第41話 ポチ 2
「ポチ……」
千温は思わず声を漏らすが、ポチは彼を見てすぐに目を逸らす。千温は未だに頭の中の靄は晴れていなかった。ポチに対する憎悪は消えてはいない。
しかし、自分で考えてみても、こんな自分みたいなチー牛と一緒にいたい、付き合いたいと思う人間はいないと、納得してしまい、ポチが一方的に悪いわけでもなく当たり前の拒否反応で、憎くても憎めない、複雑な感情が渦巻いていた。
やはり、あんなに可愛がってたポチを、唯一自分と対等に接してくれたポチを、一瞬で嫌いになれるわけがなかった。敵としてはどうしても見れなかった。
しかし、現実は非情なものだ。ポチはわざとらしく、池麵の元へと歩き、千温から隠れるように、池麵の後ろに立つ。
千温はまるで心が刺されたかのような感覚に陥り、絶望というショックを受けた。俺がただ、気持ち悪いブサイクなだけで……。
千温は拳をぎゅっと握りしめながら、最後の賭けだと、ポチの元へ一歩ずつ、歩みを進める。
「ポチに近づくな!お前はポチにしたくもない人殺しを強要させて、ずっとポチを監禁していたんだろう!やっと自由になったんだぞ!」
「黙れ」
「なっ!?」
千温は低く、鋭く、「黙れ」と一言だけ返した。そして、千温はポチに会話を試みた。
「なあ、その……また、俺と一緒に来ないか?いや、俺とじゃなくてもいい。お前も知ってるはずだよな?魔族は、強欲な人間に魔王を殺されたことも、今侵略されていることも……お前は、それでも人間側に付くのか?」
「何をでたらめを言ってるんだ!そう言ってポチを騙すつもりか?魔族は人間族を脅かした敵だろ!」
再び池麵は口をはさんでくる。しかし、千温は動じない。
「おい、お前は何を言ってるんだ?見てもいないのによく断言できるな。お前の正義は、自分の都合のいいように動いているのか?」
「黙れ!日本にいたときだって、魔族が人間を脅かす物語が普通だろ!この世界の歴史だって、人間族は魔族に脅かされたと学んだじゃないか!」
本当に何を言っているんだ?と千温は呆れたように肩をすくめる。人間口だけで嘘などいくらでも作り、事実を改ざんできる。そして当たり前の普通を
「ああ、もういい。話が通じない奴には何を言っても意味ないから」
「なんだと!?」
「ポチ、俺はお前のお気持ち感情は否定しない。俺が女でも、俺みたいなチー牛と付き合いたい、一緒にいたいなんて思わねえからな。ただ、それで被害者である魔族を見捨て、自分勝手な人間族の味方に付くと、その考えなんだな?」
千温の会話を聞いていたポチは、ずっと、千温の目を見つめていた。ポチは、池麵の制止をしりぞけ、千温の前にゆっくりと足を運んだ。ただ、目の前で千温の目を見つめていた。
そして、ポチはついに言葉を発した。
「ポチは、チハルのことを、親として育ててくれた恩はあるの。でも、それでも……ポチは池麵様に付いていくの!」
「……ポチ、お前。ついにやったな」
千温は身体を動かそうとした今この瞬間、気づいた。
そう、ポチはこのやり取りの間にも、千温の目を見つめ、身体が動かなくなる麻痺術を付与していた。初めてポチと千温が一緒になって殺した、郁也を嵌めた時の、麻痺術。
ポチは動かない千温の前で、手に魔力を思いきり溜めて、手刀の構えを取っていた。千温は、何かを決意したように俯いた。そして、ポチはボソッと呟く。
「さようなら、チハル」
そして、ポチは千温の胸を手刀で刺そうとした瞬間だった。
「お前を育てたの、誰だと思ってんだよ」
「え?」
千温はポチよりも速く動いた。ポチはあまりに自然で、反応すらできなかった。そしてポチの手刀を受け流し腕を掴み、そのまま彼女を背負い、地面へ投げつけた。そのまま馬乗りになり、千温は短剣をポチの目の前で構えた。
ポチは一瞬の出来事に何が起きたのか分からないように目を丸くしていた。
「な、なんで、動けるの?」
「ああ、今日の眼鏡は特注品で気合入れたんだわ」
「……え?」
前日、千温はポチと戦うかもしれないと決意した時に、術を防ぐように、クロに眼鏡をコーティングしてもらっていた。だから、ポチに見つめられても術は千温には効かなかったのだ。
「ポチ!今助けに……ぐお!?クソ、邪魔をするなああ!」
池麵はすぐにポチの元へ駆けつけようとしたが、後ろに控えていたシロに羽交い絞めにされた。しかし、勇者である池麵の力は強く、シロの拘束は今にも解かれそうだった。シロは必死に叫ぶ。
「チハル!迷うな!お前には仲間がいるだろ!もう持たねえ!」
「……」
千温の短剣を持つ手は震えていた。千温の脳内には、今までのポチとの思い出が駆け巡っている。あの頃のポチはもう、戻ってはこない……。
なんで俺は今この状況でも引きずってんだ……早く、しないとシロもマオも……。
千温の震える手を見て、ポチは余裕の笑みを浮かべた。
「フフ……チハルにポチは殺せないの」
「……ハハ、どうだろうな」
千温は、笑った。もう、どうにでもなってしまえ。そんな思いで、腕を……短剣を振りかざした。そして、ポチの胸をスッと、簡単に貫いていた。
千温は、少しだけ涙をポロッと流していた。そして、その涙がポチの顔に垂れていった。ポチは灼熱の痛みに苦痛の表情を一瞬浮かべるも、すぐに作り笑いをした。そして一言呟いた。
「池麵……様……」
最期の言葉は千温の名前ではなく、池麵の名前を呼んでいた。千温は歯を食いしばりつつ、ぐりぐりと短剣を刺していった。そして、千温は、ポチを自らの手で殺した。
「チハル……」
マオはうなだれる千温を心配そうに見つめる。だが、この瞬間、おぞましいほどのどす黒いオーラが一気に辺りを覆った。千温、シロ、マオはそのオーラに身を震わせ、どっと冷や汗を流す。
「……ぽ、ポチ……チ、チー牛ううう!!!貴様ああああああ!!!」
シロに拘束されていた池麵は勇者らしからぬどす黒いオーラをまき散らし、その圧だけでいとも簡単にシロを引きはがした。シロは吹き飛ばされつつもすぐに体勢を立て直し、千温の元へ一気に駆けつける。
「チハル!撤退だ!ありゃ手が付けられねえ!他の兵士たちをかき集めておく!その間に転移魔方陣を出せ!」
千温はシロの声でハッとして、ポチの亡骸に刺さった短剣を残したまま、池麵から咄嗟に距離を取る。そしてすぐにしまっていた転移魔方陣を取り出して、地面に敷き、魔力を流した。
「逃げるなああああ!チー牛!!!」
千温はすぐに魔力を流し終え、設置を完了する。そしてちょうどシロたち魔族組が急いで転移魔方陣の上に飛び乗ってくる。
「オーケーだチハル!起動しろ!」
「はい」
「待ちやがれ!!!」
池麵が地面を踏み込んで、魔族たちに一気に飛び込んで来た瞬間、千温たちの姿は一瞬でこの場から消えた。そして転移魔方陣は一気に効力を失った。池麵は立ち尽くし、舌打ちをする。そしてその場に膝をついて地面を殴った。
「畜生!ポチをよくも……魔族め……チー牛め……絶対に許さない。悪は滅ぼす……絶対にな……」
静かになった荒野の中、勇者は心の中で、打倒魔族を固く誓った。




