第10話 初殺
「あ、ちょっと待ってください」
外に出ようとしたら、マオの声がして振り返った。マオは、人間一人分くらいのデカい紙を俺に手渡してきた。
「これ、人間領の王城の近くの森まで転移できるように設計した魔方陣です。これがあれば、すぐに行き来できるはずですよ」
「え、あ……ありがとうございます……」
「この城の外は、対人間用の魔力阻害の結界を張っていますから。一旦森に出てから使うといいですよ」
「あ、はい」
転移魔方陣か。そういえば、ここから人間領までは遠すぎるもんな。そもそも道も知らないし、聞くのを完全に忘れてたわ。さすが魔王、そこらへんもぬかりない。
マオはそのまま手を振って俺を見送ると、魔王城の中へ戻っていった。俺は言われた通り、緊張して心臓をバクバクさせながら、夜の肌寒い道を歩いて森へ出た。
森に入って、もらった魔方陣を地面に広げる。魔力を注ぐだけで発動するはずだ。……いや、普通に怖いんだが。俺は魔方陣の上に乗って、そっと手をかざそうとした。本当に大丈夫だよな、これ?
その瞬間だった。
「チー牛。やっぱりてめえ、魔族と手を組んだんだな」
「ひっ!?」
反射的に思いっきり後ろに飛び退いて、距離を取る。いつの間にか、目の前にモブ崎が現れていた。緊張しすぎて周りを警戒してなかった俺も悪いけど、流石にこの状況はヤバすぎると、脳みそが全力で警鐘を鳴らしてる。
モブ崎はニヤニヤと嫌な笑い方をして、俺に詰め寄ってきた。
「さすが俺だわ。鑑定スキルでお前のプレートを見た時、”ニート”なんて書かれてなかったからさ。怪しいと思って念のため付けてきて正解だったぜ。……まさか、マジで魔族と手を組むとはな」
「い、いや……ちが……これは、たまたま戻ってこれただけで……」
必死に言い訳を並べる。いざこざの張本人を目の前にすると、声が震えて上手く喋れない。トラウマってやつは、そう簡単には消えない。こいつにずっといじめられてきたんだぞ? 逆らえねえに決まってんだろ。
「へえ、じゃあその魔方陣、誰から貰ったんだよ? さっき見たぜ? 魔族から貰ってるところをな」
そう言って、モブ崎は魔方陣を拾い上げ、自分の懐にしまおうとした。
ヤバい、盗られた。これじゃ帰れない。……いや落ち着け、また貰いに行けばいいだけだろ。……ダメだ、焦りでまともな思考ができない。鼓動が止まらない。
モブ崎はさらに距離を詰めてくる。俺の顔を見て、さらに追い詰めるように問い詰めてきた。
「ていうかお前、傷まで消えてるけど、治してもらったのか? ずいぶん魔族と仲良くなってんなあ、裏切り者」
そして、俺の耳元で、バカにするようなかすれ声でささやきやがった。
「お前が魔族と手を組んだ裏切り者だってクラスや岸にバラせば、お前、これからどうなるかなあ? なあ、チー牛?」
まずい、まずい、まずい、まずい。
俺が「敵」だと認識されたら、この世界のことだ。岸たちは俺を拷問したり監禁したりするだろう。ただでさえ気持ち悪い目で見られてた俺だ。完全にクラスから孤立して、受けるダメージは今までとは比較にならない。
監禁されたら動けないし、逃げ出せたとしても、ずっと警戒されて任務も果たせなくなる。何より、怖いんだ。人の目が。社会的死が。
今、こいつを殺せば……?
殺せるのか、俺に。こんなに手が震えてるのに。内心で殺すのをためらってる俺に。魔族のためとか言いつつ、ただ利用されてるだけだってことも、本当は分かってる。だからって、やらないのか?
そもそも、こんなクソみたいな思いをしてきたのは、誰のせいだ?俺のせいか?
……違うだろ。俺は生まれたくもないチー牛顔に生まれて、親に、周りに、自己肯定感をこれでもかってくらい奪われて、いじめられて、まともな人生を送らせてもらえなくて。
他の奴らはあんなに楽しそうに生きてて、なんでこんな不公平なんだ。俺はただ、キモい顔で生まれただけなのに、なんでこんな扱いを受けなきゃいけないんだ。
なんで、俺ばっかり……。
怒りと憎悪で、周りが見えなくなっていた。ただ地面に拳をこすりつけ、アドレナリンのせいか痛覚も忘れて、ただ、強く強く拳を握りしめた。
「あ? 八つ当たりかよ。おい、立てよ」
モブ崎は左手で俺の胸ぐらを掴んで、無理やり立たせた。そのまま、右手に魔力を集中させている。
……遅い。借り物の経験と知識だけど、俺は一瞬で魔力を移動させることができるんだ。
この、一瞬の間にな。
「キショい顔、さらにぐちゃぐちゃにしてから連れ帰ってやる……よ……?」
その瞬間、モブ崎の口から血がタラタラと溢れ出した。
何が起きたか分からない、という顔で俺を見つめるモブ崎。奴は口を拭い、その手を見て、自分が血を吐いたことに気づく。そして、ゆっくりと自分の胸に視線を落とした。
俺の突き刺した短剣が、赤黒い血を吸いながら、モブ崎の胸を抉っていた。
「……あ、が……あ、あ……」
そのまま、力任せにぐりぐりと胸を抉って動かした。何も考えず、ただ無表情で。
モブ崎は何とか俺の手をどかそうと、必死に俺の手を握ってきたけど、俺の力には敵わない。
ついに足の力が抜けたのか、膝から地面に崩れ落ちた。俺は短剣の柄から手を離す。
そのまましゃがんで、モブ崎の整った顔……その髪を掴んで、無理やり正面を向かせた。
「そうだ。手を組んだ。お前ら全員を、殺すためにな」
溜まりに溜まりまくっていたドロドロの憎悪を、全部吐き出した。
「お前らから受けた仕打ちは、こんなもんじゃない。痛いか? 痛いだろ。俺は精神的にも物理的にも、もっと、もっと、もっともっと痛かったんだよ。俺はな、やり返さないと気が済まないんだ。当たり前だろ? 俺がキモイってだけでこんな扱いをしたんだ。お前も味合わなきゃ不公平だろ? この程度で済むと思うなよ」
モブ崎はうつろな、死んだ魚のような目で俺を見た。
「あ……が、たす……け……ゆる、じ……」
「あ?」
俺はそのまま、奴の喉を、魔力で覆った手で斬り裂いた。
「助けて? 許して? ふざけるなよ。お前は、お前らは、やめろって言ったのにいじめをやめてくれたか? 許してって言ったのに、許してくれたか? おい、聞いてんだよ、おい! 早く答えろよ、おい!」
髪を掴んで頭を大きく揺さぶるが、すでにモブ崎の目からは光が消えていた。息もしていない。
森の木々がカサカサと揺れる静寂の中で、俺は急に現実に引き戻された。
自分の体のあちこちについた返り血。
生温かくてドロドロの、血まみれの手。
鼻をつく血生臭い匂い。
そして……目の前で1ミリも動かなくなった、初めて見る死んだ人間。
怖くなって、後ろに下がった。
「あ、ああああ、ああああああああああ!!」
やっぱり、初めての人殺しに、精神がボロボロにかき乱された。血を拭おうとしたり、水を探したり、ただ同じ場所をぐるぐると歩き回ったり。側から見れば異常者そのものだったろうな。しばらく、俺はその場でパニックになっていた。
すると。後ろから、誰かにそっと抱きしめられた。
「チハル、大丈夫。落ち着いて」
「……え、あ……」
マオだった。
俺を、抱きしめてる……?
でも、その体温は驚くほど温かくて。安心するような、なんとも言えない感覚に包まれて、俺の動きが止まった。
今までずっと、人から避けられて、拒絶されてきた俺にとって、初めての人の温もりだった。……なんだか、すごく心地よかった。
マオは、俺にゆっくりと語りかけてくる。
「大丈夫。よくやってくれました。あなたは、私たちのために、命がけで任務を遂行してくれたんです。誰も責めません。もう、仲間です。安心してください。あなたは私たちに勝利をもたらす鍵なんです」
その言葉を聞いて、心が静まっていく。ずっと俺が聞きたかった、肯定の言葉。……俺は、自分を正当化していった。
(これは、俺の復讐なんだ。今まで受けてきた仕打ちに比べれば、こいつの死なんて安いもんだろ。そもそも、本当の悪はどっちだよ。人間だろ? 魔族は苦しんでる。それに、俺はモブ崎に殺されそうになった。これは正当防衛だ。弱肉強食だろ? マオも、俺を信頼してくれてる。仲間として。なら、俺のやったことは正しいんだ。……俺の人生は、俺が決める)
俺は、うっすらと口角を上げた。
これでいいんだ。この世界では、実力が正義だ。俺を邪魔する奴は、もう魔族にはいない。
なら、戦ってやるよ。俺のために。この世界のために。
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