どうするべきなのだろう
テオドーラは頭を抱え、かつて無いほどに困っていた。
領主の庭園に忍び込み、ユマリアが魔法で結界を張った後は、彼女が起きるまで他の者に気付かれぬよう護衛するのが、自分の役目だと思っていた。
とはいえ『この結界の外に出たら、この館の人に気づかれちゃうかもしれないから、見つからないようにしてね』と言われてる以上は、このまま動かずにいれば問題ないだろうとも思っていた。それなのに。
「あれ~?ここら辺だと思ったんだけどな」
自分たちの目と鼻の先で、先ほどから10歳くらいの男の子が行ったり来たりしている。
身なりの良い格好をしているので、たぶん貴族の子供だろう。
見たところ、結界の中には入って来れないようだが、どうにも心臓に悪い。
これはユマリアを起こしたほうが良いだろうか?起こすのも可哀想なので、少年のほうを屠ったほうがいいだろうか?
しかし彼女には『迷宮以外では人間に手を出すな』と厳命されている。それ故に屠れない。困った。とても困った。
「確かに女の子がいたはずなんだけど……、うーん?」
少年は腕を組み、首を傾げながら、思案し始める。
彼の言葉から想像するに、ユマリアが結界魔法を使う直前に、私たちの姿が見られていたのかもしれない。
もし、そうだとしたら、彼の目には私たちが突然消えたように見えたのだろう。
そして不審に思い、ここへ来たのだ。彼一人でいるということは、周囲の人間には何も言わずに来たのだろう、と希望的観測をする。
それにしても『女の子』は無いだろう。私とユマリアは背格好こそ少年と大差ないが、歳の差は大きく違うのだ。そこは『お姉さん』と呼んで欲しいと思ってしまうのは贅沢だろうか。
「あっちの方から走ってきて、この木の横で、こう手を空にかざしたら────消えた」
少年は一人で私たちの行動を再現をした後に、再び腕を組んで考え込む。
柵のほうから走ってきて、器用に私たちを避け、木の横で立ち止まり、腕組して考える。そんな行動を何度も繰り返していた。
私たちを避けるのは結界魔法の力が働いている証拠だろうが、目の前でウロウロされている私にとっては気が気でない。
もうそろそろ飽きてはくれぬだろうか?私がそう考えていると
「この木まで走ってき……痛っ!」
私たちを無意識に避けようとした拍子に、土から顔を出している木の根に足を捕られ、少年は転んでしまった。
だが少年よ、転んで膝を擦りむいたからといって、泣くでないぞ。
「ううぅ……、ふぇぇぇぇん」
ええい、泣くなというのに!少年は膝を抱えて、蹲ってしまった。
膝……?そういえばユマリアも膝がどうのと言ってたな。
まさか“膝”とは、この事……?いや、そんなわけは無いか。
やれやれ、仕方ない。結界の外へ出て、怪我の治療をしてやるとするか。
膝を擦りむいただけの小さな怪我だ、その程度を癒やす魔法なら私でも使える。
彼が私の姿を見て騒ぐようなら、ユマリアを担いで、即座に逃げよう。
「おい、そこの少年。擦りむいた場所を見せてみろ」
「ふぇ?」
「ほれ、<治療>」
「え? わ……痛くなくなった……」
私は治療の魔法をかけた後に、膝についた血を拭い取ってやる。
自分の膝が元通りになっているのを見て、少年は驚いたように、擦りむいたはずの自分の足と私の顔を交互に見つめる。
「転んだくらいで泣くものではない。男が下がるぞ」
「ありがとうございます、お姉さん!」
うむ、私は姉さんだ。感謝してくれるなら、お姉さんがこの場にいることを、屋敷の者たちには内緒にして欲しい。
そう提案すると、少年はコクリと頷いてくれた。
ユマリアと焼き串屋で使った荷物を持って街中を移動するのは、悪目立ちするからな。少年が黙っていてくれるのなら、それに越したことはない。
私は安心して、結界の中へと戻る。
結界に入る時に、ピリッと電気が走るような感触を受けた。
これが『魔法抵抗に成功する』感覚なのか。初めて味わったな。
「あれっ?おねーさんが消えたよ?お姉さん、どこにいるの?おねーさーん!」
「……内緒にしてくれると言った矢先に、大声を出すな!」
再び結界から抜けだして、少年の頭を叩く。スパーン!と良い音がした。
少年の頭は起き上がり小法師のように左右に揺れた。転んだくらいで泣くくせに、叩かれるのは平気なのか、頭を振りつつ質問をしてきた。
「あ、またおねーさんが現れた。どうなっているの?」
「私と少年の間には結界が張られているのだ。それで姿は見えんのだよ」
私はそう説明するが、理解できないのか、少年が小首を傾げている。参ったな。
もっと面倒なことになる前に、ユマリアを担いで逃げたほうがいいだろうか?
思い悩んでいると、遠くの方から数人の大人の声がした。
「パウロ様ー。パウロ様ー?どちらに居らっしゃいますかー?」
まずい、やはり逃げよう。
私はもう一度結界に戻りユマリアと荷物を担いで、荘園の外へと脱出を試みる。
「おねーさん待って!もう一回消えたまま、少し、じっとしててね」
そう言うと少年は大人のいる方へ駆け寄って、自分に注意を引きつける。
少年を見つけた屋敷の人間たちが、彼を囲むようにして集まり始めた。
「パウロ様、大丈夫ですか?先ほど何か声がしたようなのですが」
「大丈夫だよ、ちょっと転んじゃっただけ」
「それは大変です。怪我をしたのなら、薬草をご用意いたします」
「怪我はしてないから平気だよ。少し一人で風に当たりたいから、僕のことは構わず、皆は自分のお仕事してね」
「しかし……」
この屋敷の使用人らしき大人と少年は、しばらく押し問答を繰り返していたが、やがて大人の方が折れて、屋敷に戻っていった。
少年は『ふぅ』と息を吐くと、周囲を見渡し、私たち以外の人間が居ないことを確認した後、笑顔で私に声をかけてきた。
「おねーさん。もう大丈夫だよ」
「ああ、すまんな。しかし良いのか?私たちは不審者だろうに」
「うん!おねーさんと、もっとお話したいもん!……ん?“私たち”?」
「それはだな……」
それから私は少年を結界内に招き入れ、ユマリアが起きるまでの時間、色々を話をした。と言っても私は専ら聞き役だ。少年はこちらからは聞きもしないのに、街のこと、国のこと、自分の家族のこと、様々なことを話してくれた。
少年の名はパウロというらしい。この街の領主の息子だそうだ。兄弟は三歳年下の妹がいるだけ。本来は歳の離れた兄が居たそうだが、パウロが生まれて数年後に病気で亡くなった。そして自分も妹も、あまり体が丈夫なほうではなく、屋敷の外に出たことがないのだと儚げな笑みを浮かべながら告げられた。
それからこの街ができた経緯も聞いた。
この街は以前、悪い神様を崇める人たちが支配していたという。
そこを自分のご先祖様が軍を率いて攻め入って、市民を開放した。それ以来、悪い神様がこの街に災いを齎さないよう守り続けたのが、初代様から今に続くラントルコート家なのだ───と、魔法や歴史を教える教師から習ったそうだ。
今はもう、悪い神様も眠りについて、遺跡だけが残っている。
<カムイソルナの迷宮>と呼ばれる、あの迷宮がその遺跡。
30年前まであの遺跡は封印されていたけれど、街の運営が資金面で上手く行かずに困った父親が迷宮を冒険者に開放したおかげで、少しずつ人の交流が増えていき、今ではかなりの規模を持つ街へと生まれ変わったらしい。
私は彼の話す内容を、ひとつひとつ頷きながら聞き入った。
確かに、この街で主様を崇めていた者たちは、この国の軍隊にに敗れた。
そして彼らは、我らを邪神を崇める者だと決めつけ断罪し、罰として八人の巫女の首を撥ねた。
それが私が生まれた切欠だ。そしてあの時、敵味方を問わず、街にいる全ての人間を喰らい尽くした。そう思っていた。
しかし敵軍の中には、恐らくは哨戒のため、街の外に居た者もいたのだ。
そうして運良く生きながらえたのが、パウロのご先祖様ということなのだろう。
ならばパウロは私の、いや、八人の巫女を殺した仇の末裔ということか。
しかし目の前の少年が己の仇だとわかっても、不思議と憎しみは感じなかった。
こんな事情すら知らぬ幼子を殺めるのは、ただの八つ当たりにすぎない。
それくらいの事は私にも分かる。
かと言って、それならばパウロの父親を殺せば良いのかといえば、そちらもよく判らない。彼の父親もまた、本当の歴史を知らないかもしれないのだ。
それに自分の父親が私に殺されたと知れば、主様が悪い神様であるとする今の世の評価は、パウロにとって疑いようのない真実となるだろう。
ただでさえ主様は今の世の者たちから汚名を着せられているのだ。迷宮に住まう私が私怨を晴らす事を優先した結果、主様に更なる悪名を擦り付けることになりかねない。
何より私は1500年前、八人の巫女の仇を取るついでに、この街の、当時の住人の命を全て奪った殺戮者だ。そんな者が己の復讐心を、今の世界の人間相手に満たして良いものだろうか。
私は一体どうするべきなのだろう。どうあるべきなのだろう。
「おねーさん。ちゃんと聞いてる?」
「ああ、聞いているさ」
「じゃあ教えて。この“結界”って魔法だよね?どうしてこんな事が出来るの?」
「それは……私はこんな魔法など使えない。使ったのは、この横で寝ている相方のほうだ」
「そうなんだ?なら、このお姉さんは、大魔法使いなんだね。ピクリとも起きないけど。領主の敷地に内緒で入り込んでいるのに……。大物なんだね」
真横でパウロが長々と話をしているのに、起きるどころか寝返りも打たない。寝息は聞こえるから大丈夫だと思うが、確かにこの状況でよく寝れるなと思う。
「まあ、ある意味で大物であるのは事実だな。何せ自分の主人の首根っこを押さえて、ピーマンを食わせようとしたやつだからな」
「何それ、怖いよ……ピーマンを食べさせるなんて、悪魔みたい」
「まったくだな」
悪魔みたいどころか、彼女が悪魔の伯爵にも同じ方法でピーマンを食わせようとした話は黙っておこう。バレてしまうと、今度は私が彼女の餌食になりそうだ。
「おねーさんもピーマン嫌いなの?」
「うむ、あれは毒草の類だからな。苦味があるのは毒の証拠だ」
「おねーさん……!そうだよね!僕もそう思うよ!」
「いや、それ、違うし!苦味も美味しさの一つだし!」
「「うわっ!」」
ユマリアが突然、立ち上がって叫びだした。
その声に私とパウロは驚き、抱き合いながら仰け反った。




