第106話 後ろの闇
生温かい風が僕の体をすうっと撫でた。
夜空には丸い月が浮かんでいた。
「・・満月の夜は、
霊力が強まるらしいよ」
僕はぽつりと呟いた。
「残念ですが。
満月は昨夜です」
マリアがにこりと微笑んだ。
「この期に及んでも。
冷静なんだね。
良司は君のことを、
聖母マリアのようだって言ってたけど。
僕には・・。
魔女にしか見えない」
「勝手に理想を押しつけて、
現実がそれと少しでも違えば、
幻滅する。
人とはなぜかくも自分勝手な
生き物なのでしょうか」
マリアが呆れたように、
小さく溜息を吐き出した。
僕は唇を噛み締めた。
キーィキーィ
とブランコが揺れた。
僕は額に滲んだ汗をそっと拭った。
「どちらにしても。
君は・・。
妻鳥を殺した罪を、
償わなければならない」
「証拠はありますか?
私が小絵を殺したという」
月明かりに照らされたマリアの顔が
笑っていた。
僕は首を振った。
そして。
真っ直ぐにマリアを見て、
静かに告げた。
「・・君は憑かれてる」
キーィキーィ
とブランコが揺れた。
「そうですか」
マリアがうんざりしたように
溜息を吐いた
「それが貴方の脅し文句ですか。
ですが。
私には通用しないと思います。
カトリックにおいては。
人とは肉体と霊魂からなる存在です。
つまり。
貴方の言う霊は、
私にとっては身近な存在ですから。
小絵の霊に見守られているのなら。
私はむしろ、
嬉しく思います」
そう言ってマリアは微笑んだ。
「都合の良い解釈だね。
でも。
カトリックでは、
同性愛は禁止されてるよね。
タブーを犯した君に、
信仰を語る資格はない」
僕は語気を強めた。
キーィキーィ
とブランコが揺れた。
「・・それに。
君に憑いてるのは、
妻鳥の霊じゃないよ」
そして。
僕はマリアの左肩の辺りを指差した。
「肩まで伸びた脂ぎった髪。
無精髭に覆われた顔。
小さな目と丸い団子鼻。
大きく開いた口から、
ヤニで黄ばんだ歯が覗いてる。
全裸で、
たるんだ腹が突き出た毛深い体。
まるで。
何年も風呂に入っていないような、
薄汚い中年の男だ。
今もほら。
君の髪に鼻をつけて、
匂いを嗅いでるよ」
「ですから。
そのような脅しは、
通用しないと言ったでしょう」
その時。
後ろで束ねられていたマリアの髪が
はらりと解けた。
「えっ?」
マリアが咄嗟に振り返った。
その後ろには、
ただ薄暗い闇が広がっていた。




