153:頂など見えはしない
「っ!?」
目を覚ますとそこは天幕の中、ベッドの上だった。
ワタシはどうやら、宮廷魔術師長様たちに報告をしたところで意識を失い、ベッドに運ばれたらしい。
「ミーメ嬢。起きられましたか。落ち着ける香りの茶を淹れましょう」
「ヘルムス様……」
ワタシの目覚めに気づいたヘルムス様が魔術で熱湯を生み出し、天幕の中にお茶の良い香りが漂い始める。
ベッドの上で体を起こしたワタシは周囲を見て、状況を確認。
天幕の向こうが夜闇に包まれていて、照明が灯されている事から、日はもう暮れている。
戦いの喧騒も聞こえないので、少なくともこの陣地は安定しているようだ。
「来い、闇人間。そして行け」
ワタシはベッドの下に十数体の闇人間を出現させると、彼らを陣地の外へと誰にも気づかれないように出していく。
「ミーメ嬢。魔術を使っても大丈夫なのですか? それと闇人間をどちらに?」
「魔術は使っても大丈夫です。むしろ、こうした方が今の状況的には良くなります。闇人間たちについては周囲の警戒に向かわせました。何も無いとは思いますが」
「そうですか」
闇人間たちには陣地の外に出ている人間を見つけたら保護または拘束を行い、魔物に遭遇したら顔面をとりあえず一発殴って怯ませてから対処をするように命じてある。
これで王城側の陣地が、侯爵の手勢や魔物による不意打ちを仕掛けられる事は無いだろう。
それはワタシの安心に繋がる事で、今のワタシにとっては重要な事だった。
「お茶です」
「ありがとうございます」
「ミーメ嬢。スケクロが恐ろしい相手であったことは、ミーメ嬢の報告と戦いの痕跡から分かりました。しかし、ミーメ嬢が今回あれほど疲弊したのはそれだけではありませんよね。何があったのですか?」
ワタシはヘルムス様から貰ったお茶を一口だけ飲む。
うん、温かさも相まって、心が落ち着いていくのを感じる。
さて、ヘルムス様の質問については……警告にもなるし、素直に答えた方が良いだろう。
「ワタシの疲弊原因はスケクロが想定外に強い相手だったこともありますが、それと同じくらいにワタシの魔術の副作用が噛み合ってしまったと言うのがありますね」
「副作用。ですか」
「はい。スケクロとの戦闘中、ワタシは少しでも魔力を確保するべく、自分の恐怖心も魔力に還元していました。これには過度な恐怖心によって身が竦んでしまうのを防止する目的もありました。ただ、恐怖を完全に忘れる事も危険なので、この魔術には還元の速さなどで制限をかけていたわけですが……」
「スケクロの最後の攻撃。扇状に広がったアレの脅威は、その魔術では抑えきれないほどの恐怖だったわけですね」
「そう言う事です」
今思い返しても、スケクロのアレ……『バリアバースト』だったか、は心が竦むような攻撃だった。
ワタシが対応策を持っていなければ、今頃ワタシは死んでいたに違いない。
ただ何よりも恐ろしいのは……あれほどの攻撃なのに、魔力以外のリソースをスケクロは吐いていないと言う点。
その気になれば、連発してくるであろう事を考えると、本当に恐ろしくて仕方がない。
なおこれは余談となるが。
この恐怖心の還元を無意識的にやってしまう事こそが、一度犯罪行為に手を染めた『闇』属性や『精神』属性の魔術師が、二度三度と犯罪に手を染めてしまう事への一助になっているのではないか。とは少し思う所である。
恐怖心と自制心は別物であるが、してはいけない事をしないように恐怖で自分を抑えると言うのはよくある事であり、それは逆に言えば、恐怖がない人間は自分が何かした時の被害を恐れずに行動出来てしまうと言う事なので。
「加えて、アレを避ける時に使った魔術が『わたしだけのみち』の緊急避難版だったのですが……」
「ですが?」
「『わたしだけのみち』は本来、もっと入念に準備をして、心身の状態を整えて行わないといけない魔術なんです。相手に干渉方法が無いのなら、どんな攻撃であっても避けられるのは明確に利点なのですが、その過程上、常駐させている物も含めて自分に掛けてある魔術も剥がれてしまいますし……」
「その結果が、全身を震わせ、顔を青褪めさせながら、どうにか陣地に着いた姿だったのですね」
「そう言う事です」
絶対に助からない道と助かる可能性がある道なら、後者を選ぶ他ない。
それは分かっているし、実際そうしたのだけれど、いざやってみると本当に怖くて仕方がない。
これほどに怖いと言う感情が湧いたのは、トリニティアイになってからは……ノスタが『開拓王』のドラゴンを『郷愁』で再現しようとしたのに引き続き、二度目となるだろう。
「こんなわけなので、ワタシが落ち着くには、周囲が安全な環境であり、ゆっくり休めると確信を持てる事が大切です。後は……時間をかけるしかないですね」
「そうでしたか。では明日は……」
「それは大丈夫なはずです。あくまでも自己判断の範疇ですが、明日には復調しきっているはずです」
「なら良いのですが。ミーメ嬢、決して無理はしないでくださいね」
「勿論です」
この辺りの体調管理については、ワタシの場合、『人間』属性による自己モニターもしているので、間違いはない。
ただ、ワタシの事を心配して見つめているヘルムス様を見ていると思う事がある。
「……。ヘルムス様。もしかして幻滅されましたか? ワタシに魔術で並び立つものなど居ないと言うような態度を見せていたにもかかわらず、今回のような、実質的に負けたかのような姿を見せて」
それは、恐怖心ではあったのだろう。
ただ、敵対者と言う脅威に対するものではなく、味方からの失望に対するものだった。
恐怖心の還元をしておらず、心身が落ち着き切っていない事もあって、ワタシは自分の恐怖……あるいは不安を口にしてしまっていた。
そんなワタシに対して、ヘルムス様はワタシの手を握ってから告げる。
「幻滅などあり得ませんよ。スケクロに対抗できるのがミーメ嬢だけだったのは、あの戦いの痕跡からも明らかでした。称賛する事や無事を喜ぶ事はあれど、期待を裏切られたなどの批判など以ての外です」
「そう……ですか」
ワタシを元気づけるように、あるいは励ますように。
しかし、それだけではなく……。
「ただ……そうですね。これを言ったら怒られてしまうかもしれませんが、安心した。と言う感情もあるかもしれません」
私にも怯えている事はあると言った雰囲気で、ヘルムス様はその言葉を発した。
「安心……ですか?」
「ええそうです。ミーメ嬢は私たち現代の魔術師からすれば規格外の存在であり、追いつける可能性があるとミーメ嬢本人が保証してくれていてもなお、本当にそうだろうかと疑ってしまう存在でもありました」
「……」
「しかし、今回のスケクロ……過去のトリニティアイが作り上げたレリックとの戦いを見た事で、私は安心したのです。ミーメ嬢もまだ道半ば。この道を歩いた先人は数多く。頂は遥か先であり……その頂の高さを思えば、今のミーメ嬢が居る場所まで辿り着く事はまだ何とかなるかもしれない、とね」
ヘルムス様の言葉は……どう解せばいいのかは分からなかった。
敢えて理解するなら、ワタシが頂点で無いと知った事で、絶対的な距離は変わらずとも、相対的には距離が縮まったので、何とかなると思えた。と言う事なのかもしれない。
「ありがとうございます。ヘルムス様」
「いえ、私は婚約者であり、ミーメ嬢の弟子ですから。これくらいは当然の事です」
「それでもです」
ただなんにしても……ワタシは一人では無いと言って貰えているようで、安心するものでもあった。
「……。ヘルムス様、ワタシはもう眠ろうと思います」
「分かりました。ミーメ嬢が眠るまで横に居ますので、どうか安心してください」
だからワタシは目を瞑り……ゆっくりと眠り始めた。




