第十九話 サイジの砦
作戦は単純だった。
怠惰のベルフェゴールに一番近い砦から狙撃する。ただそれだけだ。
砦からベルフェゴールまでの距離は十五ガルス(約四十五メートル)。ベルフェゴールはほとんど動かないということだから、実質的に動かない的だった。
グァムの射撃場では五十メートル先の的に撃ち込むこともよくやった。
絶対に当てられるかというと自信はないが、じっくりと狙って撃てるならば当てられない距離ではなかった。
それに、失敗しても脱出は可能だった。
トモーロスのサイジの砦は直線距離では近いが急斜面の崖の上にある。魔族といえどいきなり乗り込んでくることはできない。
怠惰のベルフェゴールの操る魔物は空を飛ぶフェニックスであり坂も道も無視して飛んで来るが、砦には屋根も付いているし山中には障害物も多い。平地のように全方位から総攻撃を食らう心配もない。また別の砦や拠点から弓による援護も受けられるらしい。
距離的にベルフェゴールの能力も届いてしまうのだが、「理力が使えなくなったくらいで戦えなくなるほどやわな鍛え方はしていない」というゴルカ氏の力強い言葉で作戦の決行は決まった。
まず転移門でバッデン山脈のトモーロスの村に行き、そこからトモーロスの戦士の案内でベルフェゴールを監視しているサイジの砦まで山道を歩いて移動した。
これがベルフェゴールに気付かれずに砦に向かう最短ルートだった。
帰りはこの道を逆にたどるのだが、案内無しで帰れる自信がない。この険しく複雑なバッデン山脈の地形を知り尽くしていることがトモーロスの最大の強みだ。
もし失敗しても、怠惰のベルフェゴールが自ら山に入って来るようならば、ベルフェゴールの進む先を予測して不意を突ける場所に案内すると言われている。
ただ、バッデン山脈の山中で戦うのは正直避けたい。
ここまでの道のりでよく分かった。この山道は俺には厳しい。俺だけではなく一緒に来たマサト小隊の皆も息を切らせている。
理力で身体能力が底上げされている兵士でさえ難儀する山道を、トモーロスの人々は非戦闘員を含めて平然と行き来するのだ。彼らに混ざって山中で活動するのは不可能だ。
山の中はトモーロスの領域だ。魔族ですら翻弄するという意味がよく分かった。
サイジの砦は簡易な作りだった。屋根や壁はまあまあしっかりと作られているが、内部に細かい部屋はなく、食糧や武器などの備蓄はほとんどない。
砦とは名ばかりの見張り台に近い建物だった。
サイジの砦は籠城する場所ではない。山への入口に作られたこの砦は、攻められたら即座に逃げ出すことを前提にしている。トモーロスの戦いの本番は、山中にある。入口で食い止める必要は全くないのだ。
砦の窓から外を見ると、……いた、魔族だ。
比較対象が無いから分かり難いけれど、おそらく人よりも大きな体。
肌は深い紺色に見える。
頭髪は皮膚よりも濃く、黒に思えるほどの濃紺。
色はともかく形だけは人とほとんど変わらないが、その額から伸びる角が人ならぬ異形であることを示していた。
間違いない。あれが魔族、怠惰のベルフェゴールだ。
ベルフェゴールの周囲には炎を纏ったような赤い鳥が群れを成していた。
あれがフェニックスなのだろう。
フェニックスは地面や木の枝に止まっていたり、周囲の空を飛んでいたりするが、特に何もする様子はない。
怠惰のベルフェゴールともども何もせずにただいるだけなのだが、この場所にいることが問題なのだそうだ。
サイジの砦の近辺は、トモーロスがバッデン山脈を出てイエンス平原からサリオス帝国に向かう際の最短ルート。
つまり、強欲のマモンがサリオス帝国に総攻撃をかけた際にゴブリンの大群を背後から襲おうとすれば、この近辺からトモーロスの戦士たちが出て来ることになるのだ。
バッデン山脈では最強の戦士も、平地では数と装備の差でサリオス帝国軍に一歩劣ると言われていた。怠惰のベルフェゴールがこの場にいる限り、トモーロスの戦士は他の国に応援に行くことはできないのだ。
さて、相手を確認したところで俺の仕事を始めよう。
俺は椅子を借りて窓際に座った。今回は距離からあるから、なるべく安定した姿勢で撃つ必要がある。立射では外しそうだ。
懐からAMT オートマグIIIを取り出し、窓の外に向かって大きく腕を突き出し、構える。
砦の窓は壁を四角く切り取っただけといった感じで、ガラスなどは入っていない。たとえ雨が吹き込もうとトモーロスの戦士はこの窓から監視を続けるのだそうだ。
窓枠の部分に腕を乗せて、腕がブレないように安定させる。
距離は約四十五メートル。斜め下に見下ろす角度だ。
怠惰のベルフェゴールは体はこちらに向いているが、こちらを見ているわけではない。やはり勇者以外の人間は脅威と考えていないのだろう。
ベルフェゴールは動かない。射線は開いている。
「これなら、行ける!」
俺は安全装置を解除し、撃鉄を起こす。遊底を引いて、.30カービン弾を薬室に送る。
右手で銃把を握り、左手を添えてしっかりと保持する。
トモーロスの戦士が弓矢を手にする。マサト小隊の皆は剣に手をかけた。
ベルフェゴールが人間を脅威とみなしていなくても、攻撃をすれば反撃してくる。その時は突っ込んで来るフェニックスを防ぎながら逃げるしかない。
腕を伸ばして狙いをつける。
気分は狙撃手だ。ライフルが欲しい。二、三発試射もしたい。
ないものをねだっても仕方がない。
俺は狙いをしっかりと定めて、呼吸を整える。
そして静かに引金を引く。
――バァーン!
飛び出す薬莢を視界の隅に捉えながら、ベルフェゴールを凝視する。
外した!
何の偶然か、ちょうど引金を引いたタイミングでフェニックスが射線に飛び込んできたのだ。
フェニックスは弾かれたように下に落ちた。ベルフェゴールの代わりに銃弾を受けたのだろう。
いや、ベルフェゴールは右肩を押さえている。フェニックスを貫通して肩に当たったのか。しかし、致命傷には程遠い。
さすがに攻撃されたことに気が付いたらしく、ベルフェゴールがこちらを見上げた。
ベルフェゴールと目が合った、気がした。
「うぐっ!」
ポール隊長が呻き声をあげた。ベルフェゴールがその能力を使ったのだろう。ポール隊長はマモンと対峙した時のことを思い出したのかもしれない。
ベルフェゴールの『怠惰の領域』の効果範囲から考えて、この場所はギリギリ理力が完全に使えなくなるはずだ。
一方でトモーロスの戦士たちは動じずに弓に矢を番えた。ゴルカ氏が豪語するだけのことはある。
次に来るのはフェニックスの攻撃だろう。周囲のフェニックスが高く飛び上がった。
しかしベルフェゴール自身は動かない。同じ場所でこちらを睨みつけている。
攻撃から身を隠すという発想はないのだろうか?
だったらまだチャンスはある。俺はもう一度狙いを確かめ、射線に入って来るフェニックスがいないことを確認して、引金を引いた。
――バァーン!
怠惰のベルフェゴールは倒れた。
飛び上がったフェニックスは砦を襲うことなく散開して行った。




