第十六話 嫉妬のレヴィアタン
三日後の昼過ぎ、予測通りデルトの港に魔物が現れた。
「うわぁ、た、助け――」
それは見回っていた兵士の悲鳴から始まった。
迂闊に水に近付いた兵士も不注意だったが、これは運が悪かったとしか言いようがない。突然海中から飛び出したマーメイドに水中に引きずり込まれてしまったのだ。
完全に水中に没してしまえばもう助けられない。それに他の兵士達が駆け寄る前に、次々と海からマーメイドが飛び出してきて逃げるしかなくなってしまった。
今回港を見回っていた兵士達は、この場での戦闘を想定していない。軽装で武器も短剣を持っているだけだった。
彼らの役割は魔物の襲来を見つける斥候と、現れたマーメイドを陸の奥に引き込む囮だった。あまり兵士らしくない格好をしているのも、あらかじめ退避させた民間人のふりをしているからだ。
民間人に扮した兵士達は、わざと大きな声を上げて逃げて行く。それを追いかけて上陸したマーメイド達が次々に街の方へと向かって行った。
マーメイドは続々と陸に上がって来る。
マーメイドの姿は、上半身が人、下半身が魚という人魚そのものだ。
しかし、人魚と言ってもアンデルセン童話の人魚姫のような美しいものを想像してはいけない。
確かに上半身は人型と呼べるが、その顔は醜怪だ。皺くちゃの顔に飛び出さんばかりの大きな目、開いた口の中にはサメのような鋭い歯が並んでいる。肌は青みがかっていて硬そうだ。手には水掻きも付いている。
下半身は魚の尾鰭が付いている。陸に上がっても足に変わるわけではない。
上陸したマーメイドは尾鰭を使って器用に飛び跳ねたり、両腕で這うように進む。陸に上がったマーメイドの動きが鈍いのはこのためだ。
基本的に陸上で活動する生物ではないのだ。
しかし、不向きな陸上で動きが鈍っても無理やり行動できるほどにそのパワーは強い。民間人が逃げ切れずに捕まれば助からないだろう。
そして恐ろしいのはその数。続々と上陸して来るが、途切れる気配がない。上陸後の動きが鈍いこともあって渋滞を起こしていた。
決して小さくない港を埋め尽くすマーメイドの数は百や二百では利かないだろう。
これ程の数の魔物に突然襲われたら、備えの無い民間の都市ではひとたまりもないだろう。陸上では動きの鈍いマーメイドでも、逃げる方向を間違えれば囲まれる。隠れても見つかってしまう。
最初に襲われたとき、どれほどの被害が出たことだろうか。どれほどの人が死んだことだろうか。
ようやく上陸するマーメイドの行列が途絶えた。
うまいこと奥地まで誘い込めたのだろう、港の近くには人もマーメイドもいなくなった。
動くものの無くなった港に、また一体海から上がって来るものがあった。
マーメイドではない。
それは二本の足で陸地を歩いていた。
三メートル近い巨体。
深い青緑色の鱗で覆われた体表。
手足には水掻き。
背中まで伸びる赤い髪の毛。
そして額から伸びる一本の角。
それは魔族、嫉妬のレヴィアタンだった。
「この作戦も、対応されてしまうと効果が出なくなるな。」
嫉妬のレヴィアタンは独り言ちる。
実のところ、民間人を狙ったゲリラ的な襲撃は、人類にとってはかなりの脅威だ。
警備の兵士を広く配備しなければならない負担、漁業や海運に与える打撃、そしていつ襲われるか分からない人々の不安。
実際の死者数以上に、人間社会に対して大きなダメージを与えていた。
しかし、人類の殲滅以外に興味のない魔族にとっては、殺した人数でしか作戦を評価していないらしい。
民間人を狙ってマーメイドが襲撃してくると判れば対策は立てようがある。
マーメイドは海から来るのだから、海を警戒すればよい。
陸上では動きの鈍いマーメイドからは、全力で走れば逃げ切れる。
民間人には脅威でも訓練された兵士ならば陸に上がったマーメイド相手に優位に戦うことができる。
嫉妬のレヴィアタンが戦力の消耗を避けたことと、ラムザス連邦側が早期に襲来予測の方法を確立したこともあり、人類側の死者は急激に減少していた。
「そろそろ戦法を見直す頃合いか……」
いずれにしても、ラムザス連邦に対する嫉妬のレヴィアタンの襲撃はこの戦いでひとまずは終わることになりそうだ。
嫉妬のレヴィアタンは足を止めると、マーメイドの向かった先を見据える。そして――
――バァーン!
「なん……だ……」
嫉妬のレヴィアタンは何が起きたのかもわからないまま、倒れた。
◇◇◇
マーメイドは理力を感知して隠れた人を見つけている。
そのことを確信したのは、次の作戦を立てるためにベルムの港での作戦の失敗を詳しく思い起こしていた時のことだった。
マーメイドに襲撃されて船が沈んだ時、俺はマサト小隊の皆と分断され、別々の船に飛び移った。
その時マサト小隊の飛び乗った船は即座にマーメイドから攻撃を受けた。海中にいながらマーメイドは正確に船上の人の位置を把握していたのである。
しかしその時、俺の乗り移った船は攻撃を受けていなかった。
最初は人数の多い方を優先して攻撃したのかと思ったが、それはおかしいと気付いた。
船から下りた時点で港には既に数多くのマーメイドがいた。海から陸に上がるのに手間取っていたから俺達は逃げきれたのだが、海中から船を攻撃するだけならば十分な数がいたのだ。
優先順位なんて関係ない。人のいる船を全て沈めればいいだけだ。
つまり、マーメイドは俺のことに気付かなかったのだ。俺一人を見逃す理由がない以上、そう考えるのが自然だった。
俺が他の兵士や民間人を含めたこの世界の人と違うことは、理力を全く持っていないことだ
マーメイドは人の発する理力を感知していると考えられた。
「しかし、それは危険なのではないでしょうか。」
姫様が心配して消極的に反対する。
しかし、戦いに絶対安全なんてものはない。
「大丈夫だ、見つかったらマーメイドが上陸する前に逃げればいい。前回も俺一人の時に攻撃は受けていないんだ、十分に勝算はある。」
俺の立てた作戦は、前回ベルムの港で失敗したものとほぼ同じだ。
船に隠れ潜むのが俺一人だけだという点を除いては。
◇◇◇
予想通り、マーメイドは俺の隠れた船を無視して通り過ぎて行った。
上陸したマーメイドで周囲が埋め尽くされた状況で見つかったら逃げ場が無くなって終わりだったのだが、どうにか無事にやり過ごすことができた。
そしてマーメイドが近くからいなくなったころに嫉妬のレヴィアタンが現れた。
しかも隠れた船からすぐ近くに立ち止まったので、船上から撃ったのだ。
船もほとんど揺れていなかったから、楽に当てることができた。
俺は嫉妬のレヴィアタンがピクリとも動かないことを確認して船を降りた。
そして、事前に渡されていた信号弾の一つを選んで取り出す。色は作戦成功を示す青だ。
野球のボールくらいの大きさの信号弾は内部に火薬が入っいて破裂すると色の付いた火花と煙をまき散らす。取り付けられたひもを強く引き抜くだけで導火線に火が付くので理力を持たない俺でも使うことができるのだ。
俺は信号弾のひもを思い切り引き抜くと、全力で空に向かって放り投げた。
高い位置で爆発し、青い光と煙がたなびく。昼間だから光は目立たないが、煙を見れば伝わるだろう。
まあ、嫉妬のレヴィアタンが死んだことで戦意をなくしたマーメイドを見ればそれだけで作戦が成功したことは伝わるだろうが。
さて後は……
海に逃げ帰るマーメイドと鉢合わせしないように、俺は全力でその場を離れた。
実は嫉妬のレヴィアタンにも特殊能力を設定しています。
「嫉妬の学習」と言って、自分よりも強い敵と戦うと相手の能力や技の一部を習得するというものです。
劣化コピーとは言え、難敵の技術や能力を次々と取り込む恐るべき魔族です。
ただし、魔族の前に現れた人間は弱体化するので強敵になり得ません。弱体化しない勇者が現れた場合は、習得する前に倒されます。
このため、ほぼ完全に死にスキルとなっています。




