第十一話 白樺凛花 夏休み厩務員見習い
夏休みも中盤に差し掛かった頃、白樺凛花は大きなスポーツバッグを背負って北海道・帯広に降り立った。
「二週間……本場のばんえい厩舎で、厩務員見習いとして働かせていただきます! よろしくお願いします!」
凛花は美保晋三厩舎の前に立ち、深々と頭を下げた。黒髪ポニーテールが勢いよく揺れる。
美保晋三は照れ臭そうに頭を掻きながら迎えた。
「いやぁ、飛田さんから話は聞いてるで。
武田師匠もおるし、しっかり面倒見るわ。
まあ、ばんえいの現場は甘くないで。
覚悟しときや」
横に立つ武田文吉は腕組みをしたまま、じろりと凛花を見下ろした。
「学業を放り出して来たわけじゃないだろうな。朝は勉強、昼から夜は馬。睡眠時間は削れ。……根性を見せろ」
「はい! 根性だけは負けません!」
こうして、凛花の二週間の「ばんえい修行」が始まった。
初日朝4時半起床。
厩舎の掃除からスタートだ。
800kgを超える巨体たちが並ぶ馬房。
ユキヒメとは比べ物にならない重厚感に、最初はただ圧倒された。
「うわっ……この馬、ユキヒメの2倍はある……!」
オオシマダイナミックが低くいななき、凛花を威圧するように見下ろす。
凛花は震える手で馬房の藁を掻き出し、汗だくになりながら必死に作業を続けた。
午前中は餌やりとブラッシング。
午後は軽い運動とソリの引き練習。
美保厩舎の若手厩務員たちに混ざり、凛花はハーネスを付けられた練習馬の後ろについて走り回った。
夕方、武田が通りかかった。
「フォームが甘い。腰が浮いてる。馬に引かれるんじゃなく、お前が馬を引け」
「……は、はい!」
夜9時。宿舎の布団に倒れ込むと、筋肉痛と疲労で声も出なかった。
(これが……毎日? 夢雪の世話してる時とは全然違う……)
でも、スマホに飛田牧場から届いた夢雪の写真を見ると、少しだけ元気が出た。
赤と白の斑模様の仔馬が、カメラに向かって
「キュン!」と鳴いているような気がした。
三日目
凛花は完全に「新入り」としてこき使われていた。
「凛花ちゃん! あの馬の脚洗ってくれ!」
「次のソリ引き、頼むわ!」
「飯炊き当番今日からお前やで!」
大阪弁混じりの美保厩舎のノリに、最初は戸惑っていた凛花も、次第に笑顔で返せるようになっていった。
特に印象的だったのは、トップホース
「キタノユキカゼ」の世話。
芦毛の逞しい牝馬は、ユキヒメに似た気質を持ちながら、どこか気高かった。
凛花が一生懸命ブラッシングしていると、突然大きな頭を凛花の胸に押し付けてきた。
「わっ、甘えん坊!? ユキヒメに似てる……!」
その瞬間、凛花は実感した。
「馬は品種じゃなくて……やっぱり心なんだ」
一週間目
肉体改造の成果が少しずつ出始めていた。
遊馬が作ったトレーニングの影響で、体幹が強くなった凛花は、200kg級の練習ソリを引く距離を少しずつ伸ばせていた。
武田文吉が時折厳しい指導を入れる。
「息の仕方が下手だ。腹から声を出せ。馬は騎手の気合いを感じ取る」
「はいっ! オラァァ!」
凛花が声を張り上げてソリを引くと、練習馬が耳をピクッと動かして歩みを進めた。
美保が笑いながら言った。
「なかなか根性あるわ。
師匠のスパルタに潰れへん子、久しぶりやで」
夜の勉強時間も死守した。
宿舎の小さな机で高校の課題をこなしながら、ばんえい競馬のルール本を読み込む。
目がしょぼしょぼしても、瑤子さんから届いた
「無理はするな。でも逃げるな」
というメッセージを見て頑張った。
二週間目・最終日最後の練習で、凛花は本番に近い200mの坂路引きに挑戦した。
汗が滴り落ち、息が荒く、脚が震える。
それでも歯を食いしばって一歩一歩進む。
ゴール地点で倒れ込みながら、凛花は空に向かって叫んだ。
「夢雪……! お母さん、ちょっとだけ強くなったよ……!」
その夜、美保厩舎の皆で簡単な送別会が開かれた。武田文吉が珍しく缶ビール片手に言った。
「二週間でここまでやれば上出来だ。残りの夏休みも飛田牧場で鍛えろ。……お前は、馬を愛せている。そこが一番大事だ」
美保晋三も笑顔で頷いた。
「また来いよ。次は夢雪が大きくなってから、一緒に引くんやな」
凛花は目に涙を浮かべながら深く頭を下げた。
「ありがとうございます……! 絶対に、ばんえい騎手になります!」
凛花の足は確実に前へ進めさせていた。




