第9話 出陣
「ですので、魔力の操作を覚えましょう」
魔力の操作か。騎士団長の岸からは、まだそんな授業は受けていない。なのに棒緑たちが既に習得していたのは、恐らく独学……あるいは、あの才能の差ってやつなんだろう。
あいつららしくない。好奇心で本を読んだのか? それとも岸から直接教わったのか? いや、それはないな。岸は順序を重んじるクソ真面目な奴だ、教えるはずがない。
そのせいで、俺はあいつらに魔力操作で舐めプされて、拷問みたいな苦痛を延々と味わわされてきた。もし俺が、魔力操作を会得してあいつらの前に戻ったら、一体どんなツラをするか……。
あいつらみたいなゴミにできたんだ。俺にできないはずがない。俺はマオに頷いて返事をした。マオは俺の意志を確認すると、「ちょっと待っててね」と言い残して部屋を出て行った。
バタン、とドアが閉まる。残されたのは、俺とシロの二人きり。
沈黙。物音ひとつ聞こえない。シロは相変わらず、俺のことを睨み続けている。……この間に、俺、こいつに殺されるんじゃねえの? 俺は必死に目を逸らし続けて、心の中でマオが早く戻ってくるのをひたすら願う。気まずすぎる……。
数十秒後、マオが部屋に戻ってきた。どうやら、もう一人誰かを連れてきたようだ。
見た目はマオと同じくらいの歳で、少しだけ背が低い。眠たそうな顔を覗かせながら、のそのそと歩いている。魔族だから耳は少し長いけど、髪は黒くて、サラサラと伸ばしている。魔族だからって、みんなが白い髪ってわけじゃなさそうだ。
で、その女を使って何を? マオはその子を俺に紹介した。
「えっと、紹介しますね。この子はクロ。魔力の操作なら、この子が一番です。その、ほら、挨拶してください」
「え……クロ。うん、よろ」
「もう……」
クロと名乗った少女は、やる気なさそうにあくびを一つ。天才なのか知らねえけど、やっぱり才能がある奴って、どこか抜けてるイメージあるよな。
マオは少し困った顔をしながらも、クロに指示を出した。
「えっと、この人に魔力の操作を教えてあげて?」
「後ででいい?」
「ダメです。この後プリンあげますから」
「ほんと? はあ……でも、こいつ人間じゃん。なんで殺さないの? もしかして、好きとか?」
「そんなわけないじゃないですか。あんな気持ちわ……とにかく、事情は後で説明しますから」
「あ〜い」
うーん……。魔王のマオに対して、ここまで親しげに話してるのは何なんだ?元々友達同士だったのか? まあいいや、他人の関係なんて興味ねえ。
それと、今「気持ち悪い」って言いかけただろ。事実だからいいけどさ。魔族にすらキモいと思われる顔。さすが「性的魅力:1」だわ。
クロは俺のところへ、だるそうに歩いてくる。そして、急に俺のおでこに手をかざしてきた。反射的に避けようとしたけど、クロはもう片方の手で俺の頭を、とんでもない握力で壁に押しつけやがった。
俺は一瞬で、恐怖で動けなくなった。というか、マジで物理的にビタイチ動けねえ。殺される……?
クロは無表情のまま、俺のおでこを覗き込むように凝視する。
すると、クロが「みつけた」とボソッと呟いた。その瞬間、俺の脳裏に、何か「大量の記憶」が無理やり流れ込んでくる感覚に襲われた。
頭が猛烈に痛い。大量の情報に、俺のチー牛脳が処理しきれずにオーバーヒートを起こしてるような感覚だ。疲労で意識が飛びそうになる。全身に力が入らない。手を動かそうとしても、まるで鈍器で思いっきり押さえつけられているような。
地獄だった。俺には3分以上にも感じられたその苦痛は、実際には数十秒で終わった。
クロはそのまま手を離すと、さっさと部屋を出て行こうとする。マオが不満げな顔でその後を追いかける。
「おわりー」
「あ、もしかしてまた適当にやったんですか? もう、今回はさすがにダメですよ。やっとこの戦争を終わらせられるかもしれない鍵なんですから」
「適当じゃないよ〜。脳に直接、魔力の使い方の情報を送り込んだんだから。勝手に使えるようになってるよ。こういうのって感覚だから、口で教えても意味ないし〜」
「ならいいですけど……」
「じゃあ寝る」
適当すぎるだろ、あの女……。本当にそのまま出て行きやがった。
にしても、今の一瞬で疲労感がヤバすぎて、俺はその場に座り込んでしまう。マオがすぐに、またあの治癒魔法みたいなやつをかけてくれた。
不思議なもんだ。急に体が軽くなって、疲れも吹き飛んでしまった。
「すみません、本当に。……とりあえず、魔力の操作は分かります?」
「え、あ、その……」
さっきまで魔力の操作なんて1ミリも知らなかったはずなのに、自然と使い方が脳裏に浮かんでくる。というより、本当に感覚で勝手に操作できる。まるで、人間が息をするのと同じように。
魔力の元になる「魔素」は、この世界の空気中に無限に存在している。それを身体の強化や硬化、色んな用途に変換できる。
言葉にするのは難しいけど、空気を掴むような感覚。それを体に取り入れて、力を一点に集中させるような……。
これで殴れば岩も砕けるだろうし、殴られても骨を折られることはないだろう。応用すれば、武器に魔力を注ぎ込んで強度や威力を増すこともできる。目に集中させれば、動体視力も上がる。
ただ、結局は脳の処理速度に限界があるから、スローモーションに見えてじっくり思考できる、なんてのは無理だ。せいぜい目で追うのが限界。
魔族や人間でも一部の強者は、常に魔力を纏っている。だから暗殺は難しいだろうけど、まだ魔力操作を覚えたての棒緑たちなら、今の俺なら何とかなりそうな気がする。
使ってみて分かったけど、確かにこれは慣れや感覚が全てなんだろうな。こんな簡単に手に入れちゃっていいのかよ。……まあいい。人生をイージーにできるんなら、した方がお得や。
「……大丈夫そうですね。それでは、他に聞きたいことがなければ、任務を遂行してください。特に期限はないですが……長引かせたくはないので、できるだけ早くお願いします。もしかしたら、案外早く達成できるかもしれませんね」
マオは最後に、窓の奥に広がる森を見ながら、独り言のように呟いた。
早く達成……? 人殺しか拉致を、俺がそんなに早くできるとは思えないけどな。地球に住んでた平和ボケした人間だぞ?
まあいい。解放されるだけでもありがたい。俺が一礼して出ようとしたら、シロから何かをひょいと投げつけられた。なんだ? 俺はそれをあたふたとキャッチする。
手元を見てみると、それは短剣だった。鞘に納められている。
「人間、それを持っていけ。簡単に死なれちゃこちらも困るからな。……お前、暗殺者だろ? ならその武器が一番手になじむ」
「え、あ……はい」
なんだ、このツンデレは。なんだかんだ心配してくれてる……なんてわけねえか。
……待て。俺、隠蔽スキルで職業の”暗殺者”を隠してるはずだよな?
ちなみに、さっきクロに脳をいじられた時、スキルについても多少の情報をくれていた。相手との力量差が極端にあるとスキルが通用しない……それか、そのスキルと相性のいいスキルを持っている相手にも通じない、と。
つまり、シロと俺では、今はライオンとミジンコくらいの差があるってことか。いやまあ、こいつらと敵対するくらいなら、味方でいた方がいいよな。うん。助かったわ。
「それでは、ご武運を」
マオが部屋の出口の扉を開けて、俺を促す。
俺は扉の前で立ち止まって、一度だけ深く深呼吸をした。もう、ここから先の俺は普通の人間ではいられないんだろう。
覚悟を持て。
バレないように。
魔族のために。
……そして、生き残るために。
俺はそのまま一歩踏み出し、廊下を歩いて、魔王城の裏口から月明かりに照らされた暗い夜の外へと飛び出した。




