第二十三話 魔王の決断
カラトス大陸の北端は無人の荒野と呼ばれ、人の住まない場所だった。
五百年毎の魔族の侵攻では真っ先に魔族が現れるとされる場所であり、そうでなくても魔大陸からケラモス地峡を通って迷い込んだ魔物の被害を頻繁に受ける場所である。
このような場所に定住したがる者はいないし、いたとしてもすぐに死ぬか逃げ出すことになる。
人類側としては、魔族が必ず現れるこの場所で食い止められれば良かったのだが、魔族が現れるタイミングでは勇者はまだ現れていないか、早くても訓練中で実戦には出せない。
魔族を倒す手段がない状態で、八体勢揃いした魔族と戦っても被害が増えるだけで得るものはない。だから魔族の侵攻が始まったこの時期はこの場所に人はいなかった。
その魔族にしてもこの場所は通過地点に過ぎない。
そのまま南下して人間の国を襲撃したり、一度魔大陸に戻って戦力となる魔物の補充をすることもあると考えられていた。
人類にとっても、魔族にとっても特に意味の無い場所。
そんな場所に、魔族がいた。
それも、魔族の首魁、魔王である。
「北へ向かって飛ぶフェニックスの群れを見た。ベルフェゴールが倒されたのだろう。」
魔王がぼそりと呟く。
魔族が生み出し使役する魔物は、自らを生み出した魔族が倒されるとその支配を解かれ、各々好き勝手に動くようになる。中には人間の町に向かって討伐されたり、山や森などに入って居ついてしまうこともあるが、より住みやすい環境を求めて魔大陸に向かう個体も多い。
空を飛ぶフェニックスの移動速度は速い。だから先に倒された魔族が率いていたドラゴンやゴブリン、海中を移動するので分かり難いマーメイドに先駆けて魔王の目に留まったのだった。
「しかし早すぎます。過去、この時期に動き出した勇者は未熟で、最初の戦いで手傷を負うことがほとんどでした。とてもベルフェゴールまで倒す余裕はないはずです。」
魔王の呟きに答える者がいた。七魔将にして魔王の側近、傲慢のルシファーである。
魔王の考えを否定するわけではないが、魔族がこれまで蓄えてきた知識と反することは指摘しないわけにはいかなかった。
「おそらくベルフェゴールが最初に倒されたのであろう。ベルフェゴールが勇者を探っていることに気付かれたのか……いや、積極的に動かないベルフェゴールを実戦訓練の相手として狙ったのかも知れぬな。」
ダメージを受ける度に強くなる憤怒のサタン、人間の兵士から奪った武器で武装できる強欲のマモンと異なり、怠惰のベルフェゴールの能力は勇者に対してはほとんど意味をなさない。
勇者が戦う相手として、怠惰のベルフェゴールは比較的やり易い相手であった。
犠牲の出ている戦場を後回しにする気分の悪さを脇に置けば、勇者の訓練の総仕上げとして怠惰のベルフェゴールから挑むことは合理的であった。
得られる少ない情報からすれば、魔王の推理は大したものだと言えるだろう。
推理が外れた理由は、事実が想像の遥か斜め上にぶっ飛んでいるからである。
人類の希望である勇者が人間の手によって既に殺された後だなどと、魔王でなくても誰が予想できようか。
魔族を倒すことのできる武器が異世界から持ち込まれるなど、可能性を思いつく方がどうかしている。
だから考えられる範囲内で、魔王は最善の策を練る。
「ベルゼブブとアスモデウスに連絡せよ! 少し早いが侵攻を始める。サタンとマモンの生存を確認し、存命ならばそれに応じて侵攻地点を調整せよ!」
「御意!」
魔王は決断を下した。
「無理をして早く出撃したのならば、ベルフェゴール、サタン、マモンの全てと戦って無傷でいるとは思えぬ。勇者がまともに動けぬうちに一気に叩く!」
魔族としても勇者が魔族と戦う前に戦闘訓練を行っていることはかなりの確信をもって推測していた。
もしも訓練時間の足りないこの時期に魔族を倒したとすれば、それは未熟な勇者であり、それなりの手傷を負った可能性が高い。魔王はそう判断していた。
たとえ不意を突いてベルフェゴールを倒せたとしても、未熟な勇者ではそのままサタンやマモンまで無傷で倒せるとは到底思えない。
だから今頃勇者は深手を負って養生しているか、途中で力不足を感じて訓練をやり直しているか、いずれにしても即座に動けないだろう。
実際、過去の戦いにおいても未熟なままで勇者が出撃した場合は、結局魔族を倒しきるまでに時間がかかり、人類の被害が大きくなる傾向にあった。
魔王としては、勇者が出てこない隙を見逃す手はなかった。一度手持ちの全ての魔物を消耗させてでも大攻勢をかける価値はある。
上手く事が運べば、勇者が現れる前に人類に大打撃を与えられるかもしれない。そして一度退却した後時間をかけて魔物を増やせば、もう一度大攻勢をかけることも可能だ。
そのためには急ぐ必要があった。
次に勇者が現れる時には、全ての魔族が束になっても敵わないほど強くなっていることが予想されるのだ。
勇者の現れない時間、それは魔族にとって何よりも貴重だった。
「レヴィアタンにも攻撃させたいところではあるが、今は時が惜しい。戻り次第再出撃させるとしよう。」
「レヴィアタンが戻らなのは、策が功を奏しているということでしょう。上手くいけばそのまま勇者を攪乱する遊撃となり得ます。」
海中を自在に移動する嫉妬のレヴィアタンは自由に動けば他の魔族にとっても所在の把握が困難になる。
しかし正面から戦えばともかく、海中を逃げ回るレヴィアタンを倒すことは勇者にとっても手間のかかる仕事だ。
もしも勇者が海岸沿いに出没する嫉妬のレヴィアタンにかかりきりになってくれれば、その間他の魔族が好きに暴れることができる。
嫉妬のレヴィアタンが既に討たれているなどということは、魔王にも傲慢のルシファーにも全くの予想外のことだった。
もしも怠惰のベルフェゴールだけでなく、憤怒のサタン、強欲のマモン、嫉妬のレヴィアタンまでが倒されていたと知れば、完成された強さの勇者がいると判断して作戦を変えたかもしれない。
人類にしても、魔族にしても、相手の状況を正確に把握して最善の策を立てられるわけではない。
どちらの陣営にとっても予想外のことが起こっているのである。魔王の判断がどちらにとって有利に働くか、不利に働くか。
こればかりはやってみなければ分からないことだった。




