘルムス様もミーメさんも一度切り上げるべきです」
「……。何故キャシーが此処に?」
「……。キャシーさん?」
そう思っていたら、キャシーさんが現れて、ヘルムス様とワタシの間に割って入り、更にはワタシたちの腕を掴んで研究の手を強制的に止めさせてきた。
うん、なんで?
「ヘルムス様。ミーメさん。研究が楽しい事は分かります。ですが、お二人はトレガレー公爵領に休養と観光に来たのではありませんか?」
「キャシー。これも休養……」
「休養と言うのなら、適度な運動と他の行動も挟んでから仰ってください。ヘルムス様」
「キャシーさん。これは本当に楽しい事でして……」
「楽しい事なら、なおの事、頻度と言うものを考えるべきでしょう。調子を崩しては元も子もありません」
「キャシー……此処はトレガレー公爵家の屋敷ですよ」
「わたくしは公爵様と公爵夫人様から、お二人を止めて欲しいと懇願されて此処に来ていますが? 護衛や侍女の声も届かないとかで、泣きつかれました」
「キャシーさん……これは王国の未来に関わるかもしれない研究なんです」
「でしたら、きちんと王城でやるべきです。お二人は宮廷魔術師であり、所属は王城なのですから。此処でこれ以上進めれば、公爵家だけの成果になってしまいます。それは国に対する裏切りではありませんか?」
「「……」」
駄目だ。勝てない。
どう言い逃れようとしても、回り込まれた上で、頭を掴まれてしまうような感覚がある。
だから、ヘルムス様とワタシはお互いに顔を見合わせると、どうにもならなさそうだと首を横に振った。
「分かりました。一度休みましょう。どの道、魔物素材の糸化を出来る人間が増えなければ、研究対象の数も効率的に増やす事は出来ない訳ですし、この辺りで終わらせるのが今は妥当なのでしょう」
「そうですね。緊張の糸も途切れてしまいましたし、休みましょう。考えてみれば、基本的な研究については属性や魔力量の多さよりも、まずは人手を増やす事の方が肝心なわけですし、切り上げましょう」
「布にしたらまた話が変わる可能性もありますからね」
「魔道具にした場合の影響もまだまだ分かりませんしね」
「はぁ……」
諦めたヘルムス様とワタシの事を、キャシーさんがどうしてか呆れた様子で見ている。
「しかしヘルムス様。休むのは良いとして、何をしましょうか?」
「そうですね……。屋敷の中に留まるのは……キャシーに睨まれそうなので、止めておきましょう。となると外ですが……」
外か……。
考えてみれば、ワタシがトレガレー公爵領に来てから、観光に出かけたのはキャシー様と会ったその日だけ。
領都の中も殆ど見て回っていない。
行っていないところも沢山ある事だろう。
なので、何処へ向かっても良いと思うが……出来れば、体を動かせる場所に向かいたいという思いはある。
「そうですね。釣りに出かけましょうか」
「釣りですか……。いいですね、是非」
「「「!?」」」
ヘルムス様の提案にキャシーさんたちが驚いた様子を見せる。
そして、キャシーさんたちの驚きは、ワタシが同意したことでさらに増す。
しかし、ワタシにしてみれば、ヘルムス様の提案はとても素晴らしい物だった。
「ミーメさん。分かっているのですか? トレガレー公爵領、それも領都での釣りとなれば、内地のそれとは全く別の……」
だが、そんなワタシの心情に気づかなかったのだろう、キャシーさんが苦言を呈そうとする。
その気持ちは分かる。
この世界での釣りは、魔物や魔術がある都合上、前世知識にあるそれとは全くの別物だからだ。
しかし、何も問題はない、
「分かっているので大丈夫です。なんなら、こちらの方がワタシにとっては慣れ親しんだ物です」
「そう……なのですか? いえ、確かに、そのような事を先日お会いした時にお話ししていたのは覚えていますが……」
「キャシー。ミーメ嬢なら大丈夫ですよ。むしろ、私が足を引っ張らないように気を付けるくらいです」
「……。分かりました。では、お二人ともどうかお気を付けて」
「はい。お気遣いありがとうございます」
「ええ、それでは」
と言うわけで、ワタシたちは釣りに出かける事にした。
ワタシたちに付いてくる護衛たちも素早く準備を進めて、役目を果たしたキャシーさんは何処か呆れた様子も見せながら、部屋を後にする。
「今の時刻は昼ちょっと前ですか。ミーメ嬢、折角ですから、釣った魚を昼食にするつもりで行きましょうか」
「いいですね。ヘルムス様。では、魚を挟むためのパン? いえ、バゲットですかね? それを準備して行きましょう」
「そうですね。後は釣り竿に……。ああ、鱗や骨を保管するための箱も欲しいところですね」
「どんな魚が獲れるのか、とても楽しみです」
ヘルムス様とワタシは準備を終えると、馬車に乗り込み、釣り場へと向かう。
そして、兵士たちの詰め所の横を通り過ぎたところで、それは見えてきた。
以前に述べた通り。
トレガレー公爵領の領都、特に旧街は、高い天然の城壁に囲われた入り江の内側に作られた街である。
入り江内の海は、交易船のような非常に大きな船でも入れるほどに大きく、深い。
そして、この世界の海とは、それ即ち魔境であり、大小無数の魔物が潜んでいる領域でもある。
つまり、領都の一部である入り江であっても、大量の魔物が生息し、備えが必要な場所と言う事になる。
だが、きちんと備えれば、食料を安定して高効率で得られる狩場とも言えた。
要するに、この世界の釣り場は……狩場なのだ。
人類側のキルゾーンと言い換えてもいい。
「うおらあっ!」
「せいやあっ!!」
ワタシのそんな考えが正しい事を示すように。
今正に釣り上げられた体長1メートル半ほどの鋭利な牙とヒレを持つ魚が、釣り場の中央に設けられた安全地帯を守るための鋼鉄の壁に叩きつけられて怯まされた後、漁師の銛による一撃で仕留められたところであった。
うん、騎士ほどではないが、釣り上げた漁師も、銛を刺した漁師も、中々の肉体属性魔術の練度である。
ワタシがそうやって感心している間にも、他の漁師たちも魚を釣り上げ、仕留めているし、仕留められた魚を下働きの男たちが急いで陸へと運んでいく。
実に慣れた動きである。
「こんにちは。調子は如何ですか?」
では、そんな素晴らしい働きぶりの人たちを邪魔しないように気を付けつつ、ワタシたちもそれに混ざるとしよう。
まずは挨拶からだ。
Q:なんでキャシーさん呼ばれたの?
A:ヘルムスの幼馴染で遠慮なく物を言える。ミーメとも既に顔見知りでミーメからの好感度も高いと認識されている。後、ヘルムスの元婚約者だけあって、しっかりした子なんですよ。それでいて身分的にもちょうどよく、ご近所さんだし……と言う感じです。




