第三話 賭博か、逢瀬か?
十六歳の私とアデライドは、侍従部を回ることになった。
行儀見習いの短期研修で、期間は四日である。
王族の接遇、来客の取り次ぎ、儀礼、伝達の経路。
男性侍従を統括する侍従長オーギュスト様が、研修先の責任者である。
背筋の伸びた、五十近い紳士で、言葉は丁寧、判断は的確。
王族の方々の信頼も厚い。
侍女長のベアトリス様でさえ、侍従長には一目置いていらっしゃる。
その侍従長に、少しばかり気になるところがあった。
私は昔から、数字の並びや、いつもと違う小さな変化が気になって仕方がない。
見習いの仕事でも、その癖はなかなか抜けなかった。
一日目、伝達経路の勉強で、私は侍従部の当番表を見せてもらった。
毎週木曜の午後四時、侍従長の欄だけが空白になっている。
二日目、書簡を届けに侍従長室の前まで行ったとき、扉の向こうから声が聞こえた。
「今週こそ、勝負をつける。……いや、賭けは、いつものとおりだ」
「侍従長。革袋をお忘れです」
かちゃり、と硬いものが鳴る音がした。
私は、書簡を持ったまま、固まった。
勝負。賭け。硬貨の音。
◇
その夜、寝室で、私は手帳を開いた。
「見たこと」の頁に、木曜四時の「私用」
「聞いたこと」の頁に、勝負、賭け、革袋、かちゃり。
「賭博だわ。木曜の午後四時、決まって予定が空いているのよ。
勝負、賭け、革袋。これだけ揃えば、間違いないわ!」
「マルグリット。それは、侍従長に失礼よ」
アデライドは、髪をほどきながら、眉をひそめた。
「でも、勝負をつける、賭けは、いつものとおり、と言ったのよ。
硬いものの音もした。侍従長が、毎週、どこかで賭け事を」
「私は、逢瀬だと思うわ」
私は、手帳から顔を上げた。
アデライドは、ほんの少しだけ頬を赤くしていた。
「木曜だけ、侍従長は、礼装用の白手袋に替えていらっしゃるの。
上着の襟も、きれいに直して。
高位の婦人にお会いになるときの、装いよ」
身分や礼法のことで、アデライドが間違えたことはない。私は唸った。
「……勝負と賭けは?」
「それは、わからないけれど」
「じゃあ、賭けましょう。賭博か、逢瀬か。外れたほうが、焼き菓子」
「見習いが、賭けを……」
「確かめるだけよ。見たことを」
アデライドは、しばらく迷っていた。
それから、小さく頷いた。
「……確かめるだけなら。
侍従長の私生活を探るのは、見習いの仕事ではないけれど。
見つかったら、研修の評価に傷がつくわ」
「傷がつく前に、確かめるの」
口では、そう言いながら、彼女の目は、猫のようだった。
◇
木曜の午後、研修の最終日。
四時の少し前に、私たちは、庭園の回廊にいた。
研修の復習をする、という名目で、回廊の柱の陰に陣取る。
もちろん、復習などしていない。
アデライドは、念のためと言って、柱の陰で、来客取り次ぎの手順を小声で暗唱していた。
言い訳のつもりらしい。
四時ちょうどに、侍従長が、庭園の東屋に現れた。
白手袋に、きれいに直した上着。革袋を、片手に提げている。
「ほら、手袋」と、アデライドが囁いた。
「こっちは、革袋」と、私も囁き返した。
東屋には、先客がいた。
喪の黒を、少しだけ柔らかくした装いの、品のよい婦人である。
アデライドが、私の袖を引いて、息だけで囁いた。
「ロザリー伯爵夫人。
亡き伯爵の未亡人で、王家の庭園の管理を預かっていらっしゃる方よ」
侍従長は、深く礼をして、婦人の向かいに座った。
革袋から出てきたのは、硬貨ではなかった。
小さな駒だった。婦人の前には、盤が置かれていた。
侍従長が、駒を並べる。
かちゃり、かちゃり、と硬い音が鳴った。
「今週こそ、勝負をつけますぞ、夫人」
「先週も、そうおっしゃいましたわ。
負けたほうが、次の茶菓を用意する約束、お忘れなく」
賭けは、茶菓だった。勝負は、盤上遊戯だった。
私は、膝から力が抜けるのを感じた。
アデライドは、口元を押さえて、肩を震わせている。
「……私の勝ちね」
「悔しいけれど、そうね。賭博では、なかったわ」
二人は、盤を挟んで、静かに笑い合っていた。
侍従長の顔は、威厳の下から、少年のように、ほころんでいた。
アデライドが、小さく「素敵」と呟くのが聞こえた。
その背後で、足音がした。
この靴音は、ベアトリス様だ。二年も聞けば、わかる。
「職務の外で、侍従長の私生活を覗くことが、行儀見習いの学びですか」
振り向くと、侍女長ベアトリス様が、腕を組んで立っていた。
「ふ、復習です」
「柱の陰で、ですか」
◇
東屋の二人も、こちらに気づいた。
侍従長は、少しも慌てず、ゆっくりと立ち上がった。
「ベアトリス殿。お手数をおかけします。
見習い二人の処遇は、侍女長殿にお任せする。
ただ、研修先の責任者として、一つだけお願いが」
侍従長は、私たちに向き直った。
「私も男爵位を賜っておりますが、ロザリー夫人は由緒ある伯爵家の方。
家格の違いを、口さがなく言う者もおりましょう。
夫人はまだ喪に服しておられる身。
どうか、今日のことは胸にお納めいただきたい」
穏やかで、揺るぎのない声だった。
私は、自分の好奇心が、急に恥ずかしくなった。
「お二人は、昨日の取り次ぎの稽古でも、客人の名を、一度も間違えなかった。
観察眼は、見事です。ただ、観察の向け先が、少し違っただけです」
侍従長は、そう言って、微笑んだ。
侍女長様は、深く息を吐かれた。
「好奇心は、学びの種です。
ですが、種を蒔く畑を、間違えてはなりません。
見たことを、どうするか。それが、三つ目の心得です」
「……はい。持っていきます。墓場まで」
アデライドが、先に答えた。私も、慌てて頷いた。
「侍従長に免じて、研修の評価には記しません。
ただし、規律は規律です。罰は、研修報告書の書き直し。
侍従長の私生活ではなく、来客の取り次ぎの手順を、五枚。今夜中に」
「全部ですか」
「全部です」
◇
その夜、私たちは、並んで机に向かった。
一枚目の最初の行から、もう眠かった。
「賭博でなくて、よかったわ。
大事件でなくなったのは、少し残念だけど」
「マルグリット」
「冗談よ。……焼き菓子は、あなたの勝ちね。
五枚、書き終わるまでお預けだけど」
「ええ。……ねえ、マルグリット。本当に、誰にも言わない?」
「言わないわ。今回は、守る。墓場まで持っていくわ」
「珍しい」
「……たぶん」
「たぶん?」
「だって、見習いですもの」
『見た! 聞いた! 言うわ! の侍女長ですが、主がボンクラ王子と結婚だなんて許せません!!』
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時系列では、マル&アデコンビの後年の話になります。




