第5話 憎悪
「おいチー牛ニート。お前、スパイとして魔王城に潜入してこいよ」
「え……は?」
言葉が出てこない。ただ棒緑の顔をアホみたいに見つめることしかできない。
こいつ、本気で言ってんのか? いじめの域を超えてるだろ。ここ、魔王城だぞ? まだ訓練を始めたばかりの俺が行ったところで、秒で殺されるに決まってる。
意味が分からない。嘘だろ? 遊びの冗談だよな?……もし本気なら、こいつは本気で俺に「死ね」って言ってるのか。俺のこと、ゴミか何かだと思ってんのか。
棒緑たちの4人組が、ニヤニヤ笑いながら俺を囲む。逃げ場なんてどこにもない。その瞬間、棒緑の拳が俺の顔面にめり込んだ。ドンッ、という鈍い音が頭蓋骨に響く。
歯が折れたかと思うほどの衝撃。痛みで視界がチカチカして、のたうち回る。口の中に鉄の味が広がる。……地球で殴られた時とは、比べものにならない。何なんだよ、これ。
「おい棒緑。さすがに魔力込めて殴るのはやりすぎだろ。死んじまうぜ?」
「マジウケるんだけど! 潜入する前に死んじゃうじゃん!」
「棒緑。君はすぐ感情的になって行動に出る。スマートじゃないね」
「お前ら安心しろよ。加減はしたって。本気で殴ったら、魔力すら纏えないこいつの顔なんて、骨ごと粉々になって吹き飛んでるだろ」
……魔力を込めた?魔力の操作なんて、まだ授業でも習ってないはずだ。なのに、なんでこいつらは使えるんだよ。しかも、俺が使えないのを分かってて……躊躇なく殴ったのか?
こいつら、異世界なら何をやっても許されると思い込んで、完全にブレーキが壊れてやがる。
不細工の命はゴミ以下。ああ、俺もそんなこと分かってらあ。前世から嫌というほど思い知らされてきたよ。普通に、まともに生まれたお前らが……あああああ、羨ましい。死ぬほど羨ましい。
ムカつく。痛い。ムカつく。痛い……。
「まあ、棒緑。見ていてください。僕が手加減というお手本を見せてあげますから」
キザな口調で、半寒が俺の髪を掴んで顔を上げさせた。
殴られると思って思わず目を閉じる。……でも、衝撃は来ない。恐る恐る目を開けると、俺の目の前には半寒の指先があった。そのまま、パチン、とデコピンをされた。
その瞬間。
ただのデコピンのはずなのに、脳にドリルで穴を開けられたような激痛が走った。
「あ、が……っ」
また地面を転げ回る。叫び出したかった。でも、こいつらの前で声を出すのが恥ずかしくて、必死に耐える。おでこを抑えて、震えることしかできない。
「半寒、それもやりすぎだろ」
「いやいや。棒緑のパンチよりスマートじゃないか。 痛みもそこそこだし」
「なんか、アタシもやんなきゃいけない空気? でもアタシ格闘家だし、殺しちゃうかも」
「てか、棒緑も狂戦士だぜ!?」
棒緑たちは楽しそうに笑っている。震えている俺を見て、エンタメを楽しんでいる。ああ、うぜえ。殺してえ。……今までだって、「死ね」と思った奴はいた。でも、今回のは次元が違う。
心の奥、闇の深い底から黒いものが喉にせり上がってくるような、この憎悪。絶対に、殺してやりたい。絶対に見返してやりたい。ああ、イライラする……ああああああああ!!
……でも、俺には力がない。
暗殺者? そんな職業、どうやってこの硬い連中に通じるんだよ。どうせこの後、俺は魔族に見つかって殺されるんだ。復讐もできずに、無様に死ぬんだ。……せめて、本とか読んで魔力について勉強しておけばよかったのか?
いや、違う。俺は、生まれた時からこうなる運命だったんだ。
クソ不細工に生まれて、親にもクラスメイトにも存在を否定されて、人生を諦めて適当に生きてきた。誰も助けてくれない。ただ耐えて、今日をやり過ごすだけ。
努力なんて意味がない。俺みたいな弱者は、このまま死を受け入れるしかない。これが「弱肉強食」の世界だ。
その時、魔王城の門の方から、カツン、カツンと足音が聞こえてきた。
「まずい。見つかったか?」
「しょうがないですね。戻りますよ」
「アッハ、超スリルあってマジ最高なんだけど!」
モブ崎、半寒、魏屋琉が魔方陣に乗って消えようとする中、棒緑が俺の前に立ちふさがった。
俺をゴミを見るような目で見下して、ニヤリと笑う。
「もしちゃんと調査して生きて帰ってこれたら、認めてやってもいいぜ? もういじめはやめてやるよ。……それじゃ、いってらっしゃい!」
棒緑はそのまま、俺の背中を魔力を込めて思いっきり蹴り飛ばした。背骨が折れたような、鈍い衝撃と激痛。
そのまま門の前まで吹き飛ばされ、俺は地面を転がって止まった。
クソ……絶対殺してやる……殺してやる……殺してやる……。
だが、そんな呪いも虚しく、俺はすぐに魔族の兵士たちに取り囲まれた。
槍や剣が、俺の喉元に突きつけられる。
「誰だ、貴様!」
ああ、終わった。ゲームオーバーだ。現実はゲームみたいにやり直しなんてできない。痛い。殺したい。でも、もう体も限界だ。
……ああ、せめて童貞くらい卒業したかったわ。
また足音が聞こえる。今度は、軽くて、でも規則的な足音。俺は何とか顔を上げて、そっちを見た。
そこにいたのは、俺と同じくらいの歳に見える少女だった。耳はエルフのように長く、瞳は赤い。動きやすそうな鎧と、風にたなびく黒いマント。白髪のショートヘア。
彼女が歩いてくると、その場の雰囲気が変わる。一人の兵士が深々と頭を下げる。
「魔王様……」
その場にいる全員が片膝を突き、頭を垂れた。少女は俺の目の前まで来ると、黒い剣を俺の喉元に突き立てて、口を開いた。
「人間。何か最後に言い残すことはありますか?」




