第十八話 怠惰のベルフェゴール
怠惰のベルフェゴールは困惑していた。
「サタンもマモンも一体どうなったのだ?」
バッデン山脈の手前の平原から動かなかった怠惰のベルフェゴールであったが、何もしていないわけではなかった。
魔族はここでも新しい試みを行っていた。
「勇者の動向が掴めなかったのは仕方がないとして、サタンもマモンももう討たれたのか? いくら何でも早すぎる。」
ベルフェゴールの操る魔物はフェニックス、鳥型の魔物だ。
死しても甦る伝説の不死鳥ではないが、空を飛び守りの薄い上空から集団で襲い掛かってくる恐るべき魔物である。
その翼は揺らめく炎を纏ったような赤で、その外見から「火の鳥」と呼ばれることもある。
人類には知られていないことであるが、この炎のような赤色は魔物として魔力によって身体能力を強化する際に生じるもので、自分で消すことができるのである。
炎の翼を消したフェニックスは、一回り小さく見え、その色も地味な灰色である。この状態では魔物のフェニックスであると思う者はいないだろう。
怠惰のベルフェゴールはこの性質を利用して、フェニックスを偵察や連絡用に利用しようとしていたのだ。
魔物は喋ることはできないが、その魔物を生み出し支配する魔族ならばある程度はその意を汲み取ることはできる。連絡用には手紙でも持たせればよい。周囲の魔物が動くだけだから、いくらトモーロスの戦士が交代で見張っていてもベルフェゴールに動きはないのだ。
ベルフェゴールは最初に勇者の動向を調べようとした。
勇者がホートリア王国から現れることは魔族も理解していたが、戦場に現れるまで何処で何をしているのか分かっていなかった。勇者が何処で何をしているか、いつどの戦場に向かうのかが判れば魔族は戦いを有利に進めることができるだろう。
魔物には理力を感知する能力があるから、強い理力を発する人間を探させれば勇者を見つけられるかもしれない。そう考えて十数羽のフェニックスをホートリア王国に向かわせたのだ。
しかし、その試みは失敗した。最大の理由は勇者が死んでしまったからなのだが、そんなことはベルフェゴールには分からない。
ただ、失敗したこと自体はベルフェゴールも想定していた。一国の中からただ一人を探し出すことは困難だ。それにあまり数多くのフェニックス投入すると目立ってしまう。
そして勇者の位置を把握できないまま、そろそろ勇者が戦場に出て来ることを警戒しなければならない時期になり、ベルフェゴールは次の行動に移ることにしたのだ。
それは憤怒のサタン、強欲のマモンと連絡を取ること。
それぞれの作戦の状況を確認し、その後はそれぞれの戦いをフェニックスに監視させて勇者と戦ったらその状況と結果を報告させる予定だった。
サタンやマモンが昼間に限って戦闘を仕掛けていたのは、フェニックスに戦闘の状況を見せるためだった。
しかし、憤怒のサタン、強欲のマモン、それぞれが戦っているはずの場所に向かわせたフェニックスは何も見つけられずに戻ってきた。
広範囲に広がる場合も多い戦場を駆け回るサタンやマモンをたまたまフェニックスが見つけられない可能性はある。
しかし、戻ってきたフェニックスは戦場そのもの、人間と戦うドラゴンやゴブリンを見つけることができなかったのだ。
「状況的にはサタンもマモンも倒され、率いた魔物が逃げ出したと考えられる。だが過去にこれほど早く勇者が現れたことはない。」
本来ならば勇者はまだ訓練中のはずだった。憤怒のサタン相手に大怪我をしないように念入りに訓練し、絶対に負けないと周囲が確信してから戦場に送るのが常であった。
「予想よりも早くに勇者が現れたことは過去にもあったが、だいたいが未熟で弱く、倒せぬまでも手傷くらいは負わせられた。未熟な勇者にこの短期間でサタンとマモンの両方を倒せるとは思えぬ。」
実際、過去には味方の惨状を見かねて訓練半ばで飛び出して行った勇者も存在した。そのような勇者はどうにか魔族を倒しても軽くない傷を負い、その後の参戦が遅れて却って兵士の被害が増えてしまったという。
だからどれほど被害が甚大であっても勇者の訓練に手は抜かない。それがホートリア王国の、そして人類全体の方針であった。
正人が時間をかけて訓練を行わなかったのは、多少の訓練をしても無駄だからである。
「未熟なままでも我らを圧倒するほどの強い勇者が現れたか、それともこれまでよりも早く勇者が現れたのか? いずれにしても尋常でないことが起きている。」
魔族側に入る限られた情報の中では、最大限現状を正しく把握したと言っていいだろう。正解を言い当てたらその方がおかしい。
「これは早急に魔王様に知らせる必要がある!」
怠惰のベルフェゴールはフェニックスを一羽呼び寄せる。偵察ならともかく、連絡用にはフェニックスにメッセージを持たせる必要がある。
サタンやマモンが倒された時用の符丁は用意してある。詳細な報告は後にして、ベルフェゴールは第一報を送ることにした。
近付いてきたフェニックスに手を伸ばし、
――バァーン!
突然、そのフェニックスが地に落ちた。
同時にベルフェゴールの肩に痛みが走る。
「ぐっ、何が起きた!?」
ベルフェゴールには状況が分からない。だが分からないながらも咄嗟に見上げる。
急斜面の上にあるのはトモーロスの砦だ。そこから自分が監視されていることは知っていた。
「まさか、攻撃を受けたのか?」
勇者以外の者からダメージを受けるということは、魔族にとってもあり得ないことだった。
それでもベルフェゴールは即座に反撃を開始した。
どのような攻撃であるかは理解できなくとも、敵は目の前の砦にいると考え、その能力を全力で発揮した。
砦までは直線距離で十五ガルス。ベルフェゴールが全力で『怠惰の領域』を使えば、敵は理力をほぼ完全に使えなくなるはずだ。
後はフェニックスを突っ込ませればよい。
ベルフェゴールは斜め上の砦をしっかりと見据え、周囲のフェニックスに指示を出す。
――バァーン!
そこでベルフェゴールの意識は途絶えた。




