第十五話 ベルムの港
翌日、俺達はベルムという港町に来ていた。
港湾都市デルトより小規模な港町には転移門は設置されていないので、馬車で二時間ほど揺られて来た。
ベルムの港には数多くの船が停泊していた。もっと南からやってきた大小様々な商船が、魔物の襲撃を恐れて留まっているかららしい。
さらに北に進んでサリオス帝国やトモーロスに荷を運ぶだけでなく、南に戻る場合でも港を出たところで魔物に襲われる危険があるため迂闊に出港できないのだそうだ。
港は船で溢れ返っていて、正規の係留施設だけでは収まりきらず、桟橋に係留された船の隣に船を着けて他人の船を通って上陸したり、港に入れず沖合に停泊して小型のボートで上陸したりと、かなり渾沌としている。
港を出入りする船のための航路も一部塞がってしまい、事態が収まった後も船を安全に出航させるためにかなり面倒な遣り繰りする必要があると、港の関係者は頭を抱えていた。
「この船を使ってください。」
作戦に必要な要件を伝え、見繕ってもらった結果案内されたのがこの船だった。
場所は港の中央付近。嫉妬のレヴィアタンが現れるならば、港町全体を見渡せるこの辺りだと考えられていた。
使用する船の条件として、まず大型船は避けた。甲板が高い位置にある大型船では乗り降りに手間がかかる。発見した嫉妬のレヴィアタンに忍び寄るにも万が一の場合に脱出する際にも、すぐに船を降りられる必要がある。
もう一つは、船室があること。隠れ潜むのに、外から丸見えのボートでは都合が悪い。船内に人がいても外からは分からない、ちゃんとした船室が必要だった。
「これならば問題なさそうだな。」
ポール隊長が船を確認して言う。
船体に比べて船室は広めだった。
客船なのだろうか?
少なくとも貨物船ではなさそうだった。
「それでは我々はこの船に潜伏する。魔物の襲撃は夕刻と予測されている。それまでに準備を終えるぞ!」
俺達――俺とマサト小隊の一同は魔物の襲撃に備えて準備を始めた。
準備と言ってもたいしたことをするわけではない。
まずは船の構造を把握して脱出経路を確認する。場合によっては夕方の薄暗い中を脱出する可能性もあるのでしっかりと頭に叩き込んでおく必要がある。
船室には前後にドアがあり、船の前方と後方の甲板に出ることができる。下船するには船の中央から岸壁に下りるのだが、今回は船の前後にも渡り板を設置して船室から素早く上陸できるようにした。
船を降りた後の逃走経路も一度歩いて確認しておく。最悪逃げ切れなければ信号弾を上げて救援が到着するまでマサト小隊の皆で応戦することになる。
逃走経路を確認したら、次は偽装工作だ。
船室に隠れていることがばれないように幾つか細工をすることになった。
船室にはいくつも窓が付いていて外の状況を確認しやすいのだが、外から覗き込まれると中に人がいることが分かってしまう。
船室の窓にガラスは嵌っておらず、板で閉じることができるのだが、それでは外が見えなくなってしまう。
そこで用意した簾を窓に取り付けることにした。これならばパッと見では中の様子は分からないだろう。
さらに、船の甲板に異臭を放つ魚を置いた。これは腐った魚ではなく発酵食品の一種らしい。マーメイドの嗅覚がどれほどのものかは分からないが用心のためだ。
「よし、こんなものだろう。後は夕方まで船内で待機だ。」
まだ日の高いうちに準備を終え、俺達はそのまま船室に籠って魔族の襲来を待つことになった。
長期戦に備えて食糧も持ち込んだが、魚の臭いがきつくて食べる気にはならなかった。
やがて日は大きく西に傾いてきた。
「西の海上、一瞬マーメイドらしき魔物の姿が見えました! 港の外、外洋です。」
最初に発見したのは、副隊長のコリンだった。小声で囁くように、しかし船内の全員にその言葉は届いた。
「よし、ここからは一層注意して周囲を警戒する。奴らは海底を進んでくる、姿が見えないからと言って油断するな!」
ポール隊長も小声で指示を出す。
どうやら予測通り魔物がやって来たようだ。
夕日に輝く西側の海には既に魔物らしき影は見当たらない。しかし、海中を進むマーメイドはもう近くまで来ているかもしれない。
マーメイドに気付かれずにやり過ごせるかが作戦の成否を決めるカギになる。
俺達は物音を立てないように、息を潜めて海を見つめた。
――ガン、ガン!
最初の異変は音だった。
船の下の方から、何かを叩きつけるような異音が聞こえてきた。
「なんだ!? マーメイドが船底にぶつかっているのか?」
「分かりません。海上に魔物の姿は確認できません!」
俺も簾の隙間から外を見ていたが、魔物が浮上してくる様子はなかった。
しかし、状況的に魔物と無縁の現象とは思えない。
――ドゴン!
「うわぁ!」
一瞬、船が大きく揺れた。
そして、異変はそれにとどまらない。
――ミシッ! メリメリメリ!
床に裂け目が走り、そこから水が噴き出た!
「まずい、船がやられた! 全員船外に出ろ! 撤退する!」
俺達は慌てて近くのドアから船室を出る。
ポール隊長以下マサト小隊の面々は前方のドアから。
俺一人だけ後方のドアから。
しまった、分断された!
船が大きく揺れて、ゆっくりと傾き始めた。この船は沈む!
しかも、さっきの揺れで渡り板がどこかへ行ってしまった。
「隣の船に乗り移って、陸に上がるんだ!」
ポール隊長の指示が聞こえた。
よく見れば、船が密集しているせいで岸壁よりも隣の船の方が近かった。マサト小隊の面々は次々と隣の船に飛び移っていた。
俺も急いで隣の船に乗り移る。マサト小隊の皆と更に距離が開いたが仕方がない。合流は陸に上がってからだ。
危なかった。どうにか全員無事に船を出ることができたが、俺達の乗っていた船は沈んでしまった。
おっと、ぼおっとしている暇はない。急いで陸に上がらなくては。
――ミシミシミシッ!
なんだ?
見ると、マサト小隊の乗り移った船が大きく揺れていた。あれは、攻撃を受けている!?
この世界の兵士は超人的な身体能力を持っているから平然と飛降りているけれど、俺にはまねできない。
俺は今いる船が攻撃されないうちにと大慌てで渡り板を渡って下船した。
「どうにか陸に上がれたけれど……」
作戦はいきなり失敗だ。まずは皆と合流しないと。
「走れ! すぐに魔物が来るぞ!」
叫びながらポール隊長は信号弾を投げ上げる。色は作戦失敗の黄色だ。
ハッとして後ろを振り返ると、港の船の間の海面にマーメイドと思しき影が夕日を背景に港を埋め尽くす勢いで浮かんでいた。
俺は全力で逃げ出した。
◇◇◇
「失敗じゃったの、今回は。」
爺さんが一言で総括した。
俺達は一夜明けて港湾都市デルトに戻り、作戦の結果を報告したところだった。
「いえ、全員無事に戻ってきたのですから、上出来です。」
姫様の言うことも正しい。
嫉妬のレヴィアタンを討つという目的こそ達しなかったものの、俺もマサト小隊の隊員も全員無事に戻ってきた。銃弾も消費していないから、再挑戦も十分に可能だ。
ただ同じ作戦は使えないということは分かった。マーメイド達は航行している船ではなく、たとえ停泊していても人が乗っている船を襲うらしい。
「それにしても、マーメイドはどうやって船に俺達が乗っていることを知ったのだろう?」
これが分からないと魔物を回避して直接魔族を撃つ作戦が非常に困難になってしまう。
あの時、船が沈められて陸に逃げるまで一度もマーメイドの姿を見なかった。少なくとも船内を覗き見て俺達を発見したわけではなかった。
臭いもごまかし、音も立てないように声を潜めていたのに、俺達はどうやって発見されたのだろう?
「難しい話じゃの。マーメイドの生態については不明な点が多いのじゃ。普段は海の中に生息して、見かけることも稀じゃからなぁ。」
爺さんでも分からないことはあるらしい。
「状況的に視覚ではないじゃろう。水中の動物には聴覚や嗅覚が鋭いものもおるが、水中から水上の音や臭いを判別できるとは思えぬ。後は理力でも検知しておるか……」
マーメイドが人を見つける手段が分からないことには手の打ちようがないし、分かったとしても回避方法が思いつかなければ対策が立てられない。
マーメイドをやり過ごすことができなければ、今の行動パターンが変わるまで嫉妬のレヴィアタンを不意打ちすることは難しい。
「これも勇者頼みで魔物の研究を疎かにしていた弊害じゃの。」
勇者が戦う場合はマーメイドをやり過ごす必要なんてなかったのだろうな。
「それに反省すべきは今回の作戦だけではないしのぉ。たとえ勇者様が存命でも、サリオス帝国の軍港に係留されておる勇者様専用船をこちらまで移動させるには時間がかかり過ぎるのじゃ。かといって普通の船ではマーメイドに沈められてレヴィアタンのところまでたどり着けぬじゃろう。」
「そうですね。東海岸の港から大陸の南を回って西海岸まで航行したら数ヶ月かかってしまいます。西側のラムザス連邦、それから南のカルナ王国にも一艘ずつ勇者様専用の船が欲しいですね。」
爺さんの意見にモレノ評議長が同意する。だがその反省が活かされるのは五百年後の話だ。
「次の襲撃は三日後にこのデルトの港と予想されています。それまでにはサリオス軍も到着する予定ですから、マーメイドをまとめて叩きます。民間人の被害は抑えられるようになりましたから、次に現れる時には同じ戦法は取ってこないでしょう。」
この三日以内に新たな作戦を立てられなければ、嫉妬のレヴィアタンへの対策は最初からやり直しになる。




