第十二話 帯広駅ホーム 師弟の約束
帯広駅のホームに、夏の夕暮れの風が吹き抜けていた。
凛花はスポーツバッグを足元に置き、列車を待っていた。
全身が筋肉痛で重かったが、心は熱く満たされていた。
後ろから低い声が響いた。
「穣ちゃん」
「武田先生……!」
武田文吉が缶コーヒーを片手に、静かに近づいてきた。
凛花の隣に腰を下ろし、しばらく無言で線路を見つめていた。
「二週間、どうだった」
「重かったです……痛かったです……でも、すごく勉強になりました。ばんえいの馬たちは本当にすごくて、ユキヒメや夢雪のこともっと理解できた気がします」
武田は小さく頷いた。
「……わしは長年、サラブレッドばかり見てきた。
JRAの世界で『速さ』を追求してきた。
だが、ばんえいはまったく違う。
『引く』ということの重さと、根性を全身で表現する競馬だ。
お前がそれを肌で感じてきたなら、収穫は大きかったな」
凛花が目を輝かせて尋ねた。
「武田先生は……ドリームメーカーさんをずっと見てきたんですよね?」
武田の表情が少し遠くなった。
「ああ。わしが現役調教師の頃、中央競馬で大活躍した英雄だ。
瞬発力と勝負根性で何度も奇跡を起こした。
あの馬が種牡馬になってまさかバン馬のユキヒメと交配し、夢雪が生まれた……これは運命的な出会いだと思う」
彼はゆっくりと続けた。
「ただ、ドリームメーカーは中央の舞台で輝いた馬だ。
体はでかかったが高速の芝を駆け抜けるのが似合っていた。ばんえいの重いソリを引く姿は2回見た……
だからこそ夢雪は面白い。
父の闘志と母の巨体・粘り強さを併せ持つ可能性がある」
凛花は静かに聞き入っていた。武田の声が、さらに深くなった。
「そして……浦河美幸の件だ」
凛花の背筋が自然と伸びた。
「あの娘は中央競馬のトップジョッキーとして、世界で戦っている。
もちろんばんえいの経験は一切ない。
だが、夢雪が生まれた直後に飛田牧場に来た時に、すぐに連絡をよこしよった。
馬を信じる胆力と、状況を瞬時に読み取るバランス感覚……。
あの娘は血統や経験に関係なく、馬の心を掴む才能を持っていた」
武田は凛花を真正面から見た。
「凛花。お前はまだ高校生三年生。
学業もあり、体もこれから作らなければならない。
浦川のような完成された馬を操る技術はまだない。
だが、お前には純粋に馬を愛する気持ちと、馬鹿正直な根性がある。
それは、この世界でどんな時も通用する大事なものだ」
列車の到着アナウンスが流れた。
武田は立ち上がり、凛花の肩にがっしりと手を置いた。
「わしはこれから美保厩舎で本気でばんえいに関わる。
お前は飛田牧場で学業・牧場作業・肉体改造を両立させろ。
……そして、お前が夢雪を引いてレースに出る日が来たら、俺がその馬券を買ってやる。約束だ」
凛花の目が熱くなった。
「……師匠」
「ん?」
「これからは、師匠と呼ばせてもらっていいですか?」
武田は一瞬、目を細めたが、すぐに口元を緩めた。
「好きに呼べ。……行け。夢雪が待ってるぞ」
凛花は深々と頭を下げ、大きな声で言った。
「ありがとうございます、師匠!
私、絶対に諦めません!」
列車がホームに入ってきた。
凛花は振り返り、何度も手を振りながら車内へ。武田文吉は帽子を軽く上げ、静かに見送った。
新たな師弟関係が、ここに確かに生まれた。




