第四話 騎手免許試験直前
十二月二十日。十勝は本格的な雪に覆われていた。
白樺凛花は美保厩舎の休憩室で、目を真っ赤にしながら筆記試験の過去問を解いていた。
大学2年生、20歳。騎手免許試験本番まであと5日。
机の上には分厚い法規のテキスト、競走馬の生理学ノート、ばんえい競馬規則集が山積みになっている。
朝4時半からの厩舎作業、大学講義、夕方の騎乗練習、夜の勉強、ここ1ヶ月、睡眠時間は平均4時間半を切っていた。
「凛花、もう少し休め。倒れたら元も子もないで」
宝田誠が温かいココアを差し出しながら心配そうに声をかけた。
「ありがとうございます、宝田さん……でも、あと少しだけ。法規の問題がまだ弱いんです……」
そこへ武田文吉師匠が入ってきた。
いつもの厳しい表情で、凛花の様子を一瞥する。
「明後日は最終実技チェックだ。オトカリ、ナカヤマタイガー、キタノキングの3頭を乗り換えで乗れ。
体重移動の遅れが0.3秒でもあったら、俺は推薦を取り消す」
「はい……! 絶対にミスしません!」
美保晋三が苦笑しながらフォローした。
「武田先生、ちょっと厳しすぎるんちゃうか? 凛花はもう十分頑張ってるで。
大学もほとんどオール出席やし、成績も落ちてへん」
武田は腕を組んだまま、静かに続けた。
「甘い言葉は要らん。
ばんえいの騎手免許は一度落ちたら来年や。凛花、お前は夢雪を3歳シーズンで乗りたいと言ったな?
その夢をこの試験で潰すつもりはないだろう?」
凛花は唇を噛み、力強く頷いた。
「ありません……! 絶対に合格します。20歳で騎手になって、夢雪を引きます。」
夜9時半。凛花は厚着をして厩舎の奥へ向かった。夢雪の馬房の前で立ち止まり、静かに座り込む。
赤と白の斑模様の牝馬は、凛花の気配を感じてすぐに首を伸ばしてきた。
「夢雪……ごめんね、最近あまり構ってあげられなくて。試験が終わったら、毎日ちゃんと練習しようね。」
夢雪は馬房の中から大きな頭を出し、凛花の頰に鼻面をスリスリと擦りつけた。
甘えん坊の仕草はそのままに、体は確実に逞しくなっている。
凛花は夢雪の斑模様を指でなぞりながら、掠れた声で呟いた。
「私、今めっちゃ怖いよ……。落ちたらどうしようって。師匠に怒られるのも、みんなに迷惑かけるのも嫌だけど……一番嫌なのは、君を待たせてしまうことなんだ。」
夢雪は「フゥー」と優しく鼻を鳴らし、凛花のポニーテールをそっとくわえた。
まるで「大丈夫だよ」と励ましているかのように。
その時、背後から足音がした。武田師匠だった。珍しく、いつもの厳しさとは違う、穏やかな目をしている。
「凛花。試験前に緊張するのは当たり前だ。
だが、お前はここまでやってきた。実技は俺が認めるレベルに達している。筆記も最後の詰めだ。自信を持て。」
「……師匠」
「あと5日、お前が倒れないよう、わしも最大限サポートする。夢雪も待っている。逃げるな。全力でぶつかれ。」
凛花は立ち上がり、深く頭を下げた。目尻に涙が浮かんでいた。
「はい……! 全力で挑みます!」
その夜、学生寮に戻った凛花は、ベッドの上で最後のノートをまとめていた。
騎手免許試験 最終チェック項目実技:ソリ上体重移動・タイミング・声かけ(特に第二障害)
筆記:法規・馬学・競走規則
精神:絶対に諦めない
スマホに遊馬からのメッセージが届く。
遊馬: 「最終調整データ送れ。心拍変動と睡眠時間を分析する。君なら受かる。俺は信じている。」
凛花は小さく微笑んで、窓の外の雪景色を見つめた。
(夢雪……あと少しだけ待ってて。
私、絶対に20歳で騎手になる。
君と一緒に走るために。)
試験本番まで残り5日。
白樺凛花の、人生最大の挑戦が最終局面を迎えていた。




